ある満月の日の夜の話
年に何度か、従姉妹と会っていた。
四歳年下のニーナ・シーウェル。彼女は綺麗な金髪と青紫の瞳が美しい。顔立ちは綺麗というより愛らしいという感じの少女だ。
ニーナの妹のエリシアはエリオットと同い年で、とにかく気の強い娘だ。ただ、傲慢なだけではなく努力家で頭が良い。
ある時、ニーナに好きだと告白された。
ただシリルはニーナを恋愛対象として見ていなかった。
親戚の女の子。そう思っていた。
だから、謝ることしかできなかった。
ニーナは玉砕覚悟で来たから大丈夫だ、そう言っていたが、次の日泣き腫らした目で笑っていた。
そして、学院生活もあと少しとなった十八歳のある日に家に呼び戻された。
どうしてなのか分からなかったが、至急帰ってこいと手紙に書いてあったので、急いで帰ると。
壊れたように泣き続けるニーナがいた。
話によれば、仲の良い友達と町に出たときに誘拐されたらしい。
シーウェル家は男爵家なのでその所為だろう。
しかし、友達は平民であった為に散々男に嬲られた末、最期は狂って殺された。
ニーナが無傷だったのは身代金をせしめるための人質だったからだろう。
一週間、友達が狂っていく様を見続けたニーナは狂ってしまった。
話しかけても、泣くか、怯えるかそれとも狂ったように笑うかだけだった。
だが、シリルが話しかければ返事を返してくれた。
毎週末、家に帰っていた。
学院のあるトリフェーンの隣のジェイドに実家はある。
毎週末は疲れたが、大切な従妹を助けるためシリルは通った。
そして段々ニーナが元に戻ってきた頃だった。
「誰にも責められないから辛いの。」
そう言って、毎日泣くようになった。
叔母さんも、死んだ友達の両親も、誰もニーナを責めなかった。
ニーナに悪いところは無かったから。
それでも、彼女は泣いていた。
シリルはずっと頭を撫で続けることしか出来なかった。
ニーナが悪い。と言っても彼女は泣くだろう。
ニーナは悪くない。そう言っても彼女は泣くだけだ。
金曜にジェイドの実家に帰り、土曜に実家から少し離れたニーナの家に行っていた。
そんなある日、金曜に学院から実家に帰って眠りにつこうとした時、胸騒ぎがした。
早くニーナに会いに行かないと、そう思って夜の町を走った。
男爵邸に着いたのは夜中だった。
仲の良い使用人に頼んで、ニーナの確認に行ってもらった。
すると、ベッドはもぬけの殻だった。
町中の人がニーナを探すが見つからない。
シリルも町中を見て回ったが、何処にもいない。
泣きそうになった時に、初老の男性に話しかけられた。
「どうかしたのか?」
「女の子見ませんでしたか? 十四歳で金髪、青紫の瞳の女の子です!」
すると、男性は考え込むように目を伏せた。
男性が顔を上げるまで、シリルは震えていた。
また、拐かされていたら。殺されていたら。
それとも、自分でその命を……。
顔を上げ、シリルと視線を合わせた男性は、森を指差した。
「あの森を真っ直ぐ進んだところにある、古びた館の最上階の露台にいる。」
なぜ、そんなに細かいところまで知っているのだろう。
この男性が誘拐したのでは?
そう思った。しかし、男性の紫水晶の瞳を見ただけで、不信感はすぐに晴れた。
「ありがとうごさいました!」
男性の瞳は、ニーナが昼間に見せる瞳の色みたいだった。
そこからは全力で走った。
森を駆け、古びた館の中も走って最上階に向かう。
最上階は部屋が一つで、迷うことなく露台への扉を乱暴に開く。
人影が見えて、安堵する。
急いで駆け寄ろうとして、気付く。
その人影、ニーナは露台の柵の向こう側にいた。
「ニーナ、なにしてる。冗談はやめろ。」
努めて冷静に話しかける。
振り返ったニーナは驚いたように目を丸くした後、ふっと儚い微笑みを浮かべた。
「わたし、もう耐えられない。逃げたいの。辛いの。」
青紫の瞳から大粒の涙が零れる。風に揺られる金糸のような髪は満月に照らされ光輝き、儚い表情と相まって、より脆く危ういものになる。
「でも、最期に会えて良かった。みんなにありがとうって伝えておいて。許してね。」
最後に浮かべた微笑みはいつか見た笑顔。
狂ってしまう前のニーナ・シーウェルだった。
「やめろ! 」
シリルが距離を詰めようと走る。
しかし、同時にニーナは露台から身を踊らせた。
それでも必死に手を伸ばす。
ニーナの指に触れた。だが、次の瞬間には彼女は暗闇に溶けていった。
柵に寄りかかりながら、崩れ落ちる。
「な、んで……。」
橄欖石の瞳から涙が溢れる。
満月の夜は、自分の力の及ばなさを再確認する日だ。
自分に出来ることはする。出来ないことはしない。
選択を間違えないように、怯えながら過ごしている。
苦しい。辛い。泣きたい。
そう思った時、声が聞こえた。
「先生?」
澄んだ声に呼ばれるように目を覚ます。
目を開けると、紫水晶の瞳の少女が心配そうにシリルを覗きこんでいた。
「ヴィンセント?」
掠れた声で喋ると、レイラは頷いて頭を撫でてくれた。
「うなされていたようなので、叩き起こしました。」
その言葉に思わず笑みが溢れる。
夜、この少女には迷惑をかけてしまった。
女性の胸に顔を埋めるなんて、とてつもない失礼なことをしてしまった。
レイラを抱き締める許可を貰ってからというものの、シリルは『妹』という存在の素晴らしさを感じている。
最近は抱き締めた時のレイラの体温と匂いで落ち着いてしまうようになった。
今、レイラが何かに困っていたら助けたいと思う。
トリフェーンでは兄の代わりにシリルが守ると約束した。
シリルは出来ないことはしない。だから、今度は必ず守る。
化け物だろうが、貴族の馬鹿共だろうが関係ない。
大切に大切にして、守り抜いてみせる。
この役目は誰にも譲らない。
見上げた窓には綺麗な満月が輝いていた。




