覚悟の帰省と迎え
「というわけで、俺はジェイドに帰る。」
使い古したトランクに最後の荷物を詰めこみ、祖母から貰った橄欖石のネックレスを身に付ける。そして、目の前にいるレイラを空いた手で抱き寄せた。
はにかんでからそっとシリルに手を回すレイラに微笑み返して、額に唇を落とす。くすぐったそうに首を竦めるレイラにもう一度、今度は唇に口付けてから名残惜しく思いながらも離れた。
「行ってらっしゃい。」
「ああ、行ってくる。一応クライヴが近くにいるとは思うが、ウォーレンさん家から出るなよ。約束してくれ。じゃないと心配で死ぬ。」
シリルがジェイドに帰省している間、レイラをウォーレンの部屋に預けることにした。それもこれも全部ジェフリーのせいだ。
放置していた生徒の噂話はとどまることを知らない。
すっかり、街の人間もレイラを死亡した王女だと思っている。それで合っているのだが、レイラは嫌そうな顔で日々を過ごしている。
一度違うと同じ科の生徒に言ったようだが、逆に「分かっています。隠しておられた理由も含めて必ずお守りします。」と言われたそうだ。
ここまで話を聞いてもらえないことを疑問に思って、レイラがドリスに相談したところ、驚愕の事実が判明した。
『ごめんね! 本当は黙ってろってあの馬鹿王子に言われてるんだけど……。あいつ、レイラちゃんがこっちに帰ってきて少したった頃にトリフェーンに来てたの。それで、士官科で成績の良い生徒数人に「僕の従姉妹をよろしく」って。お忍びで来てるみたいなこと言ってたからレイラちゃんには情報が行かなかったのね。』
なぜレイラをトリフェーンに帰してくれたのか不思議ではあった。あの王子はレイラに興味を抱いていた。そして半分本気で口説いていたとも聞いた。
シリルの手に余る事態になった頃に、レイラの意思で『リリス』に戻るようにしたかったのだろう。収拾がつかなくなれば、他人の負担をレイラは気に病んで戻ってしまうだろう。そんなレイラの性格をあの王子に知られていることが癪だ。
そんな話を聞いた次の日、父から届いた手紙で撃沈した。
『愚息へ
お前のことだきっと元気だろう。
学院でも問題なく立ち回っていると学院長が言っていた。
なにしろお前は三人の中で一番まともだ。
ミラと違って優しく、エリオットと違って落ち着きがある。
そんなお前だがな、まだ独り身でいる気か? 今まで恋人と一月以上もっていなかったろう。親としてフィンドレイ当主として、俺は心を痛めている。
エリオットの将来も決まった。最後はお前だシリル。
お前が逃げ切ると思っていたが、まんまとしてやられたな。とはいえ、俺もあいつがニーナとくっつくとは思わなかった。
運が悪かったな。
今年は帰ってこい。良い縁談がある。
他に想う相手があるなら連れてこい。絶対に。
平民だろうが貴族だろうが構わない。
俺とヴィクトリアで調べてからになるが、反対はしない。
早く屋敷を出たいからな。
帰ってこない場合は俺にも考えがある。
久しぶりに届いたジェフリー殿下からの手紙にアイリーン王女殿下を紹介してくれると書いてあった。今は保留の状態だが、帰って来なかったら勝手にやっておく。分かったな?
アルフレッド・フィンドレイ
追伸 ミラは帰ってこないから安心しろ。』
(安心できるわけない。)
それが、この手紙を読んでシリルが思ったことだ。
最近、ミラがこの家の周囲を彷徨くようになったことにはすぐに気付いた。多分、誰かと住んでいることに気付いたはずだ。その誰かが女性なことも。
この呼び出しは罠だ。
のこのことレイラを連れていけば、待ち受けていたミラに散々弄ばれて終わる。端から見れば教師と生徒、禁断の関係だ。シリルとレイラの間にそんな空気は一切漂っていないが。
とにかく、レイラだけは連れていくわけにはいかない。
ウォーレンならレイラを預けても大丈夫だ。
ノアだったら、レイラと兄妹じゃないと気付いた今、いろんな意味でまずい。主にノアの兄妹とは思えない愛情的に。
レイラをウォーレンのアパートに連れていって、そのままジェイドに向かう。またしばらく会えなくなるな、とレイラに言えば寂しそうに抱きついてきたので、それからいちゃつけるだけいちゃついて家を出た。
出たのだが――。
「やはりな。お前のことだからミラがいない今日トリフェーンを立つと思った。その娘が例の同棲相手か。諦めて連れてこい。ヴィクトリアが待ってる。」
腕を組んで門柱に寄りかかっている厳つい顔の男。シリルの父アルフレッド・フィンドレイはそう言って目を丸くしているシリルを睨み付けた。
「なぜ父上がここにいるんですか。」
厳つい男がシリルの父だと知って、固まってしまったレイラを背中に隠して問う。
「ヴィクトリアに迎えに行った方が確実だと説かれてな。話は盗み聞きさせてもらった。逃がそうとするとは。けしからん。やはりヴィクトリアは正しいな。」
アルフレッドは堂々と言ったが、盗み聞きとは……。
まさか父親に恋人といちゃつく様子を聞かれるなんて。今なら恥ずかしくて死ねる。フィンドレイ家はどいつもこいつも気配を消すのが上手い。
「シ、シリル。あの……。」
消え入りそうな声がしてシリルは後ろを振り返る。レイラはぎゅっとシリルの服の裾を掴んで不安そうな顔をしていた。シリルがウォーレンと会うのに精神を削るように、レイラも恋人の父親の出現に動揺しているようだ。いつもより弱々しい。
そんなレイラの様子に気付いてアルフレッドは微笑みを浮かべた。どうせ、初々しくて可愛らしいとでも思ったのだろう。
「私はアルフレッド・フィンドレイ。そこにいるシリルの父だ。君の名前は?」
優しい声でアルフレッドが話しかけると、レイラはおずおずと前に出て一礼した。
「は、初めまして。レイラ・ヴィンセントと申します。」
硬い表情で無理やり笑顔を作ろうとした結果、レイラの頬はぴくぴくと引き攣っている。まだ慣れない人相手に上手く表情を作れないのに頑張っている。
「これは可愛らしい娘さんだ。愚息がいつも世話になっている。」
「いえ、シリルさんには迷惑をかけてばかりで。こちらこそ、いつもお世話になっております。」
「ははっ。いや、シリル。お前にしてはいい娘さんを見つけたな。落ち着いているし同じくらいの歳か?」
「十八歳です。」
「ちょうどいいくらいだな。仕事はなにを?」
わくわくと嬉しそうな顔をしてレイラに根掘り葉掘り聞いている父親の様子にシリルは驚いた。もっと高圧的に聞いていくのかと思っていたが、想像以上に気に入ったようだ。
確か父親の好みは可愛らしくて色々教え甲斐のある女性だったか。冷めた目で己の父親を見つめる。
「あ、えっと……。」
ちら、と寄越されたレイラの視線に頷きを返した。
「学生です。」
「どこの? この辺りだとパール大学校か?」
またちら、と視線が寄越される。
今、誤魔化したところで調べられたらすぐに分かることだ。隠す必要はない。それに、学院の外でレイラを『秘密』にするつもりはない。
不安そうに揺れる紫水晶の瞳に頷きを返す。
「……メリル学院です。」
「……は?」
ぽかん、と呆けるアルフレッドに畳み掛けるようにしてレイラは言葉を重ねた。
「メリル学院の士官科三年です。昨年度まで総合科でした。少し事情があってシリルさんと同じ部屋だったので、他の人より近いところでシリルさんを見ていて。気付いたら好きになっていました。」
「はぁぁああっ!?」
アルフレッドの絶叫が朝のトリフェーンに木霊した。




