感謝と溢れる光
目を開けた時、緋い瞳が心配そうにレイラを見下ろしていた。
あの扉の向こうに放置されたままでなくて良かった。
あの女性のすぐに戻るというのは嘘ではなかったらしい。
ほっと息を吐いて不気味なほど真剣な瞳をしているウィラードを見やる。そんなに真剣に見つめられると穴が開きそうだ。
「お嬢さん。ありがとう。」
「なんのこと?」
青い薔薇の庭園でも言われた感謝の言葉に首を傾げる。
ウィラードの中では理解できていることでも、レイラには全然さっぱり今の状況が理解できない。
なぜ、マゼモノに止めを刺されようとしていた自分には特に目立った怪我もないのに、ウィラードの衣服が真っ赤に染まっているのか。なぜ、アリアが倒れているのか。なぜ眠っていたシリルがここにいるのかもだ。
「いや、産まれてきてくれて……って、ああ。お礼を言うならお嬢さんの両親にかな。おかげでオレはようやくシャーリーと一緒になれるよ。」
「そう。それで?」
遠回し過ぎてよく分からない。
なにがようやく一緒になれる、だ。どういう意味で一緒になるのか分からない。というか、わざとウィラードは言っていない。あのお喋りさんがこんな風に遠回しに喋るときは大抵面倒事だった。
そんなレイラの心の内に気付いてか、ウィラードは面白そうに口角を上げて寄ってきた。仰け反るレイラの両肩を掴んで胡散臭く笑った。
「最後に聞きたいことがあるんだ。」
最後とは、なんやかんやウィラードとはほどほどの付き合いをしていた。彼には色々世話になった。何かお礼をした方が良いだろうか?
「ねぇ、お嬢さんの望みはなに?」
思わぬ問いかけにレイラは目を丸くする。
最後に聞きたいこと、はあの青い薔薇に関するものだと思った。
「私は普通に死にたい。今の望みはそれよ。」
世界のバランスだとか、永遠の命なんていらない。
ただ、愛する人と同じ時間を生きたい。
自分だけ残ってしまうのは寂しすぎる。
「いいの? その力で大事な人を守れるのに。」
ウィラードの言葉にレイラはこてん、と首を傾ける。
普通に死にたい、とは言ったが、この力が要らないとは言っていない。
「何を言っているの? 私が要らないのは永遠の命だけ。」
月の神の力を失うことでレイラに流れる血がもたらす力を失ってしまうだろうか。なんとなく、それは違う気がした。
「昔は全部いらなかったけれど、最近になって考えが変わったの。便利な力は持っておきたいわ。」
この力があれば大切なものを失うこともない。
それはとても良いことだ。誰かを何かを失うのは怖いから嫌だ。
そしてなにより簡単に髪を乾かせるというのがいい。
シリルはどうやら髪の長い女性の方が好きらしいとエリオットが言っていた。レイラもよく髪を弄ばれている。髪を短時間で乾かせば、綺麗な髪を思う存分触ってもらえる。
「強欲だなあ。まあ、そんなところがいいんだろうけど。ね、先生?」
「お前にそういうことを言われたくない。そしてレイラに触るな。」
「えー。美人と仲良くしたいのは男として当然に抱く気持ちだよ。ごめんって、嘘だから! オレにはシャーリーだけだから! そんな冷たい瞳で見なくても……。」
「いいえ、貴方はそんな人だと知っているもの。本当に可哀想。」
普段はおちゃらけているが、シャーロットが関われば真面目にやっていた。多少過激なだけで、色んな事からレイラを守ってくれた。
「オレさ、多分シャーリーに会わなかったら。……先にお嬢さんに会ってたら確実にお嬢さんのこと好きになってたよ。だってオレ気の強い女って大好きだから。」
そんな女の子が自分にだけ甘い気の許しきった顔を見せるのが堪らないらしい。勿論、そこに至る過程も込みだという。最低野郎から夫になった時の達成感は最高だと。
好きな人に拒絶されるのが怖くないのかこいつは。
シリルの顔にも「何言ってるんだ、こいつ」と書いてある。
ウィラードへの評価を少し変えなくてはならない。
なんやかんや頼れる人。そしてすべてが残念な人、へ。
「お嬢さんってば全然靡かないんもんだから、シャーリーだけっていう決心が揺らいだよ。あの意思の強い瞳って綺麗だから。吸い込まれそう。」
至近距離に顔を寄せられ焦点が合わない。
緋い色だけが少し翳った視界に鮮やかに浮かぶ。
ウィラードの決心が揺らぐほどのことをした覚えはない。
「このまま、貰うね。」
「何を……。」
こんなシリルの目の前でここまで顔を寄せられるなんて、まずい。ぴたりとくっついた額はレイラより少し冷たかった。
「オレの一番はシャーリーだけど、二番目はお嬢さんだよ。」
「そう、ありがとう。分かったから離れて。」
「うん。終わったらね。」
すう、と息を吸い込んでウィラードは目を閉じた。
(え……。なに?)
そして、閉じられた目蓋が開かれ緋い瞳が現れる。
ウィラードの瞳が淡く光りはじめ、レイラとウィラードの周りを光の珠が舞い始める。柔らかな光に包まれて、レイラの身体から暖かな光が零れ出していく、それが周りを取り巻く珠に変化していた。
掴まれた肩を、囚われたような視線を外さないと。そう思うのに身体はレイラの思考を無視したように固まったままだ。
光の珠が増えていくごとに身体が重くなっていく。
「ごめん。あと少しだから。」
囁くような吐息の混じった声に、ぼんやりとしていた意識がすっと覚める。危なかった。意識を飛ばすところだった。
ここで意識を失うと危ないと、第六感が言っている。
端から見れば、さぞかし幻想的で美しい光景なのだろう。
そういえば、シリルはどうしているだろう。
こんなに他の男と顔が近くてどう思っているのだろうか。
隙間から眼だけで横を見る。
すると、呆然とこちらを見ていた。そして目が合う。
シリルの口がぱくぱくと動いた。何かを言っているようだが聴こえない。この光の中は無音状態だ。不気味で寂しい空間。
(おい、何してる。とかその辺かしら。)
……。
読唇術を学んだ方が良さそうだ。絶対に違う。
◇◆◇
ウィラードがレイラへ顔を近付けた時にそれを止めようと足を踏み出した。
しかし、シリルの身体は凍ったように動かない。縫い止められたように足が動かないのだ。怪我の影響にしたっておかしいだろう。
最悪だ、と思いながら顔を上げた時、金色の光が溢れた。
レイラから溢れた金色は川のように流れウィラードの中へと流れていく。そして二人の周りを光の珠が漂う光景は美しかった。光の中心にいるレイラにも見せたいくらいだ。
(妖魔がレイラに危害を加えるはずはない。手は出さない方が良い。のか? でも、段々レイラ弱ってきてるよな。)
薄い金の瞳は暗く翳っている。そんななか、銀色の髪だけはきらきらと輝いていた。
(前の髪色も良いけど。これはこれで綺麗だな。また今度遊ばせてもら……)
「なんだ。これ……。」
そして光の中心にいる二人の変化に気付いた。
違う。レイラは金色の瞳が虚ろで暗くなったわけではない。
ばちっ、と視線が合った。その瞳は菫色だ。
「色! 色が変わってる!」
大声で叫ぶシリルの口元を見つめ、しばらく視線を彷徨わした後おそらく身体が動いていたなら首を傾げている時の目をした。
(絶対伝わってないな。)
声は届いていないようだ。
(レイラは気付かないのか? 妖魔はレイラどころじゃなく変わってる。)
目の前のウィラードへ金色の光が流れ込む度に黒い髪は明るくなっていき、緋い瞳は夕焼けから昼へと変わっていく。
まるで、レイラの『月』の色を吸収しているような、そんな絵だ。
やがて、光がすべてウィラードへ流れると世界は元の色を取り戻す。そこでレイラはようやく目の前の変化に気付いたようだ。
「どうしたの? その色彩。」
「お嬢さんから『月』と五つの祝福を貰ったんだ。それがシャーリーの予定だったから。遅くなっちゃったけどね。まあ、お嬢さんには先生がいるから大丈夫だよ。」
その言葉の意味をシリルには理解できない。
シリルがいれば大丈夫、それはシャーロットも言っていた。
何かレイラの身に異変があるのだろうか。
本人に聞くのが早いとレイラの方へ顔を向ける。
「それはどういうことなの?」
しかし、レイラは眉を顰めてそう言った。
……どうやらレイラも理解できていないようだった。




