見る目と気づかい
「……分かりますか?」
「当たり前だ。一目で分かった。」
綺麗に結われている頭をよけて、首筋を撫でられた。
黙ったままシリルの胸に顔を埋める。
懐かしい香りがして頬が緩まった。長く離れているとこの感覚を忘れてしまいそうだと思っていたが、そんなことはないらしい。
「まさかとは思うが、髪色とか化粧だけで誤魔化せると思ってるのか?」
呆れられている。しかし、これはレイラが言って実行したことではない。これを提言して実行したのはあの王子だ。
「ジェフリー殿下が化粧をしていれば大抵別人になると仰ってました。……やっぱり駄目なんですね。」
色々鈍いシリルに気付かれるなんて余程レイラに黒髪が馴染んでいなかったのか。ジェフリーめ似合ってると言ったくせに。彼は見る目がなかったのだろうか。
そんなレイラの心の内を覗いたようにシリルはレイラの髪を撫でた。
「黒髪も似合うな。でも、勿体ないな綺麗な髪なのに。わざわざ染めたのか?」
「いえ、魔法道具で変えてます。」
「瞳の色もか? 便利だな。」
そっと目のふちに触れられた。シリルの瞳の色に近いこの金色の瞳は嫌だ。レイラは太陽と月のようにシリルとどんなことでも対となっていたいのだ。
左手の中指から魔法道具の指輪を抜く。シリルの前で偽りでいたくない。
「レイラ……それどうした。」
変化が解けてシリルの眼前に銀髪金目のレイラが現れたのだろう。シリルは目を丸くして俯くレイラを凝視している。
「此方に着いて数日でこうなりました。ウィルとか陛下が色を戻す方法を探してくれてるんですが、未だに何も分からないみたいです。」
ただ一つ分かっているのは、力が馴染んではいないもののレイラが五柱の一角『月』の権利をもっていることだ。何ヵ月かに一度定例会議に喚ばれる。
そして注意していないと『過去』も『未来』も視えてしまう。人工物に触れて視るのとは別の力が身体にある。
最悪な状況だ。今なら多少不具合が起こってしまっても代わりの者を適当に創ってしまいたくなる。
しかし、何をするにしても、どうやっても長い道のりだ。みえない未来に思いを馳せて溜め息を吐く。
そんなレイラを心配そうな目でシリルは見つめる。
「俺にとってレイラが大切なことに変わりはない。不安に思うな。離れていても俺はレイラのことが、その……す、好きだ。」
照れ隠しなのか片手で顔を覆って天を仰いでいた。
しかし顔を隠したところで真っ赤な耳で丸分かりだ。
慣れない台詞を口にして後悔しているように見える。
だが、見た目が変わったのを理由にシリルがレイラから興味をなくすという事は考えていない。それは有り得ないことだ。
ただ、神の領域にシリルを踏み入らせるわけにはいかないので、この面倒な重りを捨てて王宮から出るのにあとどれくらいかかるか、そもそも出られるのかを考えて憂鬱になっていただけなのだ。
「私も好きです。」
「良かった。忘れられてるかと思った。」
「忘れたりしません。」
「冗談だ。」
くすくすと二人で笑いあった。このお互いが信頼している関係がくすぐったくて、嬉しくてしょうがない。
久しぶりにシリルの笑顔を見れた。今の内に記憶しておこうと顔をあげるとシリルは唖然とレイラを見つめていた。
「どうされました?」
「いや、笑った顔も可愛いなと思ってな。」
からかうようなシリルの声色に頬が熱をもつ。
愛想笑いはジェフリーとの対戦により習得出来ていたが、普通の屈託のない笑みは練習して出来るものでもなかった。
やはりシリルと会えて、自分に気付いてもらえて浮かれているのだろう。気が緩んでしまっている。
再び指輪を嵌めて、人気のない場所を探す。
立ち話もなんだ座りたい。休憩室には他の人もいるだろう。余所を視てみる。
「こっちです。」
ぐいぐいと袖を引っ張って人気のない場所へ移動する。
「そういえば妖魔の姿が見えないな。あいつは何処にいる?」
「世界中から情報を集めに行くって言って、たまに居なくなります。でも私が困った時には何故かいます。」
常に監視をつけているのは知っていたが、最近になってその監視が霊感のないレイラには視認できない類いのものであることに気づいた。
「あいつ……。変なことはされなかったか?」
「大丈夫です。ちゃんと守ってくれていましたから。」
人気のない通路の奥で立ち止まる。
ここなら、殆ど人通りがなかったのを確認して視た。
おずおずとシリルの身体に手を回す。化粧がシリルの服に付かないように細心の注意を払った。生地の質が怖いくらいに良い。
「これは誘ってるのか?」
戸惑ったようなシリルの様子にくすりと笑う。
学院を離れて丸くなったレイラに驚いているのだよう。
「う……ん。そうですね。シリルと二人きりになりたかったので。誘っているのかもしれません。」
「曖昧だな。好きに解釈するぞ。」
「どうぞ。」
近づいてくる整った顔を確認して瞳を閉じた。
柔らかなものが唇に軽く触れてゆっくりと離れていった。気恥ずかしいが瞳を開けて橄欖石の瞳を見つめる。
目元が緩んで、またシリルの顔が近づいてきた。
今まで視てきた事を参考にしてシリルの首に手を回した。
これで、しばらく幸せな気持ちでいられる。
世の中の人たちにはそれだけで? と突っ込まれてしまいそうだが、視るのと自分が体験するのとではものが違うようだ。
キスなんてたかだか皮膚がくっつくだけと馬鹿にしていたが、実際にキスしてみると考えが変わった。なぜ、いままでに視た恋人達があんなに恍惚としていたのか今なら理解できる。
愛し愛される関係とは本当に素晴らしいものだ。
だが、段々視界がぼやけてきた。最初から涙目気味ではあったが口付けが深まれば深まるほど呼吸が出来なくなっていく。
「んむ……っ。あのっ苦しいです……!」
半年ぶりくらいの口付けと恥ずかしさで瀕死状態だ。
「ああ、息継ぎの仕方忘れたのか。あの時だけだもんな。また覚えろ。してれば分かるようになる。窒息しそうになったら教えてくれ。止めるから。」
「止め……はい。分かりました。」
止めるつもりはないらしい。シリルのことだから最後まで流れることはない。しかし、それは逆にシリルに負担がかかるのではないだろうか。いっそのこと今止めてもらえば。
(……無理ね。私もこうしていたいから。)
シリルと付き合ってすぐに王都に来たのだ。
少しくらいなら良いだろう。
「そろそろ、戻るか。」
「や、待ってください。……動けません。」
「俺がエスコートするから安心しろ。」
「シリルの隣には『私』として立ちたいです。」
今は何処からか湧いて出たジェフリーのパートナー『リリィ』の姿だ。やはり本当の姿でシリルの隣にいたい。
「じゃあ殿下のとこに戻るのか? それだと殿下に嫉妬してしまいそうなんだが。」
「シリルは嫉妬してるのですか?」
「レイラはしてくれないのか?」
「します。」
レイラが王都にいる間に婚約者が出来てしまうのではと、想像しては落ち込んでいた。レイラは雑で庶民だからもっと繊細な貴族の女性に目が行ってしまうのではと。
ただ、レイラは人工物を視る力があるからシリルが浮気も余所見もしていないことが分かっている。先程ざっと確認した。
シリルもわざわざレイラに学院での生活が視られるように、いつも持ち歩いているものをあちこちにつけていた。
信頼していても不安になる乙女心を察しているらしい。
レイラは不安になんてならないが。




