斑模様と橄欖石
眼鏡の向こうにある蒼い瞳を見つめる。
先程の光景が昔の情景と重なって冷静さを失ったシリルに、アルヴィンの蒼い目は落ち着きを取り戻させてくれた。
「なんで止めるんだ?」
「いえ、止めていません。これを。」
すっ、と差し出された光る紐にシリルは目を丸くする。
「これは?」
恐る恐る手にとって、アルヴィンに聞く。
光っているから熱いかと思ったのだが、冷たい。
「この中に闇雲に飛び込むのは危険なので、これを着けてください。この紐が道しるべになります。」
「俺が行っても大丈夫なのか?」
魔法使いのアルヴィンはともかく、ただの祝福持ちがこの暗くて澱んだ空間に入って良いのだろうか。ミイラ取りがミイラ、なんてことになりそうだ。
「大丈夫です。二手に別れて探しましょう。効率が良いですから。」
紐を柱に括り付けて、アルヴィンは笑った。
「元はといえば、私が扉を吹き飛ばしたのが原因ですから。……まさか、窓際にいるとは思わなかった。」
正しくは窓際、ではなく窓枠の上なのだが、落ち込んでいる様子のアルヴィンに何も言えなかった。レイラが変な子で本当にすまないと。
何を考えていたのかシリルでさえ理解できない。
見たところ元気そうではあった。たった一瞬だけしか見られなかったが、疲弊していないのならそれで良い。
「行きましょう。先生。」
「ああ。ありがとな、アルヴィン。」
暗闇のなかは、自分の姿すら分からないほど黒くて、この中からレイラを見つけ出せるのか自信が無くなってくる。
一緒に入ったアルヴィンの姿もすぐに見えなくなった。
冷たくて静謐としたレイラの気配は感じる。しかし、それがどこから発せられているものか分からない。
シリルは途方に暮れた。
異能を欲しいと思ったことは今まで一度もない。
しかし、今はなんの力もないことが悔しくてならない。
「アルヴィンが先に見つけてくれるか。」
気長にのんびり探そう。
そう思っていた矢先に、暗闇の中で光るものを見つけた。
「なんだ、あれ……。」
自分の姿が見えないような闇なのに、その光だけは眩く光っていた。
◇◆◇
レイラは途方に暮れていた。
助けがくると信じているが、その前にレイラの身体が限界を迎えそうだ。高熱で涙目になってきた。
重い身体を無理に動かすと疲れるだけだ。
はぁ、と熱い息を吐いてレイラはしゃがみこむ。
下も上も分からなくても地面はあるようだ。
ぺしぺしと八つ当たりをするように地面を叩く。
(これ、消せないかしら。)
地面に置いた手の甲にある噛み痕に反対の手で触れる。
他にも全身にある鬱血痕にシリルは驚くだろう。
断じてこの身は汚されていない。しかし、この痕だけ見れば何かあったのは確実だと思われてしまう。
破れたワンピースの裾から太股に刻まれた鬱血痕が目に入る。こんなところ、いつの間にやられたのだろう。寝込みを襲われたのか。
他にも気付かない間に付けられた痕があるかもしれない、とレイラは自分の身体を確認することにした。どうせ、身動きがとれないのだ。
確認している内にどんどん眉間に皺が刻まれていく。
白い肌が斑模様のようになっている箇所もあった。
ぴきぴきと青筋が浮かんでいくのを感じる。
最後に胸元にある鬱血痕を睨み付けて、拳を握りこんだところではたと気付いた。
「光ってる? どうして。」
スカート越しにぼんやりと光る何かがあった。
そういえば、窓からこちらに手を伸ばした時は手が暗闇に溶けて見えなかったのに、今レイラの身体は暗闇に溶けていない。
(もしかして……。)
下着の隠しポケットに入れておいたネックレスを取り出す。
「眩し……。」
ポケットからネックレスを取り出すとそれは眩い光を放ち始めた。あまりの眩しさに目を細める。目が焼けてしまいそうだ。
首にかけておくと落としそうだったので、簡単には落ちない所に入れておいた。シリルは不満そうにしていたが、このネックレスはシリルの祖母の形見のようなもの。失くすわけにはいかない。
異界に連れられる前に着ていたものを捨てられなくて良かった。なんやかんや、あの妖魔は甘い。
こちらに来てから勝手に着替えさせられた恨みは忘れないが。最初は衣服がびしょ濡れだったから、まだ良しとしよう。
しかし、それ以降も寝ている間に勝手に変えられている時があった。あれは許せない。レイラは着せ替え人形か。
「太陽みたい。」
暗闇に唯一光るもの、でレイラは『太陽』を思い浮かべた。
いつかにウィラードが言っていた。
彼が『落ちて』くる前にいた世界では、宇宙という真っ暗な空間中に多くの星々があって、その中にあるひとつの星に人間やその他諸々が住んでいたらしい。
真っ暗な宇宙の中で太陽が近くの星に明かりを与えて、ウィラードの住んでいた星は太陽を中心として周りを延々と回っているらしい。
おそらく、今レイラたちが存在している所も仕組みとしては同じだとウィラードは言った。流れ星もあるのだからと。
昔は、太陽の神がいるから昼があって月の神がいるから夜があるのだと思っていた。しかし、二柱の神は陰陽のバランスを保つだけで、本物の太陽にも月にも干渉していない。
ウィラードの話は興味深かった。レイラの概念にない事ばかりで理解できない所もあったが、ここよりもっと便利なものが多い世界で羨ましいと思った。
「見つけた。」
そんな声と共に急に肩を掴まれ、レイラは咄嗟に応戦しようとして拳を振りかぶった。声の主は動揺しながらもレイラの拳を受け止めて、宥めるような声を出した。
「待て、私だ。」
姿が見えない。見えないが、聞き覚えのある声だ。
「アルヴィンさんですか? どうしてここに。」
「すまない。扉を飛ばしたのは私だ。」
なるほど、扉を吹き飛ばしたのはアルヴィンだったのか、通りで扉をあんなに粉砕できたはずだ。
「謝らないでください。私が変なところにいたから。」
窓枠の上に立っていたレイラが悪い。
声しか聞こえないが、目の前の暗闇にそう言った。
「それでも、だ。すまない。」
確かにすぐにシリルが飛び込んでくれなかったら、ここに落ちたことも気付かれなかったかもしれない。そう思うと、やはりレイラは運が良い。
施錠されていたなら、扉を壊すのは当たり前だ。
「見つけてもらえましたから、それで……っ!」
突然、後ろから何者に抱き締められ悲鳴をあげかけた。
心臓に悪い。しかし、懐かしい匂いにほっとして身体を預ける。
「良かった。」
どうやらシリルまでレイラを探しに来てくれたらしい。
二人とも姿が見えないのが悲しいが。
「やっぱり、アルヴィンが先に見つけてたな。」
「……すいません。」
「なんで謝るんだ?」
「いえ、なんとなく。」
気まずそうに目を伏せるアルヴィンの姿が頭に浮かぶ。
姿は見えないが、二人がどんな表情をしているのかなんとなく分かった。
「転移するので、紐にしっかり掴まっていてください。」
「ああ。」
シリルにぎゅうと強く抱き込まれた。
腰に回されたシリルの手が震えているような気がして、レイラは首を傾げた。寒いのだろうか。
ふわっと浮遊感があって、気付くと真っ暗な世界から明るい世界に移動していた。急に明るいところに来ると暗闇に慣れていた目には眩しすぎた。
額に冷たいシリルの手が触れて、熱のあるレイラにはそれが心地よかった。うっとりと目を細める。
「……熱、出てるな。早く帰るぞ。王宮と俺の家どっちがいい?」
「家がいいわ。」
「即答か。分かった、出来るだけ傍にいる。本当は陛下も殿下もいる王宮の方が回復早いんだけどな。」
困ったように笑っているが、橄欖石の瞳は柔らかかった。しかし、すぐに優しい光は消えて昏い光にかわる。
「レイラ、これどうした?」
首筋をシリルの指が滑る。
くすぐったくてレイラは首を竦めた。
とりあえず、太股と胸元にあるのだけは隠そう。確実にシリルが妖魔を殺しにかかるだろうから。シリルのことだ。妖魔相手に引けは取らないだろうが、勝てるというわけでもない。危ない目に会ってほしくない。
「こんなだけれど犯されてないから大丈夫。少しじゃれついてきたくらいのものだわ。でも、嫌になった? こんなに痕つけられて。」
「嫌になるわけないだろ。……頑張ったな。」
頑張った、我慢した。力がなくなって、力で押さえ込まれると抵抗できなくて、苦しくて怖くて苛立って。じわりと目頭が熱くなる。
「あれ、何かあったの?」
ずるずると気絶した妖魔を引き摺りながら血塗れのウィラードが部屋に入ってきた。いつも通りの能天気な声にほっとする。
妖魔も真っ赤に染まっているが、ウィラードもなかなかに赤い。どんな死闘を繰り広げたのだろうか。




