労いと暖かい時間
妖魔、改め月の神様になったらしいウィラード・シャルレに呼ばれ久しぶりに神殿に入った。
案内された先には地面に力なく横たわるアリアの身体と、その横に座り込んでいるリリスの姿があった。リリスはルークが来たのに気付くと少し泣きそうな顔をしてから、立ちあがり、その場所を譲るように金髪の男の元へ歩いていった。
ルークはリリスの座っていた場所に腰を下ろし、異常なほど真白なアリアの肌を切なく思いながら手を伸ばす。
「君はようやく解放されたんだね。お疲れ様、アリア。」
冷たくなった身体を抱いてルークは微笑む。
本当ならとっくの昔に温もりを失くしていたはずだった。
リリスの代わりに『意識』を引き受けたためにアリアの遺体は今の今まで温かかった。
強すぎる力を封じるのにアリアは命を使った。
その時、ルークはなんとなく分かっていたのだ。
もしかしたら愛しいアリアを失う可能性があると。
だから、最低なことにリリスは諦めよう、とそう言いそうになった。それを察したのか、アリアはルークに細かい確認はしなかった。
リリスの力を放置すればリリスが死んでしまうのは分かっていた。大人でも溺れてしまいそうなほど強い力なのだ。乳飲み子にとって毒にしかなり得ない。
リリスの力を封じればアリアに命の危険があると分かっていた。上手く押さえられなければ暴走した力によって、辺り一面が焼け野原になっていただろう。
娘の命と自分の命。
アリアは後者を選んだだけだ。
ただ、ひとつ言えることがあるとするなら。
「僕はどちらも選べずに、ただ時の流れに選択を委ねてリリスを失ってしまっただろう。僕は君にも娘にも生きていて欲しかった。今のリリスを一番見たかったのは君なのに。リリスは君に似て美人さんだよ。」
そう言ってリリスに視線を向ける。
王宮で出会った頃のアリアと同じ色彩ではなく、アリアの瞳とルークの髪の色を合わせた色彩。
より神秘的な姿になった彼女は少し離れた所で静かに見つめていた。彼女の隣に寄り添うようにして立っている男は、リリスの頭を撫でながらこちらの様子を見ている。
あれが噂の男だと確信した。
今は気分が浮かないから何もしないが、復活した暁には問い詰めたい。まだリリスは純粋な子供なのだ。早すぎる。
「外に出ようか。もうこんな寂しい所なんて嫌だろう。」
そっとアリアに囁いて、立ち上がった。
腕に抱えた冷たアリアの額に軽く口付け、リリスを見る。
「帰ろう。」
「はい。」
会ったこともない『母親』でもリリスは悼んで、哀しんでくれている。それだけでアリアは幸せだろう。泣いて喜んでいるはずだ。
◇◆◇
アリアの遺体を抱いたルークについて神殿の外に出る。
暗い随道を抜ければ森の中だった。風が素肌を撫でる。
「寒い。」
ぶるりと身体を震わせたレイラを見てシリルが上着を脱ぎ始めた。慌ててそれを止める。怪我人で魔の気にあてられて熱も出始めているのだ。
「俺は平気だ。レイラと違ってまだ下に服がある。」
「駄目です。私は平気ですからシリルが着ていてください。」
「レイラの場合、肩も足も出てるんだぞ。俺ならなんか暑くなってきたから大丈夫だ。つべこべ言わずに使え。」
なんか暑くなってきた。それは熱が出ているからだ。
そろそろ悪寒がしてきてもおかしくない。
「仕方ないな。お嬢さん、オレのローブ使って。」
ウィラードがどこからか出したローブをありがたく受けとる。シリルは不満げな顔をしたが、悪寒がしてきたのか何も言わなかった。
「とりあえず、リリスも彼も着替えておいで。僕はアリアを置いてくるから。ウィラード・シャルレ。君は父上とライアンに報告を。」
(……。)
ルークがシリルをどう認識しているのか気になるが、今はそんな時ではない。言われた通り与えられた部屋へ一旦帰ることにした。シリルと二人で廊下を歩く。
確か、ウィラードのものだが男物の着替えも置いてあったはずだ。
「レイラ…。お前こんな王宮の奥で生活してたのか。」
部屋に到着するとシリルは驚いて部屋を見回していた。
レイラはどこで生活していると思っていたのだろう。
「おかしいですか?」
「いや、おかしくはない。レイラは陛下の孫だもんな。」
レイラが差し出した男物の服を受け取って、シリルは疲れたように長椅子に座った。その時の怪我を庇うような動きに心が痛む。
「着替え手伝いましょうか?」
「ああ、ありがとう。上だけ頼む。」
満面の笑みで即座に返されたことを少し疑問に思ったが、気にすることでもないだろうと片付けて服を脱がしにかかる。
上着を脱がせ、ベストを脱がしたところで確認するようにシリルの顔を見た。すると、にやにやと悪戯っ子のように笑う顔があった。
「どうした?」
「私が恥ずかしがると思いますか?」
先程、神殿で手当てをしたときに脱がせている。
起きている分気まずくはあるが、恥ずかしがると何か負けた気がするので、恥ずかしがったりはしない。絶対に。
「だろうな。でも……」
言葉を止めて真顔になったシリルは、シャツの釦を外していたレイラの手首を掴んで引き寄せた。油断していたレイラは呆気なくシリルの胸へ飛び込む。なんとかシリルが負傷している腹への直撃は避けたが、もし傷口が開いたらどうするつもりだ。
文句を言おうと顔を上げたレイラの頤が持ち上げられる。
(なん……。あ。)
慌てて瞳を閉じたレイラの唇にシリルの少し熱い唇が重なる。全然、こんな空気ではなかったから心の準備が出来ていなかった。向きを変えて何度も繰り返される口付けになんとか応えた。
「これは恥ずかしがるだろ? 真っ赤だな。可愛い。」
なぜ、シリルは息を乱していないのだ。乱れた呼吸を整えてから無言でシリルをじとりと睨む。レイラの顔はシリルの言ったように真っ赤に染まっているのだろう。今ならこの熱で湯まで沸かせられる気がする。
「驚かせないでください。」
「なんで驚くんだ? レイラとこういう関係になったつもりなんだが。そう思ってたのは俺だけか……。」
レイラが照れ隠しで放った言葉なのに、シリルはしゅんと萎れてしまった。訂正しようと口を開く。
「ち、違います……! すぐ慣れますから。」
「そうだな。向こうに帰ったら時間もある。」
こんなことなら、もう少し休暇をとっておけば良かった。とシリルは笑う。それはそれでレイラの心臓が持たないだろうから、手加減をしてもらいたい。
◇◆◇
まったく、幼馴染に足止めされたおかげでリリスがどこへ行ったのか分からなくなった。
ジェフリーが見立てた翠色のドレスは、浮世離れした空気を纏うあの少女によく似合っていて、面倒な夜会でもあのドレスを着たリリスを見ていれば気が紛れると思っていたのに。
休憩室を片っ端から覗いてもどこにもいない。
さては、離れの宮に帰っているのではと思い、リリスに与えられている部屋の扉を開けばそこには着替え中のリリスがいた。
「なにか?」
男に下着同然の姿を見られているというのに眉ひとつ動かさない。少しくらい狼狽えて見せたっていいだろう。
「外で待つ。着替え終わったら声をかけろ。」
「はあ。分かったわ。」
面倒くさそうな空気をリリスは隠すつもりがないようだ。
ジェフリーは中途半端に開けていた扉を閉めた。
しばらく廊下の窓から外を眺めていると、リリスが扉を開いた。
「どうぞ。」
「ああ、邪魔す……なぜここに?」
部屋の中にはレイラの他にもう一人、シリル・フィンドレイがいた。シリルは丁寧に礼をしてジェフリーを迎えた。
「お久しぶりです、殿下。」
先程、リリスを連れていったのがシリルなのは見ていたが、こんな所で何をしていたのだ。人の気も知らないで、と心の内で文句を言っていると、机の上に雑に置かれた所々赤いものが付着している服に目がいった。
「おい、リリィ。何があったか説明しろ。」




