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譲渡と優しい声

しゅうしゅうと異様な呼吸音を放つそれは己が傷つけた男二人を見つめ、どちらから手をつけようか悩んでいるようだった。

手負いのウィラードとシリルに守られるように前に立たれているのが何とも気に入らないが、前に出ればそれに連れて行かれそうだ。腹に傷を負ったシリルを怒らせるわけにもいかない。

そんなシリルだが徐々に呼吸が荒くなっている。

「すごい吐き気がするんだが、これはそれのせいか?」

シリルは蒼白い顔をしてそれを指差した。

「やっぱり? 先生ふつうの人だもんね。そいつの気にあてられたんだよ。まあ、それで済んでるのはペリドートさんのおかげだね。ふつうは傍にいるだけで卒倒するレベルだし。」

そんなこと聞いてない。言う暇も無かったのだろうが、そんなことならレイラがそれを引っ捕まえておけば良かった。シリルよりはレイラの方が死ににくいはずだ。

「……どうしてお前らは平気なんだ。」

「オレ最高位の妖魔、お嬢さんの祝福は五つだし今神様。つまりは土台の違いだね。こいつを簡単に捕まえるならお嬢さんに任せれば良いんだけど。どうする?」

「どうやって留めればいいのか教えてくれるかしら。分からないと思うようにならないみたいなの。」

「動くな」という『言葉』でもレイラが死体にしようとして『言葉』を放てばその通りになる。そして身体の動きだけ止めようとすればその通りに。なので解釈を間違ってはいけない。

「そうだね。どうしようか。まあ面倒だしいっそのこと殺した方がいいかも。こいつから話なんて聞けないだろうからね。残滓から主を探すとするよ。」

ひとつ頷いてからレイラは意識して言葉を紡いだ。

「分かった。『消えて』。」

すると瞬きの間に気味の悪いそれは消え去った。

しかし、しんとした空間にウィラードの絶叫が響き渡る。

「ああぁぁぁあ! お嬢さんの馬鹿! 場から存在を『消して』どうするの。範囲絞らないから残りっかすも消えちゃっ……あれ? お嬢さんどこ行った?」


◇◆◇


まずいことになった。

とりあえずシリルならレイラが消えた瞬間を見ていたかもしれないと姿を探すがどこにもいない。

「まさか先生も? 呪い返しの一種かなぁ。」

しかし、力を行使したレイラはともかく一般人のシリルの消えた理由がわからない。一つの祝福がある以外はいたって普通だ。多少化け物じみた剣の腕と、暗殺者並みに気配を消すのが上手いだけだ。

「あれ、普通じゃなくない?」

というのは置いておいて、とにかく異能者ではない。

あれに何かしら呪い返し系の術が組み込まれていたのなら、レイラは術者の元に移動しているのか、もしくは自分の放った言霊で消えたかだろう。

ただ、『月』の神の存在そのものが消えると綻びが出る。それをウィラードが感じられないわけがない。

「シトリンさん。」

すう、と胸ポケットから黄と紫の光が溢れ ウィラードの目の前に透き通ったシトリンが現れる。 不機嫌そうだ。

「また彼女になにか?」

「うん。行方知れずになっててね。」

「私がいる意味はあるの?」

「あるよ。力を貰いたいと思ってね。でも今回で最後。殺すって約束を今果たすつもり。」

ウィラードの言葉にシトリンは目を丸くして、次にほっとしたような表情になった。

「本当はもっと早く奪っておけば良かったんだけど。」

ゆっくりと目を閉じた。それを了承と受け取り、シトリンに手を翳した。シトリンを形作る魂を分解して力へと変えていく。

「ねぇ結局オレはシトリンさんに勝てなかったよ。」

ふとシャーロットの顔が頭をよぎった。ウィラードと共にいることよりシトリンの願いを叶えようとした愛しい少女を。

ぽつりと落とした言葉は独り言に近く、それに断片の言葉では通じないと思った。しかしシトリンは理解した。

「それはそうよ。だって私はあの子を愛していたもの。憎しいと思うのと同じくらいに強く思っていたわ。ミカドの執着愛如きが勝てるわけないでしょう。」

そう、くすりと笑ってシトリンは消えた。

この世界が出来た時、まだヒトがこの世界の頂点に立つ前から存在していたシトリン。たかだか二千年の記憶しかないウィラードでは理解できない感情を持っていただろう。

じわりとウィラードの身体に力が流れ込んできた。

「これでようやく干渉できるかな。」

今までにもシトリンから奪おうと思えば奪えたが、まだ時期ではなかった。しかし今は終わりを感じる。使いようは色々ある。さて、どう使おうか。


◇◆◇


優しい声がどこからか聞こえてくる。

何処かで聞いたような、どこか懐かしい女性の声が。

『…や……た……よ…で?』

聞き取れない。女性が何を訊いているのか、求めているのか分からない。分からないと困るということは本能的に分かった。

耳を研ぎ澄ませる。

『は…………し……ん…?』

駄目だ。聞き取れない。どうすればいいのかと途方に暮れた時、一言だけ聞こえた。

『愛しい人。』

どき、と鼓動が跳ねた。一気に覚醒する。

「う……。」

喉の奥に何かが詰まったような感覚がしてレイラは自分の首に触れる。いつもより体温が高いような気がする。

のろのろと身を起こして辺りを見回す。

見覚えのない景色だ。真白な石畳に真白な柱、真白な建物の中にレイラはいた。

『言葉』を使って謎の生物を消そうとしたところで記憶が途切れている。ひとまず状況を確認しようと床に焦点を合わせて記録を視る。

しかし何も視えない。ということはこの建物は『人工物』ではないということだ。

「もしかして神殿かしら。」

それならこの建物は神の『創造物』だ。レイラには『記録』が視えないのも理解できる。ここが天国には思えない。

王の許可がなければ入れなかったから、丁度良かった。

せっせと調べてしまおう。図書室的なものがあれば良いが、そういう物の無さそうな雰囲気だ。思っていたのと違う。

この神殿は何を守るために存在しているのだろう。

創造神の遺物とかありそうだ。

なんだか近くの森を探検していた幼き日を思い出す。

しばらく歩いていると、廊下の先に緑が見えた。

「森……かしら。」

閉鎖された空間のなかに森があるというのは不思議な感じだ。存在は紫水晶アメジストのネックレスを視たときに知ってはいたが目の前にすると何か違うようだ。

偽物の太陽と月。偽物の森。

この『神殿』という世界の中に本物は自分しかない。

森の中に足を踏み入れる。偽物と分かる感覚が足の裏に伝わる。そこまでの違いはないが、何となく分かる。

その時、緑の中に蜂蜜色のきらきらした髪の毛が見えた。見慣れたその髪の色に鼓動が速まる。

「あ、レイラ。良かった。見つからなかったらどうしようかと思ってた。」

ほっとしたのかシリルはしゃがみこんだ。

怪我が辛いのかもしれない。

適当に腹に巻かれた布が目に入る。手当していないよりましだ。人の手当ては得意でも自分の手当ては苦手なようだ。

「どうしてここにいるんでしょう。」

「分からない。俺はレイラが力を使った瞬間にレイラの姿が薄くなって慌てて抱き締めた所までは覚えてるんだが……気付いたらここにいた。」

『言葉』が引き金になったのかもしれない。

ただ、何をどうすれば引き金になるのか分からないのが問題だ。こういう時にウィラードの記憶が欲しくなる。

相変わらず蒼白い顔だ。しゃがみこんでいるシリルを抱き締める。大きな背中を撫でると強張っていた身体から力が抜けていった。

ゆらゆらと揺れ始めたシリルの頭を膝に載せた。

「ああ、ありがとう。」

それだけ言ってシリルは瞳を閉じた。

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