ある妄想と二人の純血
ハロルドの右手を左手でしっかりと握りしめ、出来るだけジョシュアから距離をとり早足で歩く。
大分、大回りにはなるが人の居ない道は歩くべきではないだろう。喧騒に包まれた大通りを通って学院に向かう。
「おい。お前、手……。」
「我慢してください。」
「……。」
黙ったハロルドを横目でちらりと見ると、微かに耳が赤くなっている。やはり、女に触られることが我慢ならないのだろう。
しかし、それは我慢してもらわなければ。まだジョシュアの狙いがレイラだと決まったわけではない。
「レイラさんはどこに行かれるのですか?」
「買い物です。ジョシュアさんはどちらに?」
「坊ちゃんの観察です。」
この男。なにがなんでもレイラ達から離れないつもりか。
仕方ない。レイラは最終手段を使うことにした。
そっとジョシュアの耳元に唇を寄せ、囁く。
「私とハロルドさんをしばらく二人きりにしていただきたいのですが。」
「おやおや、分かりました。私はしばらくその辺りの店を冷やかして来ますので、頑張ってください。」
「ありがとうございます。」
頭を下げてから、ジョシュアとは逆方向に歩き出す。
ジョシュアの姿が見えなくなると、詰めていた息を吐く。
「急いで学院に向かいますよ。」
「どうしてだ?」
「睡眠薬を混ぜたのはジョシュアさんです。」
「そんな馬鹿な。あいつは胡散臭いけどそんな奴じゃ……。」
「信じなくても良いですから、早く学院に行きましょう。」
それからはひたすら無言で歩き続けた。
ようやく学院を囲む柵にたどり着き、校門に向けて歩いていた時だった。
突然、人気がなくなった。まるでこの周辺だけが封鎖されたように。
いつもなら、大勢の人が行き来する道が、だ。
(なんて奴なの。)
「ハロルドさん。走りますよ!」
「え!」
有無を言わせず手を引いて走り出す。
「どうしたんだ! 急に走り出して!」
「この道、普段はもっと人がいるんです。それなのに!」
せめてもう少し校門に近いところまで行かなければ。
ここは、校舎から離れた木々の生い茂る学院の裏側だ。
(前に出れば良かったわ……。)
今更、後悔しても遅い。背後に人の気配が増えてきた。
「!」
突然、前方に人が現れレイラは立ち止まる。
「うまくいきましたか? レイラさん?」
ジョシュアのぎらつく瞳に恐怖を覚えた。
庇うようにハロルドを柵の方に押し付け、腰に佩いた剣を抜く。それを見たジョシュアは片眉を上げた。
「おやおや? 危ないですねぇ。」
視線を彷徨わせ退路を探すが、がたいの良い男たちに囲まれてしまっている。
「貴方は何が目的ですか?」
「その前に貴女に二、三確認したいことがあります。」
思わず眉を顰める。狙いはレイラで決まりだ。
「……。なんでしょう。」
「貴女は神の一族ですか?」
思ってもいなかった真っ直ぐな言葉にレイラは面食らう。
「私が王族の一員だとでも?ご冗談を。」
「冗談ではないですよ。貴女の瞳の色は綺麗な紫色だ。」
リリス王女の瞳が紫色だから、そんなことを言うのだろう。しかし、レイラの瞳は祖父譲りだ。
「王女殿下の色に似ているだけでしょう?」
「私、気づいたのです。リリスは『夜の魔女』王女の名前としては最低な名前ですけど。そしてレイラは『夜』を意味する名前でしょう。」
「はあ。」
名前にそんな意味があったとは。レイラは初めて知った。
「それに、紫色の瞳をもつ人間は私の知る限り。アドルフとアリア、そしてリリス王女しかいないはずなのです。だから貴女の年齢でその瞳を持っているのなら、貴女がリリス王女。そうとしか考えられないのですよ。」
この男は未だにそんな妄想をしていたのか。
「アドルフは私の祖父です。」
「残念ながら、その瞳は純血の証ですよ。少し調べさせてもらいましたが、貴女の父親はただの人間ですね。そして貴女の母親も祖母も完全な純血ではない。あれ、レイラさん? しらばっくれているわけでは無さそうですね。もしかしてご存じなかったのですか?」
話の内容に唖然としていると、ジョシュアは不思議そうに訊いてくる。ご存じもなにも、レイラはそんなこと知らない。聞いたこともない。
(すごい妄想だわ。)
「今度、祖父に訊いてみますので、今日はお引き取りを。」
信じる気はさらさらないが、ここは適当に信じたふりでもしておこう。レイラとアドルフは顔も似ているのだ。血の繋がりがないなんてあり得ない。
「そんな時間はないので、私に付いて来てください。」
手を差し出される。細められた瞳にぞわりと肌が粟立つ。
「さっきから黙って聞いていれば、一体なんの話をしているんだお前たち。」
思い出した。そういえば後ろにハロルドが居た。
今の話を聞かれ……ているだろう確実に。
冷や汗があちこちから吹き出す。
幸い、レイラとハロルドを取り囲んでいる男たちには聞こえない大きさの声だった。その辺は配慮しているらしい。
問題はハロルドだ。聞かれてしまった。
今、レイラが神の一族だということを知っている家族以外の人間は、メリル、シリル、アルヴィン、ウィラードの四人だ。あと一人、ハロルドなら頭も良いから大丈夫なはず、だろう。口も堅そうだ。
「ハロルドさんは何も聞かなかった。良いですね?」
「これだけの話を忘れろと?」
「坊ちゃんには無理ですよ。何でも顔に出ますから。」
二つの声が同じようなことを言う。レイラも根が素直なハロルドには難しいだろうなとは思ったのだ。
「ですから、口封じするしかありません。」
ジョシュアの言葉に驚いて顔を上げると、銃口をレイラ達に向けていた。
どうする。 レイラ一人なら何とかなるだろう。
しかし、ハロルドを連れてとなると難しい。いっそのこと柵をよじ登って学院に逃げるべきか。いや、それだと登りきる前に引き摺り下ろされそうだ。
誰か異変に気付いて助けに来てくれないだろうか。これまで、レイラが危なくなった時はシリルやアルヴィンが助けに来てくれたものだが。
(どこかから湧いて出ないかしら。)
キョロキョロと辺りを見回すが、見渡す限りゴツい男たちだ。おまけに胡散臭い男も一人いる。
ハロルドの身長がレイラより低くて良かった。盾になれそうだ。
レイラの背中から出ようとするハロルドを柵に押さえつけていると、今、一番聞きたかった声が聞こえた。
「お前らヴィンセントになにしてる?」
上から降ってくる声に空を仰ぐと、シリルともうひとつの人影が文字どおり空から降ってきた。
「先生……。」
難なく着地したシリルは蛇のようなジョシュアの視線を遮るようにレイラの前に立った。
そして、もうひとつの人影はよろよろと立ち上がり、振り返った。
「お祖父様? どうしてここに……。」




