赤い湖と謎の集まり
ぴちゃん。雫が水面を跳ねる音がしてレイラは目を開けた。
そこは真っ暗な世界だった。
ただ、自分の姿は暗い世界の中でも浮き上がって見えている。純白の無駄に裾の長いドレスを着てぽつりと一人きりで立っていた。
足元を見下ろせば水面に立っている事が分かる。一面に広がる湖は奇妙なことに赤かった。
鮮やかな赤色の不気味な水はゆらゆらと揺らめいている。しゃがんで赤い水を掬ってみるが手の中を満たす水は無色透明でレイラは首を傾げた。
この赤色は何が原因なのだろうか。と考えて思い出した。最近はシリルと過ごしていて忘れていた。
これは嵐の夜に見る夢だ。赤い血の雨に降られて小屋へ逃げ込むと、『あの日』だ。大好きだった家政婦が殺されて、家政婦を殺した男達をレイラが殺した。あの嫌な日。
『貴女は忘れたの?』
声がして辺りを見回してみる。空を見て水面を見たとき、水面に映る自分の姿がおかしいことに気付いた。
(服が黒い。)
そうシリルと出会うまで青い薔薇園で毎晩歌っていた少女だ。ここ最近は様々な色のドレスを着ていたから喪服のような黒いドレスを着ているのは久しぶりに見た。
「どうしてそこにいるの?」
『貴女達が『私』を閉じ込めたのでしょう?』
「貴女『達』? どういうことかしら?」
彼女を閉じ込めた覚えはない。勝手に夢に出てくるのは彼女の方だ。いなくなっても嬉しく思うことはあっても寂しさは大して感じなかった。それにレイラだけならまだ理解できる。しかし『達』となると誰が含まれているのだろう。ウィラードとかだろうか。
『貴女は普通を望んで彼はその願いのために力を貸して罪悪感を殺したでしょう。貴女一人なら押し潰されていたはずなのに。』
普通を望むのは当たり前だろう。毎日のように襲撃を受けていたら普通を捨てなければいけなかったのだから。昔より落ち着いた今なら普通になっても良いのではないかと夢を抱いたって良いだろう。レイラの勝手だ。
罪悪感で思い当たるのは、やはりあの日だろう。
最初に殺してしまった男達の死に方。
ぐちゃぐちゃの肉片になって部屋に散らばった男達。
床に拡がる赤い染み。噎せ返るほどの濃い鉄錆びの臭い。
ぴくりともうごかない。大好きだった家政婦のカーラ。
ノアの悲痛な悲鳴。傾いでいく自分の身体。
そのなかでも一番恐ろしかったのは、その凄惨な光景を見ても何も感じなかった自分自身だった。
あの時のレイラは、男達が己の目の前に生きていることが許せなかった。あの時何を口走ったのか覚えていない。何を喋ればヒトが肉片になるものなのかと未だに疑問だ。
レイラは神の力でヒトを殺めた。人の力対人の力であれば『どちらか一方が負けて死ぬ』という結末になる。しかし、神の力対人の力では神の力の方が圧倒的に強い。『人が死ぬ』という結末になる。だから、レイラは人の力を磨いていたのだ。
それからはすべての襲撃者を自分の手で始末していた。
肉を断つ感覚は気持ち悪くて仕方なかったけれど、不平等はいけない。最初に殺してしまったなら最期まで殺し続けないと。
シリルはいけないと言うし、レイラもこういった行為が罪にあたることは分かっている。それでもレイラの償いはこれしか思いつかなかった。
シリルに優しく抱き締められて、『余程の事がない限りは殺すな』と言われたから学院にいた間は手を出してはいないが、各方面に大人気な紫の瞳がある限り襲撃される。その分はレイラの代わりにウィラードやクライヴが手を下していたはずだ。
「私はそこまで弱くないわ。」
簡単に折れてしまう心なら、とっくの昔にレイラは自分で命を断っているはすだ。今現在図太く生きている。
『言葉』の力を自分の為に使って、殺しに来る相手は自分で始末して、今は神様になりたくないのと嫌な男との間に子供をもうけるのが嫌で王宮に来ている。
『そのようね。まったく。予定が狂ってしまったじゃない。』
「予定?」
『貴女は罪悪感で押し潰されて、育てた愛も受け止めてもらえなくて。上手くいったと思ったのに。毎度のことだけれど忌々しい男ね。』
「忌々しい男?」
『そう。貴女がぎりぎり壊れないくらいに守ってるの。』
「誰が……。」
『言ったら私が困るもの。教えてあげないわ。』
なぜ困るのか。そもそもこの少女は何がしたいのだ。
確かレイラの世界には三人の少女がいたはずだ。
銀髪金目の月の少女と茶髪紫目の理の少女と幼少の頃のレイラと同じ姿の器の少女。
器の少女は一度だけ会ったことがある。
そして月の少女は最近になって会うようになった。
あの日から学院に入学するまでの間に毎晩顔を合わせていたのは理の少女だったはずだ。それなら水面の向こう側にいるこの少女は理の少女ということになるが、違和感がある。
ここ最近の理の少女は大人しかった。口数も少なくて喋るとしてもレイラの体調を気にしたり学院生活で嫌なことはなかったか、など保護者のような事しか言わなかった。
たまにシリルとのことでからかわれる事もあったが、それは例えるなら友人のような感じだった。
『仕方ないわ。貴女がここにいる間に終わらせたいから少し我慢して頂戴。文句はまた次に会った時に受け付けるわ。』
水面から白い手が伸びてきて水中へ引っ張り込まれる。
咄嗟に呼吸を止めることは出来るわけもなく水を飲んでしまった。しかし、不思議と苦しさは感じない。まるで『空気』というものが『水』になっているようだ。
何をするつもりなのか、と少女に問おうとして彼女が居なくなっていることに気付いた。だから文句は次に受け付けると言ったのか。真っ暗な水中に漂いながら水面を見上げる。大分遠くなってしまった。
ふと視線を下にやると海底の方にぼんやりとした光がある。あれはなんだろうと光の方へ潜ってみる。
(人がいる? どうして。)
人影が四つ見えた。そして円卓のようなものも。
ここはレイラの世界のはずだ。それなのに何故他の人がいるのだろう。もしかして全員レイラと同じ姿かもしれない。全員集合という。
しかし、人影に近付いていくとその考えは破られた。
「つべこべ言わずさっさと突っ込めって言ってるのよ!」
「そんなことしたら彼女が保たない!」
「はあ? 大体アンタがさっさと対策立てとけば良かったのよ! 千年もあればなんとかなったでしょ!?」
乳白色の髪の幼女に容赦なく揺さぶられる青年に見覚えがある。蜂蜜色に黄緑色の瞳をした太陽の神様ペリドート。
「そ、それは。仕方ないだろう。俺は対極にある存在なんだ。手出しは出来ない。それにユウにも手出し出来ない問題だ。俺にどうこう出来るわけもない。なあユウ。」
「ぼくはどうでも良いですけど、静かにしてください。オニキスさんが寝ていますから。」
理の神様ユウもいた。これは何の集まりだろう。
「なんで寝てるのオニキス! 起きなさい!」
「……纏まらないのなら起きていてもつまらなくて。」
黒髪黒目の妖艶な美女が気怠げに起き上がった。うーんと声を上げて身体を伸ばしている。顔を上向けているオニキスの顔をしげしげと眺める。とんでもない美女だ。色気たっぷりで羨ましい。その時、ばちっと視線が合う。黒曜石の目が見開かれた。
「きゃあああああ!! 幽霊が……! 私を見てるぅぅぅぅう!! だ、誰か追い払って! いやぁぁぁぁぁあ!」
「幽霊って……。終わりの神が何を騒いでいる。そんなのいるわけ……なに!?」
ペリドートに二度見された。海底に降り立ちお辞儀をしてみる。だが警戒感を剥き出しにしてレイラを見つめている。まさか忘れられてしまったのだろうか。
「誰だ? どうやって入り込んだ?」
やはり忘れられている。どうやって入り込んだと訊かれてもレイラだってどうやってここにいるのか分からないのだ。訊かれても困る。
「お久しぶりだね。リリス。」
「リリス? この娘のどこがリリスだ?」
「髪と目の色を変えれば分かりますよ。ペリドートさんの目は節穴ですね。女性が髪型を変えても気付かなさそうです。」
「黙れ。髪型は分かる。」
髪と目の色? ユウ達は何を話しているのだろう。
嫌な予感がしてレイラは自分の髪を摘まんで見る。
(これは……一体どういうこと?)
金茶色だったはずのレイラの髪は、まるでルーク達のような銀色に変わっていた。




