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新たな犬と嵐の夜

「その辺に転がしといて。後で躾直しとくから。」

左手に持った書類から目を離すことなく、メリルは言った。

隣でニコラスを取り押さえているシリルと視線が合う。

とりあえず、あの後ニコラスを連れて理事長室に来ると、仕事熱心な彼は隙を見てメリルに毒針を投げた。それを書類に目を通していたメリルが分厚い本で防ぎ、シリルがニコラスを取り押さえ、レイラは自殺しないように、ニコラスの口にハンカチを噛ませた。

やはり、メリル学院の理事長は只者ではない。

一切ニコラスを見ていないのに、毒針を躱した。

「いやね。丁度もう一匹欲しかったんだよね。犬が。」

犬とは何のことだろう。あれかメリルに忠実な人間が欲しいということか。

しかし、生粋の暗殺者がメリルの忠犬になるだろうか。

「でも、メリルさんが危ないです。」

「大丈夫。私の護衛はその辺にいるからね。それにこういうのに慣れてるんだ私は。」

その言葉に渋々といった様子のシリルがニコラスの手足を縛り、 ソファーに転がして更にロープをソファーごと縛った。

それを見ていたメリルはニコラスの前でしゃがみ、微笑んだ。

「後は二人っきりで秘密の話だ。ニコラス君?」

艶やかな笑みを浮かべたメリルと、感情を写さない虚ろな瞳のニコラスがかち合う。

「さぁ、二人とも出ていってくれ。ご苦労だったね。」

メリルは手を振って、レイラとシリルを追い出した。

追い出されて、することの無くなったレイラはシリルと共にパーティーの片付けに行った。

会場の片付けは生徒全員でした為か、着いたときには大分片付いていた。ドレスを着たレイラでも出来る残っていた片付けを手伝い、終わった頃には、ヘトヘトだった。

「体力無いな。」

呆れたような声でアルヴィンに言われ、いつだったか似たようなことをシリルにも言われたなと思い出す。

いつの間にか、近くに来ていたシリルはそれを見てニヤッと笑った。

「力こぶつくるなよ。」

からかうようなシリルの表情が腹立たしい。

しかし、シリルも覚えていたのか。なんてことはない、あの会話を。

なんだか嬉しい。誰かの記憶の中に居られるのは良いことだ。

頬に熱が集まっている気がして、両手でそれを抑えた。

何故だろう。心臓がぽかぽかする。

「どうした? 元気か?」

様子のおかしなレイラに気付いたのか、シリルが顔を覗きこんできた。動悸がひどくなった気がする。

「動悸がするんです。」

「更年期か?」

年齢を思い出して欲しい。この年で更年期障害が起きていたら問題だ。

「違います。もしかしたら、コルセットの所為かもしれません。」

「そうなのか。難儀だな。」

そう言って心配そうな顔をするシリルに、それなら先に帰っていろ。と言われ、レイラはその言葉に甘えることにした。

これからの片付けは、ドレスを着ているレイラは邪魔だろう。

部屋に帰り、アスティンがドレスを脱がせてくれた。

化粧落としも貸してもらい、レイラが申し訳なく思って謝れば、ありがとうと言われる方が嬉しいと言われた。

確かに謝られるよりは、感謝された方がレイラも嬉しい。

パーティーが終われば明日から冬期休暇だ。

レイラは寒いなか何日もかけて実家に帰るのが嫌なので冬は帰らず、夏に帰るつもりだ。

この国は広い。元は何もない荒野に女神が降り立ったことで水や緑が溢れる豊かな土地になったのだ。

王都は高い山脈に囲まれた最南端にある。

学院のあるトリフェーンは冬には流氷で覆い尽くされる海に面していて、王国の最北端になる。

実家があるロードナイトは王都に程近いところにある。

雪の降るなか、その距離の移動は辛い。

体が怠い。座ったまま眠ってしまいそうだ。

それではいけない。まだ風呂に入らなければ。

よろよろと立ち上がり、着替えを持って一階に降りた。

階段の踊り場にある窓から空を見上げれば、どんよりと黒い雲が空を覆っている。樹木は風で揺れざわざわと厭な音を立てる。

レイラはその音から逃げるように階段を駆け下りた。

窓に雨粒が叩きつけられるような幻聴も聞こえてくる。

唇を噛み締めて、その音が聞こえなくなるのを待つ。

浴室に誰もいなくて良かった。これで人の声まで聞こえたらレイラは冷静さを保てるか分からない。

体を洗ってから浴槽につかる。

落ち着かない。夜に雨が降ったら、雷が鳴ったらあれを思い出してしまう。

あの日の意識を失う寸前の記憶は、いつも夢に出てこない。ただ、嵐の夜にだけ鮮明に思い出す。

トリフェーンに来てから雨の降る夜はあったが、運良く嵐の夜はまだなかった。

浴槽でぼんやりとしていた時間が長かったのか、部屋に戻った時には一時間も経っていた。

椅子に座って髪が乾くのを待つ。『言葉』で乾かせば早いのだが、そうすると眠ってしまう。

雨が降りだしたようだ。ざーざーと強めの雨音が聞こえる。

ひゅーひゅーと風の音も聞こえる。

両手で耳を塞いで、体を縮める。レイラは自分の意識がぼんやりとしてくるのに気付く。また眠るのか。あの暗くて冷たくて温かな赤い雨の降る場所に。

(嫌。ノア兄様。)

嵐の夜を一人でなんとか出来ると覚悟していたつもりだった。

それなのに、あの日と同じ状況になれば眠っている間に悪夢を見る。自分と瓜二つの顔をした少女の夢も十分に悪夢だったが、嵐の夜の悪夢は最悪だ。

レイラが罪を犯したことは分かっている。

だから、その悪夢を見た程度で取り乱してはいけない。

そう思っていてもこの悪夢は恐い。

いつもは、ノアが嵐が過ぎ去るまでレイラが眠らないよう、ずっと傍にいてくれた。

昔に『言葉』を使って悪夢を止めようとしたが、夢の内容が酷くなるだけで効果がなかった。

(先生。まだ帰って来ないの?)

ただでさえ変な女だと思われているが、更に気味の悪さが上乗せされるだろう。それでも早く顔を見たい。そして、太陽のように優しい笑みが見たい。

自分のしたことの悪夢を見て恐いだなんて、笑えてくる。

そんな時、優しい手が肩に載せられた。

「まだ起きてたのか?」

その声に詰めていた息をようやく吐き出した。

ゆっくり振り返るとシリルは驚いた顔をしていた。

「大丈夫か?」

「せ、んせ……い。」

絞り出した声はみっともなく震える。

「どうした?」

椅子に座っているレイラの前にしゃがんで、優しく尋ねてきた。

「寝たく…ないんです……。恐…い夢を見るから……。」

乱れる息を整えながら喋るせいか、つっかえてしまう。

「そうか。じゃあ俺が朝まで一緒にいる。」

「先生…に迷惑か…けて……。」

「ここでは俺が兄様だヴィンセント。いや、レイラの方が兄様っぽいか。」

こんなときに名前を呼ばないでほしい。ただでさえ恐怖で動悸が激しかったのに、もっとひどくなった。

「俺、急いで風呂入ってくるから待っててくれ。」

「あ、の……。」

「どうした?」

「ありがとうございます……。」

それに笑顔で応えて、シリルは浴室に行った。

それからシリルが帰ってくるまで、ずっと耳を塞いでいた。

また迷惑を掛けてしまう。嫌な顔ひとつせず、言葉足らずなレイラの願いを察してくれた。シリルは本当に優しい人だ。

彼の特別になる人はきっと幸せになれるだろう。

『今、恋人を作る気はない。これで満足か?』

相手はすごく真面目そうな美しい女性だった。

それを相手に淡々とそう返したシリルはいつになったら特別を作るのだろう。

やはりシリルのように優しくて、笑顔の素敵な女性だろうか。レイラとは正反対の。

そこまで考えたところで、頭を振った。

(なにを考えているのかしら。私は。)

先生であるシリルに恋人がいようといまいとレイラには関係ない。

気付くと、シリルが肩に手をおいていた。

なんだか気まずい。振り返れずに俯いていると、レイラが身動き出来ないほど怖がっていると勘違いされたのか、抱き上げられ寝室のベッドに運ばれた。

短い距離だったが、シリルの首に手を回して顔を埋めた。

少し赤くなった頬を隠すために。

てっきりベッドに寝転ばされると思っていたが、レイラを下ろすことなくシリルはベッドに腰かけた。

ありがたい。寝転ぶとレイラはどうしても寝てしまう。

「レイラ、どうして欲しい?」

優しい声でそう言われる。しかし、どうして欲しいと言われても精々、迷惑だろうがレイラを寝かさないように一緒に起きていて欲しい。それだけなのだが。

「私を寝かせないでください。」

瞬間、ぴしりとシリルが硬直した。橄欖石ペリドットの瞳を見開いている。

そろそろ、宝石のように綺麗な瞳が乾くのではないかと心配になり、首に回していた右手を解き、頬をつつく。

「どうかしましたか?」

「いや、なんでもない。」

明らかになんでもない様子ではなかったが、シリルが追及して欲しくなさそうだったので諦めた。

「すいません。昼の嵐なら大丈夫なのですが、夜は夢を見るので恐いんです。」

「気にするな。明日は休みだし、久しぶりにゆっくり抱ける。」

そう言って、むぎゅうと抱き締められた。

しかし、その言い方だと随分な誤解をされそうだが、この部屋にはシリルとレイラしか居ない。良いのだろう。

「いつもはどうやって過ごしてるんだ?」

「兄様に後ろから抱き締められて、適当な会話をして気を紛らわせてます。」

なるほど、とシリルはレイラを足の間に下ろして抱き締めた。

「こうか?」

こくりと頷いて、レイラは体の力を抜いた。

やはりこれが一番、落ち着く。

「朝まで何をしようか?ヴィ、レイラは何してたんだ?」

ヴィンセントの方が慣れてるのなら、無理に名前を呼ばなくても良いのに。思わず笑みが溢れた。

「しりとり、とか……。」

「どっちが先だ?」

「それでは私から。リス」

「炭。」

「水。」

「ず、ず、頭蓋骨。」

しばらく考えて頭蓋骨とは、シリルらしい。

「つむじ。」

「樹海。」

「椅子。」

「す、砂。」

「夏。」

「つ、つ角」

そんな調子で進めていくと、すぐにシリルが詰まった。

何年もそれをノアと続けていただけあって、レイラはするすると言葉が出てくる。

「駄目だ。もう思い付かない。」

煮詰まってベッドに寝転がるシリルを見て、頬を緩める。

すると、シリルは優しい笑みを浮かべた。

「お前もたまに笑うようになったな。」

「そう、ですか?」

自分の顔をペタペタと触るが分からない。

シリルに会う前までは笑おうとしても、笑えなかったのに。

「少しだけどな。その時はすごく可愛い。」

その言葉と共に腕を引き寄せられ、レイラはシリルの上に倒れた。

「可愛いとか言わないでください。少しだけなら可愛くないし、恥ずかしいです。」

「恥ずかしがってるのも可愛いけどな。」

レイラの指先に口付けているシリルを見ながら、考える。

(この人の中で『妹』は可愛いと言うのが常識なのかしら。)

それなら、その言葉に恥ずかしがったり、悩むだけ無駄だ。

心から思っているわけでは無いだろうから。 

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