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閑話 着せ替え人形

 ――これはまだレイラが学院にいた頃の話だ。


 度重なる妖魔の襲撃、その他諸々のおかげでレイラの服は修復不可能なものが四着となり、クローゼットの中も寂しくなっていた。これから先も服が破けてしまうことがあるだろう。だから、早めに買っておきたい。ということで、シリルとそれぞれ自分のベッドに座って向き合っていた。

「それで、街に行きたいのか。」

「はい。」

 レイラは一人で外に出てはいけないので、とても心苦しいが多忙なシリルに頼むしかない。このままでは穴あき服ばかりになってしまう。庶民とはいえ、一応ヴィンセント商会の娘として襤褸の服は身に着けられない。

「週末なら付き合えると思う。」

「ありがとうございます。いつもすいません。」

「いや、ヴィンセントを一人にできないからな。」

 心配そうな顔でレイラを見ているが、シリルが心配しているのはレイラを狙ってくる人間の命だろう。勿論、レイラのことも心配してくれているのだろうが、大抵の人間よりレイラの方が勝ってしまうのだから仕方ない。

「じゃあ、そろそろ寝るか。」

「はい。おやすみなさい。」

 シリルが明かりを消して、レイラは目を閉じた。


 ◇◆◇

 

 週末、レイラはシリルと二人で衣類の区画を歩いていた。やはり休日は人が多くて、人ごみに揉まれてはぐれてしまいそうだということで、シリルに手を繋がれている。学院の生徒に見つかると大変なことになりそうだが、シリルはあまり気にしていないようだった。

「どんな服が欲しいんだ? レイラよりは俺の方が詳しいと思う。」

「ワンピースが良いです。楽なので。」

 上から被るだけ、というのが良い。でも、たまにはブラウスとスカートというのも良いかもしれない。

「安すぎず高すぎないお店がいいです。」

「ああ、それならあそこか。前に行ったことがあるけど、結構よかったと思う。」

 シリルが指さしたのは、落ち着いた雰囲気のお店だった。あまりレイラと同じ年頃の客が居ない。アルヴィンとウィラードのおかげで懐は潤っているが、大丈夫だろうか。

「いらっしゃいませ! あら? シリルさんじゃないの。お久しぶりね。」

 お店の女主人と思わしきご婦人はシリルを見て目を瞠っていた。ご婦人の視線は繋がれた手に注がれている。レイラがそれに気づいて離そうとすると、無意識にか強い力で握り直された。それを見たご婦人の瞳が輝き出すのを見て、なんだか居心地が悪くなった。今すぐ走って逃げたいような、このまま手を繋いでいたいような、矛盾した感情にレイラは惑う。

「彼女が普段着られるようなワンピースを探しているんです。良いのありますか?」

「ええ! お嬢様のようにお綺麗な方なら何でもお似合いですわ!」

 待っていて、と言われてレイラはシリルの横顔を見上げた。女物の服しか置いていないお店なのにどうしてご婦人と顔見知りなのだろう。今までにシリルと交際していた誰かと来たことがあるのだろうか。そう考えるともやっとする。

「どうした?」

 見つめすぎたようだ。不思議そうにシリルがレイラを見ている。

「何でもありません。」

「何でもないようには見えないんだが。」

 端正な顔がレイラの顔を覗き込んだ。橄欖石ペリドットの瞳に見つめられると落ち着かない気持ちにさせられる。なんだか面白くなくてシリルから顔を背けた。

「……もう手を繋ぐ必要はないかと思います。」

「あ……。そうだな。うん。無意識につい。」

 するりと離された手に寂しいような気持ちになるが、交際もしていないのに手を繋ぐことの方がおかしいわけで。いくら『兄妹』でもこの年で手は繋がない。

 無意識に繋ぎっぱなし、というのは勘違いしてしまいそうなので、しっかり意識を保っていただきたい。


「お待たせいたしました!」

 そんな元気な声と共に、レイラたちの目の前に大量の衣類が置かれる。どさっという音がしたのでかなりの重さであることが分かる。

「あの……。」

 躊躇いながらも「そんなにいらない」と言おうとしたレイラだが、にっこりと笑ったご婦人の顔に何も言えなくなってしまった。なんだろう。すごい迫力だ。妖魔並みの怖さを感じる。

「試着しましょう?」

「え、っと……。」

 ぐいぐいと背中を押されてお店の奥にある小部屋に押し込まれる。

「これとこれ。あとこれと、これも! とりあえず着てみてちょうだい!」

 拒否する暇もなく服を押し付けられ、呆然とするレイラを置き去りにしてシャっと仕切りのカーテンが閉まる。

 渡されたワンピースはどれも質がいい。色もなかなかにレイラ好みだ。濃赤色に濃緑色、薄青色、黒色と灰色のチェック柄。色とりどりの服に頬を緩める。

 今日は年頃の女の子らしく楽しむことにした。

「ワインレッドも良かったけど、アイシーブルーも似合うわねぇ……。レイラさんはどっちがいい?」

「その二色でいいです。あと、ワンピース一着とブラウス、スカートが一つずつ欲しいです。」

「はーい。持ってくるわね。」

 足取り軽く服を探しに行くご婦人を見送って、レイラは息を吐いた。もう疲れてきた。

 試着室から外に顔を覗かせれば、ちょうどシリルがこっちに向かってきていた。その姿を見てレイラは嫌な汗をかき始める。

「ヴィンセント、決めるの早いな。姉さんはもっとかかる。」

「……先生。何を持っているんですか?」

 そう、シリルの手には服が数着あった。しばらく姿が見えないと思えば、服を探していたのか。多分、勘違いでなければあれはレイラのために見繕われたものだ。

(あの量を着てみろと、先生は言っているのかしら……。)

「ヴィンセントに似合いそうだと思うと、手が勝手にな。とりあえず着てみてくれ。」

 まさか、というレイラの想像通りだった。とりあえず着るにしてもその量はちょっと、というレイラの心の声を察したのかシリルは「嫌ならいい」と悲しそうに目を伏せるので、ありがたく試着してみることにした。

 いつも共に過ごしているだけあって、シリルの見立ては合っていたらしくご婦人が感心していた。おそらく、ご婦人の目にはレイラとシリルが恋人に見えているのだろう。「やっぱり、なんでも分かるのね」という言葉に色んな意味が込められていた。



「次はこれだな。」

「……………。」

 お店に入ってどのくらい経過したのだろう。レイラは既に喋る気力もなくして機械的に渡された服を受け取る。渡されたのは若葉色のワンピースだ。シリルの瞳の色を連想させるその色に、少し落ち着かないような気持ちにさせられる。

 ひとまず、試着することにした。似合うかどうかで考えよう。シリルの色彩とかを抜きにして。

 まだ売り物だからと慎重に頭から被る。が、

(抜けない……。)

 うまいこと引っかかって通らない。でも無理やり突破はできないから時間をかけるしかない。どうしようか、とレイラが悩んでいるとすぽっと急に視界が開けた。

 振り返るとシリルが笑っていた。どうやら、手間取るレイラを見かねて手伝ってくれたらしい。襟までご丁寧に直してくれた。入学式に向かう子供のような心境になる。

「ありがとうございます。」

「いや、面白かったからいい。」

 まだ笑い足りないようで肩を震わせ続けるシリルをじとっと見つめる。そんなに笑わなくたっていいだろう。恥ずかしくなって少し顔が赤く染まる。

「先生の目から見て、この服はどうですか?」

「いいと思う。よく似合ってる。」

「……そ、そうですか。それならこれにします。」

 驚いた。急に真剣な顔であんなことを言うなんて。艶のあるとでも云うのだろうか、不覚にもどきりとしてしまった自分を、心の中で滅多打ちにしておいた。何かまずいものが発生しそうだ。

「後はこれも。」

 差し出された服にレイラは顔を強張らせた。まだ、続けるのかと。

「もうワンピースはいいです。」

「俺が見たい。駄目か?」

「……少しだけなら。付き合います。」

 本当にシリルはずるい。そんな顔をされると頷いてしまう。

 着ていた若葉色のワンピースを脱がされて、白黒のストライプ柄のワンピースを被せられる。

 落ち着いた色合いのこれも気になる。というか柄物はあまり持っていないからたまにはいいかもしれない。しかし、もうワンピースは目標の三着を選んでしまっている。さてどうするか。

「この柄のスカートってありますか?」

「ん? 確か……似たようなスカートならあった気がする。ちょっと待ってろ。」

 試着室から出て行ったシリルを待つ間、鏡に映った自分を見つめた。やっぱり、白黒のストライプ柄はいいなと思う。気に入ってしまった。ワンピースが目標に届いてしまったなら、スカートに変えればいいだけだ。

 しばらくして、スカートとブラウスを持ったシリルが帰って来た。頼んだスカートだけではなく気を利かせてブラウスまで選んでくれたようだ。気の利く男性というのはもてるだろう。レイラには関係ないが。

「似てるっていうか、同じ生地だな。」

「本当ですね。良かった。」

 レイラはこのストライプ柄を気に入っていたので『似た何か』にならなくて良かった。

 ワンピースをシリルに手伝って貰って脱いでから、渡されたブラウスとスカートを身に着ける。完成形の自分の姿を鏡で見れば、レイラの理想通りになっていて、このブラウスを選んでくれたシリルに感謝だ。彼の趣味は良い。それに加えてレイラの好みを考えて選んだのだろう。……やっぱり、シリルはもてそうだ。

「これで終わりで。決めました。」

「そうか。婦人呼んでくるから。自分の服に着替えてろ。」

「はい。」

 そういえば、途中からご婦人の姿がなくなっていた。他の客の応対に行ったのだろう。たまに着替えを手伝ってもらっていたのにいつからご婦人がいないのか分からない。何故だろう。

 レイラが着替えて試着室から出るとシリルがご婦人と共に戻ってくるところだった。

「レイラさん、お疲れさま。計算してくるから待っていて!」

「はい。これもお願いします。」

 最後に試着したブラウスとスカートをご婦人に預ける。これで今日の目的は果たした。

「ヴィンセント、襟が立ってる。」

 シリルはそう言って、レイラの襟を直してくれた。後ろは流石にレイラも確認していなかった。今度から気をつけよう。ただ、襟を直すときにシリルの手が首に当たって、少し恥ずかしい気分になってしまった。試着中も同じように人の手が触れることがあったのに。

 ……………………。

(気のせいかしら。試着室に先生が居たような気がするのだけれど。)

 いや、まさか。最初はご婦人が居たはずだ。でも、最後はシリルがいた。

 いつだろう。一体いつ二人は入れ替わった?

 思い出せない。必死に着替えていたから他のことなんて覚えていない。

 そんなに見苦しい姿ではない、はずだと信じよう。シリルが全くの無反応というのが怖いのだが。いやいや、もしかしたら反応していてもレイラが気が付かなかった、かもしれない。

「また来てちょうだいね。レイラさんなら大歓迎よ。」

「ありがとうございました。」

 会計を済ませてレイラはシリルと二人、手を繋いで歩き出した。

 どうしようか。恥ずかしすぎてシリルを直視できない。真面目なシリルのことだ。レイラの許可なくして試着室に侵入するわけがない。

 慎みのない女と思われたかもしれない。いや、もとから思われている可能性もある。

(何でもない風を装わないと。お店を出た後でほじくり返すのは得策ではないわ。)

 頑張ろうと決めてレイラは顔を上げた、のに。じっとシリルはレイラを見つめていた。驚いて思わず声を上げかける。

「っ……あの…先生?」

「なにか悩んでるのか?」

「いえ、なんでもないです。解決しました。」

「へぇ『なんでもない』のか。なら良かった。」

 今、言葉に含みを持たされたような気がした。橄欖石ペリドットの瞳も悪戯っぽく細められている。

 ぶわり、と頬に朱が散ったのを感じる。シリルはレイラが悶々と考えていることを分かっているのだ。その上でからかってきている。

 なるほど、シリルにとって『大したこと』ではなかったのか。女性のあられもない姿なんて見慣れたものだと、そういうことか。まあ、それはないと思うがシリルがレイラを意識していないというのはよく理解できた。

 分かっている。シリルにとってレイラは『妹』であると、レイラもそれが居心地が良いのだから仕方ない。変化は望んでいない。今、繋がれている手だけでレイラは十分満たされていた。


 ――動揺していたのはレイラだけではない。シリルもだった。

(驚いたな。冗談で「手伝う」って言ったのに。まさか、あんな無防備に……。)

 下着同然のレイラの姿を思い出して、慌てて頭を振る。駄目だ。思い出しては。

 店を出てからの反応を見るに、レイラは疲れきって意識がなかっただけというのが、可能性として大きい。無防備というより、面倒くさくなって思考を放棄しただけだろう。

(今晩、俺大丈夫か。堪え切れるか?)

 その日の夜、レイラ以上に動揺していたシリルは全く寝付けなかった。

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