後輩に相談事と切実な願い
ああ、なんてことだ。
勘違いであんなことをしてしまうとは。
いや、待て。息もしてなくて脈もなければ普通ああするだろう。
自分は間違っていなかったはずだと言い聞かせる。
結果として、真っ赤な顔で恥じらうレイラを見れたのだ。例の事件で衝撃を受けてから表情が無くなっていたのでは、と考えていたのだが、ひと安心だ。
レイラ自体は、よく人を睨んだりしている。ように見えた。表情は判りづらいが、瞳に感情が出ていた。
感情を失くしていなかっただけマシだろう。
しかし、気まずい。今宵はどうしたら良いだろう。
理事長に、いやメリルはからかい倒して終わりだろう。
リオに、いや奴だけは嫌だ。ミラに流れる。
エリオットに、いや弟にこんなことを訊く兄がどこにいる。
彼も多感なお年頃だ。止めておこう。
アルヴィンは、無しだ。彼はレイラのことが好きだった。
となると、ミハイルかジェラルドだ。
彼らはシリルが総合科にいた頃の後輩でもあり、同い年でもある。いい助言をくれるかもしれない。
そうと決まれば、と第三会議室に向かう。
まだ、今日中に終わらせなければならない仕事もあるが、それは夜にすればいい。夜遅くまで仕事をしていれば、レイラも寝ているかもしれない。
さすがに今は動揺して変なことを口走ってしまいそうで怖い。
悶々としながら、第三会議室の扉を開けばまだ四人とも残っていた。
そして四人とも、つい二十分前に出ていったばかりのシリルを怪訝そうに見てきた。
「シリル先輩どうかした? 忘れ物?」
話しかけてきたジェラルドに扉の外から手招きをする。
「あと、ミハイルもこっち来てくれ。」
二人とも怪訝に思いながらも、来てくれた。おそらく総合科の授業の打ち合わせか何かだと思っているのだろうが、中身は年頃の娘を持つ親の悩み的なことだ。
少し申し訳ないが、これも理事長メリルのお願いを完璧にするためだ。相談に乗ってもらう。
とりあえず、男子寮の屋上まで来た。
第三会議室から距離があったために、途中から二人がどこまで行くのか、なんの用なのか、と質問を投げかけてくるが、それに曖昧に答えながら来た。
なぜ男子寮の屋上かというと、レイラが人工物の『記録』が視えるからだった。
こんな事を後輩に聞いているということを彼女に知られるわけにはいかない。今以上に気まずくなる。
「すまない。用事というのは個人的な相談なんだが。」
そう切り出せば、二人とも快く聞いてくれた。
「良いですよ。先ぱ…。先生にはお世話になってるしな。」
「ありがとう。ジェラルド。」
「先生が私たちに相談なんて久し振りですしね。」
そう言いながら、ミハイルは地べたに胡座をかいた。
さて、どう言い出すべきか。友達の話にするべきか。
いや、大抵そういうのは自分の事だと言っているようなものだ。止めておこう。
となると、素直に言うべきか。
ここは、学院の外で会った街の女性、という事にしよう。
腹は決まった。これはシリルの中で大事だ。
早く解決の糸口を見つけなければ。
「街で会った女性の唇を不可抗力というかなんというかだな、その、とにかく奪ってしまったんだが。どうすればいい?」
奪ったわけではなく、助けようとして無駄だったという話だが。
嘘も方便だ。そのまま言えば意味がわからないだろう。
「え、先生が!?」
なぜそんなに驚く? そしてなぜ、そんなに笑う。
腹を抱えて転げ回っているジェラルドと、顔を背けて肩を震わせているミハイルを静かに睨み付ける。
「言っておくが、これからその女性にどう接すれば良いかを聞きたいだけだ。変な想像をするなよ。」
「はーい。」
確実に、変な想像をしている。
この二人の良いところは口が堅いことだけだ。その他はリオと大して変わらない。
「その女性の身分は?」
ミハイルの質問にどう答えるべきか悩む。
確か、ヴィンセント家自体は商家だが、レイラ自身は国王陛下の孫娘だ。
そこそこの家の令嬢ということにしておこう。
「良家の子女だ。」
「え? まぁ、先生なら訴えられることは無いだろうけど、一応フィンドレイだし。」
一応とはどういう意味だ。正しくシリルはフィンドレイ家の長男だ。
「じゃあ、その人に婚約者とかいますか?」
「いない。」
「年齢は?」
「十六だ。」
「え! エリオットと同い年じゃねぇか!」
ジェラルドをギロリと睨み付ける。すると、彼は大人しくなった。
こちらは真面目に相談しているのだ。
しばらく、ミハイルと話し合っていると、彼は段々呆れた顔になってきた。
終いには溜め息を吐かれながら話し合う。
「私としては、相手の方のファーストキスでなければそこまで思い詰めなくて良いんじゃないですか? 不可抗力ですし。先生のことだから謝ってはいるんでしょう?」
………。謝ってはいる。が、
赤く染まる頬を隠すように、俯いたレイラを思い出す。
「相手が事故の後、真っ赤になっていたんだが……。あれは怒りで、か? それとも初めてだったからか?」
すると、二人は微妙な顔をした後、各々の見解を述べてくれた。
「良家の子女ってんなら、初めてでもおかしくないだろ。」
「それか、先生の事が好きだったから赤くなった、ですね。」
確かに初めてでもおかしくはない。レイラは屋敷からあまり出してもらえなかったようだったし、あの兄や、王家崇拝者に囲まれて育ったなら、誰もレイラに手出しは出来ないだろう。
「俺のことを嫌ってはない、けど好きでもない。となると、初めての可能性が高いな…。ありがとう二人共。助かった。」
前半は独り言で後半はジェラルドとミハイルに向けた言葉だ。
勝手に自己完結して屋上から去っていくシリルを呆れたような顔で二人が見送った。
「学院内の誰かだろうな。十六なら生徒か。しかも結構、仲がいい。」
「そうでしょうねぇ。」
◇◆◇
夕食も終え、入浴も済ませたレイラはベッドにだらしなく横たわっていた。
(先生、遅いわ。)
いつもなら、とっくに部屋に戻っている時間帯なのにシリルは帰ってこない。もしかして今日は他の部屋に泊まるのかもしれない。あの時のシリルは呆然としていたから。
怒っているのだろうか。
それとも、今回のことでレイラの存在が面倒になったかもしれない。
(それは嫌だわ。)
初めて家族以外で信頼できる人がシリルなのだ。
嫌われたくない。
そう思い毛布にくるまった。
ベッドの上をごろごろとしていると、扉の閉まる音が聞こえた。
むくりと起き上がり、リビングに行く。
そこには、ソファーに寝っ転がるシリルがいた。
シリルはレイラに気づき、ぽかんと口を開ける。
なんとなく悲しくなって、話しかける。
「お茶しませんか?」
夕方にお茶をしようと約束したはずだ。
「そ、うだな。頼む。」
こくりと頷いて、お湯を沸かし始める。
すると、隣にシリルが来た。どうしたのかと思い隣を見上げると、真剣な光を宿した橄欖石の瞳があった。思わず息をのむ。
「ヴィンセント……。」
肩に手を置かれて、体が固まる。
なにを言われるのだろう。面倒になった? 嫌いになった?
体が震えてくる。まったく情けない。
「責任は取る。それが嫌なら、恋人が出来たら教えてくれ、俺がきちんと説明するから。」
この人は何を言っているのだろう。責任? 恋人が出来たら説明? どういうことだ。意味がわからない。
「それはどういう?」
「え? もしかしてファーストキスじゃなかったか?」
その言葉で急激に頬に熱が集まる。
それを見たシリルも動揺したのか、ぷるぷると肩に置いた手を動かしている。くすぐったい。
さっきまでは嫌われたかもしれないと思って震えていたが、今度は違う感情で体が震えてきた。
「初めてでしたけど、たかだかキスくらいで責任を取らせるつもりは毛頭ありません。それに私は医療行為はカウントしません。説明も必要ないです。」
「え? あ、そうか。うん。分かった。」
何故かシリルの顔まで赤くなっている。なぜだ。
そして、沈黙が落ちる。
二人共、赤い顔を直そうとしている。
「あ、お湯沸きました。」
「ああ、本当だな。」
可笑しな会話をしながらポットにお湯を注ぎ、テーブルに置く。お茶が出てくるまで無言だった。
「どうぞ。」
「ああ、ありがとう。」
そして、また無言でお茶を飲む。
普段はどちらともなく話し始めていたが、今は気まずい。
問題はもう解決したはずなのに。気まずい。
「あの、今日はありがとうございました。」
「ふぇ!?」
男の人でもこんなに高い声が出るんだな、などと、どうでもいいような事に感動した。
「私を助けようとしてくれて、嬉しかったです。だから、そんなに気に病まないでください。私が言ってなかったのが悪かったですし、それに、あの妖魔に奪われるより何倍も良かったですから。」
「あの妖魔に何をされた?」
急にシリルの声が低くなる。目も細くなり、眉間に皺まで寄っている。
それを不思議に思いながらも答えた。
「何と言われても……。口付けを迫られたり、抱き締められたり、ですかね? でも口付けも未遂ですし、今日も先生が直前に助けてくれました。」
だから大丈夫と、笑おうとするが長年使わなかった表情筋は動いてくれない。まったく忌々しい。今度、笑顔の練習をしよう。
いつかはシリルのように綺麗に笑いたい。
そう思ってシリルの方を見て驚いた。
表情は険しく、舌打ちまでしている。どうしたのだろう。
「せ、先生?」
ガタンとシリルは立ち上がり、飲み終わったカップやポットを持って台所に歩いていった。慌てて追いかける。
「私が明日の朝やるので、今日はもう寝ましょう。」
「いや、明日の朝に俺がやるつもりだ。ご馳走になったしな。」
今日はもう寝るぞ、と寝室に向かうシリルを見送りながら、レイラはほっとする。
誰もいない部屋で眠るのは寂しかったから。
◇◆◇
あの妖魔とレイラを会わさずに済む方法はないだろうか。
(抱きついたりキスしようとしたり、って。)
アルヴィンか理事長に退治の方法を聞かなければ。
シリルが後ろをとっても気付かないくらい鈍いやつだった。
頑張ればシリルでも倒せるはずだ。
『あの妖魔に奪われるより何倍も良かったですから。』
ふっと笑みが零れる。
まったく、嬉しいことを言ってくれる。
そこまで信頼してくれているのだ。なにがなんでも守らなければ。
(ようやく猫みたいなのが懐いてきたんだ。指一本触れさせない。)
レイラは良い。可愛いし、抱き締めたら気持ちがいい。良い匂いもした。これが妹だったら『ノア兄様』が溺愛する気持ちも分かる。
もし、あの姉に抱きついたら半殺しにされるだろう。
(ああ、なんで俺には妹がいないんだ。)
今日の事件では、心肺停止のレイラに慌てすぎて細かい所は覚えていない。もちろん感触もだ。
多分、見た目通りに柔らかかったのだろうが、覚えてない。
一応、ファーストキスを奪ってしまった罪悪感はあるが、本人が医療行為はカウントしないと言っているのだ。
確かに、死にかけている人にファーストもセカンドも関係ない。
それにしても、
(妹欲しいな。義妹は抱きつけないから、やっぱ父上と母上に頼むか。いや待て、年齢的に厳しいな。いっそのことヴィンセントに妹になってもらうか。いや国王陛下の孫娘にそんなことして大丈夫なのか?)
脳内でそんな妄想を繰り広げている内にシリルは眠りについた。




