彼女の決意と自由な彼
暗く静かな部屋で、アルヴィンは薬品の調合をしながら、横でそれを物珍しそうに覗きこんでいるドリスに話し掛ける。
「どうしても国外に出た後の痕跡が掴めない。そっちはどうだ?」
「わたしが本気になって探してるのに見付からないなんて……。もう殺されてるんじゃないかな。」
くすくすと笑いながら、ドリスは己の考えを語る。
しかし、言葉の中に僅かな苛立ちがある。彼女にとって情報は、自分が動けば得られることが当たり前のものだったのだろう。ドリスから滲み出す不穏な気配に気付いた。
「だとしたら、なんのために殺されたんだ。」
「ペインは神の一族の虐殺に関わってたみたいだから、その関係でじゃないかな? いずれにしても神の一族関連でしょ。理事長が動いてるもん。」
「悠久の時を生きる魔法使いを簡単に殺せると思うのか?」
寿命なんてものは魔法使いにはない。なぜならアルヴィン達、魔法使いにとって自分の身体すら実験台なのだ。延命魔法や不死の魔法の完成は魔法使いにとって大きな夢だ。その為に自分の身体を使うのが一番情報が洩れなくて安全だ。
数百年も生きている魔法使いもいる。
「不可能なことではないと思うけどな。魔法使いも人間だもん。脆いところはあるよね?」
「教えると思うか?」
話の流れでしれっと魔法使いの弱点を訊いてきた。危ない女だ。
「そこまでアルヴィンはぬけてないもんね。でも、わたしにくらい言ってくれても良かったのに。」
「君に教えるのが一番あぶない。だが、確かに不可能ではないな。死体も他に魔法使いか魔術師が居れば簡単に消せる。」
となると、この一年近い調査は殆ど意味のないものだったということだ。収穫といえば王家の事情を少しだけ知れたことと、ペインが虐殺に関わっていたこと、フォスター家と繋ぎがとれたことくらいだろう。
繋ぎといっても、ドリスに誘われてフォスター別邸で食事をしていた時に、ドリスの伯父、即ち現フォスター家当主タルコット・フォスターと鉢合わせてしまったのだ。
軽く挨拶を済ませておけばいいと思ったのだが、タルコットは隣に座ってきて根掘り葉掘り訊いてきた。主に魔法使いについてだったが、途中から「本当にこの娘で良かったのかい?」や 「魔法使いなんていいもの……おほん。アルヴィン君みたいないい男、逃がしちゃ駄目だよドリス。」と話が変な方向になっていった。彼はなにを勘違いしたのかアルヴィンがドリスの恋人と思っているようだった。
やはり年頃の男女が二人でいればそう思われるのが必定なのか。その誤解はおそらく解けたが、解けなければ腹の探り合いが常の家に婿になるところだった。本当に危なかった。誤解を解こうとしないドリスに苛々としたが、その後にお詫びとして珍しい薬草を貰えた為、なんとか苛々はおさまった。
「さて、アルヴィン。」
掛けていた眼鏡を奪われ、視界が不明瞭になる。
ぼやけたドリスと思われる輪郭に向けて手を差し出す。
「眼鏡を取るな。なにも見えない。」
「わたしね。愛だの恋だの言って騒いでる娘達を見て、馬鹿らしいと思ってたの。」
「そうだな私もそう思う。……眼鏡を返せ。」
眼鏡があると思わしき影に手を伸ばすが、ひょいと避けられる。代わりに口に指を当てられ黙ってと言われる。納得いかない。
「恋なんて幻想で、ただ種が絶滅しないために生まれる感情だから、将来は『家の為になる誰か』と一緒になっても良いやって。でもね。わたしアルヴィンが欲しくなったんだ。だから絶対にどんな手を使っても手に入れてみせるね!」
「は?」
謎の宣言をして、足取り軽く去っていくドリスを呆然と見送った。
「なにがしたいんだ。……。くそっ。眼鏡持っていかれた。」
引き出しを開けてもう一つの眼鏡を掛ける。
机に向かい何事もなかったかのように実験を再開する。
残念なことに、アルヴィンは興味のあるものとないものに使う能力の差が激しい。次に会ったときはドリスの話も忘れていることだろう。
◇◆◇
「それなりに高さのある屋敷の塀をロープなしで登って、密集した家屋の屋根を走り回ったり、学校の先生のカツラをこっそり外したり、町で少しでも目を離せば行方不明。挙げ句に近所の悪ガキを力で纏めて立派なガキ大将だったなんて、今のヴィンセントからは想像がつかないな。」
ノア達と別れ、学院の自室に戻ってお茶をしているときにそれを話された。危うくお茶を吹き出すところだった。
(ウォーレン兄様。それを話したの!? いや、あれよりはましかしら。)
ノアに纏わり付かれている間、シリルはウォーレンと世間話をしているようだったので、昔の恥ずかしい話を話されていないか心配していたのだが、恋人は丸ごとレイラを受け入れられる人でなければ、と言っているウォーレンのことだ。ガキ大将云々を話せば誰も結婚してくれないだろうなと馬鹿にしてくるウォーレンなら、人のいいシリルがレイラに変な感情を持って、その後ガキ大将のことを聞けば軽い女性不信になってしまうかもしれない。と親切に伝えたのだろう。
ガキ大将ではなく、悪さをしている子供に制裁を加えていたら、何故か慕われてしまっただけなのだ。誘拐されやすいレイラのために、出来るだけ傍にいてくれたりなど良いこともあったが、町を歩くときレイラの後ろに常に目付きの悪い子供を十数人もぞろぞろと引き連れていればレイラがガキ大将に見えたのだろう。
「今の可愛い顔からは想像できない。」
そう最後に付け加えられ、頬に朱が散る。
ここまでくると、わざと意識させているのではないかと思えてくる。今朝からずっと顔が赤いままだ。無言で顔を隠すように俯いていると、隣に移動してきたシリルに髪を弄ばれる。
「よく考えたら、ヴィンセントは十八歳なんだよな。」
「そう、ですね。正確な日付は分からなかったですけど、大体一年くらいは誤魔化されてるみたいですから。」
レイラが十八歳となると、アルヴィンとドリスと同い年になり、今まで同い年だと思っていたエリオットとエリシアが年下になる。不思議な気分だ。
「てことは、俺とは五歳差か。」
「そうでしゅね。」
頬をふにふにと摘ままれ、おかしなしゃべり方になる。
「変だな。」
「んむぅ。もう、やめてください。」
唇を摘ままれば、さすがにレイラも抵抗した。
シリルの手首を掴んで止めさせる。すると、不満そうな顔をしてレイラの指先に口付ける。
伏せた瞳と切なげな表情に心がざわめく。
「朝からヴィンセントがつれない。俺なんかしたか?」
「それは……。」
「それは。なんだ?」
「今日は私が眠いのでまた明日。」
卒業式に告白すると決めて半日で、早速レイラの異変に気付かれた。何事も目敏いシリルだが、こういうことは鈍くいて欲しかった。一年共に過ごすと、やはり相手の異変に気づきやすくなるのだろうか。
とりあえず、今晩中に作戦を立てておこう。今、レイラに必要なのは挙動不審なレイラに尤もらしい言い訳を作ることだ。それなのに、
「駄目だ。今、教えてくれないと俺が眠れない。」
狡い。シリルを盾にとられたら、今すぐに尤もらしい言い訳を考えないといけなくなる。穴の開いたすかすかの言い訳にはしたくないのに。
「そ、そんなこと言われても……。困るわ……ひゃっ!」
突然シリルに抱き寄せられ、頤を持ち上げられる。
橄欖石の瞳がすぐ近くにあり、レイラは狼狽える。
「今、素に戻ったな?」
「す、すいません。」
しまった。慌てすぎて言葉遣いが普段になってしまった。先程までノア達と普通に喋っていたから、その調子が抜けていないようだ。気を引き締めねば。
「謝るな。いい加減、俺にも普通に喋ってくれないか? エリオットとかアルヴィンには普通に喋ってるのに、不公平だ。」
不公平と言われても。教師に敬語を使うのは当たり前だろう。
「先生は先生ですから。」
「あと、名前もだな。先生としか呼んでもらえてない。」
名前……。確かに名前も口にすることはあるが、シリルに向けて呼んだことはない。
「一応、ルームメイトの筈なんだが?」
「ですが……。」
「部屋の中では普通にしてくれ。俺が落ち着かない。」
確かに四六時中、共に過ごす相手が畏まって話していると落ち着かないだろう。名前はレイラの心がもたないだろうから、言葉遣いくらいはなんとかしてみよう。
「分かりまし……。分かったわ……。おやすみなさい。」
一言だけなのに、想像より多くの精神力を削った。もう寝てしまおう。寝て起きればシリルも正気に返るだろう。
寝室に入り、ベッドに横になる。とシリルがとても良い笑顔で入室してきた。
「名前。まだ呼んでもらってない。」
「……。」
さりげなく逃げたつもりだったのに。
シリルは笑顔でレイラの言葉を待っている。無言の圧力に耐えられなくなって布団に潜った。
その抵抗も虚しく、布団を剥がされレイラの顔の横に手をつかれる。開いた手は頬に添えられ、怖くなったレイラがシリルの顔を見上げれば見たこともないくらい意地悪な顔をしていた。レイラが恥ずかしがっているのを分かっていてやっているのか。段々、腹が立ってきた。ただ名前を呼ぶくらいのことを恥ずかしがる必要もない。これから一人で対策を練らなければいけないのだ。ぱぱっと言ってしまおう。
「おやすみなさい。シリル。」
「ああ、おやすみ。レイラ。」
見たこともないくらい幸せそうな顔をしたシリルはレイラの額に口付けを落として、部屋を出ていった。
(それは反則じゃないかしら。)
呆然と天井を見つめながら、口付けられた額に手を当てる。
名前と口付けと笑顔。どれかひとつならなんとかなるかもしれないがそれをを一度にされると、レイラも赤面してしまう。そう、すべてだったら赤面だ。ひとつなら赤面しない。はずだ。おそらく。




