連絡方法と危機
「違う! 違います!」
シリルに呼ばれて地上に降りてきたウィラードは、椅子に座らされ両脇を強そうな老人二人に固められたハーシェルを冷たい目で見据えていた。
翠の瞳に涙を溜めて無実を訴える姿を見るのは心苦しいが、ハーシェルの登場はタイミングが良すぎる。自惚れではなく彼女はシリルに並々ならぬ想いを抱いているようだ。レイラを邪魔だと思ったのかもしれない。
気持ちは分かる、分かるがやってはいけないことだ。
「そうは言ってもねぇ。流石に『鏡』の欠片があるケントさんの目は誤魔化せないし、動機もあるんだからさっさと諦めてお嬢さんの居場所、教えてくれないかな?」
常に笑顔を絶やさず、胡散臭くて何を考えているか分からないウィラードも、孫のように大切に思っているレイラの行方が知れずかなり頭にきているようだ。顔に感情が欠片もない。
「知りません! なんで私が彼女を……きゃあっ!」
ピシッ、と窓の硝子にヒビが入った。
「オレ、かなり怒ってるんだけど分からないかな?」
ウィラードの感情の揺れが空間に異常をもたらしている。
不機嫌そうに言い放つウィラードの様子に、誰一人として声をかけることは出来ない。シリルでさえ今の彼には恐怖を感じているのだ。ハーシェルにはかなり効いているだろう。
「君の周りに残ってる力の残滓から辿れば君の契約してる妖魔のところまでいけるんだ。まあ、かなり強行策だから君は心を壊してしまうかもしれないけどね。オレはお嬢さんを見つけられたらそれでいいし、もし間違いだったとしても君は死ぬ訳じゃない。安心するといいよ。」
ウィラードは淡々とハーシェルに言葉を突きつけていく。
まだ犯人とは決まっていないのに、確信があるようだ。
「それが嫌なら契約印を出してくれる? そこから辿るからさ。それでもし、お嬢さんが壊れてたら相応の覚悟はしててね。今なら殺しはしないけど、どうする?」
「……。」
それが止めだった。
ハーシェルは大人しく袖を二の腕まで捲り、そこに浮かぶ紅い紋様を見せた。小さな花々が寄り集まったような形のそれは、まるで小さな虫が集まっているように見えて醜かった。
物語に出てくる悪魔や吸血鬼は恐ろしく美しいものだと云うが、今までシリルは魔的なものを美しく思えなかった。彼らの纏う空気を身体が受け付けない。
ハーシェルのことを疑問に思ったのも契約者だったからだろう。空気があちら側のものだった。
とりあえず、アドルフがハーシェルをメリルの元へと運搬していった。ハーシェル用の見張りとしてケントも連れて行かれ、シリルはウィラードと二人になる。
アドルフが帰ってくるまでの間にウィラードが契約印から読み取った情報を元に、その妖魔の使う異界を割り出し、そこにつながる裏道を扉に固定する作業に入った。
耳鳴りのような音が不快だ。眉を顰めるシリルにそういえば、と前置きしてウィラードは喋りだした。
「今になってお嬢さんの声が聞こえたってことは、それまで先生の事とかこっちの事を考える余裕がそんなになかった、って考えるべきだよね。追い詰められないと、力のなくなったお嬢さんの声が聞こえるわけないし。」
「追い詰められないと、ってどういう意味だ?」
「今はもう力がないけど、お嬢さんの肉体はオレらに近い。だから、危機に陥ると潜在能力?なんていうんだろう、元々肉体に備わってた力で似た存在に助けを求めるんだよね。神様って深いところの意識は繋がってるし。五柱の神様たちも緊急の時はそうやって連絡をとりあってる。先生も使ってるでしょ? オレを呼ぶとき。」
「そう、なのか?」
無意識に使っていたらしい。それなら、それを使ってレイラに何か届けられたらいいと思うのだが、今までどうやってウィラードに声を届けていたのかよく分からない。無意識だからこそ成せたことなのか。
「あと、お嬢さんが催眠状態に入ってないと良いんだけど。」
溜め息を吐いてやれやれとしているウィラードに首を傾げる。
「は?」
「ん? 先生よくお嬢さんの暴走止めてなかった?」
「ああ。それがどうしたんだ?」
「お嬢さんがやられる前に殺っちゃえっていう思考回路になってるのは、そこを危険な所って判断してるから。安全な所だったらお嬢さんの頭に『殺す』っていう選択肢はなくなる。例えば月の力が満ちてる王城とか、最近だと先生の傍とかね。」
知らなかったの?てか気付かなかったの? というウィラードの言葉が突き刺さる。誰より近くにいたのに分析できていなかったとは。
「そんなに落ち込まないでよ。これから頑張ってもらわないといけないのに。向こうについた時にお嬢さんがどう動くか分かんないんだから、頭使えるようにしててよ。」
レイラを連れ去った妖魔よりも、レイラ本人に気を付けなければならないとは。頭が痛くなってきた。
ドサッと机の上に人間が落ちてくる。アドルフが移動を失敗したようだ。しかし、机の上の影は二つある。片方はアドルフと分かったが、もう一人はケントにしては若い。それにケントはハーシェルと共にいるはずだ。
「アドルフさん。それなに?」
顔を強張らせたウィラードが影を指差す。
「途中で拾ってきた。使えると思ってな。」
黒髪で眼鏡をつけた冷たい雰囲気の青年は不思議そうな顔をしてアドルフを見上げている。本当に『拾われて』きたようで、シリルとウィラードの顔を見つけると驚いたように目を瞠った。
「オレ、彼のこと苦手なんだけど。」
「……ウィラード・シャルレ? なぜ。」
突然連れて来られて戸惑ってはいるが、さすが稀代の魔法使い。アルヴィンは手の平に淡い光を放つ蒼い珠を浮かべて臨戦態勢だ。
「ちょっ! 今もう妖魔じゃないからね!?」
「何を寝惚けたことを言っている。」
「見てこれ! 金髪でしょ? 白金色ってやつ!」
「永く生きたせいで頭でも狂ったのか。可哀想に。姿を変えるのなんてお前らの専売特許だろう。ウィラード・シャルレ、逃げるな。」
「まじでやめて!」
このまま放置していると、一応『月の神』が消えてしまいそうなので、アルヴィンがウィラードを鎖でぐるぐる巻きにした時点で間に入って止めた。慌てふためくウィラードを見るのに忙しくて助けるのが遅れてしまったのだ。けしてわざとではない。そう、少し私怨が入ったとかではなく。
恨めしげに見つめてきたウィラードからそっと視線を逸らした。
◇◆◇
「貴方、飽きないの?」
風呂上りにレイラは肌の手入れをされていた。
ほんのりと香る薔薇の匂いに癒されているのだが、複雑だ。
流石に風呂の中にまでは入ってこないが、下着だけしか身に付けていない状態で触れられるのは不快だった。しかし、慣れとは恐ろしいもので習慣となってしまえば気楽だった。
この妖魔は血を吸うだけだと理解してからはそこまで強く警戒していない。
「ええ、磨けば磨いただけリリス様が綺麗になっていくのですから。楽しくてしょうがないです。」
「お気に入りのお人形だものね。」
皮肉を言ってみれば、妖魔は目を丸くした。それから、
「人形だったら食べられないですよ。」
くすくす、と妖魔は笑ってしっとりとしたレイラの腕に頬をすり寄せる。なんだか猫に懐かれたような気分だ。思わず妖魔の頭を撫でた。
「リリス様の傍は落ち着きます。やはり私のようなモノと波長が合うんでしょうね。そうでなければ、あんなに多くの異常な人々を惹き付けられるはずがない。」
異常な人々に括られた人が気になる。レイラはウィラードとあの王子くらいしか頭に浮かばない。
「私は貴方の傍が落ち着くと思ったことはないわ。」
「そうでしょうね。与える側ですから。」
そう言って、妖魔はレイラの身体を引き寄せた。
治りきらない傷痕をまた噛まれるのが相当痛いが、これさえ許せば妖魔は他を求めない。そう思っていた。今の今まで。
急に妖魔の秀麗な顔が近付いて、柔らかなものが軽く口に触れた。ここに来た時にされた口付けを思い出して妖魔の身体を押した。
「嫌、やっ……。離して。」
横を向いて抵抗すれば、妖魔は追ってこなかった。
ほっとしたのも束の間ちりっとした痛みが胸元にはしる。
軽く噛まれたようだ。今まで首以外に触れてこなかったのに、どんな心境の変化だろう。胸に顔を埋めている妖魔の頭を押し退けようとするが、全くといっていいほど動かない。
「血も甘いですが、唇はもっと甘い……。」
妖魔は恍惚とした表情でレイラを見上げた。
その情欲に濡れた紅い瞳に戸惑う。
「貴方、私をどうしたいの?」
「どうなんでしょうね。私も分からなくなってしまいました。リリス様は美味しくて甘くて、どこもかしこも柔らかで気持ちが良くて。そして、すごく良い匂いがするんです。」
どこかで誰かが言っていたような台詞だった。
「安心してください。まだ理性は保っていますから。そろそろ、危ない気はするのですが。」
つー、とレイラの背中を妖魔の指がなぞる。
ぞくりとして鳥肌が立った。
(これが貞操の危機ってものかしら。)
妖魔の理性が保っている間に脱出計画を完成させることにした。
愛してもいない人と初めてなんて御免だ。




