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妖魔と暗闇のなか

あっさり妖魔に捕まってしまったあの日からレイラは何度も脱出を試みた。しかし、どれもこれも上手くいかない。

窓を割って外に出ようとすると、それまで美しい庭園の風景が広がっていたはずなのに、硝子のなくなった窓枠の向こう側は真っ暗闇で果てが見えなかった。

試しに飛び降りてみようとすれば、どこからか妖魔が現れて「死にたくないなら止めておいた方がいい」と言った。

部屋の出入りは自由だと分かった三日目以降は、部屋の外に出て隅々まで見て回った。

廊下の窓を割ってみたり、他の部屋を片っ端から調べてみたり、部屋を燃やしてみたりと色々やってみたが、それらは何の効果も見せなかった。

ここはあの神殿のようなものだろう。

シトリンがシャーロットを閉じ込めるために創った異界。

あそこは『神子』という役割をもつ事が出来る人、アドルフやアリアなどを除いて内側からの干渉が出来なかった。

神殿に比べるとここの異界は規模が小さい。

この異界を管理しているのは十中八九あの妖魔だろう。

となると、ここから出るには妖魔の力が必要だ。

「今日は動かないのですか?」

「ええ、疲れてしまったの。今日は休むわ。」

今日も今日とて、突然現れた妖魔に目を向けることなく返す。

目の前の机にことりと食事が置かれる。

ふい、とそれから目を逸らしてレイラは膝を抱えた。

「食べてください。」

「私、食欲ないの。無理に食べたら気持ち悪くなって吐いてしまうわ。それに、何が入っているか分からないようなもの食べると思っているの?」

綺麗な笑みを浮かべてレイラは言った。

食欲がないというのは本当だ。

ここに来てからレイラは全く空腹を感じない。

おそらく毒を使われたせいだろう。あれから何度か吐いている。

その時ピシッと鋭い音がしてスープの入っていた器が割れた。

机の上にスープが流れて、机の端から絨毯へと落ちていく。

深紅の絨毯がじわりじわりと暗く紅く染まっていく様子をじっと見つめた。

「そうですか。」

感情を感じられない声が聴こえて顔をあげると、不気味なほど笑顔な妖魔の顔があった。どちらかというと、必要な時以外は笑顔なんて浮かべない妖魔なのに。

「食べてくださらないと、貧血で倒れてしまいますよ。」

「貴方が私を食べなければいいでしょう?」

丸く太らせて、美味しくしてから食べたいだけなのだ。

思い通りになんて、なってやるものか。

肉の消えたレイラの骨でもしゃぶればいい。

「それは無理です。あの噂は本当だったようで、一日に一回はリリス様から血を頂かないと狂ってしまいそうだ。勿論、血でなくとも構いませんがね。」

血でなくともレイラの体液であれば何でも良いらしい。

あまりべたべた触れられたくないため、嫌々だが血を与えている。少なくとも、あんな無理矢理に口づけられるような事にはなりたくない。けがされたような気になったから。

「どのくらい貴方に付き合えばいいの?」

「それはお嬢さまに訊いてみないと。閉じ込めておけとの命令ですので。」

閉じ込めておけなんて、もしこの事がばれたらどうなるか分かっているのだろうか。ほぼ庶民とはいえ、仮にも王族にしていい仕打ちではない。

「私がいない間に、シリルに付け入るつもりかしら。無駄ではないの? 簡単に愛情を切り替えられるとは思わないもの。」

真面目なシリルのことだ。あの時こうしていればとか、もっと考えていたらとか、責任を感じて簡単にはレイラを捨てられないだろう。

「こちらとあちらでは時間の開きがありますから。」

そうだ。神殿も内と外で経過時間のずれがあった。

この異界の時間はどんな風になっているのか。

「向こうでは既に一月経っています。それだけあれば、いくら頭の弱いお嬢さまといえど弱りきった彼に付け入ることも出来るのでは?」

「一月も……?」

死んでいる、力の無くなった器に他のモノが入り込んで壊れてしまっているだろうからと思われるかもしれない。

「私は生きているわ。壊れてもない。だから、」

だから、大丈夫だと続けようとしたレイラの言葉を妖魔は切って捨てた。

「期限付きの身体で何を仰っているのですか?」

どっちしてもレイラがここに来て二週間弱も経過している。あと少しで力が枯渇した時の初期症状が出てくるだろう。

自力で動けなくなると、次は自我さえ消えてしまうのだ。

そんなもの、もう生きているなんて云えない。

「私が死んだらどうするつもりなの。」

「死なせません。魂を縛りつけて空いた隙間を黒く黒く染めて差し上げます。」

昨日も噛みつかれて治りきらない傷に息がかかる。

それが不快で仕方なくてレイラは顔を歪めた。

「私以外なにも入らないように、ね。」

また、いつものように食べられる。それに慣れてしまったけれど、痛いものは痛いのだ。物語に出てくる吸血鬼だと、血を吸われた時に快感を得られるらしいが、あんなの物語の中だけであって、現実はかなり、とんでもないくらい痛い。

つー、と凸凹とした傷を指先でなぞられる。

引き攣れたような痛みがして生暖かいものが流れていく。

なんてことだ。傷が開いてしまった。

どうせ噛まれたら傷が開くもくそもないわけだが、無駄に痛みを受けてしまった。痛いのは大嫌いなのに。

「いっ……。」

じわじわと歯が食い込んでいく。

溢れ出た血をひと舐めして妖魔は満足そうな吐息を漏らした。

(気持ち悪い。痛い。)

まだ、シリルに綺麗だと言ってもらえるのだろうか。

知り合いでもない男に噛まれて舐められてキスまでされて。

(犯されていないだけ良かったと思わないと。)

レイラは恵まれている方だ。

性的な欲求を満たす目的で連れ去られていないし、食事だって豪華なものだ。風呂もあって服もベッドも上質なもので全く困っていない。

まだ綺麗でいられている。

どくん、どくん。と心臓が鳴って、熱い血が全身を駆け巡るような感覚を覚えた。

大丈夫生きている。だから、やれることはある。


◇◆◇


「くそっ!」

がんっ、と近くにあった椅子を蹴飛ばした。

こんなことをしても意味がないと分かっている。

分かっているのだが、どうしても堪えられない。

(冷静に、落ち着け。)

激情を抑えるように目を固く瞑る。

レイラが居なくなって、もう一月半も経ってしまった。

王族側からも五柱の神側からも力を借りて捜索を続けているが、収穫は全くない。

器が空になったレイラが正気を保てるのは一月程度まで、リミットはとうの昔に過ぎている。諦めきれないのは彼女の精神力や図太さが並みではないからだ。

それを信じることしか、無力なシリルはできなかった。

今のシリルに任されている事は、レイラの存在を感じることだ。長く側にいたシリルの方が、危機を感じたレイラの声が届く可能性があるらしい。

だから、静かな森の家でシリルは日々を過ごしていた。

ここに来るのはアドルフやメリル、王族お抱えの『目』くらいなものだ。あとは精々、アルヴィンといった魔法使いしか立ち入らない。

立ち入らないのだが、この日は違った。

ぎぃ、と軋んだ音を立てて勝手に扉が開かれた。

扉の隙間からこちらを覗くのは、ワンピース型の制服をまとった学院の生徒だった。おそらく医療科の生徒だろう。授業が終わっているのはそれくらいだ。

一瞬だけ、その生徒の茶色の髪が前のレイラの髪色と重なって、視線が引き寄せられたが翠の瞳を見てはっと目が覚める。全然違う人だ。

「先生?」

「ハーシェル、なんでこんなところに?」

ここは、メリルが貸してくれたレイラ捜索の為の拠点だ。

学院の裏手にある森に隠されるようにして建っているのだが、生徒に見つけられてしまったらしい。

見つけられた以上、どこか他の場所を探さなくてはいけないだろう。アドルフが突然現れた時に騒がれる。

「ここは立ち入り禁止だ。看板があったはずなんだけどな。」

「す、すいません。散歩してたら……。」

「興味を持つのも理解できる。でも、ルールは守れ。」

「すいません……。」

駄目だ。今は気が立っている。

さっさと出ていってもらわなければ、当たってしまう。

片手で目元を覆って深呼吸する。

「辛いんですか?」

ハーシェルの出した小さな声も、静かな家の中には響く。

「……森の外まで送る。」

「悲しそうな顔をして、なにが先生をそんな」

「ハーシェルには関係ないことだ。だから大人しく外に出ろ。アスティン先生には言わないから。頼むから出ていってくれ。」

最後の方は懇願のような響きになってしまった。

もしかしたら、こんな問答をしている間にレイラは声を上げているかもしれない。聞き取れないくらいの声で助けを求めているかもしれない。それを邪魔をされたくない。

「また、ここに来ます。」

「来るな。来なくていい。」

「来ますから!」

大きな声で宣言して、ハーシェルは森の中に消えていった。

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