嘘つきと吠える道化
「シリル様の嘘つき! 誰ですその女!」
きゃんきゃん、と威勢よく吠える少女を呆気に取られて見つめる。こんな場面を何度か視たことがあった。男と女の修羅場だ。立ち位置的にレイラがビンタされるのだろうか。
レイラなら迷わず男を引っ叩くが、このお嬢様っぽい人はレイラをぎらぎらしている目で睨んでいる。これはレイラが引っ叩かれる。
「嘘つきと言われているけれど?」
「俺は嘘つきじゃない。」
烈火のごとく怒り狂う少女を羽交い締めにしているのは、おそらく護衛か何かだろう。あんなに暴れる少女を押さえつけるにはかなり力が要りそうだ。
「認知するの?」
「だから、そういう行為はしてないって。」
そう言われても、シリルは彼女を知っているようだ。
流石に子供がいるとは思っていないが、何かしらあったはずだ。『嘘つき』という言葉に心当たりがあるような顔をしている。
「何かあったの?」
「俺は何もやってない……。」
ふむ、『俺は』というのはどういう意味だろう。
レイラは少し不愉快になる。
「殿下の話をまともに聞いておけば良かったかしら。王子の妃の方が楽しそうだもの。暗殺者と遊べるみたいだから。」
王宮にいたら憂さ晴らしは嫌というほど出来るだろう。
そんなレイラの冗談にシリルは疲れた顔をして言った。
「やめろ。ちゃんと説明するから。」
「分かったわ。」
大人しくベッドのふちに座る。シリルも隣に腰を下ろして、未だ暴れ続ける少女を眺めながら話し始めた。
「彼女はエリシアの妹分のソフィア・ファレル。彼女が七歳くらいの時に本気か分からないけど求婚されて、俺より強くなったら良いよって言ったんだ。子供相手だったから。まさか、ここまで思われてるなんて思わなかった。」
げっそりした様子のシリルの肩をぽんぽんと叩く。
「シリルも意地悪だわ。私、前より弱いもの。」
レイラではソフィアも納得出来ないだろう。
もっとミラのように強くて凛とした女性ならともかくとして。
「初日だけで結構知り合いに会ったしな。どっかから話がいったんだろ。レイラの見た目は儚げだからな。見た目は。」
「……どうするつもり? エリシアさんの大事な人なら上手く諦めてもらわないと。私が関わると拗れるからシリルだけで何とかして頂戴。」
突き放すような言い方をしてしまった。
だが、拗れて面倒なことになるのは御免なのだ。
ここはシリルの腕の見せ所。黙って終わるのを待とう。
のそのそとレイラはベッドの中に潜り込む。
自分の好きな人を好きな人がいるというのは、あまり良い気分になれない。しかも、エリシアの知人なら彼女は貴族だろう。血筋はともかくレイラは育ちで勝てない。シリルの両親だって、シリルを貴族と結婚させたいだろう。
と思ったが、表情を見る限り貴族に拘りはなさそうだ。吠える少女を非常に迷惑そうな顔をして見ている。
思い出した。フィンドレイは規格外の一族だった。
「シリル様! その女とはどういう関係です!?」
「恋人だ。結婚したい人で好きな人。」
そんな風にはっきり言い切られると照れる。
真っ赤に染まっているであろう頬を両手で押さえた。
「どうして! その女、弱そうですわ! 私と彼女なにが違いますの?」
「弱くない。姉さんと同じ総合科に入れるくらいだからな? 分かったなら、帰ってくれ。気持ちはありがたいが、彼女に勘違いされたくない。」
レイラはシリルを信頼しているのだが、シリルは心配しているのだろう。前にレイラがすれ違うのは嫌だからゆっくり話せる相手が良いと言ったから。
「なんで、なんで!? 嫌よ! 私ずっと、ずっと好きだったのに。なんでこんな、こんな時に呑気に横になってる女なんかに!」
見事な修羅場だ。ただ、シリルとソフィアの温度差があるのが気になる。シリルは憧憬だと思っていたから何の感情もないみたいだが、ソフィアの感情は本物だ。
大変そうだな。とレイラは呑気に眺めている。
「強いだろ? 俺には出来ない芸当だ。」
ははは、とシリルの乾いた笑いが響く。
でも、レイラを見る目は優しい。
そんなシリルの様子に従者は悟ってソフィアの説得を始めた。
「お嬢様。諦めましょう!」
彼女の年齢的にも、今が結婚適齢期だろう。貴族なら。
いつまでも一人に固執していては出遅れる世界だ。
だが、ソフィアは従者の言葉に首をぶんぶんと振って、駄々をこねる。気持ちは分かる。分かるが、
「嫌よ! 諦めるくらいなら、貴方を殺して私も死ぬ!」
その台詞はいただけない。
出来ないことを言っては駄目だろう。シリルの腕は国で五指に入るレベルだ。殺すのは諦めた方が良い。無駄だ。
少しずれた思考をレイラがしていると、ベッドが揺れた。
「レイラさんは落ち着いてるわね。」
そんな声がして、ごろりと横に寝転がるヴィクトリアがいた。
近くで見ると凄まじい美女だ。流石シリルの母。
ほわほわとした笑顔にレイラも頬を緩めた。
「多分、今はシリルの心が私にあると確信できているので大丈夫なんだと思います。今後の事は……まだ分からないですけど。」
未来のことは分からない。だが、今はお互いがお互いしか見えていないのがよく分かる。穏やかに時間を共有できているのだ。
「ふふっ。微笑ましいわね。暇だし女同士ゆっくり話しましょう? 恋の話は主人が付き合ってくれなくてつまらなかったの。」
「はい、是非。」
「早速だけど、シリルのどこを好きになったの?」
どき、と心臓が跳ねる。少し考えてから口を開く。
「笑顔が綺麗で、眩しかった……からです。」
一番はそこだと思う。初めて会った時から、シリルの太陽のような笑顔が綺麗で、惹かれていた。ありきたりだとは思うが、他の話は長くなりすぎる。
(優しくて、私なんかを守ってくれて、怒って止めてくれる。なんて、一日で話し終われる気がしないもの。)
恥ずかしいが、結婚を前提としているのだ。
シリルの母ヴィクトリアにはいつか全部話したい。
「他にもたくさんあります。でも長くなるので。」
「何となく分かったわ。貴女よりあの子の方が嵌まっていそうね。大丈夫だと良いんだけど、将来大変そうね。」
そう言って、ベッドから下りたヴィクトリアは戸惑うレイラに微笑みを向けた。
「嵌まって? どういう意……」
「ヴィクトリア!」
「母さん!」
そんなシリルとアルフレッドの声、そして鋭い音と気配にレイラは咄嗟に動いた。目の前のヴィクトリアに飛び込んで押し倒す。
ざっ、という音が耳元で聞こえて血の気が引いた。
ちりちりとした痛みを耳に感じた。はらはらと銀色の髪が宙を舞う。
どす、と少し向こうの床に突き刺さった短剣があった。
押し倒したヴィクトリアと二人でそれを見つめる。
「あああああ!! 申し訳ございません!」
顔色が真っ青になった従者が必死に謝っているのを見て、何となく状況を察した。辺りを見回せば呆然としているソフィアとほっとしているアルフレッドと、無表情のシリルがいた。
おそらく、騒動のどこかでソフィアが短剣を取り出したのだろう。それが何かの弾みでこっちに飛んできた。しかも丁度ヴィクトリアのいる位置に。
顔色の悪くなったヴィクトリアを起こして、レイラは立ち上がった。その時にぽたりと耳から血の雫が落ちた。
「レイラさん! 血がでてる!」
悲鳴のようなヴィクトリアの声に痛みを思い出した。
耳に手をやるとぬるりと生暖かい感触がある。
まあ、耳なら死ぬこともないから大丈夫だ。
ヴィクトリアを安心させるために少し笑って言った。
「大丈夫です。顔じゃないので。」
レイラの言葉を最後に声が途切れる。そして、静かになった部屋に淡々としたシリルの声が響いた。
「わざと、だな?」




