赤髪の男と特別授業
総合科といっても、普段は他の科の授業を選択して月に少なくて四回、多くて七回の特別授業があるということらしい。
だからシリルが、自分はただの引率だと言っていたのか。
シリルも普段は士官科の生徒を指導しているらしい。
授業が始まりもう二週間になる。最初の頃は体が慣れなくて、中々疲れが取れなかったが、今では体が不調を訴える事も少なくなった。
今日はいよいよ始めての特別授業だ。
夜まで一日中警官について街を回るらしい。
ミハイルやジェラルド、アルヴィンになると警官無しでも良いらしいが、最初のこの月は一、二年生には警官と先輩を一人付けるのが毎年の恒例らしい。
班分けは、ミハイルとアルヴィン。エリオットとジェラルド。レイラは何故かシリルとだった。
どうしてなのか理由を聞けば、ウィラード・シャルレがいつ来るか分からないから。らしい。
それなら、アルヴィンでも良い気もするがシリルいわく、レイラがウィラード・シャルレにムカついて『言葉』を使った時に、例の事件が起きる可能性があるから、らしい。
確かにアルヴィンは『言葉』については知らない。
心肺停止の人がいれば、前のように事件が起こるだろう。
もう少し、レイラが学院に馴れてから他の生徒と組ませるつもりだ、とシリルは言った。
街を歩いていると、警官が不審な男を見つけたらしく職務質問をしに行った。レイラはその不審な男を観察する。
今後は不審な人を肉眼で見極められるようにならなければ、いつも『瞳』に頼ってはいけない。
そう思うのだが、今も仕立て終わったばかりの制服に手が当たってたまに視える。
この学院の女子制服は無駄にスカートが広がっていて、こんなので戦えるのか? と思っていたが、理事長が新しい制服を二つ贈ってくれた。
一つは、この間のシリルが着ていた正装を女性用にしたものだ。色も白が基調で襟には青い糸で刺繍がされていた。青い大きな石の付いたスカーフは前の制服と同じだ。スカートも膝丈で恥ずかしいと理事長に訴えたが、
『私が前に居た国では、もっと短い制服もあったよ。』
と言われ、そのままだ。
いつか、何処かで派手なあれを着なければいけない。
憂鬱だ。
そして、もう一つは正装のように後ろの丈の長くない普通の上着とこちらも膝丈のスカートだ。太ももまである靴下がなければ恥ずかしくて部屋から出れない。
これも白が基調で青の縁取りがしてある。
学院の制服は全て白い。汚れが目立つとシリルに言うと。
『怪我したら、すぐ分かるだろ。血で。』
と返された。士官科では怪我は珍しいことではない。レイラも何度か怪我をした。
これには、成る程と頷いておいたが、他の学科の女の子には要らないと思った。
今ではシリルともとの関係に戻れた。
夜のお茶会はあの日から習慣になっている。
牢屋のような、あの屋敷から飛び出るようにしてメリル学院に来たが、良い人に会えて良かった。
あの日からシリルが真顔で「抱き締めさせてくれ。」と言うようになり、最初は唖然としてしまったが、シリルには妹がおらず、せめてレイラを妹代わりにして慰めにしたい。
と、これまた真顔で言ってくるので、思わず「少しなら良いですよ。」と言ってからというものの。
まるでノアのような感じになってしまった。
しかし、抱き締められるのは嫌いではないので、なすがままだ。
そんなことを思い出している間にも、警官は次々と職務質問をしている。
警官の観察を続けていると、足に何かがぶつかった。
振り返れば、小さな子供がいる。
辺りを見回すが、母親らしき人影がいない。
「先生。」
「どうした? って迷子か?」
シリルはしゃがんで子供と同じ視線になった。レイラもそれに倣う。
「君の名前は?」
「? くそがきって呼ばれるからそれが名前かな? あっ、しねかな?」
シリルの顔が歪んだ。レイラも驚く。
世の中には、子を虐待する親が大勢いるらしい。
この子供もそういった子供だろう。
そっと、子供の着ていた服に触れて視る。
そこには、この子供を蹴りつける女の姿だった。
お前が居なければ。くそがき。死ね。
呪いのように続く言葉を聞きたくなくて、レイラは『記録』の時間を変える。
『ねぇ。アーロン。私にはもう、あなたしかいないわ…。』
そう言って嗚咽を漏らす女を視て、ただ心が弱いだけだったのだろうと思った。それを視たところでレイラに出来ることはないが。
「アーロン・クラム。五歳。」
「ヴィンセント。視たのか?」
心配そうに聞いてくるシリルを不思議に思ったが、もしかするとモノの『記録』を再生することで、意識を失って倒れると思っているのかもしれない。
「こっちは大丈夫です。」
「そうか。良かった。」
本当に兄のようだ。ノアと同じような言動をしている。
ひとまず、アーロンという子供を近くの詰所まで連れて行き、詰めていた警官に預けた。虐待についてもそれとなく伝えておいたので、上手く対応してくれるはずだ。
夜になり、 街灯が灯り始める。
授業も終わり、何処かで夕食を食べて帰る事になった。
今の時刻は八時、食堂も閉まっている。
他の総合科生は街に散らばっている為、合流はせずに九時に校門前で集合らしい。
シリルがよく行く店で腹を満たし、学院に向かって歩いているときだった。
虚ろな目をした少女が怪しい男に手を引かれ路地に入って行くのが見えた。
なんとなく気になって、後を付ける。
「ヴィンセント? そっちは学院じゃないぞ。」
路地に入ろうとした所で、シリルに呼び止められる。
しーっと人差し指を唇に当てて、静かにと伝える。
首を傾げるシリルの手を右手でつかんで、左手を近くの壁に触れて、視せる。
「これ、なんだ?」
肌に直接触れれば、モノの『記録』を他人にも視せることが出来る。
身ぶり手振りで、少女の様子が気になるので後を付けたい、ということを伝える。
「……。分かった。俺から離れるなよ。」
溜め息を吐きながらだが、許してくれた。
そもそも、シリルが居なければ後を付けようとは思わない。
距離をとって、『記録』を視ながら後を付ける。
これなら、シリルのように上手く気配を消せないレイラでも後を付けられる。
しばらく歩き続け、人気のない川沿いの荒れ果てた民家に入って行った。
「とりあえず、警官に連絡だ。」
「はい。」
少女の居場所が分かれば、どうにか助けられるだろう。
そう思って、街に帰ろうとしたときだった。
「お前ら、そこでなにしてんだ!?」
ガタイのいい男に呼び止められた。この人はどこから湧いて出たのだろう? 気付かなかった。
その声が聞こえたのか、民家から人が出てくる。
明らかに普通の人ではない。闇の世界に生きる人だ。
あっという間に取り囲まれ、シリルに引き寄せられる。
「ただの散歩なんだが。なにか用か?」
「散歩なわけねぇだろ! お前、見たことあるぞ? 学院の教師だろ?」
さすがにシリルは顔が知られていたようだ。
そして、レイラも制服を着ている。
シリルがちら、と視線を向けてきた。
「えっと、俺たちは人には言えない関係でだな。」
ここは、話を合わせろ。ということだろう。
「ここなら、誰にも見つからないと思ったんです。」
「そんなわけねぇだろ! その教師に女が出来るわけあるか! 無理だ! 女性恐怖症って話じゃねぇか!」
そういう、個人的な話まで知られているのか。
握られている右手が痛い。先生陣に散々、女に免疫がないと言われていたが、ここまで広く伝わるものなのか。気を付けよう。
顔も凶悪になっている。
「ヴィンセント、後ろは頼んだ。殺すなよ。」
「分かりました。」
剣に手を掛け、シリルが抜くと同時に後ろの男を斬りつける。
できるだけ足を狙う。
レイラが二、三人倒す間に、シリルは既に五、六人も倒していた。流石だ。
「このまま、女の子も救出する。」
「はい。」
民家に向けて駆け出したシリルの少し後ろを走る。
そして、民家の前まで来るとシリルが中を確認してから慎重に入っていく。
レイラも後に続いた。
民家の中には少女と六人の男がいて、赤髪の男が少女の服を脱がせていた。あられもない姿にされた少女はそれでも虚ろな目だった。なにかの薬に犯されているのかもしれない。
「屑共が。」
その声にぞくりとした。
シリルのこんな声は聞いたことがない。恐ろしく冷たい声だ。
後ろにいる為、表情は確認できないが、声と同じように氷のような鋭い表情になっているだろう。
「おい。」
赤髪の男が顎をしゃくれば、他の男たちが前に立ちはだかる。
「ヴィンセント。あの子のそばに行けるか?」
「先生の援護があれば行けます。」
「分かった。そしたら、そのまま彼女を連れて逃げろ。」
「先生は?」
「後から行く。」
「分かりました。」
シリルが拳銃を取り出し、男の足に向けて撃ち込む。
二人が倒れ、その間を通って少女のそばに走る。
少女の前には赤髪の男が立ちはだかった。
「何しに来た?」
その質問には応えずに、スカートの下にある小刀を投げつける。
横に飛び退いて、起き上がった男は文句を言ってくる。
「あっぶな! この娘に当たったらどうすんだ!」
「そんなヘマはしません。」
男を睨み付けて、気付く。この男、誰かに似ている。
誰だろう。思い出せない。
考えている間に、シリルは男達を倒し終わったようで、
「早く女の子を。」
と言って、赤髪の男に向かっていった。
レイラは少女に駆け寄り、服を着せてから肩を揺する。
しかし、虚ろな目のまま、ぼんやりと虚空を見つめているだけだ。
ごめんなさい、と思いながら頬を平手打ちする。
すると、気がついたようで泣き始めた。
「ここはどこ?なんなの!?」
「私はメリル学院の生徒です。後で説明しますので、今は逃げましょう。」
泣きながら頷いた少女の手を引いて走り出す。
シリルは未だに赤髪の男と戦っていた。あの男が一番強いのかもしれない。
外に出ると、数人の男がいた。少女を背にかばいながら、二人倒し隙を見て逃げる。
「まっ、待って。そんなに早く走れない!」
「あと少しで人通りのある道に出ます。それまで頑張って下さい。」
大通りに出て、警官を探す。
見当たらない。近くの詰所に少女を連れて行く。
「すぐ戻るのでしばらくここに居てください。」
少女と詰めていた警官にそれだけ伝えて、もと来た道を戻る。
(あの、赤髪の男。気になる。)
変な感じがしたのだ。あの男を見たときに。
それに、シリルも心配だった。相手の人数は増えていたから。
◇◆◇
しくじった。逃げる道を間違えたようだ。
レイラと少女が出ていって、頭だろう赤髪の男を引き留めるのに残ったのは良かったが、そこから逃げる時に間違えて路地の行き止まりに入ってしまった。
大通りに出る近道を通ったつもりだったが、前の地図とは変わってしまったようだ。後ろは壁、目の前には怖い顔の男衆。さすがに逃げきれる気がしない。
「なんで学院の先生がこんなとこにいんだよ?」
赤髪の男が問うてくるが、こっちは逃げ道を考えるので手一杯だ。
静かにしてほしい。
「言えねぇようなこと、か。拠点に帰って吐かせるぞ。」
やれ、という言葉と共にガタイのいい男が向かってくる。
『圧巻』とはこういう光景に相応しい。
諦めて、剣の柄を握り直した時だった。
目の前にふわり、と金茶色の髪の少女が舞い降りてきた。
月明かりに照らされた姿は輝いている様に見えて、本当に女神の血を引いているんだな。とそんなことを考えた。
ちら、と向けられた紫水晶の瞳に不覚にも目を奪われてしまった。が、
「お前、スカートの中見えるぞ。気を付けろ。」
よく考えれば、けっこう際どいところまで見えていた。
「先生しか見えてません。平気です。」
前は押さえていた。と若干、得意気に言っているが、駄目だ平気ではない。
誰にも見えないようにしてほしい。
今度、きちんと教育しようと思うシリルであった。
◇◆◇
民家に戻ると、怪我人はいたがシリルは居なかった。
『記録』を視ながら、シリルの後を追ったが、彼は路地の行き止まりで囲まれていた。
ひとまず、建物の上に行ってから下の様子を見て飛び降りた。
スカートの中が見えると言われて、恥ずかしかった。
好きでこのスカートを穿いているわけではない。
「そこの赤髪の人。貴方は変な感じがします。何でですか?」
「聞きたけりゃあ、それはベッドの中でな。お嬢さん?」
お嬢さん? なんだか、あの妖魔を彷彿とさせる呼び方だ。
無言でもう一度観察するが、顔に見覚えがない。
あの妖魔と比べて、ガタイもいい。年齢も違う。喋り方も違う。
(でも、確かに雰囲気がウィラード・シャルレに似てるわ。)
赤い髪も、あの緋い瞳の色に似ている。
「貴方はウィル?」
一応、名前は言わずに何処にでもある愛称で聞いてみる。
「オレはクリスティアン・ベイカー。」
でも、と口だけ動かして人差し指を唇に当てた。
瞳も先程まで青かったのが緋くなっている。
(なるほど、妖魔は体も変えられるのね。)
「私はレイラよ。それで、貴方は何をしていたの?」
「お? 聞いてくれんの? ありがてぇな。」
以前に依頼を受けて、レイラの力を貸して欲しいと来ていたので、今回もなにか依頼を受けてなにかをしていたのでは、と思っただけだ。
「男爵令嬢が誘拐されたから助けてくれって依頼があったんだ。」
「なぜ服を脱がしていたの?」
「本人確認。背中にほくろが綺麗に三つ並んでるらしい。」
なるほど、そういう事だったか。
「分かったわ。ごめんなさい、勘違いをしてしまったわ。」
「まぁ確かに、こんな強面の男が女の子脱がせてたら勘違いするわな。」
『クリスティアン・ベイカー』に顔を近付けられ、のけ反る。
さらに、腰に手を回され引き寄せられた。
そして、耳元で囁かれる。
「さすがお嬢さんだね。外の追っ手を全部倒してくれてありがとう。」
そう言われた後、耳に息を吹きかけられる。
「やっ!」
足を思いきり踏みつける。
「痛って! 何すんだよ。もしかして耳弱いのか?」
「帰りましょう、先生。」
『クリスティアン・ベイカー』の言葉は無視して、後ろを振り返れば、無表情のシリルがこちらを見ていた。
「ああ。」
(先生?)
不思議に思う。シリルがここまで無表情なのは珍しい。
帰る前に少女を預けていた詰所に行くと、少女に抱き付かれた。
「な、中々帰って来てくれなくって! 怖かった!」
「すいません。」
周りには警官がいるのに怖いとは。
ウィラード達が救出するまでに何かされたのかもしれない。
一人で置いて行ってしまったのを申し訳なく思った。
学院に着いたのは十一時を過ぎていて、待っていたエリオット達には迷惑をかけてしまった。
部屋に戻り、風呂に入ってから、お茶の為にお湯を沸かしていると、シリルも風呂から戻ってきた。
黙ったまま椅子に座り、じっとレイラを見ている。
ポットにお湯を注ぎ、レイラも椅子に座る。
「今日はすいませんでした。勘違いで先生を危険な目に合わせてしまって。」
「別にいい。」
おかしい。シリルが笑わない。
それにいつもなら、もう一言二言は言うはずなのに。
「先生?お疲れですか?」
「いや。」
本当にどうしたのだろう?
コップにお茶を注いで渡すと、「ありがとう。」と言って受け取ってくれるが、どこか悲しそうな顔をしている。
レイラはいつもはゆっくり飲むお茶を一気に飲み干し、
「先生。今日はもう寝ましょう?」
そう言ってから、まだシリルが口の付けてないお茶を取り上げて、机の上に置く。
今度は反応もしなくなった。
「先生?」
すると、抱き寄せられた。
シリルは椅子に座ったままなので、レイラの胸にシリルの頭がある。
しばらく、旋毛をじっと見つめていると、
「悪い。少しだけ。」
と弱々しい声が聞こえ、腰に回された腕の力が強くなった。
「良いですよ。気にしないで下さい。」
落ち着けるかな、と思い頭を撫でてみる。
シリルの髪を触るのは、初めて会った日以来だ。
相変わらず触り心地がいい。
「少し思い出したんだ。昔の失敗を。」
「そうでしたか。」
昔の失敗とはなんだろう。そう思ったが、深くは聞かない方が良いだろう。
しばらくすると、いつも通りのシリルに戻った。
「面倒かけたな。 じゃあ寝るか。」
「はい。」
ベッドに入って灯りを消す。
しかし、胸がモヤモヤしてなかなか寝付けなかった。




