違和感とボンボン
この商店街に入った時点で目を付けられていたはずだ。
だから、シリルが戻ってくる前にとでも思ったのだろう。
大人しく路地へと付いて行く。大きな通りで騒ぎは起こせない。
女だと思って油断している今ならやれる。
「従順で何より。暴れられると疲れるからなあ。」
袖口に忍ばせてある小刀を手に握った。
「残念。私こう見えて――。」
男は計五人だ。これならレイラでも出来る。
まずは、と男の子を捕らえている男二人に目を留めた。
足を狙って思いきり投げつける。
油断していた二人の男はあっさりとレイラの攻撃を受けて悶絶している。
「人並みには強いの。」
狙ったところに上手く刺さって良かった。
今度はレイラを刃物で脅している男だ。
ぽかんとしている男から刃物を腕を捻って取り上げる。
断末魔のような叫びをあげた男の腕はあらぬ方向へ曲がっていた。どうやら力加減を間違えたようだ。
「ごめんなさい。つい。」
「何だよ……なん……! くそっ!」
そう言い捨てて走り出した残った二人の内一人へ向けて、奪った刃物を眼前、すれすれに投げる。がつ、と壁に突き刺さった刃物に男は腰を抜かした。投げ出された手を靴で遠慮なく踏みつける。飛び道具を使われては堪らない。これであと一人。
「ちくしょう! アンタは許さねぇ! よくも――っ」
そう叫んでレイラに男が突っ込んでくる。
ぶんぶんと無茶苦茶に男が振り回す刃を避けきれず腕に二ヶ所ほど傷を受けた。こんなことならあと一本くらいスカートの下に忍ばせておけばよかったとレイラは思った。
壁際に追い詰められ右から左からと襲ってくる刃先を、何とか反らしているがそろそろ限界だ。どうしようか。
心を殺そうとしたくせに、今は体まで殺そうとしている。
それなら――。
(そうだわ。殺される前に殺さないと……。)
芯がぶれた隙に男の腹に一撃加えてから距離をとる。
茫洋とする思考の中、スカートの中から短銃を出して撃鉄を起こす。
男の頭を狙って躊躇うことなく引き金を引いた。
◇◆◇
ぱん、と軽い音がして男が膝から崩れ落ちた、はずだった。
しかし、目の前にいる男は立ったままで驚いた顔でこちらを見ている。
レイラの持つ短銃の銃口は天に向けられていた。
だがこれはレイラの意思ではない。
後ろから近づいていた男性の手によって外された。
男性に後ろから抱きしめられるように腕を掴まれている。
短銃から手を離す、かちゃんと音がして地面に落ちた。
「貴女はなにをされて……。」
端から見たらレイラが暴れているように見えたのだろう。
だから、この男性はレイラを止めた。
右腕は痛いくらいの力で掴まれている。知らない人に。
はっとして振り払う。こんなに異性と密着したくない。
それにしても、
(おかしいわ。王都では躊躇したのに今は……。)
「ここで何をしていたんですか?」
男性の問いかけが右から左に流れていく。
(どうして、躊躇わなかったのかしら? 人を殺そうとしたのに私は……全く苦しくならなかった。前と同じ。やっぱり私は変われなかったのしら。力もないのに。)
引き金を引いた右手を閉じたり開いたりしてみる。
震えていない。
涙も出てこない。
それなら何故あの時、泣いてしまったのだろう。
あの時は人を殺すのが怖くて苦しくて堪らなかったのに。
「ね、聞いてる?」
突然、肩を揺さぶられて思考の渦から返る。
レイラと同じくらいの背丈の男性は怪訝そうにレイラを見ていた。この男性は誰だろうか?
まじまじと見てみるがレイラの記憶にない。
こてん、と首を傾げたレイラに「え……。」と言ったきり、黙りこんでじいっとこちらを見てくる男性に気まずくなって視線を逸らす。
かわりにレイラは殺し損ねた男に視線をやった。
殺し損ねた男はレイラと目が合うと息を呑んだ。そして、
「見るな! その瞳で見るなよぉ!」
そう叫んで、ずりずりと後退していく男の背後に影が現れる。
がつと重い音がして今度こそ男が崩れ落ち、倒れた男の後ろにスリを追って行ったシリルがいた。
どうやら、レイラを探しに来てくれたらしい。
「早かったですね。」
「……よく我慢したな。誰も死んでない。」
シリルによしよしと頭を撫でられて、褒められているような気分になるが、明らかに皮肉だ。やはり、勝手に動いたことを怒っているようだ。
帰ったらこってり絞られる。それに加えて、危害も加えられていなかったのに手を出した為『こってり』どころじゃないかもしれない。
「動いたせいですね。すいません。」
「別にいい。今度からお前も連れて行く。よく考えたらレイラもいた方が楽だしな。足速いから。」
「レイラって……もしかしてレイラ・ヴィンセント?」
男性の問いかけに、険しい顔をしたシリルがレイラの手を引いて背中に隠す。
知らない人に自分を知られているというのは、怖いものだ。一体、どうしてこの男性はレイラのことを知っているのだろう。
警戒心丸出しのシリルとレイラに、男性は呆れたような眼差しを向けた。
「そんな警戒しなくても……ってもしかして覚えてないのか!? デリックだデリック・エインズワース!」
「エインズワース……どっかで聞いた名前だな。確か、伯爵位があったような気がする。」
流石シリル、爵位のある貴族の名前は覚えているらしい。
しかし、レイラはその名前を聞いて眉を顰めた。
その名前に覚えがあったからだ。
ロードナイトでの殺伐とした日々を思い出す。
「エインズワース伯爵家の長男、デリック・エインズワースですか? 私の知っている彼とは随分違いますね。彼と会ったら、苛つくか、鳥肌が立つ筈なんですが。」
あの貴族が嫌いになった元凶。デリック・エインズワース。
デリックの顔はもう記憶の彼方にある。
目の前の男性とデリックを繋げるのは難しい。
雰囲気が違いすぎる、というのもあるが、嫌いすぎて無意識に記憶を消去したのかもしれない。
そんな失礼なレイラの態度に男性は声をあげた。
「苛つく、鳥肌!? なんでだよ! ちゃんと顔覚えとけ!」
ああ、彼だ。声の高さは変わっても喋り方がそうだ。
「今、少し苛立ちました。本物ですね。」
「どんな判断の仕方だよ。てか、なんでここにいるんだよ。トリフェーンにいるんじゃなかったのか?」
「貴方に話す必要はないわ。」
無表情でそう冷たく返すレイラに違和感を覚えたシリルが不思議そうに聞いてきた。
「レイラ、どうしたんだ? まるで妖……ウィラードに接するみたいだぞ。言葉に刺がある。」
「前に話した例のボンボンです。」
そう、シリルに即座に返す。それで通じるだろう。
しかし、うーんと唸ったシリルは首を傾げてみせた。
「例のボンボン? 誰のことだ?」
一瞬、レイラもぽかんとする。
まさか、シリルに言っていないのか?
シリルとの記憶をさらうが、言った記憶が出てこない。
「ごめんなさい。ハロルドにも話したからシリルにも言っているのかと思って……。」
ハロルドには貴族に偏見があった理由を話していた。女に偏見があった理由をハロルドからは聞いているのに、レイラは話さないなんて対等ではないと思ったからなのだ。
しかし、一番近いシリルには話していなかったらしい。
「今度からは教えてくれ。」
(あ、少し不機嫌になったわ。)
隠すようで嫌だったので言ってしまったが、やはり異性の話題というものは壊れ物を扱うようなものらしい。
苦虫を噛み潰したような顔のシリルに、思い付いた。
(もしかして嫉妬……なわけないか。だって相手はハロルドだもの。)
彼とは良い友人関係を築けていると思う。
お互い不器用な者どうし上手くやっていけている。筈だ。




