太陽の石と満ちた月
ブレットによる誘拐事件からおよそ一年。
あれからレイラの周囲に妖魔が押しかけてくることは、ほとんど無くなっていた。たまにシリルがブレットの網を潜り抜けた妖魔を始末している。
父や兄たちは過保護になってしまって、レイラは王宮に住むよう言われた。一月は我慢できたのだが、ルークとジェフリーが五月蝿かったのでライアンに頼んでロードナイトのヴィンセント家に帰った。
それから、あっという間に婚約期間は過ぎていった。
ばたばたと結婚式の準備に追われ、本当にあっという間に当日になってしまった。
結婚式は近親者や親しい友人のみで行おうと、シリルと話し合って決めた。ルークの見た目の年齢が若すぎるせいだ。
結婚式の前の日にフィンドレイ、ヴィンセント、シトリンの三家で顔合わせをしたのだが、初対面にも関わらずノアとルークは似た者同士さっそく意気投合していた。怖いくらいに話が合うようで、
『どうやって彼を罠にかけようか。』
『男なんて蜂蜜罠でいちころです。ぱぱっと一撃で決めましょう。レイラに軽蔑されて苦しめば良い。興味すら抱かれない存在になってしまえ。』
『そうだね。リリスに名前を呼んでもらえない苦しみを味わえばいいんだ。いつまで経っても敬語なんだよ娘なのに。結婚式なんてぶち壊しちゃおう。』
『はい!』
そんな意味の分からない計画を立てる二人はキャロルとアドルフに頭を叩かれ不貞腐れていたのが印象に残っている。というより衝撃が強すぎて忘れられない。
本人達がいる前で言ってしまう神経が信じられなかった。
だから、昨日から二人とは視線すら合わせていない。
すると、早朝にルークもノアも謝りにきたのだが、追い払った。これから、式の準備だというのに。と後にしてくれと頼んだ。
その時不機嫌だったのだろう。二人とも強いショックを受けているようだと、レイラの支度を手伝いに来たアリスが教えてくれた。後でちゃんと二人と話しておかないと面倒なことになりそうだな。とレイラはため息を吐いた。
いよいよ、式が始まるとバージンロードを歩いてきたレイラを見て、シリルは戸惑ったように視線を泳がせた。
衣装は二人で選んだものだから、初めて見たわけではない。
だが、いざ本番となると何倍も素敵に見える。
「えっと、あー。すごく綺麗だ。」
「シリルも格好いい。とっても綺麗。」
「前から思ってたけど、男に綺麗って言うものか?」
「? シリルは綺麗だわ。」
「綺麗は今のお前みたいなのを言うもんだろ。」
「どうして?」
「どうしてって、レイラ……。」
祭壇の前でのんびりと会話する新郎新婦を神父がこほん、と咳払いで嗜める。ごめんなさい、と一言謝ってレイラとシリルはくすりと笑った。
◇◆◇
式も終わって、参列者に挨拶に回っていると声をかけられた。
「やはり美しいな君は。」
「……こんにちは。ケントさん。」
この人の挨拶はいつもこれで始まる。
昔からレイラを知っていたというアドルフの友人ケントは、会う度に『美しい』と口にする。どう答えたものかとレイラは毎回頭を悩ませている。
「だが、今日は特別綺麗だ。おめでとう。」
厳めしい顔が柔らかく緩んで、レイラもつられて微笑んだ。
「ありがとうございます。」
「ああ、僕の天使が食われる。」
鬱々とした顔でノアがレイラの元までやって来た。
ケントが異様なものを見たという顔をしている。
レイラもノアのこういう言動は理解できない。
「ねえ、僕の天使。やっぱり結婚止めない?」
「黙れノア。レイラ、何かあれば俺に言え。しばらく異動はないだろうからトリフェーンにいる。困ったことがあれば頼れ。」
「ありがとう。ウォーレン兄様。」
頼りになる兄にレイラは返事をして、ノアを無視した。
「ごめん。嘘っ、嘘だから! 幸せになるんだよ?」
「ありがとう。ノア兄様。」
「レイラ!」
ぎゅうぎゅうと強い力で抱き締められて、レイラは吐くかと思った。ただでさえコルセットで締め上げられているのに。
「あなた、もう泣かないの。レイラが困っているでしょう?」
アリスは隣の夫の肩を宥めるように叩いた。
目元を抑えて肩を震わすケヴィンに周囲は憐れみの籠った視線を送っている。男親の気持ちはレイラには分からないがルークには分かるだろう。
「アリス……。くっ、駄目だ。レイラ、やっぱり止め」
「止められるわけないわよ父様。しっかりして。現実を見つめないとお母様に見切りをつけられるわよ。」
「キャロル……。レイラ、皆が父様を苛める!」
父ケヴィンの言動が幼くなってしまっている。
シリルも子供が出来たらこうなるのだろうか。
すすり泣く男親二人にレイラはこっそりとため息を吐いた。
「リリスぅ~。行かないで!」
避けようとする前にアドルフがルークの首根っこを掴んだ。
「ルーク、みっともないから離れろ。」
ずるずるとレイラから少し離れた所まで引きずられてルークはむっとした顔でアドルフを見上げた。
「義弟よ、乱暴するなんて酷いな。」
「呼ぶな。お前が義兄なんて認めていない。」
「どうして? リリスは僕とアリアの愛の結晶だよ?」
「……アリアに手を出したこと今でも許してないからな。」
ぐだぐだと会話をする父と叔父から視線を外した。
これで、ジェフリーまでいたら収拾がつかなくなる所だった。ライアンの言う通りに、後日王様たちに挨拶に行くということにして良かった。色々堪えられない。
「レイラちゃん!」
跳ねるような声が聞こえてレイラは顔を綻ばせた。
「ドリス、来てくれたの?」
相変わらず、ドリスは小さくて可愛い。
「呼ばれてる面子が面子だから行くか行かないか悩んだけど、ハロルド君も行くって聞いたから行こうかなって!」
ハロルドも一応ドリスの言う『面子』側の人間なのだが、彼自身がそれを鼻にかけていないので、ハロルドが貴族ということを忘れてしまうのだろう。
「やっぱり花嫁さんってすごく綺麗。元々レイラちゃんは綺麗だけど、いつもの倍くらい輝いて見える! アルヴィンもそう思うよね! わたしも早く結婚したいなぁ。ね?」
含みを持たされた言葉をアルヴィンは華麗に無視した。
「おめでとう、レイラ。」
「ありがとうございます。アルヴィンさん。」
「理事長とクライヴから手紙だ。あと、先輩方からもだな。」
「こんなに……。」
こんなにたくさんの人に祝ってもらえるとは。
誓いの言葉を口にした時は涙の気配も無かったのに、ここに来て泣きそうになっている。それを、なんとか押し留めてレイラは笑顔を浮かべた。
「レイラ、おめでとう。」
その声に振り返るとそこには長身の少年がいた。
「あ、ハロルド。……また背が伸びたのかしら。」
初めての異性の友人は、最初同じくらいの身長だったのに、あっという間に追い越されて、今ではシリルよりも高い気がする。
「そう、か? でも、確かにレイラが小さい。」
しみじみと呟かれ、レイラはむっとする。
なんだか、気に入らない。何を食べたらこうなれたのだろう。踵の高い靴なのにハロルドの身長に遠く及ばないなんて、レイラももう少し身長が欲しかった。
「あら、可哀想なハロルド君じゃないですの。」
金髪青眼の美少女が、ハロルドを見てうっそりと笑った。
意地悪そうな笑みを浮かべているエリシアはいつものようにくるくると綺麗に巻いた髪を高い位置で二つに括っている。
「ハロルドのどこが可哀想なの?」
「ほら、告白する前に好きな人が結むぐっ!」
「ははっ! エリシア先輩、お腹痛いんですか! 仕方ないですね僕が連れていってあげますよ。それじゃあレイラまた後で。」
「ええ、また後で……?」
お腹が痛いというよりは、ただ口を塞がれているように見えたのだが、気のせいだろうか。ハロルドに限って変なことや無駄なことはしないだろう。
エリシアは本当に体調が悪かったのかもしれない。
なんせ、ずっと好きだったシリルが結婚してしまったのだ。そのショックは計り知れない。平気なふりをしているだけだろう。
疲れた顔でレイラの元に歩いてきたシリルの姿と、先程の元気そうなエリシアの姿を見て、レイラは俯いた。
(これで、すぐにシリルと別れてしまったらエリシアさんに怒られてしまうわ。今まで積み重ねたものを活かして生きないと。)
「レイラ?」
「シリル。私、幸せになれる?」
今も、歯止めが聞かなくなるときがある。
もしかしたら、また誰かの命を奪ってしまうかもしれない。
こんな自分が幸せになんてなれるだろうか。
「俺一人じゃ無理。だから、二人で幸せを作ろう。」
太陽のように明るい笑顔で、太陽のような瞳でシリルは言った。そんな夫の姿が眩しくてレイラは目を細める。
「そう、ね。それじゃあ末永くよろしくお願いします。」
「こちらこそ。よろしくレイラ。」
固く握手を交わして、二人は微笑みあった。




