半分の自覚と過激な兄
ネックレスの『記録』を見終わって、愕然とした。
「私の本当の父親は何も知らない母に変な事をして孕ませた最低野郎だったんですね。」
「ああ、すごいな。人の話聴いてないし。」
途中から『記録』の映像が飛び飛びになったのは気になるが、おおよそのことは判った。リリスがレイラだという事実さえ分かればいい。
本当の父ルークが無理やりに事に及んだのを見て、呆れた。最終的にはアリアから愛されたから良かったものの、嫌われたらどうするつもりだったのだろう。下手したら心中しかねないほどアリアに執着していた。
そんなルークと違い、アリアは襲われても冷静とまではいかないが、落ち着いていた。口癖も「人生なんてなるようになるもの」と、伊達に半世紀生きていなかった。
『待てヴィンセント! こっから先、お前には刺激が強いと思う。』
『大丈夫です。見慣れてます。』
『それどういう意味だ。』
唖然としたシリルに、慌てて訂正している間に光景が途切れたのは良かった。あのまま続いていれば気まずかっただろう。
昔から『記録』の中にそういった光景があるのはザラだった。幼き日は何をしているのか理解できなかったが、年を重ねていく間になんとなくだが理解した。
それでも、さすがに自分が出来る工程は視たくはなかったので、その辺りだけ時間を飛ばした。飛ばさなくても抜けている『記録』もあった。やはり神殿という場所は『特別』なのだろう。今まで『記録』が抜けていることなんてなかった。
いや、この学院の理事長室もそうだった。
たまに『記録』がおかしい時があった。そんな時は決まってシリルが入室しているときだ。どうせ本人も知らなかった事情を伝えていたのだろう。
「ヴィンセント。そろそろ……。」
くぐもった声がレイラの胸元から上がる。
「……。すいません。」
そういえばシリルの頭を胸に押し付けている状態だった。慌てて腕を外す。
妙に気恥ずかしい空気が流れる。起きがけにシリルを叩き起こして、ネックレスの『記録』を視たためレイラは寝間着だ。結局あれから寝間着を新調することは出来ずにノアがすり替えたネグリジェを着ている。
このネグリジェは胸元がそれなりに開いている。
好きでもない女の胸を押し付けてしまった。
「ごめんなさい。」
「いや、ヴィンセントが謝る必要はない。」
シリルは口元を片手で覆って、気まずそうに瞳を伏せている。
ここに来て、あと少しで丸一年経つ。
時間が過ぎるのは早いものだ。この一年でレイラは気の許せる人間が出来た。シリルを筆頭にアルヴィン、ドリス、エリオット、ハロルド。
その他の人は気を許せるとまではいかないが、それなりに仲良くなれた気がする。
たまに笑顔に近い表情も浮かべることが出来るようになり、これでレイラもまともな人間に戻れた。
笑顔が眩しいシリルの横にいたから、こんな風に微笑むことが出来るようになれたのだろう。もう一度シリルを抱き締める。立っているときは身長差の所為でシリルの頭がこんなに近くにこない。新鮮だ。
「どうしたんだ?」
「先生の知っている私のことを私が知らなかったなんて不公平でしたから。嫌がらせです。」
「……。『嫌がらせ』ね。男としてはご褒美になるけどな。」
くすりと笑ったシリルは長い腕をレイラの腰に絡ませた。
それを見てなんだか嬉しくなったレイラは眼前にある蜂蜜色の髪を弄びながら、悪戯っぽく笑って頭に口付けた。
「私のこと少しは女性に見えましたか?」
「ほんの少しだけな。」
「良かったです。」
……。どうして良かったと思ったのだろう。シリルに女に見られようが男に見られようが関係ないはずだ。関係ないはずなのだが。
どうして女に見られて良かったと思えたのか。
考えれば考えるほど鼓動が早くなる。
(これじゃあ。まるで……。)
そこまで思考が辿り着いた所で飛び起きた。
「す、少し屋上まで散歩に行ってきます。」
「じゃあ俺も行く。」
「一人で大丈夫です!」
思ったより大きな声が出た。こんな風に声が出るなんて何年ぶりだろう。羞恥のあまり顔に血が集まっていく。
「あ、ああ。分かった。」
挙動不審なレイラにシリルが目を丸くしている。恥ずかしい。シリルのベッドから飛び降り、寝室から飛び出る。
(あ、頭をまず冷やさないと。さっきまでルークさんとアリアさんが戯れているのを視たから、変な事を考えたのだわ。きっとそうだわ。それしか有り得ない。)
常にアリアの傍にいて離れようとしなかったルークの姿と、いつもレイラがシリルの傍にいる姿が同じ様に見えて意識してしまったのかもしれない。
『ねぇ。アリアどこいくの?』
『お風呂よ。』
『じゃあ、オレも一緒に行く。』
『嫌よ。』
『さぁ、行こうかアリア。』
『……。貴方が変な事しないなら良いわ。』
『うん。さすがにオレでも風呂の間はなにもしないよ。硬い床は嫌だしね。明るいところでアリアの白い肌をじっくり見たいだけ。』
『……。』
という、お子様には刺激的な会話が常であった本当の両親の光景を視て、平常心でいられるほど大人ではなかったということだ。
そういうことにしないと、この生活が破綻する。
正直、今の生活は手放しがたい。
優しい大人に甘やかしてもらえる。駄目になっていくのは分かっているが、手放したくはない。
悶々と考えていると、寝室からシリルが出てくる気配がした。
部屋の中でつっ立っていたレイラを見ると不思議そうな顔をして、話しかけてきた。まだ、心の整理がついていない。早くこの場から逃げなければ。
「どうした? 屋上行かなかったのか?」
「これから行きます。」
「その寝間着でか?」
「あ……。」
自分の姿を見下ろしてネグリジェであることを思い出した。
脱力してへたりと床に崩れ落ちる。もうレイラの頭で処理できる許容量を超えている。ドリスに相談してみよう。彼女なら色恋の情報も多く持っていたし、同じ事例を知っているかもしれない。
「どうしたんだ。やっぱりヴィンセントには刺激が強すぎたのか?」
「そう、だと思います。多分。」
レイラの前に屈んで、顔を覗きこんできたシリルは相変わらず綺麗な顔をしている。その顔が心配そうな表情を浮かべているのに気付いて、申し訳なく思った。
レイラが挙動不審なのはレイラの気持ちの問題なのに、そのレイラの為に太陽のようなシリルの笑顔を翳らせてしまうなんて、と。
「ごめんなさい。」
「どうして謝るんだ。そうか、見慣れてるって言ってた……。なっ! な、なんで泣いてる!?」
「大丈夫です。気にしないでください。月のものが近いだけです。」
「つ、月の……。大丈夫か?」
「大丈夫です。気にしないでください。」
床の一点を見つめて平常心を辛うじて保っている。
余計な情報を喋ったような気もするが、平常心を保つためだ。心をきちんと制御しなければ変な事を言いかねない。
(平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心。)
ひたすら心のなかで呪文のように唱えつづける。
だから、シリルがレイラに手を伸ばしたとき反応が遅れた。
「!」
気づくとシリルの厚い胸板に頭を押し付けられていた。どくどくとレイラの胸が早鐘を打つ。
「本当の父親があれじゃあ衝撃を受けるのも無理ない。」
優しい声色が上から降ってくる。レイラを宥めるように大きな手が背中を撫でる。
「っ!」
過剰に反応してしまう。平常心を取り戻さなければ。
「なるほど。なぁ、ヴィンセント。俺はルークさんみたいに人の合意もなしにあんなことはしない!」
シリルはどうやら体を強張らせているレイラを見て、男であるシリルに変な事をされそうだからだと思ったらしい。
「違います。」
「なんだ、違うのか。じゃあどうして俺から逃げたんだ?」
どうやら、シリルから距離を取ろうとしていたのは分かっていたらしい。しかも、シリルは拗ねている様だ。『妹』に逃げられたのが嫌なのだろう。
そう思うと色々馬鹿らしくなってきた。レイラが意識して逃げようとしてもしなくても、ここにいる間はシリルと共に過ごすのだ。逃げられない。それなら『兄』だと思っていればいい。『兄』だから女の子だと『妹』だと思ってほしい。『兄』だから触れてほしい。『兄』だからすべてを知りたい。そういうことにする。
無言でシリルの胸に頬を擦り寄せる。
「甘えてるのか?」
ふっと笑ったシリルに、逡巡したあと頷いた。シリルの指が金茶色の髪を梳いている。気持ち良くなってきてレイラは目を細めた。
「可愛い。」
……。そんなことを言わないでほしい。また顔が赤くなってしまった。
「どうしたヴィンセント。恥ずかしがってるのか?」
頬を両手で包まれ上向かされる、やけに甘い顔で笑っているシリルを睨む。
「その顔も可愛いな。」
「お世辞はいいです。それに、恥ずかしいのでやめてください。」
若干、涙目になりながら訴える。すると、橄欖石の瞳が煌めき、近づいてきた。
(近い。近いわ。)
「ヴィンセント。額と頬にキスしていいか?」
「……。どうしてですか?」
「したいから。」
「わざわざ聞かないでください。」
「それは、しても良いってことか?」
こくり、と頷く。前まで勝手に口付けてきたのはシリルなのに、今になって聞いてくるなんてどうしたのだろう。と思ったが、先程。
『人の合意もなしにあんなことはしない!』
そんなことを言っていた。それを律儀に守っているらしい。額や頬への口付けは親しい間柄ならそこまでおかしなことではないだろう。とレイラは思っている。
「じゃあ、今度からは遠慮なく。」
そう言ってシリルが頬に口付けた時だった。
ガチャと扉が開く音がして、何者かが部屋に入って来た。
「ねぇ、君。僕の天使になにしてるの?」
強い殺気を纏った男が冷たくシリルを見据えて言った。
「誰ですか? ここは関係者以外立ち入り禁止です。」
機嫌が急降下したシリルが冷たい氷のような視線を男に向けた。
一触即発だ。レイラは呆然と浸入者を見つめる。
その男にとても見覚えがある。いや、見覚えどころじゃない。
このままではシリルが危ない。あの男はレイラを口説く男に社会的制裁と肉体的な制裁、両方を与え、抱きついてきた男に至っては行方が分からなくなった。彼なりの愛情表現なのは理解しているし、レイラの言うことはなんでも聞いてくれる。
面倒なのは仕方ない。これでも大事な家族なのだ。
例え血が繋がっていなくても。
男が懐からなにか、どうせ拳銃か小刀だろう。を取り出す前に、とレイラは口を開く。
「やめてノア兄様。」
「駄目だよ。レイラ。こいつは君にキスしたんだよ?」
「私が抱きついて、私が先にキスしたの!」
間違ってはいないはずだ。先程、シリルの頭に先にレイラが口付けた。という事実はある。
「そんな! 君のその愛らしい唇をこの男は味わったというのかい?」
「どうしてそうなるの!」
話が通じない。ノアはルークの血を引いていないはずなのに。それともこれは神の一族の特徴のひとつなのか。
「親愛のキスよ。それを兄様が止めるのはおかしいわ。」
「レイラはそのつもりでも、こいつはそうじゃないかもしれないよ?」
「私がいいと言ったの。兄様は私の意思を無視するの?」
話を聞いてくれずに、シリルを貶すノアを思いきり睨み付ける。こんなにノアに苛立つのは学院に入る時以来だ。そもそも、シリルがレイラを女性として見ることはない。逆にレイラの方が怪しいくらいだ。
「ごめんよ。僕の天使。僕を嫌いにならないで!」
泣きながら、抱きついてくるノアをなんとか受け止める。シリルが支えてくれなければ、尻餅をつくところだった。
「ヴィンセント。思った以上だった。」
床に膝をついて、レイラの腹に顔を擦り寄せながら泣いているノアを見て引かない人はいないだろう。さすがのシリルでも引いている。
そこにバタバタと慌てた様子のウォーレンが現れた。そういえば、明日にウォーレンと会う約束をしていた。もしかして、その時にノアと会わせるつもりだったのかもしれない。ウォーレンは変なところで茶目っ気を出す。
「ノア! メリルさんへの挨拶が先だろう!」
襟首を掴んで、ノアを引き摺っていくウォーレンをシリルと手を振って見送る。
「兄さん! レイラがレイラが!」
初めて妹に睨まれたノアは必死にその悲しみをウォーレンに訴えている。
「どうせ、お前が変な事したんだろう? 先生すいません。愚弟がご迷惑をお掛けして。」
「いえ、迷惑なんて……。」
迷惑だったのだろう顔に出ている。あんなに殺気を向けられて、挙げ句にレイラを女性として見ているかもしれないという、濡れ衣まで着せられたのだ。
「先生? 教師が生徒に手を出したのか!」
「黙れノア。 すいません。」
「私は大丈夫ですから、気にしないでください。ウォーレンさん。」
完全に外面モードのシリルはにこやかにウォーレンと喋っている。それでも苛々しているのは分かる。シリルがレイラの手を強く握っているからだ。
「レイラ。また後で来る。キャロルも来てるから後でゆっくり話そう。」
ノアはいつか来るだろうと思っていたが、まさかキャロルまで来てくれるとは思わなかった。嬉しい。
こちらで出来た友人についての話をしたい。ついでにレイラのシリルに向ける感情についての相談もしよう。あくまでついでだ。本題ではない。




