変な少年と問題の解決
「お茶を売っているお店ってありますか?」
夕飯の材料を買い終え、帰ろうとしていたシリルに聞く。
「お茶なら、さっきのとこにも置いてあったぞ。」
「その、目当てのお茶がなかったので。」
先ほど見た店には、何種類かのお茶はあったが、レイラの目当てのお茶はなかった。
「お茶好きなのか?」
「好きというより、習慣です。ノア兄様と二人で、毎日飲んでましたから。」
屋敷で、毎日ノアがお茶に誘ってきた。仕事で疲れているだろうにそれだけは、怠らなかった。
「そうか、なら今度俺にも飲ませてくれ。」
「それは構いませんが、どうしてですか?」
「やっぱり少しでも、『ノア兄様』と同じようにした方が良いと思ってな。」
まだ、あの嘘臭い話を信じているようだ。
確かに、あの話は完全な嘘ではない。
だが、なにもされていないのに危害を加えることはない。
追い詰められなければ、この言葉が人を傷付けることなんて一切ない。
そして、今無意識に『ノア兄様』と言ってしまった。
そして、シリルは『ノア兄様』のところだけ、やけに力を込めていた。
暴走を心配している割には、先ほどからずっとからかわれている。
キレたらまずいと騒いでいたのに、腹の立つ言動をしている。
もう、間違いを正すのも面倒だ。
暴走して、情緒不安定の兄離れ出来ていない女だと思えばいい。
「男性の口には合わないと思います。」
こういうときは、自分がポーカーフェイスで良かったと思う。
苛ついたことをわざわざ相手に伝えることはない。
「何のお茶だ?」
「ローズティーです。」
「ローズティーか、飲んだことないな。じゃあ今度、一杯だけ飲ませてくれ。」
「分かりました。」
ローズティーは実家のある、ロードナイトの名産品だ。
ヴィンセント家はシトリアの南の方では、ある程度名の知れた商家だ。
だから、 いろいろな品物が屋敷にはあった。
ノアはその中でもローズティーが気に入っていて、レイラに毎日飲ませていた。
『やっぱり、レイラは薔薇が似合うね。』
そんなふざけたことを言いながら。
「じゃあ、帰ろう。早く帰らないと門が閉まる。」
そう言ってシリルはレイラの持っていた荷物を持って歩きだした。
「私、持てます。」
「人の厚意は無駄にすんな。それより、ちゃきちゃき歩け。」
「先生にはもう野菜を持っていただいてます。パンくらいなんてことありません。」
「俺のもついでに作ってもらうつもりだったからな。」
そう言って、レイラが買った覚えのない袋を見せてきた。
食堂が休みの日は、冷たい飯で嫌だったと言っているシリルを見て、それなら自分で作れば良いのにと思いながら、レイラは言った。
「私、料理下手ですから。あんまりしたことないです。」
そう、レイラはあまり料理をしたことがない。する必要がなかったので、祖母の家に遊びに行ったときしかしたことがなかった。
「え? じゃあなんで作ろうと思ったんだ?」
唖然としながら、シリルが言った。
普段作りもしないのに、何故作るのか?そんな顔だ。
レイラは料理をあまりしないが、食べれるものは作れるつもりだ。だから、
「火が通っていれば、なんでも食べれるはずですから、それなら自分で作っても問題ないかと。」
「味付けも結構大事だぞ。」
「変なものを入れなければ大丈夫です。」
「確かにな。」
そう言ってシリルは笑っていた。
理事長室から思っていたが、なんだか笑顔が素敵な人だなと、そうレイラは思う。
なんというか、優しい笑顔だった。
羨ましい、レイラはあれから笑えなくなってしまっていたから。
どんなに楽しくても、嬉しくても笑えなくて。
どう感情を伝えればいいのかすら分からない。
だから、シリルのように屈託なく笑う人を見ると羨ましいと思ってしまう。その笑顔が眩しくてたまらない。
綺麗な橄欖石の瞳をじっと見つめる。
しばらく、食い入るようにシリルを見つめていると、それに気付いたシリルは居たたまれなくなってきたのか、レイラから目をそらした。
「どうした?」
「なんでもないです。」
「……。そうか。」
それからは、ぎこちない会話をしながら学院に帰った。
ぎこちないと思っていたのは、シリルだけだったが。
◇◆◇
学院の自室に戻ると、レイラはさっそく調理を始めた。
ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎを適当に切り、適当に味付けして煮込めば、経験の少ないレイラでもスープは作れる。失敗はないはずだ。
問題はシリルの買ってきた、玉子と鶏肉、その他諸々だった。
これをどう調理すれば良いのか分からない。
レイラはしばらく考えた後、玉子を割って混ぜ、適当に下味を付けてから適当に鶏肉を切り、まず、鶏肉にしっかり火を通してから、といた玉子を入れて炒めた。そして最後に適当に味付けをして終わらせた。
その他諸々はそもそも何の食材なのか分からない。
なにかの葉っぱみたいなのと、中身の分からないビンだった。
適当に調理しても構わないとシリルに言われてはいたが、あまりに適当にし過ぎたと反省する。
明日からは食堂もあるから、今日一日だけ我慢してもらおう。
シリルは理事長室にインクを届けに行くのと、職員室に書類を取りに行ったきり、まだ帰って来ていない。
レイラが来たため、今日しなければいけない仕事が出来ていないようだった。
明日からは邪魔をしないように生活しよう。
しばらく過ごせば、メリルもシリルも、レイラに問題がない事が分かるだろう。
完成した料理を机に置いて、レイラは座った。
リビングには机が一つ、椅子が三つあった。
それからソファーが一つ。
前までシリルの他に、この部屋に住んでいた教師がいたようだから、いろいろ充実しているのだろう。
そう思いながら、机に伏せた。
すると、ある光景が浮かび上がってきた。
『シリル!プロポーズ成功したぞ!!』
そう言って、ノックもなしに入ってきた男性は満面の笑みを浮かべ、嬉しそうにしていた。
確か、この部屋に初めて来たときに部屋の中に居た男性だろう。声が似ている。
そして、その男性を苦虫を噛み潰したような、なんともいえない顔をしたシリルが迎えた。
『俺は喜んだ方がいいのか? あの姉さんを嫁にしてくれる変な奴がいた、って。』
『そうだ!喜べ!今日から俺がお前の義兄だ!』
『なんで、同い年の奴を義兄と呼ばないといけないんだ!』
どうやら、あの男性はミラの夫だったようだ。そして、この光景はプロポーズの日だろう。
レイラはそこで、机から起き上がる。
これ以上は見ない方がいいだろう。プライベートな会話が始まりそうだ。
今度から手袋を着けた方が良いかもしれない。
毎日、指先が何にも当たらないように気を配るのは疲れる。
そう思ったが、よく考えるとその手袋の『記録』を視てしまう事を思い出した。
思わず溜め息が漏れてしまう。
(とりあえず、ここにいる間は気を付けた方がいいわ。)
その時、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。
誰だろうと思いながら返事をして、扉を開ける。
そこには、黒髪に蒼い瞳、そして眼鏡をかけた真面目そうな少年が仏頂面で立っていた。
そして少年は怪訝な顔をして、
「君は誰だ?」
そう問うてきた。そう思うのも無理はない。シリルの部屋から見知らぬ女が出てきたら驚くだろう。
「レイラ・ヴィンセントです。今年から学院に…。」
そこまで言ったところで、少年に違うと言われた。
「そうじゃない、誰というより、何だ?」
そして少年はレイラを観察するように、じっと見てきた。
何を見ているんだろう、そう思ったレイラも少年を観察していると、目が合った。
そのまま、数秒間見つめあう。
それから、すぐに少年は目をそらし、なにかを考え込み始めた。
(変な人。)
そうレイラは思った。
少年はレイラより少し年齢が上のように見える。
おそらく、この学院の生徒だろう。シリルになにか用だったのだろうか。
「君、生まれはどこだ?」
「ロードナイトです。それがどうかしましたか?」
なぜ、そんなことを聞いてくるのか不思議に思いながら答えた。
すると、少年は再び考え込み始めた。そして、
「変な奴だな。」
少年の方がよほど変な奴だった、たいした会話もしていないのに、変な奴と称されるのは不愉快だ。
「そうですか。ですが、初対面の相手を変な奴とは、貴方もおかしな方ですね。」
「そうか、よく言われる。」
じろじろ見られたことに対して、少し嫌みを言ったつもりだったのだが、通じていない。
「シリル先生は居るか?」
「そろそろ帰ってこられると思います。」
「そうか。それで、君はどうして先生の部屋に居るんだ?」
この部屋に来た時点で真っ先に聞くだろう話を、この少年は四番目に聞いてきた。
「事情がありまして、詳しくお話しすることはできないのです。」
「そうか。」
少年は特に詮索することもなく、それで会話は終了した。
「先生が帰って来るまで、中で待っても構わないか?」
「はい。どうぞ。」
レイラは少年を招き入れた。
もしかしたら、シリルはメリルに捕まっているのかもしれない。だとしたら、まだ帰ってこないだろう。
レイラが用事を聞いておけば良いのかもしれないが、少年がレイラに用事を頼もうとしていないようだったので、シリルが帰るのを共に待つことにした。
少年は椅子に腰掛け、机に置いてある料理を見た。
「これは君が?」
「はい。」
「家庭的だな。」
これは褒めているのだろうか、それとも貶しているのか。ここは適当に流しておこう。
「そうですね。」
「君は、医療科か?」
話の流れが掴めない。ころころ話題が変わる人だ。
「いえ、士官科です。」
「そうは見えないな。」
「そう見えますか。」
「ああ。」
そこで、会話が途切れる。すると少年は眼鏡を外し、目頭を揉んだ後、
「すまない。私は人と話すのが苦手でな。」
そう仏頂面のまま言った。どうやら、彼もレイラと同じく人見知りのようだ。
「私も人見知りですので、お気になさらず。……。」
なんと呼べば良いものか。レイラは少年の名前をまだ聞いていなかった。
「あの、どちら様でしょうか?」
「アルヴィン・パーシヴァルだ。」
「パーシヴァルさんは、士官科ですか?」
「総合科3年だ。それとヴィンセント、パーシヴァルさんじゃなくて、アルヴィンと呼んでくれ。姓で呼ばれるのはあまり好きじゃない。」
どうやら、レイラが最初にした自己紹介をきちんと聞いていたようだ。それにしても姓が好きじゃないとは、変な人だ。
「分かりました。ではアルヴィンさんと。アルヴィンさんも私のことはレイラとお呼びください。」
「そうか。ではレイラと。」
そして、握手を交わした。
それから、レイラはシリルに聞いたように、総合科について聞くことにした。
「総合科って、どんな感じですか?」
「そうだな。すべての科を勉強しつつ、この街の警察に協力してもらい、街の警備やらをして、使える戦い方を学ぶ。といった感じだ。」
なんというか。よく分からない。 やはり人見知りは皆が皆、口下手のようだ。
「そうですか。」
「一番面倒だったのは、街の巡回中に酔っ払い同士の揉め事に巻き込まれたときだった。あの時は手加減を忘れて、殺してしまいそうだったな。」
「酔っ払いって、言葉が通じませんよね。」
レイラも昔、屋敷に来ていた人が酔っぱらってレイラの部屋まで来てしまったことがあった。
その当時、まだ十二歳だったのだが襲われかけた。
その人はなにかを喋っていたが、聞き取れなかった。
話を聞いても辻褄の合わない話をするだけで、結局、妹が襲われた事に怒ったノアが酔いが覚めるまで、いろいろしていた。人には言えないような、言ったらノアが捕まるような、そんな事だ。
「この街は比較的、治安が良い方なんだが、酔っ払いはどこでも同じだな。」
「そうですね。」
それからしばらく、アルヴィンと世間話をしているとようやくシリルが戻ってきた。
「先生、お疲れのようですね。」
「ああ…。アルヴィンか。」
やけに疲れたきった様子のシリルに、やっぱりメリルに捕まっていたのか、と思いながら机の上の料理を見遣る。
もうすっかり冷めてしまった。スープだけ温めなおそう。
「簡単にまとめておきました。」
アルヴィンは手に持っていた書類を渡した。
「ありがとう。助かったよ。」
「休暇中することもなかったので、気にしないでください。それでは。」
そう言って、アルヴィンは出ていこうとし、そういえば、とレイラを見た。
「レイラ、君との会話は楽しかった。こんな私に付き合ってくれて感謝する。」
そう仏頂面のまま言った。
「私の方こそ、楽しかったです。またお話ししましょう。」
レイラも無表情のまま言った。しかし、この言葉に偽りがないことはお互い分かっている。
同じ人見知りで感情が表に出せない者同士、仲良く出来そうだ。
「それでは、失礼しました。」
そして、アルヴィンが出ていった後、レイラはスープを温めるべく、台所に向かう。
後ろでシリルが書類をめくる音が聞こえる。
なにか重要な書類だろうか。 アルヴィンが直接渡さなければならないような。
しかし、重要なのだとしたら、生徒に任せるだろうか。
「先生、その書類ってなんですか?」
興味が抑えられなくて、つい聞いてしまう。
「これか? 去年一年間の、総合科の活動のまとめだ。」
だから、アルヴィンは見られないように、直接シリルに渡したのだろうか。だが、活動のまとめくらい、見られても問題無さそうに思える。
「先に食べてても良かったのに。」
そう言いながら、シリルは椅子に腰掛けた。
「癖かもしれません。」
「『ノア兄様』との癖か?」
また、からかっている。シリルは思ったより性格が悪いのかもしれない。
「いいえ、祖母の家に遊びに行ったときは、皆で食べていたので。」
「そうなのか?」
「はい。」
なんでもかんでも、あの兄と繋げないでほしい。
スープを皿に分けて、机に並べる。
「ありがとう。」
「いえ。」
「こういうときは、にっこり笑って『どう致しまして』じゃないのか?」
「どう致しまして?」
そう言うとシリルは、すごい愛想笑いだな。というより笑えてない。そう言った。
「いただきます。」
「いただきます。」
そうして、食事を開始した。無言の食事だったが、気まずいと感じることもなく食べ終えた。
無言を気まずいと思うのはシリルだけだが。
「あまり、美味しくなくてすいません。」
「いや、普通に美味かった。ごちそうさま。」
「お粗末さまでした。」
我ながら、美味しくなければ、不味くもない飯だと思うが、やはり美味しいと言ってもらえるのは嬉しい。
「ありがとな。助かった。」
何度も感謝されると、さすがに恥ずかしくなってくる。
「……。そうですか。」
「それにしても、お前意外に話せるんだな。」
どれのことだろう。アルヴィンとのことだろうか。
「人見知り同士、なにか通じる所があったのかもしれません。」
「そうか。俺としては、生徒と上手く馴染めるか心配だったんだが、アルヴィンと話せるくらいなら心配しなくても良さそうだな。」
人見知り同士だったから話せたのであって、それ以外の人となると話は別なのだが、心配を一つ取り除けたようなので、黙っておくことにした。
「浴室は廊下の突き当たりにある。好きな時に入れ。」
「分かりました。」
「それと、俺は夜まで職員室で書類の山と闘ってくる。先に寝ていてくれ。」
「頑張ってください。」
じゃあな、とシリルは職員室に向かった。
この部屋三階にあり、浴室は一階だ。距離がある。
それに最近は日が暮れると、急に冷え込む。
今のうちに入ってこようと、着替えを取りに寝室に向かう。
そして、クローゼットの中から寝間着を探すが、中々見つからない。そして見覚えのない服が紛れているのに気づいた。
クローゼットに服を詰めているときは、考え事をしていて、気づかなかった。
これは、ネグリジェのようだ。それを拡げてみるとかさりと紙切れが落ちた。
その紙切れを広げて見る。
『あんな寝間着じゃあ、友達に馬鹿にされてしまうよ。 ノア』
レイラはその紙をくしゃりと握りつぶして、ごみ箱に捨てた。
レイラがトランクに詰めたのは、質素なズボンとシャツの寝間着だ。こんなレースがふんだんに使われたネグリジェではない。
……。明日、他の寝間着を買いに行こう。今日はこれで我慢するしかない。
ノアは女子寮に入ると思っていたから、あんなフリフリの寝間着にすり替えたのだろうが、残念ながらここは女子寮じゃない。
同室は男性の先生だ。それを知ったノアはどう思うだろうか。
(確実に暴れるわ。私なんかより、よっぽど危ないわ。)
そして、もう一つ重大な問題を思い出した。
この寝室にあるのは、ベッド二つ。左側がレイラのベッドで、右側がおそらくシリルのベッドだろう。
………。
未婚の女が男と同じ部屋で寝起きするなど、はしたないなんてものじゃない。メリルはなにを考えているのか。
さすがにシリルがレイラを襲うとは思っていないが、いかんせん外聞が悪い。
(リビングのソファーで寝させてもらおうかしら。)
それだと、シリルが気を使うだろうが仕方ない。
さっさとソファーに寝てしまえば、動かしようがないはずだ。
そう考えて、早く寝るべく、レイラは浴室に向かった。
浴室には、運よく人が居なかった。
しかし、レイラは急いで体と頭を洗って出た。
早く髪を乾かして、寝なければいけない。
ネグリジェを着て、更に上に一枚羽織って、部屋に戻る。こんな格好を人に見られるわけにはいかない。
無事、部屋に戻れたときは謎の達成感があった。
明日は、絶対に善い寝間着を手に入れる。そう思いながら髪を拭く。
だが、中々乾かない。面倒になって、
『水を飛ばして』
言葉を使って髪から水気を飛ばす。昔からこういう使い方をしていたが、あの日から必要に迫られない限りは使わなかった。
実のところ、言葉を使うと眠くなるのだ。
言葉の内容にもよるが、あの忌まわしい時は、二月も眠っていた。
ただ、水を飛ばすくらいなら少し眠くなるだけだ。
早く寝たいレイラとしては、丁度いい。
寝室から毛布を取ってきて、ソファーに横になる。
(眠い。今日はいろいろ疲れたわ。)
レイラの意識はすぐに飛んだ。
◇◆◇
インクを届けに理事長室に入ると、メリルは珍しく仕事をしていた。
「インク、買ってきました。」
「ありがとう、フィンドレイ。」
「それでは、失礼します。」
そう言って、すぐにシリルが退室しようとすると、メリルに呼び止められた。
「ヴィンセント君の様子はどうだい?」
「様子と言われましても、まだ一日も経ってませんので、よく分かりません。」
まだ、レイラと会って半日しか経っていない。
様子といわれても、どれが通常なのか分からない。
「じゃあ、印象は?」
「少し不思議な女の子、ですかね。」
「少しねぇ。とりあえず、しばらくは注意して見ておいてくれ。念には念をいれておかないと。」
「それなんですが、やはりヴィンセントと私が同室というのは、問題では? 彼女の経歴にも傷がつきます。」
男女の仲になるつもりはさらさら無いが、周りはそうみてくれない。それに、もうしばらくすれば新入生が続々と寮に移ってくる。
「問題はないよ。逆にお目付け役が居ないほうがまずい。」
「ですが……。」
「ヴィンセント君は近い内に、必ずなにか起こすはずだ。いや、違うな。巻き込まれるかな。」
それは、メリルお得意の占いの結果なのだろうか。
「それに、彼女の将来についてなら気にしなくていい。」
「はい?」
「レイラの兄弟は、兄が二人、姉が一人なんだが、その兄二人のうちの一人が、亡くなった前妻の連れ子でね。レイラの父親はいずれその兄、ウォーレンとレイラを結婚させるつもりだから。心配しなくていい。」
複雑すぎる。しかし、血がつながっていないとしても兄妹間の結婚なんて、端から見れば狂っている。
それに、当人同士の気持ちはどうなのだろう。
「本人達はそれを知っているんですか?」
「知らない。でも、彼女には事情があるから、それを知らない人に預けられないからね。」
「でも、血はつながっていないにしても、兄妹ですよ?」
「レイラの方はそう思っていても、ウォーレンはそう思ってないからね。」
それは妹を恋愛対象として、見ているということか。 となると、レイラの『ノア兄様』はどうなのだろう。
気にすまい。これ以上、事情に踏み込んだら戻れなくなる。そんな気がした。
「じゃあ、私が同室と知った、そのウォーレンさんに俺が殺される可能性は?」
「それはない。ウォーレンは君を社会的に殺すだろうが、君の命を奪ったりはしないよ。君を肉体的に殺すとしたらノアだろう。」
ヴィンセントの家は狂人しか居ないのだろうか。
どちらが相手になっても、確実に痛い。考えるだけで恐ろしい。
今、シリルの顔は引きつっているに違いない。
メリルは同情するような視線を向けてきた。
「フィンドレイの社会的地位は私が守るから、自分の身は自分で守ってくれ。」
「分かりました。失礼します。」
がちゃりとドアを閉め、廊下を歩き出す。
レイラが相当ワケありなのは、分かった。血のつながらない兄と結婚させなければいけないほどの事情持ちだ。
今日、一緒に街を歩いた時はそんなにおかしな奴とは思わなかった。
普通に買い物して、普通に会話して、変なところはひとつもない。
しかし、今のメリルの話を聞く限りは本当なのだろう。
「俺はどうなるんだろう。」
年頃の少女と同室の、若い男。
シリルの評価はそうなる。レイラが事情持ちな以上、同室の理由を他の生徒に知らせるわけにはいかない。
シリルだって、レイラの事情を知らない。
(俺、どうやって誤魔化すのか理事長に訊いてない…。)
シリルはすぐに理事長室に取って返した。
「すいません。理事長、お聞きしたいことが…。」
「なんだい?」
メリルは漆黒の髪を弄びながら応えた。また来たのか、みたいな視線が痛いが、気にしない。
「ヴィンセントについて、他の生徒に問われたときはどうすればいいんでしょう?」
「亡国の姫君ってことにしときなよ。彼女なら見た目で皆、騙されてくれる。」
確かに、レイラのあの浮世離れした姿なら、それで問題ないかもしれない。しかし、
「それだけだと、私と同室という理由にはならないと思います!」
「じゃあ、遠い国の王族の生き残りで、この学院で力を付け、卒業後には国を取り戻しに行こうとしてる。」
「ヴィンセントの家は有名な商家ですよね?」
「なら、遠い国の王族の生き残りで、奴隷として売られていたところを、可哀想に思ったケビン・ヴィンセントが連れ帰って娘にしたってことで。後はさっきの話と繋げておいて。」
「でも、情報科の生徒ならそんな嘘、すぐ見破られますよ。ヴィンセントのお母さんがヴィンセントを身籠っている期間とか…。」
情報科の情報収集能力は馬鹿にできない。以前、学院に勤めている教師が、つい生徒の前で「最近、妻がおかしいんだ。」と漏らしたことがあった。
そしてその数日後には、その教師の妻の不貞の証拠を大量に持ってきた。
その教師は離婚することになった。
教師はしばらく使い物にならなくなり、元気になるまで、生徒達が慰めていた。
教師がそんなにショックを受けたのは、生徒達が作成した。 不倫相手との出会いから当日までの、生々しい報告書のせいだった。
「大丈夫。アリスがレイラを身籠っていたとされる期間は、人が入ってこれない森の中にいたから。私の親友の家つまり、レイラのお祖母さんの家はね、誰も入れない森にあるんだ。自給自足だから、人は居ない。」
どんな森だ、と思ったが、この国は深くて不気味な森が多い。実際に森に入ったまま帰って来ない人間もいる。シリルもよくそんな人達の捜索を手伝うが、森に入ってみると、迷いやすいというのは分かった。理事長の親友の家も、そんな森のひとつにあるのだろう。
「分かりました。理事長がそこまで仰るなら。それにしても、遠い国の王族って、どれだけ王族に拘るんですか。好きなんですか?」
「そうだね。そういう設定は好きだけど……。」
そこまで言って、メリルは悪戯っぽく笑った。
「よく言うだろう? 嘘には一滴の真実を混ぜた方がよりホンモノに見えるって。」
◇◆◇
メリルとの会話は疲れる。まだシリルがこの学院の生徒だった時から、気に入られたのか、何なのか呼び出され、話し相手をしていた。
(理事長って年齢不詳なんだよな。ヴィンセントのお祖母さんと親友とか、いつからの親友だよ。)
そうツッコミながら、自室に帰ると、レイラとアルヴィンが話していた。
少し意外だった。アルヴィンはあまり人と会話をすることがなかったから。
それに、総合科のまとめ書類くらいなら、レイラに渡しておけば良いだろうに、直接渡してきたのはおかしい。
(まさか、アルヴィンに春が来たのか。あいつ、一生恋愛とは無関係だと思ってた。)
その後、レイラと食事をした。
なんとなく、笑った顔が見たくて、笑わせてみようとしたが、困ったような顔になっただけだった。
(普通に美味かったな。なんで下手とか言ってたんだろ。)
職員室に行くと、シリルの机に書類の山が出来ていた。書類の山と闘って来るとは言ったが、量が多すぎる。
「リオ! あとアスティン先生! なに人に押し付けてるんですか!」
明らかに自分とは関係ない書類まで交じっている。
いつも、あの二人はシリルに自分の仕事まで押し付けてくるのだ。
「あら?ごめんないねぇー。まざっちゃった。」
「アスティン先生、棒読みにも程があるぜ。」
胸あたりまである金髪をゆるく括った、四六時中、気だるげにしている美女。
シビル・アスティン 医療科の担任をしていて、一部の生徒には『白衣の天使』と呼ばれている。
(天使じゃなくて、堕天使だろ。)
シリルはいつもそう思う。
「自分の仕事は自分でして下さい!」
「ええー、さっきまで女の子の手料理、ご馳走してもらってたんでしょう?」
「そうだぞ!あの子すっごく可愛かったもんなー。羨ましいなー」
やはり、この二人はからかいに来た。
(リオ、その発言、姉さんに言っといてやるよ。お前がどんな風に調理されるのか楽しみだな。)
「可愛いの!? えっ、大丈夫なの? シリル君と一緒の部屋で?」
「大丈夫ですよ。俺を獣みたいに言わないでください。」
舌打ちはかろうじて我慢したが、顔には出てしまった。
「その子結構なワケありなんでしょう? マフィアの娘とか?」
(その手があったか!)
マフィアなら、抗争があったとき真っ先に娘が狙われるから護衛がいる。ただ、ここは曖昧にしておこう。
情報が多ければ、精査に時間がかかるはずだ。
「そんなとこです。」
「頑張れよ。俺もミラも応援してる。」
「落ち着いたら、その子紹介して? 力になるわ。」
二人はシリルの両肩をそれぞれ叩いて行った。
そう、押し付けた書類はそのままだ。
「お二人さん? 」
ビクリと二人の肩が揺れる。
二人にそれぞれ書類を返し、ようやくシリルは自分の仕事を始める事が出来た。
◇◆◇
(くそ、書類の山を分けるだけで時間かかった。)
無駄に労働を増やされ、くたくたになったシリルは入浴するために着替えを取りに部屋に戻ってきた。
クローゼットから着替えを取り出し、出ようとしたところで、違和感に気づいた。
(ヴィンセントが、居ない。)
まずい。メリルからしばらくは目を離すなと言われていたのに。
(どこ行った!?)
焦って、寝室から飛び出たところで、ソファーに人がいるのに気づいた。
(焦った…。)
胸を撫で下ろす。メリルから大目玉をくらうところだった。
(それにしても、なんでこんなとこにいるんだ?)
気を使った結果なのだろうが、心臓に悪いから止めて欲しい。
それに、レイラをソファーで寝させたと分かれば、メリルから何を言われるか分かったものではない。
ひとまず、ベッドまで移動させることにした。
目が覚めないように、そっと毛布を取る。
(なっ!?)
毛布をすぐさま掛ける。レイラは可愛らしい薄紫の夜着を身に纏っていた。結構、襟があいている。
(なんて服着てるんだ…。そういや、女子寮に住むつもりだったんだよな。普通だよな。待て、普通なのか?)
布地の質の所為か身体のラインも浮き出ていた。
目のやり場に困るので、このまま毛布を被せて移動させることにする。
脇と膝の下に腕を差し入れ、そっと抱き上げる。
世に言う、お姫様抱っこというものだ。
「ん…。」
眠りが浅くなったのか、レイラからかすかに声が漏れた。 しばらく様子を見る。
起きないのを確認してから、寝室に移動する。
そして、ゆっくりベッドに下ろし、毛布をかけ直し、シリルはそのままベッドに腰掛けた。
(軽かったな、総合科目指してるなら、諦めた方が良いだろ。あんなふわふわして、柔らかくて…。 って、なに考えるんだ俺!こんなニーナと同じくらいの子相手に……。)
ニーナ、苦い記憶だ。眼裏に浮かぶのは、青紫の瞳から大粒の涙をこぼしながら悲しそうに微笑む少女。
シリルが助けられなかった。手が届かなかった少女。
そっと、レイラを見る。今は閉じてしまっているが、彼女の瞳は紫水晶のように綺麗な紫だ。
今日の昼、初めてレイラと会ったときから、ニーナと似ていると思っていた。
珍しい瞳の色が似ていたからかもしれない。
だから、少しムッとした顔をした時、つい頭を撫でてしまった。
レイラはニーナより表情が分かりづらかったが、まだ子供だからか、分かりやすい。
視界に入った、金茶色の髪をなんとなく掬ってみる。
「柔らかい…。」
最後にレイラの頭を撫でた後、寝間着を持って寝室から出た。
(妹がいたらこんな感じかな。)
そんなことを思いながら。
◇◆◇
次の日は雨だった。
(なぜ、私はベッドにいるの?)
レイラは混乱していた。
昨夜はソファーで眠ったはずだというのに、何故かベッドで寝ている。
思わず、毛布に触れて視た。
そこには、今にも泣き出しそうな顔をしたシリルがいた。そして、レイラの髪に触れ、
『柔らかい…。 』
そう言って頭を撫でて出ていく姿が視えた。
シリルに触れられた辺りを触ってみる。
(何がしたかったのかしら。何を思って…。)
あんな、辛そうな顔をしていたのだろう。
考えたところで、分かるわけでもない。
レイラを欠伸をひとつして、起き上がる。
今日は雨だ。寝間着は諦めて、明日買いに出よう。
いつもより早く目覚めてしまった。まだ、日が昇ったばかりのようだ。
昨日はあまり学院内を見れなかったので、散歩することにした。
青いワンピースに着替えて、寝室から出ると、ソファーにシリルが寝ていた。
謎の敗北感を味わいながら、下に落ちている毛布をかけ直そうと、そっと近づいたとき、気配に敏感なのかシリルが目を開けた。
「…。おはよう。」
「おはようございます。先生がソファーを使われたんですね。」
「ん? ああ。お前がこっちで寝てたから移動させた。」
眠いのか目をこすりながら、シリルは起き上がった。
「ソファーは私が使います。先生は今まで通り過ごしてください。」
そもそも、レイラがこの学院に来なければ、シリルは悠々自適に過ごせたのだ。その上ベッドで寝させないというのは、申し訳なさすぎる。
「いや、女性をソファーで寝させる訳にはいかない。」
ぼんやりした顔と声で紳士のようなことを言う。締まらない。
「それなら私は床で寝ます。」
「?」
まだ、寝惚けているのか、シリルはかすかに首を傾げただけだった。
「だから、私がソファーで寝れるように、先生はベッドで寝てください。」
すると、シリルはうーんと唸ったあと、
「ベッドは二つあるんだし、なんでソファーを取り合うんだ? 」
「それは……。」
確かにそうだ。ベッドが一つなら、ソファーかベッド、になるが、ベッドは二つある。
「理事長が俺の社会的地位は守ってくれるそうだ。」
安心だな、と言ってシリルは横になった。
(今晩からは、ベッドに寝ようかしら。)
メリルがシリルの社会的地位を守るのなら問題ない。レイラ自身はなんと思われても良かったのだが、巻き込まれたシリルがどうこう言われるのは申し訳なかった。
それも気にしなくていいのなら、ソファーを取り合う必要もなくなった。
目の前からは再び寝息が聞こえる。そうとう疲れているようだ。
ふと、蜂蜜色の髪に視線が行く。
(綺麗な金髪…。)
そっと触ってみる。蜂蜜色の髪は思っていたより柔らかくて、気持ちが良かった。
それから、しばらく、触り心地が良いシリルの髪を触っていると、
「なにしてるんだ?」
シリルから戸惑ったような視線を向けられ、咄嗟に何か言おうとするが、言葉が出てこない。
ようやく口から出た言葉は、
「触り心地が良かったので…。」
我ながら、理由になっていない。
髪を触ったのは出来心というか、なんというか、昨夜、シリルもレイラの髪を触っていたので、どんなものだろうと思ったから触ってしまったのだ。
「そうか。」
どこか釈然としない顔ながらも、一応は納得してもらえたようだ。
「今日は学院内を案内しようと思ってるんだが、案内要るか?」
起き上がったシリルは、伸びをしながら言った。
「お仕事の邪魔でしょうし、一人で大丈夫です。」
昨日もきっと夜遅くまで、仕事をしていた筈だ。
あまり邪魔するわけにはいかない。
「俺、今日から休みだから、邪魔にはならない。」
年度代わりのこの休暇中は、教師は休みを調整しているそうで、昨日、一人の教師が戻って来たらしく、次はシリルの番だったらしい。
生徒達は休暇でも、先生は忙しいようだ。
「そうですか? それならお言葉に甘えて、お願いします。」
「ああ、任せろ。」
そう言って微笑むシリルの姿は、やっぱり綺麗だった。
◇◆◇
その日の夜、ベッドの問題が片付いたと思っていたレイラと、その時の会話を寝惚けたまま、無意識に喋っていて覚えていないシリルは、またソファーを取り合ったが、最終的には朝と同じく、お互いベッドがあるから、それで寝ようという意見で一致し、ようやくベッド問題が解決した。