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《口裂け女》6

女性に連れられ、俺はとあるマンションの入り口に来ていた。

「着きました。ここが、ジークムントの基地です」

俺の家の近くに高層ビルが建っていると思ったら、ここが基地だという。

「普通の高層マンションに、まさか基地があるとは……」

「私も最初はびっくりしました。こんな人目につく場所にあっていいのですかと。しかし、元の基地は相手に割れていますし、ここが最適だと判断したらしいのです」

「それだけで、ここは選ばないような」

値段は知らないが、住宅街の一角に高層マンションがあるなら、逆に目がつくはずだ。

基地というくらいであるので、人目につく所はナンセンスだろう。

それとも、ここでなければならない理由があるのだろうか。

エントランスの広さは、さほど大きいとは言い難いが、どこにでもあるマンションの入り口を一回り拡張し、ホテルのロビーのようになっている。

吹き抜け構造のようで、階層を見上げていくと首が痛くなってしまう。

俺達は、彼女が専用の鍵を通し、開いた自動ドアをくぐってそのまま突き当たりのエレベーターに乗り込んだ。

何階まであるのかと、ボタンを目で追っていたら、上方には二十五という数字が付いているボタンがある。女性は機械的にそのボタンを押し、ドアを閉めた。

「…………」

気まずい空気をどうにかしたいが、何を話したらいいか分からない。

成り行きとはいえ、女性と二人きりで密室にいるのは心臓が保たないだろう。

気を紛らわせる為、ドアの反対を見ると、エレベーターの周りはガラス張りで、普段見ることの出来ない町の夜景が楽しめそうだったが、今はそれ所ではない。

特有の浮遊感が終わると、一気に最上階まで登り上がり、音声案内が二十五階を知らせた。

「行きましょう」

ドアが開き、女性が先に、奥に見える部屋へと入っていく。

「最上階か……」

続いて、俺は彼女が入った部屋に一歩踏み入った。

廊下を抜けると、ソファを発端とした家具や、テレビなどの電化製品、並びにキッチンや寝室もあって、まさしく高めの部屋という印象だ。

派手な装飾はなく、非常にシンプルだが、清潔感のある一室である。

「侵入者、発見ッス!」

隅々まで見渡そうとすると、忽然と鬼の形相で駆けつけて来た一人の坊主頭の男によって、俺は身体を取り押さえられてしまった。

「佐倉先輩、侵入者を取り押さえったッス!」

「いきなりなにすんだよこのっ」

「喋るなッス。侵入者如きの言葉は聞かないッス」

とても細い身体なのだが、凄絶な力で関節を決められていて、動きがとれない。

「離しなさい。その人は今日から加わる新人さんです」

「そうなんですかッス? ウッス、自分、勘違いしました。ッス」

「いてて……」

俺は坊主頭に突き放され、外されそうになった肩や腕が平気か確認した。なんとか無事だったが、女性の一言がなければ、俺の身体を壊していたんじゃないかと思う。

「なんなら早くいえッス。無駄な力使っちまったッス」

つまらなさそうに、再度俺の身体を突き放すと、坊主頭は女性の側へ駆けていった。

なんだか忠犬みたいである。

尻尾があったのなら、陽気に振り回していただろう。

「ごめんなさい。この犬の調教が悪かったみたいですね」

「はは……」

この女性は坊主頭を犬としか認識してないのか。

だとしたら、この女性は颯斗のいうSという可能性が捨てきれない。

「そんな、犬なんて……自分はただの犬以下ッス!」

坊主頭は坊主頭で、何故嬉しそうに自分を蔑んでいるのだろう。非常に気持ち悪い。

「ひとまず、腰掛けて下さい。直にリーダーがお見えになると思いますので」

俺は会釈して、リビングのような部屋に置かれているソファーに座った。

坊主頭は女性に命令されて、茶と菓子を用意してきたようだ。

「紹介します。この人間風情は橘尚人といいます。ジークムントの雑務係です。私は佐倉綾奈と申します。この組織のサブリーダー任されています。どうぞ、あーやと呼んでください」

気品と、大人の魅力が引き出されている美人だということは認識した。最後のお茶目な呼称は除いて。

「そんな真顔でいわれましても……。俺は舞宮蓮です。ジークムントに入るか分かりませんが、どうしても助けたい人がいるので、来ました」

俺が佐倉さんに取った態度が気に入らないのか、坊主頭はテーブルを叩いた。

「なんなんスカ。佐倉様がわざわざ可愛いくて可愛いくて可愛いニックネームで呼ぶことを許容しているのにッス! こんな男は人間じゃないッス!」

「尚人君、人ではないは君のことでしょ」

「ッス! もちろんッス!」

坊主頭改め、橘が敬礼している意味が俺には分からない。

「とにかく、俺は認めねーッス!」

橘に愛想尽かされた俺は、ひとまず本題に入ろうと話をきり出すことにした。

「あの……えー、佐倉さ」

「あーやです」

「……さく」

「あーやです」

「あーやさん……」

「あーやです」

「……あーやは、おいくつなんですか?」

失礼だが、年を明らかにすれば、ふざけた名前で呼ぶことを止めるのに折り合いがつく。

「あぁッス!? 失礼極まりないッス! 佐倉様の歳を聞くのは三億万年早いッス!」

「私は十九歳ですよ。まだぴちぴちの十代です。ちなみに、尚人君は十七歳です」

「あぁ、そうなんですか。俺も十七歳です」

「そんな……俺には歳を教えてくれなかったのに……ッス。というか、お前、タメだからって、調子のんなッス!」

「ということで、そんな敬語なんて使わなくていいですよ、蓮きゅん」

「いや、それはいくら歳が近いといっても、先輩は先輩で…………あと、最後なんですか」

この二人、なかなかツッコミ入れる所が豊富である。

「いいんです。あなたは私にとって特別な存在なので、構いません。最後のは愛称です」

「特別な存在?」

愛称の件は無視して、意味深な言葉に注目した。

俺は佐倉さんにとって、ただの他人ではないということなのだろうか。

「すみませんが、そのことに関して語れません。来るべき時が来たら、あなたに話します。ですから、あまり気にしないで頂けるとありがたいです」

「あ、深追いするつもりはないですよ。ただ、気になっただけで」

といいつつも、年頃の男子に特別だなんて、勘違いを引き起こす引き金になりうるので間違っても口に出してもらいたくない。その類の言葉に何度裏切られたことか。

「ありがとうございます。それと、気さくに話しかけてもらえないなら、蓮きゅんを定着させますよ」

表情を崩さないでよくもいえた口があるものだ。

この人なら定着させかねないので、大人しく従っておくことにする。

「あー、分かりました! 普通にするから!」

「分かってくれればいいんです。……失礼します」

佐倉さんもとい、あーやの携帯電話に着信が来たようで、彼女は席を外して電話に出に行った。

「…………なんだッス」

会話に入ってこない橘をちらっと見ると、目が合ってしまい、威嚇されている。

「お前って、何でそんなんなんだ?」

「そんなんってなんだッス!?」

「いや、佐倉先……あーやに忠実だなと」

「佐倉先輩は今いないッス。なのに、そんな愛称で呼ぶなッス。お前が俺の心意を知る必要はないッス」

「随分嫌われたもんだな……。そうだ、ここのリーダーって、どんな人なんだ?」

「……それは、自分で確かめた方がいいッス」

「…………?」

橘は溜め息混じりにそういった。

「蓮さん、リーダーが到着しました。外に迎えにいってくるので、少々お待ちを」

電話を終えたあーやは、俺に告げるとまた部屋を出て行った。

「お前、道を間違えるなよッス」

「は……?」

忠告の意味を問いただそうとするも束の間、軽くあしらわれて橘は机の上にあったソーダキャンディを頬張った。


数分後、あーやが戻って来たのか、廊下から足音が聞こえてくる。

「お待たせ致しました」

ドアが開かれ、あーやの後ろの一人の影が見える。

「……あ、もしかして、君がいってた新人?」

子供のような高めの声。

しかし、子供のようなという表現が不適格だったことに気づく。

身長はおそらく百五十センチ前後で、垢抜けない子供そのものなのだ。

「初めまして! 私はジークムントの長である榊ヶ丘優唯だよ。よろしくねっ」

「……お、俺は舞宮蓮……です」

美少女という表現。

それ以外何が当てはまるのか。

才色兼備で、何とも可愛いらしい。

サイドアップでまとめた鴇色の髪は、子供には見えないくらいに潤いがあり、手入れを怠ってない証拠に動くと一本一本きめ細やかに揺れるのだ。

「わーお、橘君より全然いい! 私の好みだー!」

満面の笑みと。

これは、俺の理性を破壊し、越えてはいけない一線を越えてしまいそうだ。

もしかしたら、童顔なだけで、年上かもしれない。

「ちなみに、私は十六歳で、現役高校生なのだ! とすると、君は私の先輩だね。よろしく、蓮先輩っ」

「───っ!」

今日だけで、何回も恥ずかしくてあがってしまう場面はあった。

年下には一度もときめかなかった俺が、揺らぎ始めている。

このままだと頭が沸騰してしまいそうだ。

「蓮さん、顔が赤いようですが、熱が高いのですか?」

あーやが俺の紅潮に気づいたようで、若干心配そうに俺を見つめてくる。

気持ちは有り難いが、追撃は止めて頂きたい。

「ほんとだ。とりあえず横になって! 私が熱測ってあげるから」

「うおっ!?」

榊ヶ丘に押され、簡単にソファーに倒された。

そのまま俺の腹部の上にのりかかり、ゆっくりと顔を近づけてくる。

「大丈夫。すぐ、終わるよ」

「な、ななな……」

展開の早さについていけず、思考が機能しない。

身体に力が入らず、ただ、榊ヶ丘が顔を寄せてくるのを見ている。

苺のような、俺のリミッターを外してしまいかねない香りがし、自分が駄目になっていくのを感じていた。

「…………ん?」

榊ヶ丘の柔らかそうな唇が俺と接触すると思いきや、額に冷たい感覚が生じたのである。

そして、榊ヶ丘は身体を起こしてから、俺にこういった。

「ちょっと熱いね。風邪かな」

夢までに見た最高のシチュエーションに、誰が平常心を保ってられる。

体温が上がらないのがどうかしているに違いない。

そういえば、境の間で、シャッテンに俺が同じことをしたが、やられる方は、結構羞恥心が満載であることを理解した。

シャッテンはというと、襲撃者の何かから解放されたので、会話が出来るはずだが、《陰怨夢》の時のように反応がない。

もしや、またみているのだろうか。

『僕はいるよちゃんと。気にしないでその人達の相手をしてて。僕より、話は詳しいと思うし。僕はちょっと調べたいことがあるから』

「あ、おい!」

不機嫌みたいでもあったが、調べたいこととはどんなことなのか。

そもそも、どうやって調べるのか。

いろいろ考えようとした所、合掌が聞こえたので、榊ヶ丘のほうに顔を向けた。

「そうだ、今晩はここに泊まっていくといいよ。いろいろあって、疲れただろうし」

「でも、家に妹がいるから、流石に……」

「大丈夫さ。私がさっき伝えてきたから。今晩はここに泊まるからって」

「なんだ、話がはや……い?」

会話がスムーズ過ぎる。

それに、伝えてきたとは、榊ヶ丘が俺の家を知っているといっているのと同じだ。

「私は蓮先輩がここに来ることを夢でみたから、先に了承を得ておいたんだ」

「夢って、《怨夢》のことか?」

「うん。そこまで知っているってことは、蓮先輩も虚実体がいて、《陽因子》なんだね。なら、早速話そうか」

「《陽因子》までわかるのかよ……」

ジークムントのリーダー榊ヶ丘優唯は、俺が求めている答えを対談にて解答してくれた。

《念力》使いの種類は、シャッテンにざっと教えてもらったが、まだ分類があったのだ。

数人しか遭遇していないが、《因子》との遭遇率が高いことに、疑問を抱いていた。

それは、結論として、遭遇人数が少ないだけらしい。

《念力》のタイプの他に、《念力》使いのタイプまであり、俺はそのことを知らなかった。

まず、《因子》。これには、お互いを相反する陽と陰があるのはいい。

そして、普通を意味する《凡子》。

割合としては、《凡子》の存在が過半数だが、何にせよ、平凡な為、《因子》ほどの《怨体》はおらず、覚醒していようが、いまいが、一般人が属する《念力》使いとしてのポジションである。どうやら、エーヴィヒカイトの連中は《念力》を知らない《凡子》に《念力》の使い方を教え広めているらしい。

もう一つは、無効化を意味する《否子》。

《因子》の優位的立場を引き下げる役割を担う。

相関的に示すと、《因子》は《凡子》に、《凡子》は《否子》に、《否子》は《因子》に強いということになる。

これと、《念力》のタイプを組み合わせるのだ。

総合的なタイプは全部で九通りあるのは一般的な教養がある人なら誰でも分かる。細かくいえば、十二通りだが。

どうして、あたかも人工的に振り分けられたような組み合わせが存在するのか、解明出来ていないとのこと。

戦闘時の被害は、規模にもよるが、半日から数ヶ月で回復するらしい。

《怨体》による戦いなので、安静にしていれば、削られた《怨体》は自動的に修復してしまう。

それは、人間のみにおけず、この世に存在するあらゆるものに当てはまる。

人間と比較して、植物や他の動物の《怨体保有率》は低いが、基本は同じだ。  

あえていうならば、《凡子》に該当する。

戦えないだけで、《念力》使いと見做してもいいのだろう。

ただ、人間同様、《怨体》がゼロになると、死との間隔はとてつもなく微少になる。

実際にゼロになったものの例はないが、時間の問題である。

ヴェルトという男が使う炎に喰われた木は、後少しでなくなってしまう所だった。

シャッテンが、完全なる死の定義を避けていたが、なんとなく分かる。

既存の死という定義は、他人からの主観的な内容が多い。

息が止まっただとか、心臓が止まっただとか。

別に死の定義を覆したい訳でもないし、定義を作りたい訳でもない。

単に、死が意味することが分からないだけだ。

それを知ることが出来るのは死んだ人なのだろうか。仮に知ることが出来る条件として死があり、死んだとしても、今は謎の転送世界にとばされるという事実しか本人には分からない。

榊ヶ丘が創ろうとしている輪廻システムなるものも、作り上げることが出来るのか定かでないのだ。

「私はね、元々死という生命の終焉があったのだと思う。でも、彼がそれを無くしてしまったんだ」

「彼?」

「ジークムントを立ち上げた初代リーダーだよ。彼は何者かにほのめかされて道を踏み間違えてしまった」

「…………」

その人物を語る榊ヶ丘の顔は哀愁を彷彿とさせた。

「実は、その人双子の兄なんだ。昔から自分が年上だと言い張って弟を先導していたんだから。でも、あくる日、彼は弟に一言残して家を去ってしまった。『この世界は、ずれている』ってね」

「どういう意味なんだ?」

「分からない。むしろこっちが知りたいよ。私は龍がいなくなったジークムントの後を任された。それからだよ、エーヴィヒカイトが誕生したのは」

「……タイミングが良過ぎだな」

「うん。そうしたら、ボスになっていた彼の率いるエーヴィヒカイト勢が宣戦布告を私達にして、前の基地はあっという間に壊滅させられた。彼と一緒に見つけた稼働中の旧輪廻システムも彼自身が木っ端みじんにしたし」

寝返りというやつなのだろう。

しかし、何故反旗を翻してしまったのか。

これを問い直しても、結果は分かっている。

なら、違うことを尋ねてみよう。

「旧輪廻システムって?」

「蓮先輩は私が輪廻システムを創っているのは、虚実体から聞いたと思う。それは正確には新輪廻システムなんだよ」

「え? ということは、破壊されるまで旧式が輪廻回路を作動させていたってことか?」

「そうそう。元々輪廻転生は完成していて、見つけた私達がシステムを保護する為にジークムントを結成したの」

人間守護組織。

それは、人間ではなく、人生を守護している団体だということが明言された。

「昔から輪廻システムはあった……。誰が何の為に。いや、もしかしたら、この世界が存在し始めてから輪廻システムがあった……」

「へぇ、そこまで予測がつくんだ。実は私も不思議に思ったよ。誰もが想像でしかなかった輪廻転生が実在して、まるで大型サーバーのオプションみたいで」

「まさか、この世界自体が現実じゃないとか? 例えば、コンピューターが作り上げた偽物の世界とか」

「うーん、輪廻システム自体は確かにサーバーみたいにいくつもウィンドウがあったりしたけど、その線は薄いかな」

「どうしてだ?」

「考えてみてよ。もしここが本当の現実世界から干渉出来る世界だとしたら、バグとか、論理上の欠陥があるはずなんだ。人間が創っているなら、所詮は人間。セキュリティーホールがあるように、欠落点がなきゃおかしい」

「欠落点というと?」

「そうだね。蓮先輩は、空を飛べる?」

「人間のみの力では無理だろ」

「そうでしょ。無理なんだよ、非現実的なことは」

「コンピューターに行動を制限されている線はないのか?」

「だとしたら、わざわざ内部から外部に接続出来そうな機械を内部の人間が分かる場所に置く?」

「それはそうだな……。なら、《念力》はどうなるんだ? この世界の外部にいる何かが組み込んだプログラムかもしれないだろ」

「《念力》は、人間の本能的な力なんだ。プログラムなんかでは複雑過ぎて表せない。だって、霊体だとか、感情だとかを数学的に証明出来る? もしかしたら、天才は解を導けるかもしれない。でも、それだけでしょ? ここからは仮説だけど、《念力》は人間の脳による一時的な強化に過ぎないんだと思う。《念力》を使った人なら分かると思うけど、限界があるんだ。いくら強化されようと、出来ないことは沢山ある。生身で空を飛ぶこととかね。逆に、存在することを強化したりは出来る。外部から引力を増加させるとか」

「…………!」

俺は、ウンファルという男に謎の封じ込めを受けた。

それがおそらく、引力なのかもしれない。

「端的にいえば、地核にある《怨体》を《怨魔法》で部分的に支配し、そこから鉛直方向にいる物体の《怨体》を地下から引っ張るの。地上にいる物体は、地面に接していて、接面から自由に引っ張れるから、擬似的な引力増加が可能なんだよ。ちなみに、《怨体》がゼロに等しい程しかない空気を使って、重力を増やすことは出来るけど、引力増加よりは小さくなるのは仕方ないよね」

「そんなことが……。なら、空だって飛べるんじゃないか? 引力の増加が出来るなら減少だって……」

「出来ない。あくまでも、擬似的な増加だし、ましてや、何を軸に減少させればいいのか分からない。まぁ、一度は試してみたさ。案の定、ちょっと浮いたくらいで終わったんだけどね。流石に、自分の《怨体》を上昇させるのは難しい。ただ、私にはできなかっただけかもしれないけど」

つまり、《念力》は、多少物理法則を超えられる力であるが、現実的に不可能なことは出来ない力ということだろう。

「なら、虚実体とか、霊体の力は何なんだ?」

「それは……。ごめん、私にも分からない。ただ一ついえるのは、人間の知恵で彼らには抗えないことなの」

「だからこそ、悪霊は《怨体干渉》が出来るのか」

生きている並大抵の人間に何も出来ないことを知っているから、悪霊もとい旧人間は生きている人間の操作をするという有り得ないことが出来る。

でも。

「協力してくれる霊体がいるからこそ、私達は抗える。変だよね」

いつか、彼らに依存しなくなる日が訪れるのか。

当分は、そうもなりそうもない。

シャッテンは、俺が必要ないといったら、どうなってしまうのだろう。

そう思った刹那、胸の辺りに棘が刺さったようにちくちくと痛みを感じた。

「それで、結局この世界が何なのかということになるんだけど……随分話しちゃったみたいだね。明日蓮先輩は私の部下を助けにいってくれるんでしょ? なら、今は休息をとった方がいいよ」

「そうだけど、休んでる暇があったら、自分の力について、もっと知っときたいんだ」

「……そう。蓮先輩は、余程霧裂さんを想っているのね。彼女が羨ましいな」

「なっ……! いや、確かに助けたい気持ちはあるけど、まだそーいう風には見えないというか」

「まだ、なの。……なら、私も蓮先輩と濃密な関係になれるチャンスはあるわね」

いたずらっぽく榊ヶ丘は笑うと、再び俺の横に座り、俺を押し倒してきた。

「ちょ、またかよっ。今はそれ所じゃないだろ!」

「そんな周りの目は気にしなくていい。今は私と二人きりだから」

「えぇっ!?」

「二人には、自室に帰ってもらったの。長い話になる予定だったし。だから」

榊ヶ丘は着ていたブラウスのボタンを胸部付近以外を外し、肢体が覗ける露わな格好になり、色艶やかな声でこういった。

「だから、蓮先輩と夜の営みをしたいの」

「………………ひっ」

このままだと、俺の貞操の危機だ。

こんな形で、一時の情に身を任せてしまうのは何か違う気がする。話をふるしかない。

「そ、そうだ! さっき話してた時に出てきた龍って人の弟って、ここにいるのか? 話を聞く限り、弟はここにいるみたいだけど」

すると、榊ヶ丘は一度真顔になって、すぐにまた楽しそうな表情を示した。 

「蓮先輩って、面白い。まさか、気づいてないとはいわせないよ?」 

「何の話だ……?」

「ウソ、ほんとに気づいてないの? あははっ、もうほんとに最高! 純粋過ぎて、ほんとに惚れちゃいそう」

「いや、だから何を……」

そして、次に榊ヶ丘は耳を疑う言葉をいった。

「ねぇ、弟ってね───私だよ」

「は? 何の冗談だよ? 榊ヶ丘は女の子だろ?」

「なら、確かめてみる?」

「え?」

榊ヶ丘に手を握られ、俺の手は、榊ヶ丘の胸部へと誘われる。

そのまま躊躇わずに、俺の手を自信の身体に触れさせた。

「おいっ…………ん?」

確かに胸部に触れているが、特に変わった感じはない。

「え、まさか、本当に男?」

「信用出来ない? なら」

榊ヶ丘は自ら自身のスカートに手をかけ、そして勢いよく、捲り上げた。

「なんだ、おと………………」

最初のボディタッチで、ほとんど結果を推測していたから、もう開き直ってガン見していたのだが、何故だろう。

どうして、あれがない。

見ていただけで、流石にどうなっているのかと触りはしなかったので、違うかもしれないが、多分ない。

「……まさか、とっ───」

「違うよ! そんな理解に達するとは……」

「でも、弟なんだろ?」

「兄にはそういわれてた。でも、本当は私女の子だったんだ。兄と別れるまで、ボーイッシュな自分だったから、男と勘違いしていたみたいで、それで弟だったんだと思ったじゃんないかな。両親は、私達の成長を見届ける前にいなくなっちゃったけど」

「そうか……。いや、いくらなんでも、気づくだろ」

「それが気づかなかったの。だから、私は女子力を磨いて今に至る訳」 

「……成り行きで男だと思って悪かったな」

「別に。こちらがわざと先入観を与えたんだから」

「先入観……」

ヴェルトには、先入観をうまく使われてしまった。どうしても客観視が出来ない。

「……でさ、そろそろ手をどけてもらっていい?」

ひどく小さな声量で告げた内容を、頭の中でリピートして、自分が未だに榊ヶ丘の胸部を鷲掴みしていることを諭された。

「……あ」

今度こそ榊ヶ丘が女の子だと分かったからか、密着状態であることに思わず顔から火が出そうなくらい恥ずかしさがこみ上げてきた。

「今日は驚かせようと思ってサラシを巻いといたから……ごめんね、弾力感がなくてっ」

「そういうことをいうな! ってか、お前まで顔赤らめるな!」

「だってー、蓮先輩がすごーく揉みたいって心の中でいってるからー」

「いってねぇよっ!」

「わぉ、いってないって、大胆……」

「最低な思考だな!」

「ちぇ、いけずー。せっかく私のものにしようと思ったのに、邪魔が入っちゃったなー」

「たぶらかす気しかないのか……って、邪魔?」

自分がそう喋った瞬間、背中が凍りつくような寒気を感じた。

「蓮さん、何をしているのですか?」

その言葉は、俺の身体に何本もの鋭利な矢となって突き刺さった。

「あれ、あーや……どうしてここに?」

「忘れ物があったので、戻ってきたのです。どうやら、この忘れ物は処分した方がいいのでしょうか」

「何を……ほら、榊ヶ丘もなにか……って、いねぇし!? 漫画みたいな逃げ足だな!」

「安心してください。もう捕まえましたから」

「あり?」

いつの間にか、あーやによって、榊ヶ丘の服の裾を掴まれている。

「さて、何故このような状況になったのか、教えて頂きましょう」

「…………」

俺は、榊ヶ丘と一緒に正座させられ、小一時間倫理的なモラルを叩き込まれた。

あーやは叱るのではなく、淡々とモラルについて語っていたので、怒られるより辛い。


二人に解放された俺は、空き部屋に案内され、休養をとることを指示された。

部屋は、一人暮らしには充分すぎる居住空間で、空き部屋なのに、住宅展覧会の如く、家具が揃っていて、なんと、埃や汚れが全くない。

「きちんと隅々まで掃除が行き届いているのか」

誰が掃除しているか知らないが、その人には感謝をしなければならない。

部屋を案内された時、榊ヶ丘はこんなことをいっていた。


「蓮先輩の《念力》を覗かせてもらったけど、まだ安定してないようだね。強力な力だけど、自分を保っていられないと、いずれ力に飲み込まれて今の人格は消えてしまうかも」

「人格が消える?」

「自分ではない誰かにいわれたことをそのまま聞いてしまう。だから、いつの間にか自分は相手に傷を与えてしまっていたという認識が生まれるんだよ」

「…………」

聞いたことない声は、確かにあった。

シャッテンもいない、また別の空間に自分は居て、思考がままならなくなる声を聞いた後、俺は攻撃を完了していたのだ。

「そう心配することはないよ。蓮先輩には、睡眠時の夢を強制的に別の事象に置き換える《怨魔法》を施すから、そこで自分と向き合ってみて」

「そんなことまで出来るのか」

「私は《否子》の《怨魔法》使い。蓮先輩が《因子》の《纏器》使いだから、私は直接《纏器》に通ずる道は開けない代わりに、地図を渡してあげる。私の《怨魔法》の一つ、《強制写像》で、夢ではなくて精神へアクセスさせてね」

「それが、榊ヶ丘の《念力》か?」

「そ。《怨体》が関与している事象を、別の事象にさせるの。例えば、燃え盛る炎を氷にしたりとか。ちなみに、物理的なものは作用しないんだよね。相手のグーパンチを他のことに変えるとか」

「ただの夢にも《怨体》が関与しているってことか?」

「そうそう」

「……出来るっていうなら大人しく従っておくよリーダー」

「リーダーじゃなくて、名前で呼んでほしいな?」

「止めとく。苗字かリーダーだ」

「ふぅん。まぁ、私をリーダーと呼んだってことは、ここに入ってくれるんだね」

「仮にな。正式には、霧裂と一緒に帰ってきてから話す」

「分かったよ。じゃ、頑張って睡眠とってね」


俺はシングルベッドに飛び込み、枕元の壁に内蔵されているデジタル時計に目を向けた。

時刻は、午前零時過ぎ。

作戦は朝六時かららしい。つまり、それまでに自分を知らなければ、俺は戦えない。

アラームを五時半にセットし、空調機のスイッチを入れ、仰向けになる。

榊ヶ丘の話だと、彼女が俺に《怨魔法》を使うとのことだが、どこでするのだろうか。

「あー、ダメだ。眠気が……」

あれこれ熟考していたせいか、すぐさま身体の力が抜けていく。

瞼を閉じ、俺は何も考えないように瞑想した。

暫し、静閑が訪れる。

「…………」

しかし、数分後、俺は瞼を開けた。

つい今し方俺は寝始めたはずだが、眠気はどこかに去り、目が冴えてしまった。

「まだ、五分しか経ってない……。なのに、もう目が……いや、それより」

妙な感じがする。

タオルケットをかけて寝ていた事実は変わっていないが、現実味に乏しく、本当にここが現実なのかさえ疑ってしまう。

「…………誰だっ!」

クローゼットの付近から気配を感じ、身体を起こして、そこに感じたものの正体を暴こうと、視線を集中させて───。

「……なーんて」

実は特に気配を感じた訳でもなく、こういう普通じゃなさそうな場面で一度格好つけてみたかったのだ。

虚しさが残ってしまったので、無言でもう一度仰向けになり、ふと右横に身体を捻った。

「きゃ、見つかっちゃったっ」

俺が裏声でいった訳ではない。

そこには、俺と同じく横になっているウサギがいる。 

但し、それは、白ウサギのコスプレパジャマで、中身は他でもない榊ヶ丘だ。

「…………」

「え、ノーリアクション? 思春期の男子が?」

「…………」

「ほんとは今すぐいちゃこらしたいんでしょ? ほら、あなたの欲望全てを解放して───って、何で私に背向けて寝ちゃうの?」

「…………」

「あ、分かった。恥ずかしいんだね。大丈夫、そんなあなたも私は許容してあげるから!」

「寝たいから帰って」

「そんな…………っ」

初めて自分という人間が、現状においても冷静沈着でいられていることに感激の念を抱いている。

それもそうだ。何せ、榊ヶ丘が俺の隣に寝ていたことがわざとらし過ぎて全く恥ずかしいなどという気持ちがなかったのだから。

「どうやってここに来たのか知らないけど、要件ないなら寝かせてくれよ」

「待って待って! ちゃんとした要件もあるから!」

「要件もって何!?」

さり気ない一言で思わず上半身を起こしてしまった。

「とりあえず、本題に入るけど、蓮先輩がいるここは、夢の中。唯一物理法則を無視した《念力》が使える空間なの」

「はぁ、そうですか」

「さっき、私がいった《怨魔法》があるでしょ? それを使って私の意識を蓮先輩の精神へ飛ばして、いろいろレクチャーしようと思ったの。夢だから現実の身体は寝てるし、体力の心配はしなくていいんだし」

「じゃ、俺は今夢の中で仮の意識を起こしたってことなのか。で、一体何をするんだ?」

「それこそ、営みをしてもいいんだけど、今回は止めとくね」

「金輪際しなくていいから」

「しょぼーん…………。なんか、自分でいうと全然しょぼーんじゃないね」

「知ったこっちゃねぇよ!」

「このうさみみを動くようにすれば良かったかな。ぴょんぴょん」

「…………何がしたいんだ、この人は」

一つ一つの行動が全力過ぎてとても後を追えない。

「よしよし、綾奈ちゃんがいってた上がり症は大分解れているみたいだね」

「え? ま、まぁ……」

あーやから俺のことを聞いたのだろうが、俺は自分のコンプレックスをあーやに話した記憶がないのだ。

だが、サービスの一件で、察しはついたかもしれない。

「あれだけ私に迫られたら普通は理性無くしちゃうのに。ひょっとして、鈍感要素も入ってるの」

「いや、最初はドキドキしたよ。でも、多分リーダーが年下だからかな。俺さ同級生と年下には余程のことがない限りなびかないからさ」

「ほう、つまり、刺激的なことですかー。でも、一歳しか変わらないじゃん。プロポーションは大人っぽいっていわれるし。ほらっ」

元気良くベッドから飛び降りてから、俺に正面を向け、胸を誇張して仁王立ちをしているが、全く色気を感じない。

ただ、サラシを巻いていたというのは本当のようで、胸部には、それなりに山が二つあるようだ。

「そうだな、凄いや」

「男子のロマンはどうしたの!?」

「ほんと、最初だけだ。今はリーダーがぐいぐい来過ぎて、恥ずかしいなんて思わないぞ。逆に、アピールしてるリーダーの立場が恥ずかしい」

「……蓮先輩、本当は冷たい性格隠すために、照れ屋を演じてるみたい」

「いやいや、マジで、照れ屋だから俺! 多分慣れでリーダーには親しみやすさを感じたんだよ!」

「慣れね。さっき会ったばかりなのに、綾奈ちゃんと私に対する態度の違いは明白……」

「え、何でしんみりしてるの!? ちょ、目を潤まさないで!」

「バカみたい、私。男の子との接し方が分からないから、お色気なんかに走っちゃって。そうよね、こんなはしたない女の子なんて、全然異性として意識してもらえないよね」

「自己解決したらダメ! 一旦落ち着こ!」

「なら……蓮先輩。少しだけでいいから、ちょっと胸貸して」

「えっ?」

表情をウサギパジャマの下に隠して、榊ヶ丘は俺に抱きついて落涙した。

「……榊ヶ丘?」

「…………っ。私っ、蓮先輩のこと、好きっ。でも、蓮先輩には想い人がいる。分かってる。分かってるけどっ……自分の気持ちには嘘をつきたくないの!」

「俺のどこがいいんだよ」

「全部っ。もう、あなた以外に私の運命の人はいない。私は、あなたに全てを捧げたいの!」

「……っ!」

上目遣い。

これは、俺の精神へ多大なる衝撃を与えている。

月の光で煌々と輝いている涙もまた、この少女に俺の意識のベクトルを向かわせるのだ。

「ごめんな、ちょっと言い過ぎた。これで許してくれ」

「あっ……」

理性のコントロールがなされていないのか、俺は慈愛的になって、彼女を抱き締めた。

「ちゃんと考えるよ。優唯のこと、見つめ直してみる」

「私の、名前……。嬉しいな」

榊ヶ丘は、涙混じりに一輪の花を咲かせている。

そんな仕草見せられたら、流石に胸は高なるのは必須だ。

「蓮先輩……もう一つ、いいですか?」

「なんだ?」

「……実は」

「実は?」

「これ演技ですテヘっ」

「おや……?」

自分の何かが崩壊していく。

彼女へのベクトルは原点に回帰し、騙されていたことに気づいた。

「蓮先輩、どうでした? 私にときめきました? 苦労したんだよーこの台詞覚えるの。もう女優になろうかなー」

「いつ……から、だ?」

「あは、気の抜けた声だ! 私は最初から蓮先輩を試してたの。なかなかなびかないから焦った焦った」

「……もうやだ。オンナノココワイ」

「えー? こんなことでへこたれてたらずっと独身生活をすることになるよー。私は満腹感を賞味出来るからいいけど」

「あれか、人の不幸でメシウマか!」

「だって、蓮先輩簡単過ぎだよ。何が年下には……なの。格好わるー」

「男子の純粋な心を弄びやがって……」

「純粋ねー。ただ、発情仕掛けただけじゃない?」

「……はぁ。まぁ、確かに俺はイケメンでもないし、優唯にいわれたからって、ちょっと舞い上がってたみたいだ。ありがとう、現実を教えてくれて。あ、でも今は現実ではないか」

名前で呼ぶなといわれると思ったが、落ち着きのない様子で身体を縮こめている。

「また、な、名前でっ。……べつに、全否定はしてない、から。蓮先輩には、昔……」

「昔? 何のことだ?」

「なっなんでもないっ! 蓮先輩の性格は分かったことだし、《念力》のしっかりとした使い方を教えるよ!」

この慌てぶりはまるで僕のようで、少し笑ってしまった。

一度面と向かったが、慌ただしくて長くは話せなかったので、今度はきちんと僕の正体を洗いざらい問うてみよう。

それとも、まだ話してくれないだろうか。

俺の行動を不審に思ったのか、リーダーは目を細めて睨みをきかせている。

「なに笑ってるの?」

「いや、知り合いみたいな様子だなって」

「へぇ……そんなのどーでもいいけど」

リーダーは興味なさそうに流すと、しゃがんで右手を地面に付けた。

「《強制写像》! von diesem Zimmer zum Park!」

「へ?」

凛々しい声の後、床が消え、壁が消え、俺達は足場をうしなった。

「うおおぉぉぉおおっ!?」

底が見えない暗闇に落ちていく感覚は恐怖しかない。

俺が悲鳴をあげる中、リーダーは平然としている。

「平気よ。足を着けてみれば」

「足? いやいや、俺達は今宙に……あれ?」

垂直落下していた時間は、突然不思議な着地感と共に終わってしまった。

「ただの空間移動だよ。それと、言い忘れたけど、夢の中で死んだりしないでね。死の存在がない現実と違って夢で殺されると意識が現実に戻らなくなって、永遠に夢の中だよ」

「まじか……。そもそも、夢の中で死んだりするのか?」

「傷はすぐ治るんだけど、意識だけは復元出来ない。意識は外部から持ってきた異物だから、心臓を刺されるとか、首を斬り落とされるとか、締め殺されるとかされちゃうと、現実の身体は、一生寝たきりだね」

「要は死ななきゃいいんだろ?」

「そうね、死ななきゃいいけど」

物騒な物言いにもしやと思ったが凶、彼女は小さな口で何かを呟くと、俺の身体に異変が現れ始めたのだ。

自分の胸部に嫌なものが乱雑して集合しているような不快感が漂っているからか、胸が苦しい。

やがて、その不快感は黒い正八面体の形を成し、自動的に身体から排出された。

そして、それは周囲の闇に同化しながら人のシルエットを構築し、意識を持っているのか、俺から距離をとって、そいつの周りに掛かっている黒いガスのようなものが消滅していく。

心なしか、自分から毒が抜けたみたいで、自分自身が清らかになっている。

それは、眼前に存在している俺にそっくりな人間が、自分から抜け出た忌まわしき自分だからなのだろうか。

中学生のような妄想レベルの表現だが、しっくりきてしまう。

「さて、蓮先輩には一度死んでもらわないと」

「……冗談よせよ」

冷や汗をかく俺と対照的に、もう一人の俺は冷たい視線を俺に向けている。

「……お前を、喰う」

「え、俺を?」

「ほら、早く蓮先輩も準備しないと。さもなくば───今の蓮先輩はなくなっちゃうよ」

「俺で……なくなる?」

構築されていく地面を踏みしめ、俺は榊ヶ丘の口が続いて開くのを待った。

「私はね、蓮先輩の《念力》に異常を与えている感情があることを知ったの。それは、蓮先輩が力に飲み込まれかけた原因で、蓮先輩が目を背けてきた自分を克服していないから。ずっと逃げ続けていると、その感情はやがて蓮先輩の人格を破壊してしまうの。だから、今ここで、蓮先輩自身を倒して!」

現れた人物は、周辺の変化に興味がないような素振りで、ただ、光のない眼が俺を凝視している。

俺を絶望を経験したような瞳を持つ俺そっくりな奴は、あの時の俺なのかもしれない。

放たれている虚脱感が、視覚化して見えているといった具合だろう。こいつを克服しないと、俺はいつまでも自分を責め続けてしまうに違いない。

正直いって、二度と考えたくなかった。

だが、こいつはこの時を待っていたと思う。

俺を無視してきた俺に更なる絶望を味あわせる千載一遇の好機なのだから。

「いつまでも逃げてられないか……。なら、戦って決着をつけよう。…………《怨体調和》!」

俺が口先だけの人間になってしまった理由。

それは、五年前のことだった。



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