リリス・シトリンの扱い
ソフィア・ファレルの騒動から数日。
レイラはジェイドで平穏な日々を過ごしていた。
結局あの騒動の後、ファレル家当主がフィンドレイ邸にやって来た。
真っ青な顔でレイラに何度も頭を下げた当主は、一体どんな話をヴィクトリアにされたのだろう。ついでにソフィアにもしっかりと説教してきたと言っていたヴィクトリアだけが、その場で唯一にこにこと笑っていた。
レイラは貴族に平謝りされて、ただただ恐縮するだけだった。あんなに居心地の悪い時間は中々味わえない。
騒動後は、初めてシリルの両親と食事をしたり、邸内を案内してもらったり、とシリルの生まれた家でシリルの影をそこかしこで感じることが出来た。
特に鍛錬場はミラとの勝敗を毎回壁に彫っていたらしく、六年前からようやく勝てるようになったことを知ったのだ。
それを語るシリルの目は遠くを見ていた。
充実した日々を送るレイラの前に、突如アドルフが現れた。
「お祖父様? どうしたの?」
「セオドアがお前を呼んでいる。」
なぜ、王様がレイラを呼んでいるのだろう。
孫の顔でも見たくなったのだろうか。
「どうして?」
「『リリス・シトリン』についてトリフェーン以外にも広まってる。お前の意見を聞きたいそうだ。まったく、あの王子も面倒なことをしてくれる。」
アドルフは眉間に皺を寄せて言った。
どうして、皆信じてしまったのだろう。馬鹿らしいと一蹴してくれたらどんなに良かったか。やはりジェフリーの余計な口出しが原因だろう。今度会ったときは覚悟してもらわねば。
「レイラじゃ駄目なの?」
「ああ、リリスに戻った方が良い。」
「名前……お母様にもらったものなのに。」
『レイラ』はアリスにもらったものだ。
勿論、アリアとルークがつけてくれた『リリス』という名前も嫌いではない。ただ、物心ついてからずっとレイラと呼ばれていたから、なんだか慣れないというだけなのだ。
「挟めばいいだろう。それで、さっさと婚約してしまえば良い。お前がリリスだと発表すれば貴族連中が目の色変えて求婚してくるだろう。リリスと同時にシリル・フィンドレイとの婚約を同時に発表すれば良いんじゃないか?」
名前を挟むのは名案だが、婚約云々は両家の意志がなければ駄目だろう。『結婚を前提に付き合っている』だけなのに、勝手なことは出来ない。
それに、リリスに戻ることもレイラ一人では決められない。
貴族社会を煩わしく思っている節のあるシリルに、『リリス』は要らないと思われてしまうかもしれない。あり得ないとは思うが。
「シリルに訊いてみないと。」
「そういえば、彼はどこにいる?」
「どこにいるのか分からないわ。」
用事があると言って出ていったきりだ。
「お前を放置して?」
険のある声にレイラは小首を傾げる。少し考えて思い付いた。
(ああ、護衛のくせにってことかしら。)
心配性のアドルフに苦笑する。
フィンドレイ邸に忍び込む馬鹿はそうはいない。
使用人もアルフレッドやヴィクトリアの指導により、士官科の生徒並みの戦闘力だ。侵入してきた者は死にに来たとしか思えない。
「屋敷のどこかにいるとは思うけれど……でも、やっぱりそういう、婚約とかはまだ早いと思うの。卒業まであと二年はあるもの。」
早くに発表してしまうと、シリルがどんな中傷を受けるか分からない。レイラはどう言われようと構わないが、シリルに何か言われるのだけは嫌だ。
そんなレイラの思いと裏腹に、アドルフは真ん丸に目を見開いて信じられないといった表情を浮かべた。
「待て。まさか卒業までいる気か?」
「駄目なの?」
「駄目とか、そういう問題じゃない。馬鹿だ。第一、お前はもう強くなる必要がない。シリル・フィンドレイがいるだろう。それに『言葉』の力も消えた。」
馬鹿と言われて少しむっとしたが、全くもってアドルフの言う通りだ。
「……忘れていたわ。力がなくなったのに。」
元々、『言葉』で殺してしまうのが不公平だと思っていたから、強くなろうとしていたのだった。力の失くなった今、確かに強くなる必要はない。
(学院に戻ってからは無駄な時間だったの……。)
理解すると、身体から力が抜けた。
「おい!」
ふらついたレイラの身体をアドルフが支える。
「ごめんなさい。お祖父様。」
全てが無駄ではないとは思える。友人との交流も出来ていたし、学院でレイラに足りない能力を付け足すことが出来た。
しかし、『強くなりたい』という願いの根幹がなくなってしまったのだ。虚脱感にも襲われる。
「……今から王宮まで行けるか?」
「ええ、私は大丈夫。」
それから少しして部屋に戻って来たシリルに特に説明をする事なく、アドルフは『言葉』を使ってレイラたちを移動させた。
◇◆◇
いつかに来たセオドアの執務室に、六人の人間がいた。
部屋の主であるシトリア国王、セオドア。
王太子ライアン。レイラの父親のルーク。移動してきたアドルフにレイラとシリル。これだけの人数がいると広いはずの部屋も狭く感じる。
「本当に良いの? 僕はリリスが帰ってきてくれるのは嬉しいけど、無理にってわけじゃない。」
「皆、私のことをリリスだと思っているみたいなので……。言うことがころころ変わってすいません。お願いします。」
このままだとセオドア達の迷惑になる。
最初から文句を言わずにこうしていれば良かった。
(私は相当な馬鹿だわ。)
しゅんとしているレイラを見て、申し訳なさそうな顔をしたライアンが口を開いた。
「ジェフリーの所為ですね。兄上、リリス。うちの馬鹿息子が……本当に申し訳ありませんでした。まさか、リリスに執着するなんて命知らずな真似を。」
「リリスは天使みたいに美しいんだから仕方ないよ。でも、あの程度でリリスを口説こうなんて愚かとしか言えないよね。ねぇ、君もそう思うだろう? シリル・フィンドレイ。」
「は、はは……。」
ルークに同意を求められたシリルは引き攣った笑いを浮かべた。
勝手に王宮へ連れて来られた上、王子にいびられている。
いい加減、愛想をつかされそうなものだ。
ここ最近迷惑だけしか掛けていない。
「公表と同時に婚約が良いだろうと思っている。」
「冗談きついよ陛下。リリスにはまだ早い。」
親馬鹿というものだろうか。ノアと同じ種類のようだからルークも思考回路がおかしい人なのだろう。レイラはもう成人の区分なのだが。
「ルーク……。それなら二択だ。ジェフリーとその他大勢か、そこにいるシリル・フィンドレイか、選べ。どっちが良い?」
「ウォーレン・ヴィンセントは? 彼ならリリスに手を出さなさそうだから、良いと思うんだけど。」
ルークの言葉シリルはにぴくりと眉を動かした。
口元は笑っているが目は笑っていない。
周囲もそんなシリルの様子を見て、呆れた顔をルークに向けた。
「手を出す出さないの話じゃない。彼女の気持ちも考えろ。それに、公表した後は求婚者がボウフラの様に湧いてくる。そいつらを片っ端から片付けられたら国が崩壊してしまう。その分、シリル・フィンドレイならお前でも始末できないだろうと思ってな。アドルフもそう言ってる。」
「始末……。」
ぽつりとレイラは呟いた。
殆ど会ったこともないルークがここまで父親面してくるとは、始末するなんてアリアに対してならまだ理解できるが、娘までとなるとぞっとする。
「彼女に嫌われる前に諦めた方が良い。見てみろ、あの軽蔑しきった顔を。天国でアリア姉さんも呆れてる。」
「リリスが僕を嫌うわけ……ない?」
余裕の表情で振り返ったルークはレイラの顔を見て、固まった。
「ごめん!ごめんねリリス! 違うんだ! 少し彼に意地悪したくなっただけで!リリスは僕の大切な大切な娘だからまだ誰にもあげたくない……。」
半泣きで飛び付いてきたルークを抱き止めきれずに床に尻餅をついた。言い訳をする前に周りを見てほしい。お尻が痛い。




