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痛みと窓の向こう

ふわふわと身体が浮かんでいる気がする。

貞操の危機より先に、器が空っぽになるという危機がやってきた。昨日から、熱に魘されてまともな思考ができない。

とはいえ、病人に手を出すほど妖魔は鬼畜ではないようなので、ある意味助かったといえばそうだ。命の危険はあるが。

重い身体はレイラのいうことを聞いてくれない。

仕方なしに布団にくるまっていると、妖魔が甲斐甲斐しく世話をやいてくれる。このままだと駄目人間になってしまいそうだ。

ぼんやりと窓に映されている庭園の画を見るともなしに見ると、あの窓を開いた先にある暗闇はどこに繋がっているのだろうかとか、試しに一か八か飛び込んでみようかとか、まともな事を考えられない。

今はベッドから下りることはおろか、起き上がることも億劫だが。熱が高いのだろう。関節も痛くなってきた。

しかし、身体中に散らばる鈍い痛みより身体中を這い回る手に我慢ができなくなって、レイラは口を開いた。

「なにがしたいの?」

今、熱のせいでだるいのだ。眠っていたいのに妖魔はペットと戯れたいのか、寝かせてくれない。今も、髪を梳いたりあちこちに口付けを落としたりと鬱陶しいことこの上ない。

「触れたいと思うのはいけないことですか?」

「いけないとか、そういうのじゃなくて私が嫌なの。」

汗ばんだ身体を触れられたくない。

それは、好きな人だからとか以前に家族でも嫌だ。

「嫌と言われましてもね。」

そう言って妖魔はレイラの手首に唇を寄せ、見せつけるようにしてちぅと吸った。一瞬、呆けてしまっていたが、はっと我に返り妖魔を振り払う。

紅の瞳に囚われて視線を逸らせなかった。

妖魔はこれだから嫌いなのだ。魅了を使ってくる。

せいぜい例外はウィラードくらいか。

(痕、ついてる……。)

痛いと思ったらこれだ。なんてことをしてくれるのだ。

手首に浮かぶ赤紫色の鬱血痕を見てレイラは眉を寄せる。

そんなレイラの様子に嬉しそうな顔をして妖魔は手を伸ばしてくる。そしてレイラの腰を抱き寄せ、白い首に顔を埋める。

「っ……。」

妖魔の頭を押し返してレイラは睨み付けた。

ちくり、と痛みのはしった首に手をあてる。

多分、ここにも痕を付けられているのだろう。

最近になって妖魔のスキンシップが激しくなってきた。最近といっても、こちらの時間なので数日程度だが。

「そういうのは、勘違いされるからやめて。」

この痕をシリルに見られたら、もう心が砕ける。

おそらく、愕然とした顔でレイラを見るだろう。ふざけるな。すれ違いも勘違いされるのも面倒なのだ。止めてほしい。

そんな風に怒っているレイラの言葉を妖魔は鼻で笑った。

「勘違い? されるわけないでしょう。貴女はずっとここにいるんですから。ずっと私と二人、たまにお嬢さまが訪ねてくるでしょうが、ほぼ私としか関わりは持てません。その間に私という存在をリリス様に受け入れてもらいたいと思っているのですよ。」

「嫌なことされないなら拒絶まではしないわ。だって、窮屈な思いはしているけれど特に不便は感じていないもの。ここに来て貴族のお姫さまみたいな気分を味わえたから。」

髪の毛も爪も肌もすべて綺麗に磨かれて整えられている。

執事ごっこをしているといっていたが、この行為はそれで覚えたものではなく妖魔の永い時間で覚えたことだろう。男が淑女の世話をするわけない。

生じてから今までの間に愛人ごっこのひとつくらいしていそうだ。

「リリス様はお優しいですね。血を吸われて、こうして全身余すことなく触れられても拒絶しないなんて。嬉しいですね。」

嬉々として、頬擦りをしてくる妖魔から逃げるように身体を仰け反らせる。このままだと頬が擦りきれてしまいそうだ。

「そうだったわ。嫌なことされていたから、今のなしで。あっちへ行って頂戴。一人になりたいの。」

妖魔のスキンシップに付き合って頭痛が酷くなった。

しっしっ、と犬を追い払うように手を振る。

「それは出来ません。一人にしたらリリス様はどこかへ行ってしまい……っ用事ができました。大人しくお待ちください。」

途中まで妖魔は悠々と話していたのに、急に血相を変えて部屋を飛び出していった。妖魔の世界にも色々あるのだろう。

(いつまでも『妖魔』っておかしいもの、そろそろ名前を決めた方が良いのかしら。ペットみたいに愛着がわきそうで嫌だったけれど、ペットだと思った方がましかもしれないわ。)

流されるのは嫌だ。もしかすると、流されてしまった方が楽なのかもしれない。ここ数週間共に過ごして情が湧いているのは確かだ。

だが、レイラにも意地があるのだ。

重い身体を引きずって、偽りの景色の映る窓に手をかける。

「これで駄目なら諦めましょう。」

窓を開いた先にある真っ暗闇にレイラは手を伸ばす。

部屋の明かりがあるのに、窓枠から先は光が届かない。

なんだか暗闇に溶けていくような気がした。

よっこらせ、と窓枠の上に立ち上がって考える。

死にたくないなら窓の外に出ない方がいいと妖魔は言っていたが、暗闇に手を触れさせても身体に異常はない。

推測だが、この中に落ちると『死ぬ』のではなく存在が『迷子』になるのではなかろうか。異界の外は様々な世界と時間の入り交じった『何か』だろう。

そうだとしたら、レイラは外の時間の近くまでは帰られるかもしれない。

(だって、私は運がいいもの。)

とはいえ、確証もないのにこの中に飛び込んで無駄死にはしたくはない。しばらく様子を見るか、妖魔を抱き込んで脱出を図るかしなければ。

落ち着いた行動を心掛けようと心に決めて、レイラが窓枠から下りようとした時だった。

突然、部屋の扉が大きな音を立てて吹き飛んだ。

「無事か!? ってレイラ!」

久しぶりに見た愛しい人はほっとしたような顔をした後、何かに気付いたのか驚いた顔をして駆け寄ってくる。

「シリ、あっ……!」

扉を吹き飛ばした風で体勢を崩した。

このままでは暗闇に落ちてしまう、伸ばされた手にレイラも手を伸ばすが間に合わない。それでも、シリルの手がワンピースの裾を掴んだ。びりっ、と嫌な音がしてスカートが破けるとレイラの身体は呆気なく窓の外に放り出されてしまう。

(最悪だわ。)

暗闇に落ちたレイラは溜め息を吐いた。

どこもかしこも黒い。それに、さっきからレイラの身体に入ってこようとする『何か』がいる。意識を保っている間は拒めるだろうが、意識を手放せば乗っ取られてしまうだろう。

(シリルがここにいるってことは、ウィルもいるのかしら。いや、それならお祖父様もいるかもしれない。)

だとしたら、下手に動かない方が良い。彼らなら必ず助けてくれるだろう。今は意識を失わないことを第一に考えなければ。

(……でも、見つけてもらえるかしら。)

無限に広がる暗闇にレイラは心が萎んでいくのを感じた。


◇◆◇


異界に侵入を果たし、ウィラード、アルヴィン、シリルの三名は、『力がもう尽きそうだ』と言って向こうに残ったアドルフを思って溜め息を吐いていた。

「言霊使いって最強な切り札を出せないなんて。そりゃあ、稀代の魔法使い殿がいるから良いけどさ。もしもの時に自由がきくのは言霊だよね。」

「私では不安だと?」

片眉をあげて問うたアルヴィンに、大袈裟な動きでウィラードは否定する。腹の立つ動きだ。わざとらしい。

「まさか、そんな滅相もない。アルヴィン様がいれば百人力っすよ。ただ、お嬢さんがどうなってるか分かんないから。どこまで思い詰めてるか……。」

「いいえ、思い詰めてなどいませんよ。リリス様は。」

突然加わった声に緊張が走る。

視線を廊下の先にやると、いつの間にかぽつんと男が一人現れていた。昔のウィラードを連想させる黒髪に、深い紅色の瞳。

ウィラードは現れた男を見て、僅かに目を瞠った。

「あれ? 君がお嬢さんを攫ったの?」

「いけませんか?」

この男が生き生きとしているということは、レイラはへろへろになっているはずだ。妖魔にとってレイラは高級品だから、限界まで食べられていてもおかしくない。

「君相手だと大変そうだね。強いから。」

「あのウィラード・シャルレにそう言っていただけるのなら、最高の栄誉ですね。まあ、リリス様は渡しませんが。ようやく私にも心を開いてきたようなのですよ。」

「魔法使いと先生でお嬢さんお願い! 彼はオレ一人でなんとかする。」

淡い光を纏う剣を手にウィラードは言った。

あんなに大きな剣をどこに隠し持っていたのだろう。

「行きましょう先生。」

何かの言葉を紡いでアルヴィンはウィラードの持つ剣に手を当てた。魔法で何か力を付与したのかもしれない。

ぶつぶつと何かを呟くアルヴィンに並走する。

「レイラは赤色の扉にいます。」

なるほど、魔法でレイラの居場所を探していたのか。

何故、自分がここにいるのだろう。祝福持ちなだけで他には何の取り柄もないのに。少し落ち込みながら赤色の扉を目指す。

ようやく見つけた赤色の扉の取手に手をかける。

しかし、取手が回らない。錠でもかかっているのか。

「扉を吹き飛ばすので、離れてください。」

翳した手から蒼い光が溢れて、あまりの眩しさにシリルは目を瞑った。目蓋を閉じていても目が焼けてしまいそうだ。

瞬間、大きな爆発音が響いて扉が壊される。

アルヴィンと二人で飛び込んだ部屋で、レイラが紫水晶アメジストの目を真ん丸に開いてこちらを見ていた。ひとまずシリルはほっとする。

(良かった。正気だな。)

しかし、レイラの身体が後ろに傾いでいく。

その光景に心臓がありえない速度で脈立ち始める。

(なんで、そんなとこに立ってるんだ!)

狭い窓枠の上に立っていたレイラは爆風で体勢を崩していた。このままでは落ちてしまう。

全力で駆けて、シリルは必死に手を伸ばす。

レイラもそれに気付いて手を伸ばしているが、届かない。

暗闇に溶けるように消えていくレイラの姿にシリルは呼吸を止めた。だから、窓の近くに寄って欲しくなかったのだ。

消えていくレイラがいつかのニーナの姿と被る。

夜闇に落ちていった彼女の姿と暗闇に消えるレイラの姿。

ニーナは死ななかった。でも、次は?

奇跡は何度も起きてくれるのだろうか。

ああ、心が壊れてしまう。

なんとか掴んだワンピースの裾さえ千切れて、レイラの身体は暗闇に呑まれていった。

無言で後を追おうとするシリルを、アルヴィンが止める。

他人事のようにシリルはその光景を見ていた。

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