中身の違う二人
喋りながら口から血を吹き出している。
なんだろう。この血に塗れた見た目とウィラードの雰囲気との差を気味悪く感じる。もとからウィラードは気味が悪いのだが。
「先生助けてくれない? 苦しいんだけど。」
「無理だ。」
シリルに出来ることなんてたかが知れている。
こんな重傷者をどうすればいいのかなんて分からない。
「だよね。ああ苦し。お嬢さん早く起きないかな。」
「死んだかと思ったぞ。」
「オレ妖魔だから、力さえ尽きなければ大丈夫。」
人間と同じ姿で、緋い血を流していてもその辺の仕組みが違うと言うのは不思議なものだ。
「それは……良かったな。」
「まあ、シトリンさんを食べてなかったら危なかったけどね。」
「何か言ったか?」
「いや何も? ただ、お嬢さんはオレの運命だって分かったからさ。ああ、そういう意味じゃないよ。勘違いしないでね。」
オレがお嬢さんに殺されちゃう、と笑うウィラードを睨む。学院にいる間レイラの事が色んな意味で心配だった。襲撃者に止めを刺していないか、ウィラードに不埒な事をされていないか。
「とにかく、まずはそこにいる死体を何とかしないとね。」
とウィラードが指差した先には暗い金髪の女性がいた。ぞっとするほど白い肌と殺意の滲む視線に総毛立つ。
「うわっ! 人が居たのか。気付かなかった……。」
こんなに近くに人が居て気付けないほど勘が鈍っているとは、この程度の怪我でこんなになるはずがない。魔的な気に当てられたせいだろう。
「仕方ないよ。太陽の気を持つ先生じゃ死体を認識しづらいはずだし。いくら気配に敏感でもね。」
「死体? ……すごい睨んでくるんだが。」
じろじろと女性を観察してみるが、どこからどう見ても生きているように見える。
ただ、女性が誰かに似ているような気がするだけで、
「あっ! 思い出した。アリアさんですよね。」
「……。」
無言が返る。よく似ていると思ったのだが、別人だったのだろうか。確かによく観察すればレイラと視たアリアとは雰囲気が違う。あのアリアは無垢で慈愛に満ちた表情をしていたが、この女性は黒くて憎悪に満ちた表情だ。
「すいません。人違いでした。」
「いや、合ってる。これはアリアさんだろうね。シャーリーに似てるし。中身は違うみたいだけど。」
「中身が違う?」
「そ。アリアさんの死体の中に他の何かが入り込んでる。」
「妖魔。俺はどうすればいい?」
死体が動いているということは、殺しても死なない身体になったということだろう。そういう者の相手をしたことがないシリルにはやりようが分からない。
「先生じゃどうもできないね。オレは動けないし。あ、だめだ。眠くなってきた。」
「寝るな。」
「相変わらず馬鹿なのね。」
凛とした声が聞こえて、倒れていた少女はよろよろとしながらも起き上がった。怪我もなさそうだ。ひとまずほっとする。
「レイラ。身体は大丈夫か?」
シリルの問いにレイラはなんともいえない表情をして首を振った。
「ごめんなさい。私は彼女じゃないの。少しの間代わってもらっているだけ。すぐに返すわ。私も少ししか保たないから。」
微笑むレイラの色は元に戻っていた。
見慣れた金茶色の髪に透き通った菫色の瞳。
しかし、雰囲気が違う。
「貴女は誰ですか?」
レイラと違って表情は柔らかく、ほのぼのとした空気だ。
「私? 私はねシャーロットというの。」
「シャーロットさんですか。」
誰だろう。レイラに関係のある人だとは思うが、レイラの口からは聞いたことがない。ウィラードなら分かるかと倒れている妖魔に視線を動かすと、呆然とシャーロットを見ていた。
「シャーリー? シャーリー。シャーリーどうして。」
ウィラードは何度もシャーロットの名前を呼んで手を伸ばす。その手をシャーロットは取って怒ったような顔をした。
「御門。いつからヒトの気を食べてないの?」
「ここ一年は食べてないかな。」
「馬鹿! 死んだらどうするの! どうして食べなかったの。」
「最近はお嬢さん以外に興味が持てなかったんだ。ごめんシャーリー。これは浮気に入るかな?」
「入らないわ。だってこの娘は私の孫だもの。愛してしまうのは仕方ないわ。哀しいけれど。」
「ああ、哀しませてごめん。泣かないで。」
「いい。赦すわ。だから早くこの娘の血を飲んで。」
手袋を取って真白な腕をウィラードに差し出す。
「え? 良いの?」
「後でこの娘に謝っておいてね。」
「許可は取ってないんだね。でもシャーリーらしい。後で土下座すれば良いか。じゃあ、遠慮なく。」
「痛いのは嫌よ?」
「うん。分かってる。」
レイラの腕に唇を寄せて手首に噛みついた。
「い、痛い。」
涙目になるシャーロットと満足そうな顔のウィラード。
そして、おいてけぼりになった女性の唖然とした顔、シリルの仏頂面がそこにはあった。
何故、恋人の腕に噛みついて満足そうな他の男を見なければならないのだ。いくらレイラの中身が他の人だとしても腹が立つ。
「あと少し。久しぶりに美味しい血にありつけたんだから。傷が塞がるまではこのままだよ。照れてるの?」
そう言ってウィラードはぺろ、と見せつけるように傷口を舐めた。おいおい。人の恋人に何をしている。
「早くして!」
「なに恥ずかしがってるの? この神殿で散々もっとすごいことしてたのに。あの頃は幸せだったなあ。」
「へ、変なこと言わないで! 思い出すでしょう!?」
「おい。まだ終わらないのか?」
恋人のようなやりとりをする二人に苛立ってきて口を出した。中身は違うのに、照れて恥ずかしがるレイラの顔を他の男に曝すなんて、頭がどうにかなってしまいそうだ。
しばらく離れることによって独占欲が増しているようだ。レイラが知ったら呆れた目で見られる。
「ご馳走さま。さすがシャーリーの血を継いでるだけあって美味しいね。先生もありがとう。我慢してくれて。オレが先生なら殺してるけど。」
そういうことなら殴っておけばよかった。
まだ耳や首でないだけましだったかもしれない。その二つの部位はレイラの特に弱いところだ。あの可愛い声を妖魔に聞かせるなんて絶対に御免だ。
「ねぇ。御門。貴方の役割は分かった?」
「うん。視えたよ。」
「それじゃあ。始めるわ。これで、私と御門はずっと一緒よ。もう他の女を見ては駄目よ。ずっと私だけを見ていて?」
ぎゅうとシャーロットがウィラードを抱き締めた。
駄目だ。苛立ちが最高潮まで来ている。シリルは二人から目を逸らした。
「うん。ずっとシャーリーだけを愛してる。」
「私も。」
その言葉の流れから嫌な予感がして視線を戻す。
すると目を閉じたシャーロットに顔を近付けるウィラードがいた。それは許容できない。遠慮なくウィラードへ拳をふるった。
「やだ。ごめんなさい。つい流れで……。」
「いえ、気持ちは分かります。」
「ふふっ。ありがとう。」
屈託なく笑うレイラの表情は初めてだ。これだけは感謝するべきかもしれない。いつかはこんな表情を浮かべてほしい。
咄嗟のことで手加減が出来なかったからか、ウィラードは気絶してしまった。転がったウィラードを見てシャーロットは溜め息を吐いた。
「御門は後ね。まずは……。」
シャーロットは女を見つめた。
彼女に見つめられた女は身体を強張らせて、緊張している。それを見たシャーロットは表情の一切を消して口を開いた。
「あの方々が『貴女』を造ったのは想定外だけれど、私の考えた術式ならなんとかなるわ。だから私が貴女を神様にしてあげる。この娘の身体を渡さずにね。それならいいかしら?」
「そんなことが出来るのかい?」
「私が七百年をかけた事を馬鹿にするの?」
「いいや? 上手く出来たら文句は言わない。その娘のことは諦める。でも駄目だったらその身体を明け渡してもらう。よろしく頼むよ。」
「そんなことにはさせないわ。それじゃあ始めるわね。目を閉じて?」
大人しく目を瞑った女にシャーロットが手を翳す。
紫の瞳がぼんやりとした光を纏い、髪がふわりと浮き上がる。ここだけ時間が止まったような気がする。
「第六術式を構築、第一術式で補強『反転』。」
眩い光が女から放たれる。目を開けていられなくてシリルは目を覆った。




