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残りの自覚と解決策

鬱陶しい。甘ったるい声で囁くノア、腰に回された腕はレイラの内蔵が飛び出そうなほど強い。

「レイラ、僕の天使。君のいない生活は苦しいだけだったよ。僕のところに帰ってきてくれないか?」

一年ぶりに会ったからなのか、無駄にくっついてくる。

呆れたように溜め息を吐くウォーレンに瞳で助けてくれと訴えてみるが、不思議そうに首を傾げただけでレイラの意図は通じなかった。こんな時、朴念仁な長兄より頼りになるのがキャロルだ。

「駄目でしょう兄様? そんなこと言ったらレイラに嫌われてしまうわよ。」

キャロルはそう言って、ノアをレイラから引き剥がす。

「ありがとう、姉様。」

自由を取り戻したレイラは早速キャロルに抱きつく。理事長室からレイラの部屋に戻ってきたノアに拘束されて、久しぶりに会えたキャロルと抱擁を交わしたくとも出来なかったのだ。

ノアと会えたのはもちろん嬉しかった。しかし、勝手に部屋に入って来たと思えば、シリルに失礼な事を言ったりと最低なことをやらかしてくれた。久しぶりに会えた喜びより苛立ちが勝るのも仕方ないだろう。

「キャロル姉さんだけずるい。僕もレイラに抱きついてもらいたい。」

「うふふ。良いでしょう? 羨ましいでしょう?」

レイラからノアに抱きついたことは一度もない。

常にレイラの傍にいて、常に抱き締められていれば抱きつく必要もない。それどころか、面倒くさいと思うだろう。

「レイラ。」

ウォーレンに呼び掛けられ、手招きされる。

話の流れから、なんとなくウォーレンの考えていることを察した。さすが血は繋がっていなくとも兄妹。考えることは同じようだ。

勢いよくウォーレンに抱きつく。ほどほどに体を鍛えているウォーレンは難なくレイラを抱きとめ、慣れた手つきで頭を撫でる。

「兄さんもずるい! どうして僕だけ抱きついてくれないんだ!」

「お前がいつもレイラにべったり引っ付いているからだろう。いつもそんなだと嫌気が差すのも無理はない。そうだろう? レイラ。」

ウォーレンの言葉にこくりと頷く。いい加減この兄も妹離れしなければならないだろう。誰か好い人を見つけてほしい。

「さぁ、 安心して僕の胸に飛び込んでおいで?」

「嫌だわ。」

「そんな!」

今にも泣き出しそうなノアを冷たく見据える。これまでのように付け上がらせては駄目だ。いい加減突き放しておかないと、レイラに恋人が出来た時に相手を殺されかねない。殺すというのは比喩でもなんでもなく、この兄なら本当に殺るだろう。そう思った時にレイラの頭にちらついた蜂蜜色の影を即座に頭の中から追い出す。

さっきから、蜂蜜色の影が視界の端にあるのがいけない。

このレイラが持て余している感情は勘違いである可能性がある。初めてレイラを雑に扱ってくれた他人の異性だからある感情と勘違いしているのかもしれない。おそらく。

壊れ物のように扱われることなら慣れていたのだ。

シリルは優しくて、頼りになる。必ずレイラを守ってくれる人だ。レイラが神の一族だと知った時も人を殺めたと知った時も態度を変えなかった。

そんな人に会ったのは初めてで、その初めての人を少なからず思ってしまうのも致し方ないだろう。

「僕の天使。僕だけを見て?」

穴が開きそうな程シリルを見つめていると、目の前にノアの顔が現れた。その顔からふいと顔を背け、キャロルを見つめる。レイラの視線に気づいたキャロルは微笑んで、ノアを羽交い締めにした。

「これで満足?」

「レイラの方が胸があって気持ちいいんだけど。」

キャロルの胸はまったく無いというわけではないが、大きいというわけでもない。だが、それをとても気にしていることをレイラは知っている。部屋の温度が急激に下がったような錯覚を覚える。キャロルの黄褐色の瞳が獲物を定めた鷹のように細められる。

「それなら、今度からは胸の大きな女性を紹介してあげるわ。感謝なさい?」

「頼んだ。キャロル。」

「良かったわね。兄様。」

「よくない! ねぇ、レイラは僕が他の女の物になってもいいの?」

「ええ、勿論。」

愕然と目を見開くノアにそっけなく返すと、ぶつぶつと何ごとかを呟き始めた。昔にノアは心を病んでいるのでは、と思っていたが本当に病んでいたらしい。その様子に疲れたようなウォーレンの溜め息が耳にかかる。くすぐったい。

「姉様はいつまでトリフェーンに居るの?」

「ごめんねレイラ。明日には帰らないといけないの。ノアとお見合いしてくれるっていう奇特な人との約束に間に合わせないといけないから。」

あれ《ノア》とお見合いをしてくれる女性がロードナイトにまだ残っていたとは僥倖だ。甥か姪に会えるのも近いかもしれない。正確には甥か姪にはならないが。

しかし、困った。レイラは女性の悩みを相談したかったのだ。ドリスに相談をするにしても今、彼女は実家に帰省している。出来ることなら早い内に答えを得たい。

「それなら、今から二人きりで話したいわ。姉様に相談したいことがあったの。」

「あら、それなら街に……。街は駄目ね危ないわ。兄様とノア、適当に街で遊んでいらっしゃい。お土産楽しみにしてるわね。」

有無を言わせない声音で兄弟を追い払う。

ウォーレンは抵抗するノアを引き摺って出ていった。

こんな時のキャロルに逆らう命知らずはノアくらいなものだ。

「キャロルさん。私はどうすれば良いでしょう?」

部屋の端に立っていたシリルがようやく口を開いた。

ノアが一回目に襲来したあと、シリルもレイラも着替えてのんびりしていた。そんな時に二回目の襲来に遇ったのだ。身内のノアを晒してしまったのは恥ずかしいが、それ以前にシリルが挙動不審なレイラを探るような目付きで見ていたのが、一番恥ずかしかった。レイラが見てきた中でも際立ってシリルの顔の造作は整っている。そのシリルにじろじろ見られるというのは、とてもじゃないが堪えられない。

「そうね。彼はレイラの護衛なんでしょう? それなら……。」

護衛ならレイラと共にいた方が良いだろうとキャロルは言おうとしたのだろう。それだけはやめてもらいたい。気になる人がいるという相談を気になる本人の前でする奴はいない。

これは断じて恋愛相談ではない。が、シリルと気まずくなるのは御免だ。レイラの鋭い視線にキャロルは何かを察したのか言葉を止めて、レイラをしげしげと眺める。

「……。扉の外に居てもらえるかしら。何かあったら呼ぶわ。」

「分かりました。」

シリルはキャロルに一礼したあと不思議そうに一瞬だけレイラを見て、出ていった。

部屋に二人だけになると、キャロルはニヤニヤと愉しそうにレイラを見つめた。居心地が悪い。

「どうしたのレイラ。相談って。」

「……。姉様はどうやって恋と親愛の見分けをつけるの?」

「それは、シリル先生のこと?」

「……。ええ。でも、あくまで可能性としてだから。私が他人に普通に扱ってもらえたことがないから、そう思った可能性の方が高いわ。」

へぇ、と愉しそうに目を細めたキャロルは、レイラの隣に移動してきて、ウォーレンと同じく慣れた手つきでレイラの頭を撫でる。

「いつ、そう思ったの?」

「今朝よ。」

「どうして、そう思ったの?」

「朝、先生の頭を胸に押し付けていたの。嫌がらせのつもりで。そうしたら、ご褒美になるって言われて、少しは私のこと女性にみえたのか訊いたの。それで先生が少しはみえたって言ってくれたのが、嬉しかったの。だから……。」

「ちょっと待って。レイラ、貴女。いいえ、貴方たち一体なにをしてるの!」

突然、声を荒らげるキャロルをぽかんと見つめる。

なにをしていると言われても、言った以上のことも以下のこともしていないのだが。おそらくキャロルが想像しているであろう甘い空気など欠片もなかった。

「なにって……。」

「はぁ。いいわ。何もなかったのは分かったから。それで? それが、恋か親愛か分からないということね。」

「ええ。」

首振り人形のように何度も頷く。あと五年もここで生活するのだ。この感情がなにか分かれば、解決策が見つかるはずだ。

「手っ取り早いのは、そうね。キスでもしてみればいいわ。嫌か、嫌じゃないか。簡単でしょう?」

どの辺りが簡単なのだろう。以前に心肺停止になったレイラにシリルが人工呼吸したことはあるが、それは医療行為なので無かったことにした。

それをレイラからシリルにしろと。想像しただけで、顔から火が吹く。気まず過ぎてもう学院に居られない。

「そんなことしたら、これから先生とどんな関係も築けなくなるわ。」

「じゃあ恋してるんじゃないかしら。シリル先生となんであれ関係が築けないのが嫌なんでしょう? そしてキスを想像しても、気持ち悪くなくて恥ずかしいだけ……。」

「なるほど。そういう考え方もあったのね。」

となると、レイラがこの一年間で恋心を育てて来たということになる。朝、レイラが自分でした推測は合っているのだろう。朝からずっと一心に心の中で否定してみても、その考えが消えなかったのはその考えが合っていたからだろう。

それなら、レイラがすることは一つだ。

卒業式まで様子をみて、それでもレイラの心が変わることがなければ、告白した後、玉砕。これですっきりロードナイトに帰れる。

世の中には政略結婚なるものもあるのだ。

恋人同士が政略によって引き裂かれ、心を押し殺して生きることもある。恋心を隠すのは、感情を消してきたレイラにとって容易なことだろう。自己完結して、すっきりとした気持ちでキャロルに礼を言う。

「ありがとう姉様。」

「いいえ、可愛い妹の為だもの。」

「姉様。大好き。」

当たり前に口にしてきた言葉だが、姉妹ではなく親戚ということが分かってからは何度も口にしたくなる。遠い血族という関係を強化するように。

家族でレイラのことを知っているのは母と祖父くらいだろう。ノアが知っていればレイラの貞操が危ない。彼はいつも、

『レイラが兄妹でないなら結婚できるのに。』

と本気で言っている。わざわざ教えることもない。

(思ったより早く結論が出たわ。あと五年、これまで通りに過ごせばいいのね。思ったより簡単で良かったわ。)

その『これまで通り』が難しいことをレイラが知るのは、その日の夜のことだった。

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