素敵な所と安全な所
翌日、既に太陽が天頂に差し掛かる頃に目が覚めたレイラは、せっせと身支度を整えて惰眠を貪るシリルを叩き起こし、約束通り町へと繰り出した。
昼になっても起こされなかったところを見ると、シリルの両親は妙な気遣いをしてくれたようだ。そういったことは皆無なのに。
シリルが生まれ育ったという町は自然豊かで、トリフェーンのような雑多な感じがなく、レイラは己の故郷を思い出した。
ロードナイトは他の都市に比べて山や田などが多くあまり発達していない。ほんの一部が都市といった感じだ。
そんな町で育ったレイラにとって、シリルの育ったこの場所は懐かしさも感じられる。素敵な所だった。
「綺麗な町ですね。」
「他に言い様がないんだよな。ごめん。もう少し南に行けば大きい街があるんだが……。領地の中心に屋敷があるからどうしてもな。」
「私の住んでいた所はもっと田舎ですから。」
「ロードナイトか、行ったことないな。次の休みに挨拶に行っくべきか。ウォーレンさんは知ってるけど、ノアさんは知らないはずだし。ああ、生きて帰れるといいんだが。」
ははは、とシリルは笑っているが目は笑っていない。
シリルの言ったことは夢物語ではなく、現実にあり得ることだ。シリルと二人でロードナイトに行った帰りに襲撃されたなら、主犯はノアで決まりだ。
ただ、ノアはお見合いをした女性と良い感じらしいので、妹離れは進んでいるようだ。王都からの帰り道に浮かべていた変な表情が気になるが、どうせ大したことはないだろう。
誰もいない道をシリルと二人で手を繋いで歩く。
こんな穏やかなデートも初めてだ。
しばらく歩き続けていると道の向こうから中年の男が歩いてきた。そして、シリルの顔を見ると目を真ん丸に見開いて驚きの声を上げた。
「あれ、シリル坊っちゃんじゃねぇか! 今年は帰ってきてたのか、ミラ様はどうしたんだ?」
「いつまで坊っちゃんなんだ……。」
気安い空気の二人からレイラは少し距離をとる。
シリルも久しぶりの帰省だ。
友人や知人と積もる話もあるだろう。
「おれの中では、ミラ様に追い回されるちっちゃい男の子のイメージで固まってるもんで。いやぁ、あの頃大変でしたねぇ。」
「ああ、死ぬかと思った。」
ぼんやりと二人の話を聞いていると、話題が突っ立っているレイラへと変わった。先程からちらちらと男の視線は感じていた。気になっていたのだろう。
「女を連れてるなんて珍しいですね。結婚されるんで?」
「まだ交際してる段階だが、数年後にはな。」
「えらい別嬪さんを見付けられましたねぇ。まるで月の女神のようなお嬢さんだ。王族の方も真っ青でさあ。」
月の女神なんて、お世辞としては最上級だ。
ぽかぽかとしてきた胸をそっと手で押さえる。
そんなレイラの様子にシリルはくすりと笑った。
「そうだな。」
「結婚式楽しみにしてますぜ。」
「ああ、お前も酒ばっか呑んでないで家に帰れよ。」
ひらひらと手を振って遠ざかっていく男を見送り、隣にいるシリルを見上げる。
「どなたですか?」
「近くに住んでるおじさん。昔はよく手当てしてもらってた。」
例の山籠りなど、ミラのスパルタ教育の怪我だろう。
過去を思い出したのか若干シリルの顔色が悪い。
(これでよくミラさんと同じ総合科に入った私をす、好きになったわ。たまにシリルの趣味が分からなくなる。)
乱暴ではないが、面倒な性格のレイラなのに。
◇◆◇
「いやあああっ! 待ちなさいっ……!」
活気のある商店街に着いてすぐ、近くの路地から女性の悲鳴が上がった。真剣な顔のシリルと目が合う。
待てと言っていたということは、スリか何かだろう。
シリルはほんの短い間、目を閉じて思案した後繋いでいたレイラの手を持ち上げた。
懐から短銃を取り出してレイラの手に握らせた。
そして、まるで子供に言い聞かせるかのように視線の高さを揃えて、早口で喋った。
「レイラはここにいろ。何か言われても変なのに着いていくなよ。俺が戻るまで動くな。何かされそうになったら、最悪半殺しで良いから。絶対に動くな。」
「了解です。行ってらっしゃい。」
レイラの返答に満足そうに頷いてシリルは駆け出していった。シリルの背中が建物の向こうに消えてレイラは短銃を握り締めた。
辺りは女性の悲鳴によってざわついている。
知らない町に一人ぼっちというのは、こんなに心細いものだと初めて知った。今までは建物の『記録』などを視れば良かったが、力が無くなってしまった為どこか安全な所かもわからない。
先程までシリルと繋いでいた手を胸に当てる。
すう、と深呼吸して気持ちを切り替えた。 まだ落ち着かないが、シリルが向かったのならあっという間にスリは捕まるだろう。
シリルに握らされた短銃をスカートの下に隠して、往来の邪魔にならないよう『動くな』と言われた位置から直線で結べる端へと移動した。
トリフェーンより少ないとはいえ、商店街は賑わっている道の真ん中にいては邪魔なだけだ。しかし、それが仇になった。
道の端にたむろしていた『変なの』に目をつけられた。
「こんな辺鄙なトコにもアンタみてぇな上玉いるんだな。」
男は下卑た笑みを浮かべているが、『上玉』ということは容姿を褒められているようだ。そこに込められた意味は何となく察したので適当に返しておく。
「はあ、ありがとうございます。」
「なんかコイツの反応ズレてねぇっすか!?」
「や、多少ヘンでも顔だけ見りゃいける。」
「えー。オレまともが狂ってくのが好きなんすけど。」
「いやぁ若いなテメェは。見るからに無垢な女を汚して飼い慣らすのが最高ってもんだろ?」
(変なの。そういう話を商店街でするなんて、自分の性癖を晒しているだけではないのかしら。)
さっさと何処かへ行ってくれないものだろうか。
自分に降りかかる火の粉は自分で払えるようにならなければと思ってはいるが、面倒くさい。適当に脅しておこう。
「私に危害を加えるおつもりですか?」
「痛ぇことは何もねぇよ。気持ちいコトしようぜ。」
「私に乱暴なさるようでしたら、半殺しにするつもりでした。今日は良いと言われているので。」
突然、流れるように話始めたレイラに男たちは呆けている。
半殺しという言葉がレイラの口から出てくるのが理解できないといった表情だ。ついでに、にこりとシリルのような笑みを浮かべて首をかしげてみる。
「ああ、でも『気持ちいコト』はそういう事ですよね? でしたら私はそれに同意するつもりは全くないので、危害を加える予定と受け取りますがよろしいですか?」
「何言ってんだコイツ……。」
「良いから黙って付いてこいよ!」
通りを行き交う人々に見えないよう一人の男が刃物を突きつけてきた。まさか、大きな通りで凶器を持ち出すとは思っていなかったレイラは面食らった。
相手はかなりの馬鹿らしい。
それを見抜けなかったレイラも相当な馬鹿だ。
ニヤニヤとおぞましい顔で嗤う男たちが路地に視線を送る。つられてレイラも男たちの見る方に視線を動かすと、路地の陰で小さな男の子の首に刃物が当てられている。
多分、あの男の子はこいつらとグルなのだろうが、如何せん証明するものがない。下手に動けない。
力が無くなったことでこんなに面倒になるなんて思わなかった。
男たちに捕まれば散々弄ばれた後、変態趣味を持つ貴族か資産家に売られて人生が終わる。この手口で何人の人が人生を狂わせられたのだろう。
レイラの色彩が珍しくて焦って手に入れようとでもしたのか。手口が雑すぎる。レイラにとっては都合がいいが。




