奇妙な女の悪戯
シトリア王国、王都アメトリンから馬車を北東に十二日ほど走らせたトリフェーンにメリル学院はある。
二百年の歴史がある剣士の名門校で、今や近衛兵のほとんどがメリル学院で学んだ者たちだ。
メリル学院は士官科、情報科、医療科と三つの科に分かれている。
士官科は騎士や兵士などを目指す生徒が集まる科で、剣や銃など武器の扱い、組み立て、戦術を四年間かけて学ぶ。
情報科は新聞記者や情報屋、稀に諜報員を目指す生徒が集まり、情報収集、情報の発信、シトリア国内の有力者の人間関係などを三年かけて学ぶ。
医療科はその名の通り、医者とこちらも稀に衛生兵を目指す生徒が集まり、医術を六年かけて学ぶ。
そして、それとは別に優秀な生徒を毎年一人選出した、総合科というものがある。
総合科は入学時から総合的に能力の高い生徒から選ばれ、トリフェーンで大事件が起こり、兵士が町の巡回まで手が回らなくなれば、町の巡回に駆り出され、学院で催し物がある時は警備に駆り出され、と多忙な科だ。
士官科の中では憧れを抱く者と、「学院の犬、て言うかトリフェーンの犬だろ」と妬みか憐れみか、どちらともとれる陰口を言う者もいる。
そんな奇妙な学院は理事長も奇妙で、若い二十代半ばくらいの女性だった。
メリル・ヴァレンティーナ・ティレット
不思議なことにメリル学院、初代学院長のファーストネームと同じである。
その理事長は表に出てこないので生徒ですら顔を見たことがない。
そして学院で働く教師でさえ、一部の教師しか会ったことがない。
そんな不思議な理事長に呼び出された男性教師が一人…。
◇◆◇
理事長室の扉がノックされる。すると低い女の声が応えた。
「入っていいよ。フィンドレイ。」
「失礼します。」
そこは理事長室にしてはやけに質素な空間だった。 執務机と本の詰まった本棚、そしてソファーが二つに机が一つ。
そのソファーで優雅にくつろぐ黒髪の女、メリル学院理事長メリル・ヴァレンティーナ・ティレットは部屋に入ってきた男性教師シリル・フィンドレイにもう一つのソファーをすすめた。
「まぁ、とりあえず座ってよ。」
「いえ、雑用がまだ残っていますのでお話だけ伺いに…。」
「その話が長くなるから座りなって言ってるんだよ?」
メリルの有無を言わせぬ微笑みにシリルは大人しく座った。
「理事長、私に何のお話ですか?」
「いやね? 今度、親友のお孫さんがメリル学院に来るそうなんだよ。」
「…。そうなんですか。」
理事長直々に呼び出された為、てっきりシリルはクビにでもなるのかと戦々恐々で来たのだが、世間話が始まり拍子抜けした。
そして、こんなクソ忙しい年度末に呼び出され、世間話を始めた理事長に苛々が募ってきた。
「あの、お話はそれだけですか?」
「まさか。そんな世間話の為にこのクソ忙しい年度末にキミを呼んだりしないよ。」
淡々と返された言葉に冷や汗が出る。なんて勘の鋭い女だ。
「それがね、そのお孫さんがワケありでね。」
「ワケあり?」
「うん。でもワケありで止めといた方がキミの為だ。」
「そうとうまずいワケなんですね…。いいです。面倒な事は知りたくありませんから。」
その答えが満足だったのかメリルは艶やかな笑みを浮かべ、
「だからね、その子をキミの部屋に組み入れてくれると嬉しいんだけど?」
と、突拍子もないことを言い出した。
「え…っと、それはどういった理由で?」
「ワケありって言ったろう? ヴィンセント君はね、よく誘拐されるんだよ。」
「ヴィンセント君ですか、でも学院内で誘拐されるなんてあり得ないのでは?」
そこで、突然メリルが笑いはじめる、そして「引っかかった」と小声での呟きは残念ながらシリルには届かなかった。
「理事長、大丈夫ですか?」
急に笑いはじめるメリルを冷たい目で見ながら、シリルは考えていた。
学院には遠方から来る生徒の為に寮があり、シリルも独身の教師用の部屋に住んでいた。部屋はもとは二人部屋だったのだが、同室だった同僚が結婚してからは一人で暮らしている。
その部屋にヴィンセントとやらを一緒にとは、独身の教師用の部屋なのに大丈夫なのか?とか、なんで誘拐?と様々な疑問が頭の中をぐるぐるしている。
「なにより本人が一番危なくてね。」
いつのまにやらメリルがあちらの世界から戻ってきていた。
「あれですか? 血を見るのが好きだ!とかそういう危ないヤツなんですか?」
「違う違う。あのね、同室になって欲しいのには三つほど理由があるんだよ。一つ目に誘拐される可能性なんだけど、ヴィンセント君は昔から何度も誘拐されてね、その度になんとか父親や用心棒が取り返せてたんだよ。でもある時、家にまで誘拐犯がやってきてね。」
「あの、父親は子供が何度も誘拐されているのに対策をしなかったんですか?」
「それがね、しても相手の方が何枚も上手だったんだよ。それから何度も家まで入ってきたらしいし、私の親友も大事な孫だから心配でね。だからこれは護衛付けとけば良いかってことで。」
「それで私ですか。」
シリルは思った。そんなに誘拐されるのになんでまた学院に入学しようとしたのか。親も心配するだろうに。無知な金持ちのボンボンか。
ふと、視線を感じて顔を上げるとシリルの失礼な考えを見通すようにメリルがじっと見つめていた。
「ええと、二つ目はなんですか?」
「うん。二つ目はさっきも言ったけど本人に問題があるんだよ。ヴィンセント君はあまり外に出られなかったから内向的な性格でね。暇があれば本を読むか、剣の鍛練をするか、でね。」
内向的な性格の人間なんて、この学院内にいくらでもいるだろうに。なんでそんなに特別に扱おうとしているのか。
「普段は大人しくてもキレると手が付けられない、とかですか?」
「まぁ、大体あってるかな。」
「そんな生徒ならこの学院に大勢いますよ?」
「強いんだよ。」
「は?」
話が繋がらなくなった。どういう意味かシリルが解りかねていると。
「まだ十六歳なのにキミと同い年のお兄ちゃんを傷一つ負わせることなく倒せるそうだよ。」
「それはお兄さんが弱すぎるという可能性は…。」
また失礼なことを言っている気がする。シリルは心でヴィンセントのお兄さんに謝りながら聞いた。
「破落戸十人くらいなら余裕だそうだよ。」
「なんか…。すいません。」
「私に謝られてもね。まぁ暴走したら大変なわけで、これは監視付けとけば良いってことで。」
誘拐されそうで、キレると手が付けられなくて、破落戸十人倒せるお兄さんより強くて…。これはまずい化け物を押し付けられてないか? シリルは教師の中で一番新米だからと都合良く使われている気がしてきた。
「あの…。それで三つ目は?」
「私の占い。」
「…。それはどういう風に受けとれば。」
占いとは…。理事長はサバサバした印象と違い随分と乙女趣味のようだ。
「一つ言っておくけど、私の占いをその辺の占い師と同じにしないでね? 私のは何千年前から伝わる手法だし経験も豊富なの。」
「そうですか。」
学生時代からよく理事長に呼び出されていたシリルだが、占いをするのは初めて知った。
「それで、ヴィンセント君がキミ以外と同室になった場合は禍が起こるって出たんだ。」
「随分と曖昧ですね。それにヴィンセント君しか占わなかったんですか?」
「毎年入学する生徒全員の相性を占ってるよ。キミがここに入学したとき、同室のリオも占いで決めた。この学院で大きなトラブルが起きないのは私が占いで決めてるからだよ。」
「でも占い…。」
「とにかく、私がもう決めたからにはよろしく頼むよ。 シリル・フィンドレイ先生?」
有無を言わせない声とその微笑みにシリルは了解の言葉しか口に出せなかった。
「給金は上げておくから心配しないで。ただ私の親友のお孫さんだってこと忘れないように、何かあったら、分かってるね?」
そんな恐ろしい言葉を背にシリルは理事長室を出た。
◇◆◇
シリルが退出した理事長室でメリルは込み上げる笑いを必死に押さえていた。
「楽しみだなぁ。フィンドレイはどんな顔するだろう。早く来ないかなヴィンセント君。」