最悪な気分の二人
オパールに手を引かれ裂け目のような所に入ったところまでは覚えている。凝った闇の中から目が覚めると、すぐ近くにウィラードの顔があった。
「おはよう、お嬢さん。気分はどう?」
「……最悪だわ。」
「うん。オレも最悪な気分だ。」
ウィラードに手を貸してもらって起き上がる。
寝台の上で肩から流れ落ちる自分の髪を見て脱力した。もう何もやる気が起きない。うつ伏せに倒れ込む。柔らかな寝台に顔を埋めて重い息を吐いた。
これからレイラはどうやって生きていけばいいのだろう。頭をぐりぐりと寝台に擦り付けているとウィラードに転がされ仰向けになった。
「なに?」
こちらをじっと見つめている緋い瞳に尋ねた。
真剣な表情のウィラードに見つめられるのは居心地が悪い。普段のちゃらけた姿とあまりにもかけ離れているから。
しばらく何かを確かめるように目のふちをなぞり、真顔になったかと思うと不思議そうにこてんと首を傾げた。
「馴染んではない……かな? なんかヅラ被ってるみたい。」
「そうなの?」
色の変わってしまった自分の髪を触ってみる。
どこからどう見ても銀色だ。あの金茶色ではない。
「まだ先生のこと好きでしょ? 勿論異性として。」
「ええ。そうね。」
シリルのことを考えるとふわふわする。会いたい。
前まで側にいたから飢餓感を覚えなかったのかもしれない。今は寂しくて、抱き締めて欲しくて仕方ない。
「まあ、その心があるなら普通は即死のはずなのにお嬢さんが生きてるってことは、何か仕掛けがあると思うんだ。調べてもいい?」
ずいっと身を寄せてきたウィラードの顔が思いの外近くてレイラは身を仰け反らせる。心なしか緋い瞳が煌々と輝いているようにも見える。
「何をすればいいの?」
「まずはその色気もへったくれもない寝間着を脱いでもらえると嬉しいかな。……そんな目で見ないでよ。襲ったりしないから。」
色気もへったくれもないとはウィラードには関係ないではないか。この寝間着に色気は求めていない。レイラは着心地が良ければ問題ない。
しかし、覗き魔のウィラードにはとっくの昔に見られているという可能性もあるが、わざわざ今下着姿を見られたいとは思わない。
「直接肌に触れないと読み取れないってだけ。」
警戒するレイラの頭をくしゃくしゃと掻き回しながらウィラードは笑った。その胡散臭さに顔を顰める。だが直接肌に触れるのなら脱ぐ必要はない。
「はい。どうぞ。」
頭にあったウィラードの手を首に当てる。
「心臓に近いところが良いんだけど……。」
「嫌よ。これで充分でしょう?」
いくら医療行為に近いもので、ウィラードに何の下心が無かったとしてもこれだけは譲れない。
「先生にはあんな出血大サービスだったくせに。」
「シリルは良いの。私が触ってほしいと思ってしまうのだもの。でも、他の異性とはあまり触れ合いたくないわ。」
「はいはい。ご馳走さま。」
うんざりした顔をしたウィラードは溜め息を吐いて目を閉じた。感覚を研ぎ澄ませているのが分かる。その時、何か違和感と妙な波動を感じた。これはまるで。
「ねえ。貴方から私と同じ気配がするのは気のせいかしら?」
「やっぱ分かる?」
ウィラードは悪戯っぽく笑う。
今まで感じなかった微小な力も感じられるようになるなんて、身体に馴染んでいなくてもここまでの影響があるとは驚きだ。
「どうして貴方にその力があるの?」
「長い間シャーリーの近くにいたからね。恋人同士が閉ざされた空間ですることなんて大体決まってるでしょ?」
性交渉だけで神の力が移るだろうか? だとしたら、とっくの昔にその方法をとって『神様』という役割は移されていたはずだ。何百年もかけて紛い物を作るような手間がかかることはしないだろう。
「そんな事だけで移るわけがないわ。」
「そうだよね。本当のところオレも分からないってのが真実かな。気付いたら身体に根付いていたから。何かしら意味があるはずなんだけど、それが分からない。」
妖魔に神の力なんて可笑しすぎて笑えてくる。
「そう……。それで何か分かった?」
「全然。お嬢さんに干渉すら出来なくなった。」
たった三日、四日で状況が悪化し過ぎだろう。
王宮に来るという選択が間違っていたのだろうか。
ここに来なければレイラは何も変わらなかったのだろうか。ここに来なくてもこうなったような気もする。
「うじうじしてないで身体を見せなさい!」
突然、目の前に現れた乳白色の少女に目を丸くする。
「オパールさん?」
するりと襟の隙間から小さな手が滑りこむ。くすぐったい。心臓の上で指が何かを描いた。ウィラードが言っていたことは、やはり本当のことだったらしい。少しだけ疑ってしまったことを反省する。
「一割も馴染んでない? どういうこと!?」
愕然とした表情で叫ぶオパールは、近くにいたウィラードの胸ぐらを掴み上げてがくがくと揺らしている。
「オレは知らない。オレはただの妖魔だから。」
「あら、あたしったら。失礼したわね。」
ぱっと手を離され、目を回していたウィラードは寝台に崩れ落ちた。
「少しだけ血をくれる? 調べて来るから。」
「ええ、構いませんが……。」
どこで調べるのだろう。不思議に思ったレイラが問おうとオパールを見た時だった。頭に映像が流れ込んでくる。白や銀色の人工物と白衣を着た人間たち。透明な試験管のようなもの、ひとりでに動き出す人工物。
なるほど、これでレイラの何かを調べるらしい。
レイラの身体の構成がきちんと神様に近いのかどうか。
今、レイラの視た映像は遠い世界の、それこそウィラードがいた世界のようなところだろう。いつかこの世界もあんな風になるのだろうか。
「痛い。」
ちくり、と小さな針が肌に刺さる。
注射器の中を満たしていく自分の血を見つめる。
髪の色が変わっても血の色は変わらないのか、とおかしな事を考えた。あのアレンだって赤い血を流していたというのに。
◇◆◇
柱に括りつけられてから数日経った。
外の時間は神殿より早いから向こうではそれなりに時間が経過しているはずだが、未だ誰も帰ってくる気配はない。
「ミスカよ。まさかとは思うが忘れられているのだろうか。」
男とも女とも見える美しい精霊に話し掛ける。
しかし、応えはない。主が死んだ精霊は眠ってしまうという。主の身体が動いていても魂がなければ意味はないということか。
「折角、近くにリリスがいるというのにね。ここでは上手く出来ない。まったく、あと少しで代われると思ったのに。」
ひとまずは月の役割を流し込むことは出来た。
問題は想定以上に強かった彼女の拒絶だ。
これでは『自分』の存在に意味がない。
彼女がいる限り幼い頃に同調したことがあるだけの『自分』では入り込めない。なんとか納得してもらわなければ。
『ここから先は私の領域よ。ここすら貴女は侵すというのなら容赦はしないわ。それとも私を殺すの?』
そう、彼女を殺してしまっては『自分』は消されてしまう。入り込む隙もないのに存在する意味はない。
だから、早くここから出ないといけない。
とにかくリリスに接触しなければ『自分』に自由はない。




