昔話 Ⅲ
それからリリスは何度も取り憑かれて、何度も熱を出した。ルークやミスカが何度追い払ってもきりがない。
どんなに深く探ってもアリアには二つの祝福しか感じられなかった。しかしミスカが言うには五つの祝福だ。どれだけの負担があるのだろうか。
リリスの器のなかには強大な力が貯められていたが、まだ容量があった。その隙間に入り込むために悪しきものが集まっているのだろう。
「また熱が出たの。」
「そう……。」
この会話を、この台詞を何度口にしただろう。
どんな時でも元気の良かったルークが黙りこむと、夫婦の間に沈黙が訪れた。毎日のようにルークが外に調べに行っているが、霊体を寄せないようにする方法が見つからない。
「私はどうしたらいいの。」
思わず口に出していた。その呟きに応えはないとおもっていた。しかし、
『どうもしないさ。この身体は三柱の神が私を入れるために、祝福を授けたのだからね。だから既にこれは私の身体さ。』
リリスの口から誰かの言葉が飛び出した。
にやりと笑うリリスにアリアは心が冷えていく。
赤子が浮かべる表情ではなく、嘲るような色が見える。
「あなたは誰? 一体なにを言っているの!?」
その身体はリリスとルークが望んで、つい先日ようやくその手に抱いた愛しい子供のものだ。
アリアと同じ金茶色の髪に菫色の瞳。ルークに似た目元。どれをとっても愛らしく愛おしい。
『失礼。挨拶が遅れたね。私は三柱の神の願いで造られた完璧な『意識』だ。まったく、中に入ったら先客がいたよ。大人気だね。追い出すのに一月もかかってしまった。』
「目的はなに? 早くこの子を解放して!」
中にいた霊体を追い出してくれたことには礼を言おう。
しかし、このままリリスの身体に留まろうというのならアリアは許さない。どんな手を使っても追い出してみせよう。
『それは不可能さ。神々は最後の純血になるこの赤子と私にシトリンの後始末をさせる気だ。私がこの赤子に入って、私がこの赤子に成る。そしてその私がいつか月の神となる。そうすれば世界は救われるだろう?』
世界のバランスを保つ機能が限界を迎えていることは識っている。だからといってその為にリリスを手放すことができようか。
「嫌よ。どうして世界なんかのためにリリスを犠牲にしないといけないの? 神が欠けるくらいで滅びてしまう世界なら、それがこの世界の運命というものよ。消えてしまえばいいわ。」
『確かにおぬしらが生きている間は滅びぬだろうよ。』
けらけらと笑うリリスの姿をした意識のせいで、リリスの熱が更に上がっていく。一体、小さな身体でどれだけの霊体を依らせているのだろう。
噛み締めた唇から赤い血が零れ落ちた。
◇◆◇
あの日からリリスはリリスでなくなった。
あの日から赤子に棲む意識は喋り続けていた。
アリアがリリスを諦めればどれだけのメリットがあるのか。どれだけの人が救われるのかを説いてくる。
アリアもルークもそれを無視し続けた。
この意識を剥がす方法だけを探した。
それなのに、意識はリリスの身体で神殿を歩き回った。
まだそんなに力もない赤子の身体を酷使している。
一日のほとんどを意識が支配していて、リリスに自意識があるのかどうか分からない。
そんなある日、神殿の扉が勝手に開かれヒトが侵入してきた。ルークが剣を持って出ていった。ほどほどで止めにいかなければ相手が死んでしまう。とりあえずリリスを安全なところに移動させようと思ったとき、ようやくリリスの姿が見えないことに気付いた。
ようやく森で見つけたとき、リリスに中年くらいの男が手を伸ばそうとしていた。『言葉』で男を弾き飛ばしてリリスを回収する。
神殿の扉を正しく操作できるのはアリアだけのはずだった。しかし、意識が扉を開いたということはアリアの持っている権利の一部がリリスに流れているということになる。
神殿と外は時間の流れが違う。
その差を少しでも寄せられるのが神子と呼ばれるアリアのような存在だ。
そしてアリアからその権利が移っていくということは、アリアより適正のある器が見つかったということだ。
それがリリスなら、アリアがすることは一つしかない。
リリスの力を封じればいいのだ。
そうすれば変な柵に縛られることなくリリスはリリスとして生きられるだろう。
◇◆◇
「それでアリアは大丈夫なの?」
「ええ、大丈夫だと思うわ。」
心配するルークにそう言って、アリアは眠らせたリリスの額に手を当てる。
瞳を閉じて中に入り込むイメージを頭に浮かべる。
次に目を開いたとき、アリアは薔薇園の中心にいた。
「青い薔薇?」
一面に広がる青色の薔薇はアリアを穏やかな気持ちにさせた。青色を見ると落ち着く。
深呼吸をしてこの庭園を閉じる術式を展開する。
空間が歪むのを感じて、その歪みを固定した。
これで祝福の力が少しは抑えられたはずだ。
これを何度か繰り返せば唯人と変わらなくなるだろう。
「おかしいわ。」
もう何重にも術式を重ねているはずなのに、力が抑えられた気がしない。強大な力はまだそこに存在している。
まさか、力の差があり過ぎてアリアの術式が効かないのか。
アリアはアドルフと同じ、限りなく純粋な純血だ。
ルークの力は僅かしかないから、アリアとルークの間に生まれたリリスがアリアの力を上回るはずがないのである。
(神の祝福はここまで影響を与えるものなの?)
おかしい。祝福が五つだとしてもここまで力が貯まるものだろうか。
力を使いすぎて、次に術式を展開するとなると力が足りない。こうなれば寿命を削るしかない。
力ではなく寿命を力に替えれば少しは効果があるかもしれない。
(少しくらいなら……大丈夫よ。)
淡い紫色の光がアリアの身体から放たれる。
その光が集まり木の扉となった。
その代わり、アリアの視界はゆがんでいた。やはり寿命を削るというのは身体に負担が掛かるらしい。
しかし、それでもリリスの力に変化はない。
(もう一度だけ。)
アリアは神殿でしか生きられなかった。
それが定められたものだったからだ。
そうしなければ、誰かが女神の代わりをしなければ、そんなことが生まれた時から、目が覚めたときから頭の中にあった。
だが、それを愛娘にまで背負わせるなんて御免だ。
愛しいリリスには人並みの幸せと生活を手に入れてほしい。
アリアはルークという存在が神殿にまで踏み入ってきたからいい。しかしリリスは神殿にいたら運命を手に入れられない。アリアはたまたま幸運に恵まれただけだ。
二度目の寿命を削る行為で、寿命だけではなく魂までも削れてしまったようだ。アリアの身体が薄っすらと透けている。
「そこから先は私にまかせて。貴女は消えては駄目。」
その時やわらかな女性の声がした。
はっとして振り返るとそこには茶髪の女性がいた。
「それ以上、魂を削ってしまったら貴女は輪廻の輪に戻れなくなるわ。私には貴女の寿命を戻すことは出来ないけれど、削れた魂を修復することくらいは出来るの。また運命に会いたいでしょう?」
自分と同じ菫色の瞳に安心感を覚える。
しかし、彼女の言っていることはアリアにも出来ない領域の力だ。器の世界にいる存在にそんなことが出来るだろうか。
運命にまた会える。というのは実に魅力的ではあるが、アリアはまだ彼女を信用できない。それに、
「でも、このままじゃ『リリス』がなくなってしまうわ。」
ほとんど自意識のないリリスに『意識』が根をはっていて、引き剥がすには養分である『力』をどんな方法を使っても極限まで抑えることだ。そんな夢のようなことが出来るとは思えなかった。
「ええ、だから残りの力は全てとは言えないけれどほとんどを私が封じるわ。貴女が寿命を削る前に起きられなくてごめんなさい。今、目覚めたばかりなの。」
目覚めたばかり? リリスの器は生まれた時から機能していたはずだ。だからあんなに依ってきた。
「貴女は誰なの?」
「私? 私はね……。」




