悩める男と菫色のリボン
部屋に帰ると、何故かエリシアが居た。
突然、抱き付かれ体勢を崩し床に倒れこむ。
「なんでいる!?」
「それは勿論、お兄様に会いにですわ!」
意味が分からない。女子寮の門限はとっくに過ぎている。
(ヴィンセントは!?)
エリシアがこの部屋に居たのなら、レイラと会っているはずだ。
慌てて、起き上がり周囲を見回すと。
レイラは呑気に机で寝ていた。
「ああ、あの子はお兄様に話があるそうですわ。」
「そうか。」
腕にエリシアを付けたまま、レイラの肩を揺らす。
今日はすぐに目が覚めたようだ。眠たそうに目をこすりながら身を起こした。
「おはようございます。」
まだ、「おはようございます」の時間ではないが返事を返し、エリシアを女子寮に送るため部屋を出る。
「ねぇ、お兄様はあの子のことをどう思ってますの?」
「は?」
「あの子とあの部屋で一緒に住んでいるのでしょう?」
施錠されていたのでピッキングして入り、寝室を探ると女物の服が出てきたので、これは女性と住んでいると気づいたそうだ。
更にノックなしでレイラが入って来た。
だから気付いた。とエリシアは得意気に言った。
情報科の奴らは本当にろくでもない。
「強いて言うなら、妹だな。」
「本当ですの?」
「ああ、傍にいてドキドキもしないが、苛々もしなくて落ち着く。これは妹みたいな存在だから、ってことだろ?」
「なら、良いですわ。それに、わたくしも含めて彼女が『普通』じゃないのは、薄々気付いていますもの。一緒に住んでいるのはそれが理由なのでしょう?」
この従妹はたまに今回のような困った事を仕出かすが、勘が良い。
そして、聞き分けも良い。
「エリシアは偉いな。分かったらもう部屋に来るなよ? 危ない。」
「分かりましたわ。お兄様。」
職員棟の一階に住んでいるアスティンにエリシアを預ける。
従妹とはいえ、決まりを破った罰則は受けさせなければ。
部屋に戻るとレイラの姿がなかった。
おそらく、浴室に行ったのだろう。シリルも着替えを持って浴室に向かった。
浴室から出ると、ちょうどレイラと会った。
一緒に部屋まで帰って、日課のお茶を飲む。
今度からきちんと鍵をかけると言っているが、今日も鍵はかけてあった。
エリシアが勝手に開けたと言えば良かったが、急にレイラが真剣に見つめてきた。ように見えて、戸惑う。
「ヴィンセント? どうしたんだ?」
すると、ハッとしたように視線を外された。
「いえ、なんでも。」
なんだか、怒っているように見える。
(俺、何か言ったか?)
考えてみるが、思い当たる節はない。
「何か怒ってないか?」
「気のせいです。」
苛々しているのか、被せるようにして言ってきた。
表情も無表情から、少し強張ったような顔になっている。
「もう寝ます。お休みなさい。」
シリルと視線を合わせず、台所に食器を置きに行ったレイラに倣うようにして、シリルも台所にコップを置いた。
寝室に入ったところで、レイラを後ろから抱き締める。
いつものようにレイラは無言で、シリルにされるがままだ。
そっと金茶色の髪に頬を寄せ、目を閉じる。
風呂上がりなだけあって、石鹸の良い香りがする。
しかし、シリルは石鹸の香りより、風呂に入る前のレイラの匂いの方が好きだ。
我ながら、変態のような行動をしていると思う。
笑うなら笑えばいい。誰かに笑われたくらいで、柔らかくて良い匂いのするレイラを手放したりするものか。
そう考えていると、レイラの手が伸びてきてシリルの頬を撫でた。
驚いて瞳を開けると、形の良い耳が目に入る。
そこで、いつだったかの特別授業の日、知り合いらしい赤髪の男に耳に口付けられたか、何かをされて声を上げていたのを思い出した。
「慰めてるのか?」
そう声を掛けてから、綺麗な白い耳にちゅっと音を立てて口付ける。
「ひゃっ!」
自分のした事でレイラが真っ赤になっているのが、嬉しくて思わず笑みがこぼれる。
「耳弱いんだな。」
耳の近くで囁けば、レイラは体をぴくりと揺らし俯く。
「酔ってるんですか?」
「いや、酒は呑んでないぞ?」
レイラの声が上擦っていたのを聞いて更に愉しくなり、もう一度口付ける。
シリルが何かする度に、反応するレイラが面白い。
息を吹きかければ、体を震わせ、耳たぶを甘く噛めば可愛いらしい声を上げてくれる。
徐々に力の入らなくなったレイラの体を支えながら、最後に頭に口付けた。
「やっぱり先生、お酒呑んでいるでしょう。」
「呑んでない。」
彼女は気付いていないかもしれないが、上目遣いで睨んでくるレイラは、無表情ではなく眉間に皺を寄せ、大きな目を吊り上げている。
ただ、それに不似合いな赤く染まった頬と潤んだ瞳のせいで可愛く見える。
愉しい。酒を呑んだ時より愉しい。
体に力が入らない様子のレイラを抱き上げ、ベッドに運ぶ。
「おやすみ。ヴィンセント。」
「……。お休みなさい。」
すぐに毛布に潜ってしまい、面白い表情が見れなかった。
誰も見れない表情を引き出せたことに、にやにやが止まらない。
明かりを消して、シリルもベッドに入る。
(今日は愉しかったな。)
可愛い声も聞けたし、とレイラの様子を思い出したところで我にかえる。
(待て。俺はさっき何をした?)
年頃の少女の耳に、キスして、息を吹きかけて、舐めて、甘噛みをした。
………。
体が震えてくる。これは妹にして良いことではない。
抱き締めて、耳に息を吹きかけるくらいはギリギリセーフだとして、キスはグレーゾーン。舐めたり、甘噛みしたりは確実にアウトだ。
でも、アウトだとしたらレイラの返り討ちに遭うはずだ。
あの赤髪の男も、足を思いきり踏みつけられていた。
シリルは何もされなかった。それは何故だろうか。
もしかすると、『ノア兄様』もこういう事をしていたのかもしれない。
しかし、いくらレイラにとってはセーフだったとしても、それに付け込んで愉しくなっていてはいけない。
(明日の朝、謝ろう。でも、許してもらえなかったら、どうする。)
今なら煙草をやめられない人の気持ちが分かる。
あの少女を抱き締められない、そう考えただけで禁断症状が出そうだ。
明日は休みだ。何か贈り物を探しに街に出よう。
そこまで思考を巡らせたところで、意識が途切れた。
朝、目が覚めるとレイラはまだ寝ているようだった。
普段なら一言、レイラに声を掛けてから寝室から出るが、今日は流石に勇気がない。今はとにかく、贈り物を探してから土下座をして許して貰わなければ。
休日の街は人でごった返していた。
人混みを縫いながら、レイラに贈るものを考える。
しかし、彼女の好きなものが分からない。
普段の様子を思い出しながら、店先を眺める。
食べ物にこだわりは無いようだった。
だが、食べ物だと残らない。
(俺を戒める意味でも、いつも目に付くものが良いな。)
シリルの目に付くところ、といえば。
思い浮かぶのは紫水晶のように綺麗な瞳。
(いや、瞳になにを付けるんだ。無理だ。)
となると、いつも抱き締めた時に見下ろしている頭か。
士官科の授業の時は髪を後ろでひとつに括っている。
普段もたまに結んでいるが、髪飾りがあればもっと可愛いのに、と思っていた。
(よし、普段使いできる髪飾りを探そう。)
衣類の区画でレイラに似合う、髪飾りを探す。
あまり高価なものだと彼女は遠慮してしまうだろうから、手頃な値段の品が良いだろう。
小物類を売っている店を見ていると、ひとつのリボンに目が止まった。
そのリボンは菫色で、両端に紫水晶がぶら下がっている。これならレイラにぴったりだ。
(良い買い物したな。)
足取り軽く、学院に帰る。
職員棟の自室に帰ると、レイラはリビングのソファーで本を読んでいた。
邪魔してはいけないと思いつつ、前に回り込み片膝をついて話しかける。
「ヴィンセント。昨日のことなんだが。」
そう切り出せば、レイラは恐る恐るといった様子で顔を上げた。
怯えたようなその姿すら、滅多に見れないものであるため面白い。
「すまなかった。ヴィンセントの反応が面白くて、やり過ぎてしまった。もう二度としない。許してくれ。」
そう言って頭を下げる。
殴られても、嫌われても文句の言えないような事をしてしまった。
「先生が反省されているのなら、良いです。」
その言葉に驚いて、顔を上げて更に驚く。
レイラはふわりと、花がほころぶような笑みを浮かべていた。
その表情にシリルの視線は釘付けになる。
「だって、先生の中では妹にはああするものだと思っているのでしょう? 文化の違いです。」
………。
いつもの無表情で淡々と喋るレイラは大丈夫なのだろうか。
そんな文化はジェイドに無い。
「思ってない。妹にあんなことはしないだろ普通。」
「え?」
「衝動的にしたくなって、寝る前に正気に返った。」
「そ、うでしたか……。」
戸惑っている様子のレイラの隣に座る。
「櫛、持ってるか?貸してくれ。」
「分かりました。」
寝室に櫛を取りに行ったレイラを待つ間に、一瞬だけ見れた笑顔を思い出す。
(笑えたんだな。)
今のは微かな笑みだったが、いつかは豪快な笑い声を上げて笑っているレイラを見てみたい。
寝室から帰って来たレイラを横に座らせ、受け取った櫛で髪を梳く。
「先生?」
「ヴィンセントの髪、弄らせてくれ。」
「構いませんが。どうしてですか?」
「出来てからのお楽しみ。」
そう言いながら、髪を真ん中で二つに分け耳の上で括る。
そして、買ってきた菫色のリボンを結ぶ。
(完璧だ。瞳の色とも合ってるし、今日の服の色も菫色だ。)
堪らず、抱き締める。
「いやぁ、俺の目に狂いは無かった!」
可愛い、と言いながら腕の力を強める。
「先生? あの、このリボンは?」
顔を上げたレイラを至近距離で見つめる。やはり可愛い。
ひとつ結びのレイラも凛としていて、それはそれで良いが、二つ結びになると可愛いらしさが出て堪らない。
「賄賂。今後もこうさせて貰うための。」
「そんな。貰えません!」
普段の平坦な声ではなく焦ったような声だった。
それが、シリルを愉しくするのに気付いていないのだろうか。
「いや、嫁入り前の女の子にこんな事してるんだ。受け取ってくれないと、俺が罪悪感で押し潰される。」
「でも……。」
「付けなくても良いから、受け取ってくれ。俺の自己満足だから。」
黙りこんだレイラを抱き上げて膝に載せる。
「……。リボンありがとうございます。嬉しかったです。」
桜色に染まった頬のレイラと、その言葉にシリルの顔がにやける。
にやけた顔を見られたくなくてレイラの首に顔を埋めた。
(俺に妹がいなくて良かった。)
妹の嫁入りが決まったら、相手の男を殴ってしまうかもしれない。




