初めての表情と初めての話
「お嬢さんに会いに来たよ。」
そうウィラードは言った。輝く緋い瞳を細めて。
「何しに来たの?」
この男は怖い。とりあえず逃げるために扉を閉めようとしたが、手首を引っ張られベッドに叩きつけられる。そんなに柔らかいベッドではない為、背中が痛い。
痛みに呻いている間に組み敷かれる。身動きがとれない。
この男はいちいち距離を詰めないと話が出来ないのか。上にいるウィラードを睨む。
「もう、逃げないでよ。今日は話だけだから。」
そんな言葉を信じられるはずがない。『言葉』を使って理事長室に移動することにした。一、二日眠ることになるだろうが、この男と話すよりは良い。
『理じ…んっ!……。』
だが、口を手で覆われ喋れない。
「いやぁ、まさかアドルフ・シトリン以外にも言霊使いがいるとは思わなかったな。」
おかげで前はキスできなかった、と笑うウィラードを睨む。まだキスなんてしたことがない。それをこの男は……。
「本当に今回は仕事を頼みに来ただけだよ? ねぇお嬢さんが視れるのは何?」
そう言って、レイラの額に口づけた。
(なに、するの?この男は!)
『そんなに怒らないでよ。』
……。どういうことだ。男の唇は動いていないのに。声が聞こえる。
『お嬢さんを喋らせるわけにはいかないからね。でもこれで意思の疎通は出来るでしょ?』
妖魔はなんでも出来るのだろうか?
これはテレパシーというやつだろう。確かに意思の疎通は出来るが、この男と話したくない。というかこの思考すら聞こえているなら、離してほしい。それに、ここはシリルのベッドの上だ。せめて自分の方のベッドにして欲しかった。
『え、ここお嬢さんのベッドじゃないの? まぁ別に良いけど。そっちの方が面白いしね。』
面白くない。ふざけるな。
『で、何が視れるの?』
(誰が貴方なんかに。私を何に使うつもりなの?)
すると、にっこりと笑い。ペラペラ話し始めた。
『仕事で依頼を受けてね。誰がナイトレイ子爵に暗殺者を差し向けたのかを知りたいから。もし、お嬢さんが花とか草なら困るんだけど、あと建物も首謀者が分からないから困るな。服は視れる? 暗殺者は自害したから持ち物ならあるんだけど、それともヒトが視れる? 多少腐ってるけどね。』
そんなもの自力で探せば良いだろう。そんなに視てほしいなら王様に頼みに行け。レイラなんかより力が強いはずだ。
『あそこ神域だから入れないんだよねぇ。報酬は三:七でどう?』
(嫌よ。貴方が依頼を受けたのなら、貴方が自力で探さないと駄目でしょう。)
『使えるもの総てを使うのがオレの流儀。それに早く首謀者見つけないと、そろそろ子爵が殺されそうなんだよね。』
(暗殺者の持ち物を視たところで首謀者が判るとは限らないわ。)
そうレイラが言えば、ウィラードは疲れたように溜め息を吐いて、レイラの首元に顔をうずめた。ウィラードの体から力が抜け、体重がもろにかかる。重い。
こんなに男の人に密着されるのは、兄やシリルになら許せるがこの人は許せない。
『そうなんだよね。大体ああいうのって絶対に足がつかないようにしてるし。でも世話になってる人だから何とかしたいんだよね。』
(気持ちは分かるわ。でも私は貴方が嫌いなのウィラード・シャルレ。)
『ウィルでいいよ。お嬢さん。』
(私、貴方が嫌いだから。帰って。)
『じゃあ、ウィルって呼んでくれたら帰ってあげても良いよ?』
呼ぶのは嫌だが、こうなれば考えるまでもない。
(ウィル帰って。)
『うわ。本当に嫌いなの? オレのこと。』
哀しいなぁ、と言いながらウィラードが起き上がり、塞がれていた口がようやく解放される。ひとまず起き上がり深呼吸をしてから短剣を探すが、先ほどベッドに突き飛ばされたときに落としたようだ。無い。
「物騒だねぇ。オレをどうする気だったの。」
「まだ聞こえるの?」
「うん。もう一回キスさせてくれるなら解くけど。」
「………………………………。額なら。」
「すっごく嫌そうだね。」
当たり前だろう。しかし、この思考が読まれている限り、いつかはレイラの視えるモノを知られる。この男だけには知られたくない。嫌いだから。
「ねぇ。目、閉じて?」
絶対に閉じるわけにはいかない。瞬きひとつしないように目元に力をこめる。こんな軽薄な男の前で目を閉じてはいけない。
「もう、頑固だなぁ。」
肩を落としながら、レイラの額にウィラードが唇を寄せた時だった。
ガチャ、という音と共にウィラードの頭に拳銃を突き付けるシリルがいた。目の前のウィラードの顔も強張っている。気配がまるでなかった。
「そいつに何してる。不法侵入者。」
『まいったな。オレ気配には敏感な方なんだけど。』
未だに聞こえて来るこの声はシリルには聞こえないだろう。
「ヴィンセントから離れろ。」
「はいはい、分かりました。」
ウィラードは手を挙げて、レイラから離れる。
「お前誰だ?」
床に座らせたウィラードに、誰何するシリルの目は鋭い。
「恋人に会い……。」
「妖魔です。帰ったらいました。」
「なるほど。ヴィンセント狙いか。」
そう言って、シリルは拳銃をごりごりとウィラードに押しつける。
『ええー、こいつ妖魔のこと知ってるの? 誤魔化さなくて良いなら早く言ってよ、お嬢さんは意地悪だなー。』
(誤魔化すなら、もっとマシな言い訳をすれば良いでしょう?)
そんなことより、早くこのテレパシーを切ってほしい。
というか、キスをしなくても切れるんじゃないか?
この軽薄男ならそれを黙っている可能性がある。
『バレちゃった。』
「ヴィンセント、どうした? なんか怒ってるように見える。」
そう言ってシリルが視線を向けてくる。それに大丈夫です、と返してからウィラードを睨み付ける。
(早く解いて。)
『どうしよっかな? キスさせてくれるならいいよ? 唇に。』
こいつは殺してもいいのだろうか。妖魔だし、害にしかならなさそうだ。
いっそのことアルヴィンを呼びに行ってもいいかもしれない。アルヴィンは稀代の魔法使いと前にウィラードが言っていた。前に中級妖魔を倒したときのように、この苛立ちしか湧かない顔に穴を開けてくれるかもしれない。
いや、その前にもっと簡単な方法があった。
『ウィラード・シャルレ、これを解いて。』
その瞬間、レイラを眠気が襲う。
思っていたより反動が重い。テレパシーを切るぐらいでこんなに怠くなるとは。たまらずベッドに倒れた。
「ヴィンセント!?」
まずい。意識が飛びそうだ。
またシリルに迷惑をかけてしまう。
「お大事に。お嬢さん。」
その声のする方を見れば、ウィラードが霧のようになるのが見えた。
そして、焦った様子のシリルが駆け寄ってくる姿も。
(ごめんなさい。先生のベッドの上なのに。)
それが言葉になったのか分からないまま意識が飛んだ。
◇◆◇
不思議な声でレイラが喋った途端、彼女の体はベッドに倒れこんだ。
「ヴィンセント!?」
妖魔の存在を忘れて駆け寄る。
「ごめんなさ……。」
かすかに聞こえたその声は弱々しくて、怖くなる。
眠っているはずなのに、シリルには死んでいるように見えたからだ。
「起きろヴィンセント。」
肩を揺らすが反応がない。もう一度、今度は強めに揺らす。
それでも反応がない。
「ヴィンセント?」
そっと、口元に手をかざす。
(息をしてない?まさか。)
今度は脈をみる。頸動脈の辺りを触るが、ない。
手が震えているせいかと思い、胸に耳を当ててみる。
それでも、ない。
(あの妖魔になにか……。いや、今はそんなことはどうでもいい。早く助けないと。)
レイラをベッドの上に真っ直ぐ寝かせた後、額に手を当て頭を反らす。それから頤を持ち上げた。額に当てていた手で鼻をつまみ、息を吸ってレイラの口にそれを送り込む。横目でレイラの胸が膨らむのを確認しながら、それを二、三回した後、今度は胸の中心辺りに両手を置き、全体重をかけて圧迫する。
それを三十回した後、また人工呼吸をし次は心臓マッサージと繰り返す。
しかし、息を吹き返さない。もう手遅れなのでは、そう考えてしまう。ここにシリル以外に誰かが居たならこんなに弱気にならなかったかもしれないが、この階にはシリルの部屋以外は空き部屋で、誰も居ない。
まだ一月の付き合いで、よく知らないところもある。
それでも、レイラの出生や、過去に犯した事を間接的とはいえ知ってしまった。それを含めて守ると約束したからには、部屋まで送るべきだった。この学院に忍び込む馬鹿はいないと思っていた過去の自分を殴りたい。その馬鹿のせいでレイラは今、死にかけているのに。
(あの妖魔、今度見つけたら捕まえてアルヴィンに突き出す。)
シリルなんかより、魔法使いの方が出来ることが多いだろう。
もう五分以上蘇生を続けている。それでも目覚める兆しを見せない。
そして、何度目かになる人工呼吸を始めた時だった。
「ん!?」
驚いたような声と共にレイラが目を覚ました。
レイラの無表情以外の表情を見るのは初めてかもしれない。
紫水晶の瞳が飛び出るんじゃないか、というぐらい目を見開き、シリルが唇を離せば、口をぱくぱくとさせた。徐々に赤く染まる頬を見て、シリルもこれはまずいと思った。レイラからすれば目が覚めた時に襲われかけていたように思うだろう。
「ごめんな。その、息をしてないし脈もなかったから。悪い。」
「ぃえ、ありがとうございました。」
上擦った声で返され、シリルも動揺する。
レイラがゆっくりと身を起こすと金茶色の髪がさらさらと音をたて背中に流れる。潤んだ紫水晶の瞳といつもより赤い頬は、人形みたいな普段より可愛く見え……。
(俺は何を考えてる!)
「あの、言い忘れてたかもしれないのですが……。」
おずおずと未だに顔の赤いレイラが話し始めた。
「私、言葉の力を使うと眠ってしまうんです。その間は心肺停止状態になっていると兄から言われてました。」
………。
「今回はそんなに反動がなかったのですが、昔は二月眠ることもありました。」
なるほど。やはり大きな力には代償が必要ということか。
では、シリルの今したことは何になるのだろうか。
言い忘れた、そうレイラは言ったが、レイラの言葉の力については理事長から聞いた。彼女が言い忘れたことにはならない。
しかし、副作用の様なものがあるなんて事をメリルは言っていただろうか? この際、言い忘れていたのならまだ良い。忘れないのが理想だったが。
これで、わざとだったとしたら……。
(次の勤め先、探そう。)
◇◆◇
青い薔薇園にレイラは居た。またあの赤い夢か、とそう思っていると目の前にレイラと同じ顔の少女が座った。
その少女はいつものような黒いドレスではなく赤いドレスを着ていた。レイラも自分の姿を見る。しかし、レイラはいつものように白いドレスだった。
同じ顔をした少女はいつものように唄うこともなく、ただぼんやりと東屋から青い薔薇を眺めている。
「ねぇ、貴女は誰?」
初めて声をかけた。すると少女は視線だけレイラに向けた。
「どうして、いつも私の夢の中にいるの?」
いつも、といっても、シリルに抱きしめてもらった日からこの赤い夢は見ていないが。
「私は貴女。貴女は私。それだけだわ。」
そう言って、赤い薔薇を差し出された。
いつもは青い薔薇なのに、と思いながら受け取ると。
青い薔薇園は消え、真っ暗な静寂が支配する世界になった。
いつも通りだ。この暗い世界が明るくなる頃に、目覚めるだろう。
それにしても、またシリルに迷惑をかけてしまった。
(今度、先生の好きなものを贈ろう。)
何が好きなのか聞いておかなければ。
そう思っていると、徐々に明るくなってくる。今回は大したことがなかったらしい。
感覚も戻ってくる。と同時に何か温かなものに唇を塞がれているのを感じる。その上、温かな風が吹き込まれるような感覚もする。これは何だろう?
まだ体は動かせない。今度は胸が圧迫される。苦しい。というか痛い。骨が折れそうだ。
何度もその感覚を感じていると、世界が真っ白になり、目が覚める。
見慣れた天井がレイラを迎えるはずだった。
が、レイラを迎えたのは蜂蜜色の髪だった。鼻をつままれ、上向かされている。そして、口になにか温かなものが……。
「ん!?」
これはどういう事だ。レイラの口にシリルの……。
シリルが顔をあげれば、自然と唇に意識が行く。どんどん顔に熱が上っていく。そして、それを見たシリルは驚いた顔をしている。
「ごめんな。その、息をしてないし脈もなかったから。悪い。」
「ぃえ、ありがとうございました。」
動揺は消せず、声が上擦ってしまう。
それから、ゆっくりと身を起こした。
だが、息をしていなかった?
それは当たり前の事だ。レイラは『言葉』を使ったのだから。
そこまで考えたところで、ある可能性に気づく。
シリルはレイラの力について、理事長から聞いたと言っていた。だが、学院でこの力を使うつもりはなかったし、そんなに必要ではない情報のため、メリルが伝え忘れた可能性がある。
「あの、言い忘れてたかもしれないのですが……。」
言いづらかったが、また今度同じことがあったときに、これをまたされると思うと、申し訳ないのと恥ずかしいのとで立ち直れない。
「私、言葉の力を使うと眠ってしまうんです。その間は心肺停止状態になっていると兄から言われてました。」
すると、シリルは目を見開いた。恥ずかしさと申し訳なさで泣けてくる。
「今回はそんなに反動がなかったのですが、昔は二月眠ることもありました。」
シリルの反応が怖くて俯いていたが、なかなか反応がない。そっと見上げると、固まっていた。
(ど、どうしようかしら。)
試しにシリルの目の前で手を振ってみる。
すると、目が合った。また顔が熱くなる。
恥ずかしい。どうしてだろう。ただ単にシリルはレイラを助けようとしてくれたのに。
「勝手に勘違いして、その、あの、あれだ。悪い。」
それを言った後、シリルは顔を覆ってしゃがみ込んだ。
「伝え忘れたのは私なので、気にしないでください。」
駄目だ。声がうまく出せない。どうしても声が高くなる。
「ああ、そうだな。」
「そういえば。先生、お仕事は?」
さっきの事で忘れていた。確か、さっき職員室に行くと言っていたのに、何故かこの部屋に帰ってきていた。
「ああ、そうだな。」
これは、レイラより重症だ。
そのまま、職員室に歩いていった。何度か障害物に当たりながら。
(早く、何か贈り物を探さないと。)
予定より、シリルには迷惑をかけすぎている。
今回はよりにもよって、先生のく、口的なあれをう、奪っ、奪ってしまった。いやレイラは奪ってないのだが。そんな状況にしてしまったのはレイラだ。
「私はどうしたら良いの。」
とりあえず、今晩はできるだけ普通に過ごそう。そして美味しいお茶を出さなければ。そう決めた。




