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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ぼくたち

作者: La Certeza

計算ドリルがひと段落ついた所で、僕は一つ小さなため息をつき、窓から校庭の様子を眺めた。

低学年の子たちが、真っ白な体育着に真っ赤な運動帽姿で体育の授業を受けている。

六月のはじめ、青空には雲が一つも浮かんでいない。

今日の三時間目は算数の授業で、授業が早めに進んだ日はいつも、

「ドリルを進めておきましょう。」

と、担任の有森先生は言う。有森先生は東京にある有名な私立大学を出たばかりで、四年生まではオジサン、オバサン先生が担任だったぼくたちにとっては、年の離れたお兄さんのような感じがする。先生はいつもおしゃれな縁の眼鏡をかけて、上はポロシャツ、下はジャージという、ちょっと変な格好で授業をする。

スーツにネクタイの姿を見たのは、始業式の、僕たちと初めて顔を合わせた一日限りだ。

「先生、計算ドリル、最後まで終わってしまいました。」

突然、ひとりの男の子が手を高々と上げて、立ち上がった。先生はびっくりした顔をして、

「なんだ福田、もう終わったのか。…仕方ないな。塾の宿題、やっててもいいぞ。」

と頭をぼりぼり掻きながら言った。男の子はその答えが返ってくることが分かっていたみたいに、わかりました、とだけ言って、机の中に既に用意していた塾のノートを机の上に広げる。福田太一。背が高くて「イケメン」で、テストでは大抵全教科で一位を取る。先生のようにおしゃれではないけれど、レンズがちょっと細めの眼鏡をかけている。でもタイチは「シューサイ」だけど、「ガリ勉」じゃない。運動だって人並みにやってのけるし、一年生の時から空手を習っている。ぼくとは三年の頃から同じクラスだ。

いきなり、別の男の子が手を上げる間もなく立ち上がり、おどけた表情を見せて、言った。

「アリモっちゃーん。オレ、計算ドリル別の意味で終わっちゃいましたーっ!」

教室がどっと沸く。

「一ページ目から全然、わかりませぇーん。ヘルプ、ミー。」

高尾弦哉、ゲンちゃんだ。お調子者で、先生の言い間違いや板書の間違いの揚げ足を取って皆を笑わせる。時々スベってクラスがしーん、としても、めげずに次から次へとギャグを畳みかける。ぼくなんか首から上が真っ赤になってしまうような下ネタを飛ばす時だって、ある。だけど、僕も含めて、クラスの皆はゲンちゃんのことが嫌いじゃない。

先生も、今もまた、

「高尾、なんだその呼び方は。」

なんて言いながらも、まいったなあ、というように笑顔を浮かべている。

「しょうがない、授業も今日やる所は終わっちゃったし、少し早いけど終りにするか。」

先生が黒板消しを手にそう言って立ち上がると、一斉に、

「やったー!」

と歓声が上がった。先生はまた笑いながら頭を掻いていたけれど、

「他のクラスはまだ授業中だからな。あんまり騒ぐなよ。」

と付け加えることは忘れなかった。ゲンちゃんは周りの席の男子にも女子にも、

「オレのおかげだからな、オレの!」

と自慢げに言っているけど、ぼくはゲンちゃんのそういうところ、ほんとは、マジ、ソンケーしている。

先生が板書を消していると、元気な声が聞こえてきた。

「ゲンちゃん、お手柄!」

日焼けした肌にショートカット、Tシャツに短パン姿の女の子は矢野恩、メグだ。四年生で部活動がはじまってから、陸上部でエースと言われ、六年生よりも足が速い。ついこの間も市の大会に出て賞を取った。女のくせに乱暴で、イワモトくんやカネゴンのようなクラスの大人しい男子より男っぽいけど、おかげで付き合いやすい。F1とロックンロールが大好きな女の子だ。今だってゲンちゃんの肩を両手でバンバン叩きながら、

「すげーよゲンちゃん、サイコー」

なんて言って笑っている。字が汚い僕と違い、書道コンクールでは金賞も取った。

勉強もしっかりできちゃうところが、ちょっとだけ悔しい。

ゲンちゃんも、

「イテテテテ、で、出た暴力女ー。」

なんて言いながら、褒められてまんざらでもなさそうにしている。あの二人が居なくなったら、きっと5年3組は、ずっと大人しい、マジメなクラスになってしまうんだろうな、と思う。

週初めの席替えで僕の隣になった九鬼(くき)麻里恵、マリエとも、この間その話をした。マリエはクラスの女子の中でも大人しく、休み時間もひとりで席に座って本を読んでいることの多い奴だけど、なぜか僕たちとは気が合うみたいで、よく一緒に遊んだりしている。本人には言っていなけれど、クラスのノブユキが密かに狙っているらしい。腰まで伸ばしたくせのある髪を一つに結わいて、いつも薄い色のワンピースを着ている。

いま紹介したのは、僕がクラスの中でも特に仲のいい四人だ。夏休みにどこかに遊びに行こうなんて、ヒソカに今からケーカクを立てている。


昼休みに、ぼくは有森先生に頼まれて、理科準備室に授業で使うプリントを届けに行くことになった。段ボールに入ったプリントは、結構重い。前が見えづらくて、何度も階段を踏み外しそうになる。ようやく階段を下り切って、準備室に向かおうと歩き出した途端、角から出てきたひととぶつかった。

「いってー、何すんだよ。」

と声がした。慌てて段ボールを置いて謝ろうとすると、怖い目でぐっと睨まれた。6年生だ。ぼくよりひとつ年上のはずなのに、体はがっしりしていて、背も高い。運動部だろうか。

「テメー、いきなり出てくるんじゃねえよ。」

すごまれて、ぼくは身体を縮める。ごめんなさい、の言葉が喉の奥でつっかえて、なかなか出てきてくれない。

「ぶつかっといて謝りもしねーのか、おい。ナメてんのかよ。」

6年生の中に何人か、卒業した先輩たちの不良グループと一緒に遊んでいる児童がいる。いつかの帰りの会で、有森先生が言っていたのを思い出した。ゲンちゃんは僕の中では「ちょっと不良」だけど、「本物の不良」は想像しただけで身震いしてしまう。

この人も、そうなんだろうか。

6年生は相変わらず怖い顔でぼくをにらんでいる。

とうとう、6年生は僕の胸倉を掴んで、壁に押し付けた。

ひっ、と情けない声が漏れる。おしっこまで漏れそうだ。ぶん殴られるかな、と思うと、恐怖がお腹の中からどんどん身体の中を駆け昇ってくる。はやく、早く謝らないと…

そう思った時、6年生のこめかみに丸っこい消しゴムが、ペチン、と音を立てて当たった。6年生は一瞬きょとん、とした顔をして足もとに落ちた消しゴムに目をやり、僕の胸倉から手を話すと、さっきよりも恐ろしい表情で消しゴムが飛んできた方を睨みつけた。ぼくはやっと手を放してもらえた喉元に手をやり、恐る恐る6年生が睨みつける方に目をやった。ゲンちゃんだった。

「いやぁー、スンマセン。キャッチボールしてたらコントロール狂っちゃって。」

なんて、右手で頭を押さえながらペコペコと歩いてくる。

「テメー、ふざけんなよ!」

6年生が今にもとびかかりそうな勢いで食ってかかっても、ゲンちゃんは笑顔のまま足もとの消しゴムを拾い上げる。

「あ、先輩6年っすかー?。ほんと、マジ悪いっす。カツアゲの邪魔しちゃって。」

言いながら消しゴムを拾い、顔を上げたゲンちゃんは、もう、笑っていなかった。

「何だとコラ、フザケた事いってんじゃねーぞ!」

「ふざけってないっすよー。オレ、真剣に先輩の事小バカにしてるんすよ、体はでけーのに、やってることちっせーなー、って。」

両手をポケットに突っ込んだゲンちゃんの顔に再び笑みが戻る。6年生の体はマンガみたいにプルプルしてる。これはヤバイ。ゲンちゃん、殺されるかも。

おろおろして誰かいないかと周りを見ていると、理科準備室の扉が開き、中から黒い顔が覗いた。メグだ。

「ワタル、何やってんだよ。プリント頼まれたんだろ?先生待ってるぞー。」

先生、と言う言葉に、6年生が思わず振り向く。メグはかまわず、ゲンちゃんにも声をかける。

「ほら、早く早く、ゲンちゃんも。授業はじまるぜ。」

僕は段ボールを再び持ち上げて、急ぎ足でメグの方へ歩いて行く。ゲンちゃんも、

「あ、わりいわりい、忘れてた。」

ととぼけた顔で応え、

「んじゃ、センセイ待ってるんで。」

と先輩に言い放って、小走りで駆けてくる。6年生は腹立たしげに睨みつけ、逃げるように階段を上っていった。

ゲンちゃん、マジ、ソンケー。

ソンケーだけど、だけど、ちょっと…

ようやく逃げ込んで一息ついた準備室には、もちろん先生なんていなかった。


「ワタルすげー顔してんの。もうこんな内股になっちゃってさ、ションベン漏らしてたんじゃねーの?」

帰り道、ゲンちゃんは大げさにポーズをとって、ぼくの「ハズカシイ話」をみんなに吹きこんだ。メグはお腹を抱えてゲラゲラ笑っているし、タイチはしょーがねーなーなんて言いながらも愉快そうにしている。マリエはいつもみたいに黙って足もとを見ながら歩いているけど、きっと心の中ではぼくを情けない奴だと思って面白がっている。ランドセルのひもを両手で引っ張るようにして歩いているのが証拠だ。表情には出さないけれど、マリエは面白がっている時には必ずそうやって歩く。

サイアクだ。

「もーいいだろ。それにさ、ゲンちゃんだってあのままメグが来なかったらあの6年にボコボコにされてたかもしんねーじゃん!」

精いっぱいの反撃だった。メグはぼくのランドセルに手を回し、

「そーだろ?だからワタルがホントーに感謝するべきなのは、あ・た・し!」

そう言ってガハハっと笑う。

もちろん、ゲンちゃんにもメグにも感謝はしている。でも、ありがとうとは言いたくない。

さっきはごめんなさいが言いたくてもつっかえてうまく言えなかったけど、今は言えないんじゃない。言えるけど、言いたくない。こんなにバカにされて。

確かに情けない事になってはいたけれど、ぜったいに、ぜーったいに、オシッコは漏らしていない。オトコとして、それは譲れない。


商店街の手前にある交差点で、タイチが、

「じゃあ、俺こっちだから。」

と言った。

「おっ、秀才。今日も塾でサンスウかよ。」

とゲンちゃんがからかうと、タイチは表情を変えずに、

「今日は英語。」

とさらりと言って、手も振らずに歩き出した。ぼくたちはその背中に、じゃーな、と声をかけ、信号が青に変わるのを待って横断歩道を渡った。スーパーの前で、ゲンちゃんが突然、声を上げた。

「やべっ、かーちゃんにおつかい頼まれてたんだった。オレ買い物して帰るから、じゃあな!」

と呆気にとられる僕たちを残し、慌ただしく店に入っていった。

「かーちゃんだって、あのマザコン。」

メグが鼻で笑って歩き出す。だけど、その言葉にはゲンちゃんを馬鹿にするような響きはなかった。

メグには、お母さんがいない。メグがまだ小さい時に事故で亡くなってしまった。それからずっと、ゼームショと言う所で働いているお父さんと二人暮らしだ。そういう家を「フシカテー」と呼ぶんだという事を、いつだったか、母さんの話を聞いて知った。

メグはお母さんのことをほとんど覚えていない。だから、今みたいに誰かのお母さんが話に出てくると、少しうらやましそうな、少しだけ寂しそうな顔をする。

「オトコオンナ、オトコオンナって言うけどな、あたしだってお母さんが生きてりゃいまごろカレンな女の子になってたんだよ。」

なんて言ってる時、メグは一瞬、泣きそうな顔をする。こういうの、「ジギャク」って言うんだよな、確か。

メグと別れ、マリエとも家の近くで別れて、ぼくはひとりで家に帰った。リビングのドアを開けると、母さんがソファに座ってドラマを見ていた。

「おかえり。早かったわね。」

ぼくを見てにっこり笑う。毎日のことだ。

たまに買い物で母さんがいない時にひとりで鍵を開けて帰ると、広い部屋がしーんとしていて、寂しくなる。

メグのお父さんは仕事でいつも帰りが遅いのだ、といつか聞いたことがある。

ぼくの父さんも仕事で遅くなることが多いけど、メグのお父さんは毎日、メグが寝た後に帰ってくるらしい。

メグは毎日、あんな寂しい思いをしてるんだろうか。


父さんは8時すぎに帰って来た。

先月から「クールビズ」が始まって、黒いスーツは着ていない。

父さんはリビングで席に着くと、母さんが冷蔵庫から出してきた缶ビールを片手で開けて、ぐいっと飲んだ。一度、酔っ払ったお父さんに一口だけ飲ませてもらったけれど、シュワッとする感じはコーラと同じなのに、味はちっとも似ていなかった。苦くて、舌の端がいつまでもびりびりしていた。僕は将来、ぜったいにビールを飲むようにはならないと思う。母さんがグラスを手に席に着くと、父さんは持っていた缶ビールをわけてあげる。それを一口飲んで、僕と父さんに言った。

「畑中さんの奥さんから聞いたんだけどね、最近、小学生が不良グループの仲間に入って煙草吸ったり、万引きしたりしてるらしいのよ。貝塚小の子も何人かそういう子がいるみたい。」

貝塚小。僕の通っている小学校だ。

昼間の6年生を思い出す。

「それでね、最近ノラ猫が殺される事件が続いてるじゃない?それもそのグループじゃないかって。それ聞いたら心配で…今は猫だけど、それが人間になることだって、すぐ先のことかもしれないでしょ?」

母さんは心配性だ。前に名古屋の方で小学生が登校中にナイフで切りつけられる事件があった時も、

「気をつけなさいよ。ああいう事件はどこで起きてもおかしくないんだから。」

と、ぼくに携帯電話を持たせた。カホゴっていうんじゃなかったっけ。

そう言ったら母さんは真面目な顔で、

「当り前でしょ、親なんだから。」

と言っていた。誰がいつ被害者になるかなんてわからない、らしい。

「まあ、最近の子どもは分からないからなあ。」

父さんはそう言って、テレビのニュースに目を移した。お父さんはよく、「わからない」と言う言葉を使う。会社で部下のなんとかさんとなんとかさんが結婚するという話をした時も、

「わかんないもんだよなあ」

と腕を組んで笑っていたし、テレビのニュースで「ネンキン」の話題になった時も、

「これからはわからないな」

と苦笑いだった。大人でもやっぱり、わからないものはあるみたいだ。

ちょっと前までぼくは、わからないことは大人になれば全部わかるようになって、だから大人は偉いんだと思っていた。ぼくの勉強で分からない所を聞けばたいてい母さんも父さんもズバリ答えを言い当てる。それに僕だって、3年生の頃には分からなかったことで、今なら分かることがたくさんある。

だけど5年生になって、今までより分からないことが増えたような気もする。たとえば、メグがお母さんの話で寂しそうな顔をする時、ぼくはなんて言えばいいのか分からなくなる。僕は国語が得意で、テストで百点を取ることだってある。でも、国語で百点をとっても、どんな言葉を使えばいいのかわからないことはぜったいに、ある。

大人になれば、それも分かるようになるんだろうか。父さんに聞いたら

「当り前じゃないか。だから大人は偉いんだぞ。」

と言うような気もするし、そうじゃない気もする。

たとえば、父さんの友だちがメグのような子だったら、父さんはなんて声をかけるんだろう。

「父さんはノラ猫をいじめ殺すなんてこと、絶対に許せないけどな。」

ぼくだって同じだ。そんなやつは男じゃない。

それに母さんが言うように、いつか猫じゃ物足りなくなって、人を殺すようになるかもしれないっていうのもなんとなくわかるような気がする。

でも、わからない。

一体誰が、どうして、

そんなことをするんだろう。

いくつもの「わからない」が頭の中いっぱいに広がって、布団に入ってからもしばらく眠れなかった。

別のことを考えようとして、ゲンちゃんの顔が浮かんだ。ゲンちゃんは最近、すごく大人っぽくなってきたと思う。相変わらずお調子者で、ヘンなやつだけど、今日6年生とにらみ合っていた時なんか、有森先生より強そうに見えた。タイチはずいぶん前から大人っぽい奴だし、マリエもひとりで本を読んでいると、テレビを見て笑っている母さんよりも大人っぽいと思う。メグはガキだ。だけど、寂しそうな顔をする時のメグは、やっぱり大人っぽい。そういえば、女子の方が大人っぽいかも。

クラスの女子は男子よりも背が高くて、話す事も大人みたいな子が何人もいる。5年生になって急に増えた。メグも背が高い。保健の授業で、ぼくたちくらいの年齢になると、女子は体つきが丸くなって、男子よりも背が伸びる子もいる、と習ったのを思い出す。保健の教科書は、

「何コレ、エロ本じゃーん!」

とゲンちゃんが興奮していたように、かなりショーゲキテキな内容がイラスト付きで載っている。マリエもメグもそうなんだろうか。あんな、筋肉質で男みたいなメグでも、体つきが丸くなって、おっぱいが膨らんで…

そこまで考えて、わっ、と叫びたくなった。

そしてそのまま頭から布団をかぶり、今度発売される新作ゲームの事を無理矢理考えて、それから、寝た。


次の日の朝は、目ざましがガチャガチャと鳴り響いてもしばらく起き上がれなかった。

昨夜寝たのは夜1時を過ぎてからだった。完全に寝不足だ。寝癖を直すために階段を下りて、洗面所へ向かおうとすると、リビングから母さんの声が聞こえた。

「やだぁ、また?」

母さんの声が気になって、そのまま回れ右をしてリビングに入る。姉ちゃんはバッグの中にお弁当を入れようとした格好のまま、母さんは朝食のサラダが入ったボウルを抱えたまま、父さんは電気カミソリをあごに当てたままテレビの画面を見ていた。

『警察では器物損壊の疑いで、最近多発している同様の事件との関連も視野に入れながら捜査を進めています。』

その言葉の後、すぐに画面は天気予報に変わってしまった。けれど、今まで映し出されていた場所は、僕も良く知っている場所だった。

「クヌギ山公園だ。」

思わずそう声に出していた。クヌギ山公園は、貝塚小のすぐ裏にある草木のぼうぼう生えた公園で、夏になるとカブトムシやクワガタがやってくる。松の木もたくさん生えていて、珍しいタマムシを見つけた友だちもいる。

ぼくの声に気がついて、三人ともぼくの方を向き直って、

「おはよう」

と笑った。ぼくが、

「クヌギ山公園で、何かあったの?」

と聞くと、母さんは真面目な顔になって、

「またネコが殺されちゃったみたいなのよ。」

「今月で、もう5件目だな。」

父さんは少し怒ったような顔をしてヒゲ剃りの電源を切ると、着替えのために部屋に向かった。

中学3年生の姉ちゃんは、いってきます、と慌ただしく家を出て行った。

また、ネコを殺した奴がいる。

でも、警察が探しているなら安心かな、とも思った。ネコを殺しても捕まるらしい。ニュースではキブツソンカイ、と言っていた。そういえば、前にタイチがホウキを折ってしまったゲンちゃんに、

「お前、それ器物損壊っていうハンザイだぞ。」

と、わざと真面目な顔をして言っていた事がある。ゲンちゃんは「ハンザイ」と聞いて、すっかり青ざめて、

「オレ、捕まっちゃうの?」

とわざわざ職員室まで先生に聞きに行って、半分怒られて半分笑われていた。

ぼくはそこまで考えて、あれ?と思った。

「キブツソンカイ」って、確かタイチの話では、「人の物を壊したり、傷つけたりすること」だった気がする。

だけどよく考えたらネコは物じゃない。

ちゃんと生きている。

難しい言い方をすれば、ネコだってひとつのいのちだ。

その「いのち」を無理矢理奪ってしまう事が、器物損壊?

朝からまた、「わからないこと」が増えてしまった。


学校でその話をすると、タイチは珍しく首をひねって考え込んでしまった。

「確かにそうだよな。生き物を殺して、器物損壊…か。うん、確かに変だ。」

話を聞いていたゲンちゃんは、どこまでぼくとタイチの会話についてきたかは分からないけど、小指で鼻くそをほじりながら言った。

「でもさ、動物って動く物って書くじゃん?だからさ、あれは物なんだよ、きっと。」

ゲンちゃんにしてはものすごーくマトモな意見だったけど、そうかぁ、納得!とまではいかなかった。隣の席で聞いていたマリエが珍しく声を出した。

「飼い猫も、飼い犬も、誰かが飼ってる。だから、『誰かのもの』。」

これも全くその通りなんだけど、ちょっと引っかかる。

うーん、そうなんだけどさ、と、言いたくなる。四人で黙りこんでいると、

いつものように遅刻ギリギリで教室に駆け込んできたメグが、

「なになに、何の話?」

と顔を出してきた。ぼくは今までの話の説明をしようとして、ふと、昨日の夜に考えていた事を思い出してしまった。顔が熱くなる。まともに顔も見られなくなってしまった。

代わりにタイチが説明すると、メグもうーん、と腕を組んで考えて、それから何か言っていたけれど、ぼくにはもう聞こえなかった。

殺されてしまったネコのことよりも先に女の子のハダカが頭に浮かんじゃうぼくは、もしかして、サイテーなやつなのかなあ。


「今月の歌」を歌い終わった後の朝の会でも、有森先生が事件の話をした。

「すごくひどい、ひどいやり方でネコを死なせた奴がいるんだ。」

と、先生は言っていた。

だけど、本当はひどいなんて言葉では表せない殺し方だという事を、僕はタイチから聞いて知っている。

犯人は、バットか何かでネコの背骨を折り、耳をナイフで切り落としてから、ライターで目玉を…

考えただけで気持ちが悪くなる。怒るとか何とかよりも、とにかく気持ちが悪い。そんなことを平気で、それも何回もできるやつがいる、と言う事が。メグは気持ち悪い、とは言わなかった。

「サイテーだよ。ニンゲンのクズだ。そんなやつ。」

メグは奥歯を噛みしめて、怒っていた。いつもぼくやゲンちゃんや他の男子たちの頭を叩く時とは違う、もっと別の怒り方だった。

そんなことを思いながらふと、メグの方を見る。メグは相変わらず不機嫌そうな顔だった。

目が合った。メグははっと気づいたように、いたずらっぽくウインクを返してきた。

ぼくはうまく笑って返したつもりだったけど、すごくフシゼンだったかもしれない。

一番意外だったのはゲンちゃんの反応だった。

「うえー」とか、「キモっ」とか言って笑うかと思っていたのに、ゲンちゃんはタイチの話の後、にこりともしなかった。黙ってしまった。そして少しの間の後、

「悲しいよな。」

と、つぶやいた。ぼくは飼い主や可愛がってエサをあげていたひとや、殺されてしまったネコ自身の事を考えて、

「そうだよな。一生懸命生きてたのにな。」

と言った。するとゲンちゃんは、

「そうじゃねえよ。」

と怒った声で言ったのだ。

「何も言えないネコをいたぶって殺さなきゃ、ストレスカイショー出来ない奴ってさ。スゲー悲しいよ。カワイソウだよ。」

やっぱりゲンちゃんは、ソンケーだ。

そんな考え方、ぼくは少しも思いつかなかったのだから。ゲンちゃんて、ほんとは、すごく頭いいんじゃないだろうか。


それからもしばらく、ぼくの町ではネコが同じように残酷なやり方で殺されるという事件が続いた。有森先生も朝の会や帰りの会で事件のことを話す事が増えたし、クラスで男子も女子もそれぞれ仲良しのグループでその話をよくするようになった。

そんなある日、今まで不気味だけど、直接ぼくらにはカンケーない話だった「ネコ殺し」が、とうとうすぐ手の届く所まで近づいてしまう事件が起こった。

クラスで一番かわいいと男子に人気の(ぼくはそんなに思わないけど)ハルナちゃんの飼い猫のフィビーが殺されたのだった。やり方はいつもと同じ。バットか何かでメッタ打ちにして、カッターで耳を切って、それからライターで…

何より、なかなか帰ってこないフィビーを探しに空き地へ入っていったハルナちゃんは、見てしまったのだ。辺りに飛び散った真っ赤な血と、目玉が飛び出るまで殴られた、フィビーの死体を。

ハルナちゃんは三日、学校を休んだ。

有森先生は、さすがに死体の詳しい話まではしなかったけれど、ぼくたちにそうハルナちゃんの休んでいる理由を話してくれた。その日の一時間目の道徳の時間は、「いのち」についての授業になった。

クラスのみんな、ハルナちゃんのネコがかわいそうだと思ったし、ハルナちゃんがかわいそうだと思ったし、なにより、そんなことをするやつが許せなかった。

自称、ハルナちゃんファン第一号のゲンちゃんは、

「ガキだろうとオトナだろうと、ぶち殺してやる!死ぬまでぶち殺す!」

とすごんでいた。三日後にようやく学校に来たハルナちゃんは、顔が真っ青で、誰が声をかけてもあいまいに頷くだけで、まるで別人のようだった。メグが声をかけると、メグの足もとに崩れ落ちてとうとう泣き出してしまった。かわいい顔が、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。いつもはまっすぐでつやつやした長い髪の毛も、その日はぼさぼさだった。メグはそんなハルナちゃんを優しく抱き起こし、何も言わずに抱きしめてやっていた。

メグはやっぱり、男らしい。

あ、でも、男があんなことしたら、「デキてる」なんて言われちゃうよなあ。

それから終業式の日まで、ハルナちゃんは学校を休んだり出て来たりを繰り返すようになった。タイチに言わせると、セーシンテキにフアンテーなのだそうだ。

明日から待ちに待った夏休みだというのに、ぼくの心はちっともうきうきしなかった。

―今週も、また一匹、殺された。

結局、終業式にハルナちゃんは来なかった。


「可哀想にね、ハルナちゃん。とっても可愛がってたのねえ。」

母さんが洗濯物を畳みながらぽつりと言った。ぼくが話したわけでもないのに、母さんはフィビーの事を知っていた。スーパーで買い物をしていた時、モリのお母さんに偶然会って知ったらしい。モリはぼくのクラスメイトで、ハルナちゃんの家のすぐ近くに住んでいる。

母さんが、真面目な顔のままぼくを振り向いた。

「森山さんに聞いたんだけどね、雄介くんが犯人を見たかもしれないんだって。」

「うそ。」

モリは大人しくて、ちょっと頼りない感じのやつだ。学校ではそんな話はしていなかった。

まあ、そういうキャラじゃないよな、と思う。自分から話をすることはほとんどないモリは、家に帰ってから一日の出来事をあれこれ親に話しているらしい。母さんはモリのお母さんからいつもいろいろな話を仕入れてくる。

マリエが言うには、モリはマザコンらしい。それも、ゲンちゃんなんか比べ物にならないくらい。

「それでね、その犯人、中学生くらいの男の子だったんだって。」

「全部、見たの?」

殺してるとこ、とは言わなかった。それでも母さんは、ぼくが聞きたいことが分かっているように、小さくかぶりを振った。

「空き地から走って出て行くところしか見てないんだって。だからほんとうは全然関係ないかもしれないし、フィビー、だったけ?そのネコちゃんが見つかったのって、その次の日だし。」

「なーんだ。」

ぼくは起こしていた首をもどし、ソファの上に寝転がって天井を見た。

それって、ヌレギヌとか、早とちりっていうんじゃないだろうか。ヌレギヌを着せられてしまった顔も知らない男の子に、お前もメーワクだよな、とすこし笑みがこぼれる。

だけど、もし、そいつが。

そいつが、フィビーを、これまで殺された全てのネコを殺した犯人だったとしたら。

おまえをゆるさない。

ぼくも、ハルナちゃんも、ゲンちゃんも、メグも。

タイチにマリエだって、きっとおまえのことをケーベツする。

それに、フィビーも。

テレビのニュースでは今日も「ネコ殺し」が特集として取り上げられている。聞いたことのある大学の先生だというおじいちゃん一歩手前くらいの男の人が、「心的ストレス」や「セーテキコーフン」なんて難しい言葉を使いなが犯人の人物像について話している。

関西のほうでナイフを持った男が小学校に入り込み、次々に刺して殺したという昔の事件の犯人も、小学生のころからネコを焼き殺して遊んでいたらしい。

母さんが「次は人間」と心配する理由がよくわかった。


夕ご飯の後、7時くらいにゲンちゃんから電話がかかって来た。ぼくが受話器を取って応えると、ゲンちゃんはいきなり大きな声をあげてまくし立てた。

「ワタル!やべえよ!ハルナちゃん、落ち込んでるとかそういうんじゃなくて、部屋から出て来られないんだってよ!」

いきなり耳元でがなり立てられて状況が飲み込めないぼくは、わざとゆっくりした口調で言った。

「ゲンちゃん、落ち着けよ。ハルナちゃんがどうしたんだよ。」

するとゲンちゃんはもどかしそうにええい、と一言唸って、今度はゆっくりと最初から話してくれた。

「かーちゃんから聞いたんだけどさ、あいつ今日来なかっただろ?学校休んでる時は一日中部屋に鍵かけて閉じこもって、親も入れねーんだってよ。ヒトミとかコノミとか、仲良かった女子がお見舞い行ってもさ、追い返されるらしいんだよな、ハルナちゃんのかーちゃんに。」

「そうなんだ。」

相槌を打ちながら、ぼくは少し不安になった。

ゲンちゃんはハルナちゃんが大好きだ。それに、ゲンちゃんは考えるよりも先に体が動くタイプでもある。もしかして、と思った。

「オレたちで見つけようぜ、犯人。明日から夏休みだし、街中見回りでもしてさ。」

嫌な予感が、当たった。


「はあーあ。」

ため息がこぼれる。

置かれた受話器を眺めて、呆然と立ち尽くしていた。

「そーゆーことで、オレ、メグたちにも電話してみるからさ。」

ゲンちゃんは無計画だ。それに、ひとの都合なんて考えないような無神経な所もある。

ハルナちゃんが好きなのは分かる。優しいんだってことも、ずっと前からよく知っている。

「明日は作戦会議ってコトで、10時にヴェールの前で集合!」

だけど、ゲンちゃんは夏休みの間中街を見回ることがどういうことか、何も分かっていない。

「そゆことで、ヨロシクー!」

結局一方的にまくし立てて、ゲンちゃんはぼくの返事も聞かないまま電話を切ってしまった。本当に、自分勝手で、せっかちなやつだ。

だけど、すぐに断れなかった僕も、やっぱりダメだなあ、と思う。

「貝塚町警備隊、結成!」

というゲンちゃんの言葉に、ちょっとだけ「カッコイイかも」と思ってしまったのだ。

貝塚町警備隊。

言葉の響きは、確かにカッコイイ。ぼくの将来の夢は、おまわりさんになることだ。

だけど、夏休み中ずっと町を見回りなんてできっこない。

心の中にモヤモヤしたものが音もなく溜まって、ため息になって口から出て行く。

部屋に戻ろうとした時、また電話が鳴った。タイチからだった。

用件はわかっていた。

「タイチ、あの、ゲンちゃんのことだけど…」

「俺、明日から夏期講習なんだよ。悪いけど、パス。」

あまりに予想通りの言葉に、ぼくは小さく、

「そうだよね。」

と答えた。

「あいつ人の話も聞かずに電話切っちゃうから、明日ワタルから説明しといてくれよ。じゃあな。」

話を聞かないのはタイチも同じだ、と思った。

電話はそれで切れてしまった。

今頃メグとマリエの家にもゲンちゃんからの一方的な電話がかかってきていることだろう。マリエなんか一言もしゃべらないうちに電話切られちゃうんじゃないかな、と思って、またため息が出た。

メグはどうだろう。塾には行っていないけれど、明日の作戦会議には行くんだろうか。行くかもしれない。メグは「作戦」とか「なんとか隊」が大好きだ。だけど、いくらなんでも貝塚町警備隊なんてむちゃくちゃな話に乗るほど向こう見ずでもないと思う。

もし、メグにもマリエにも断られたら、ゲンちゃんはひとりぼっちで警備隊をやるんだろうか。それは可哀想だ。でも、ひとりでやっててもそのうち飽きてやめちゃうかもしれないし、心配する事無いよな。

そう自分に言い聞かせて布団に入ったが、明日ヴェールに行くかどうかは、まだ決められずにいた。


朝の10時にもうすぐなるという頃、ぼくは商店街の一角にあるカフェ、ヴェールの前に立っていた。お店の中に入った事はないし、コーヒーは苦いから好きじゃない。それでも、ぼくたちは低学年の頃から集合場所をヴェールの前、と決めていた。木造の建物が並ぶ商店街の中で、ヴェールの真っ白い、石造りのたたずまいは、ちょっと浮いていると言えるくらい目立っていた。なにより、自動ドアの上から空に向かって、少し斜めに突き出している青と白と赤の旗、タイチがフランスの旗だと教えてくれた三色旗が、ちょうどいい目印になった。親に叱られたり、学校で嫌なことが合った時、この旗の下にはいつも誰かが居た。

クラスメートとケンカした帰り道、メグが店の中を覗き込んでいた。ぼくに気付くと、

「おっ、ワタルー!なあなああれって何だろう。あの長いの。食いもんなのかなー。」

とレジの横に何本かささっていたフランスパンを指さした。

フランスパンも知らないなんて、と呆れたけれど、重たい気持ちはどこかへ吹き飛んでしまった。

家の障子を破って父さんに怒られた時、しょんぼりしてヴェールの前を通った時、マリエがちょうど店から出てきた。

「マリエ、コーヒーなんか飲むの?」

と驚く僕に、マリエはいつもの調子で、

「自動ドア。行ったり来たりしてるだけ。たのしい。」

と答えた。スーパーが出来るまで、この商店街でドアが自動のお店はここしかなかったのだ。相変わらずヘンなやつ、と笑って、少しだけ楽しい気持ちになれた。

母さんとケンカした時は、タイチがいた。

ケータイをいじっていて、ぼくを見つけるといつものようにニコリともしないで、

「おう。」

と言った。

ぼくは隣に立って、独り言のつもりで、だけどやっぱり聞いて欲しくて、母さんとのケンカの愚痴をこぼした。タイチは相槌もうたずにケータイをいじっていた。

ようやくぼくがすっきりして帰ろうとした時、タイチが言った。

「聞いてたけどさ。」

「え?」

「それ、やっぱりお前が悪いよ。」

「うん…。」

「でもまあ、気持ち、分かるけどな。」

この三色旗の下で、ぼくは何回も、転びそうになるのを救われた。

ゲンちゃんとの思い出も、たくさん、ある。

飼っていたカブトムシが死んだ時、先生に誤解されて叱られた時、何故だかわからないけど、気分が重い時。

ゲンちゃんはいつだって、明るく笑い飛ばしてくれた。

そんなことを思い出して、自動ドアが開いてしまわないように気をつけながら、三色旗を下から眺めてゲンちゃんを待った。

10時を過ぎてから、ゲンちゃんはやってきた。少し慌てて、駆け足だった。ぼくが居るのを見つけると、顔いっぱいに笑顔を浮かべてダッシュでやって来た。

「ワタル!来てくれると思ってたぜ!」

なんて、今にも抱きつきそうな勢いでぼくの両肩を正面から掴む。

やっぱり、ゲンちゃんは嫌いになれない。

この様子だと、やっぱりメグにもマリエにも見捨てられたみたいだった。ぼくはあえて、他のみんなは?とは聞かない。よく分からないけど、それがオトコのユージョー、だと思う。それなのにゲンちゃんは、ぼくのそんな気遣いも知らないで、がっかりしたようにため息をつく。

「ひでーよなー、みんな。タイチは塾、メグはめんどくせえって言うし、マリエは音信不通だぜ?。」

ぼくも、来なかったかも知れない。そしたらゲンちゃんは、一体誰に今のグチをこぼすつもりだったんだろう。ぼくはちょっと悲しくなって、ゲンちゃんと同じようにうつむいてアスファルトの道を見つめた。低学年の頃は、誰かが集まろうと言えば当日、いきなりだってみんなが集まって遊んだ。夏休みなんて、毎日、みんなと一緒だった。ゲンちゃんも同じ事を考えていたのか、また大げさなため息をついた。

「昔は、良かったよなあ。」

「ゲンちゃん、何オッサンみたいなこと言ってんだよ。」

あんまり、うまく笑えなかった。

そのときだった。

「じゃあ、「昔も」よかった、って言えるようにすればいいんじゃねえの?」

ぼくもゲンちゃんも声のした方を振り返る。

「おっす。」

メグはTシャツの袖を肩までまくって、ファイトポーズを作りながらおどけて笑った。後ろにはマリエもいる。

「メグ!マリエ!」

ゲンちゃんとぼくが声を上げると、静かにヴェールの自動ドアが開いた。

「過去のことばっかり考えてると、脳の発達が鈍るぞ。」

店から出てきたのは、塾に行っているはずのタイチだった。

「タイチ!」

塾は、とぼくが尋ねる前に、タイチはやっぱり真顔のまま、

「今日やる所、もう全部わかってるとこだから。毎日は無理だからな。」

そっけない言葉と態度だけど、わかる。

タイチが「ネコ殺し」のニュースをいつもチェックしていた事も、目的が変わるたびに名前の変わるぼくたち「なんとか隊」の集まりが、嫌いじゃないってことも。

わかっている。

タイチは、「シューサイ」だけど、「ガリ勉」じゃない。

「よーし、それじゃあ貝塚町警備隊、作戦会議を開始する!」

ぼくは高らかに作戦会議の開会を宣言した。

三色旗は風にゆっくりとたなびいて、やがて反対方向にゆっくりと揺れ始めた。


作戦会議は予定より20分遅れで始まった。貝塚町警備隊の発案者ゲンちゃんは案の定、何も考えておらず、勝手にぼくを「隊長」にして、皆の意見を待っている。

やっぱり、勝手なやつだ。

とにかく、立って何かを考えていても仕方がない。

「そしたらみんな、オレんち来いよ。そのほうがゆっくり考えられるだろ?」

「さんせー!涼しいとこで考えよー。」

メグが右手を高々と上げ、みんなもそうだな、と言ってぼくの後について歩き出した。商店街からぼくの家までは、子どもの足でも歩いて10分かからない。

「そーいやさー。」

隣を歩くメグがぼくに向き直った。

「ワタルんち行くのって久しぶりだよな。」

そういえばそうだ。5年生になってからは、初めてかもしれない。誰かの家で遊ぶ時にはたいていメグかワタルの家だ。メグの家は昼間誰もいないので騒いでも怒られないし、ワタルの家にはプレステ、Wii、XBOXと、テレビゲームのセットが揃っている。ぼくの家にはプレステしかない。テレビ局で働いているワタルのお父さんが、流行には敏感にならないと、と買ってくるらしい。

ぼくの父さんもそういう仕事をすればいいのに、といつも思う。

「夏休みは、たくさん行かなきゃな!」

メグはそう言って、えへへっと笑った。

嬉しいような恥ずかしいような、変な気持ちが全身を駆けまわる。変な顔になっていないか不安になって、ぼくは少し足を早めた。

家に帰ると、母さんがちょうど買い物に出かける所だった。ぼくたちを見て最初はびっくりしたような顔になっていたけれど、

「ゆっくりして行ってね。お菓子とか飲み物とか買ってくるから。」

と言ってくれた。

「ワタルのかーちゃん、優しいよなあ。オレ、ワタルんちの子になろうかなあ。」

「なんだよゲンちゃん。変なこと言ってないで早く入れよ。」

ぼくはそう言って玄関のドアを開けた。まるで怒ったみたいな声になってしまったけれど、悪くない気分だった。

ぼくの部屋に5人が集まった。けれど、なにかいいアイディアがあるわけではない。窓を開け、扇風機のスイッチを入れて、やることがなくなってしまった。

うーん、と考えているぼくの隣で、タイチが声を上げた。

「ワタル、画用紙ってある?」

「あるけど、何に使うの?」

「いいから。」

ぼくは机に上り、本棚の上に置いてある画用紙を手に取った。低学年のときから全く減っていない画用紙の束はうっすらとホコリをかぶっていた。ぼくがそれを手渡すと、タイチは開けた窓から画用紙を振ってホコリを落としてから、一枚を床の上に置いた。

「マリエ、この街の簡単な地図、描けるか?」

「描ける。」

タイチがぼくの机の上から取った鉛筆をマリエに渡す。マリエは少し考えてから、すらすらと貝塚町の地図を描き始めた。マリエはクラスで一番絵がうまい。いつも本ばかり読んでいるのに、一体いつ練習をしているのだろう。

地図は見る見るうちに出来あがった。おおまかな地図だが、ここはどこだ、とすぐにわかった。

「すっげー。」

ぼくとメグとゲンちゃんが声を上げる。

今度はタイチがマリエから鉛筆を受け取り、地図のいくつかの場所に×印をつけていった。

「なんだ、そのマーク。」

ゲンちゃんが覗きこむと、タイチは鉛筆を地図の脇に置いて、言った。

「ネコが多い場所を書き出してみたんだ。こうすれば、ひとりひとりがどのあたりを見回ればいいか、だいたいの見当がつくだろ。」

「おーっ、さすがシューサイ。」

メグが感心した様子で地図の×印を人差し指でなぞった。

「まずは、烏谷(からすや)神社。境内と、神社の前の坂にネコがたむろしてるの見たことあるだろ?」

みんながうんうん、と頷く。

「それから3丁目の駐車場。ここは夜ネコが群れてる場所だ。だから塾の帰りに俺が担当するよ。最後に、クヌギ山公園だけど…。」

タイチの表情が曇る。クヌギ山公園。5件目の事件が起きた場所だ。昼も夜もたくさんの猫が暮らしている。

昼間でも薄暗く、ボロボロの服を着たホームレスのおじさんが住んでいるとか、ヘンタイが隠れて子どもたちを狙っているとか、不良が隠れ家にしているとか、色々な噂がある。公園、と言っても家族連れで遊びに行く人はまずいない。

みんなの視線を振り払うように、タイチは話を続けた。

「とにかく、この三か所に絞って見回りをすれば犯人につながる手掛かりを得られる可能性は高いと思う。駐車場は夜、俺が見るとして、残り二か所を二人一組でパトロールする。場所は日ごとに交代。時間は日によってそれぞれの予定があるだろうから特には定めないけど、見回りをする時は必ず二人組で行動する事。それでどうだ?」

できれば、クヌギ山公園には行きたくない。だけど、確かにネコの多い場所だし、現に事件も起きている。やらなきゃ警備隊の名がすたるというものだ。それに、公園の中に入らなくても、周囲をぐるっと一周するだけでもいいよな、とちょっとずるい事も考えた。

二人組と、明日見回りをする場所ははじゃんけんで決めた。明日のクヌギ山公園はゲンちゃんと、マリエのペア。そして烏谷神社はぼくと、メグ。今日塾を休んだタイチは、ゲンちゃんマリエペアと一緒にクヌギ山公園へ行くという。

「もしあんまり危険そうなら、少し考えてみる。」

と言っていた。タイチも怖いのかな、と思ったりもしたが、人のことは言えない。昼間でも暗い公園は、やっぱり怖い。

「早速パトロール開始!」

隊長でも無いくせに、ゲンちゃんが拳を天に突き上げる。

立ち上がったメグは、

「よろしくな、相棒。」

と言ってぼくの肩に手を置いた。「アイボー」という言葉のカッコよさに嬉しくなるよりも先に、かがんだメグのTシャツの胸元に目が行って、あわててそらしてしまった。

ああ、こんなときに何を考えているのだろう。


烏谷神社に向かう坂道はかなり急で、自転車の人はたいてい降りて自転車を押して上っていく。ぼくも3年生までは、自転車をこいで上ることが出来なかった。歩きでもかなり疲れる。

「烏谷坂、異常なーし!」

と声を上げながらぐんぐん上っていくメグの背中を追いかけてふと見ると、何匹かのネコがひなたぼっこをしていた。首輪をつけたネコもいる。

かわいいはずなのに、バットでたたき割られた頭や、飛び出した内蔵の光景を、ほんとうに見たわけでもないのに想像して思わず目をそむけた。

坂を上り切ったぼくたちは、右の道へは進まずに神社の境内に入った。境内にたくさん生えている桜の葉がさらさらと擦れ合う音が、頭の上から聞こえてくる。うるさいくらいにセミが鳴いている。春、桜がいっぱいに咲いている時はとても静かな神社なのに、夏になると昼も夜も虫たちの大音楽祭がつづく。ぼくは、そんな夏の神社が好きだ。

「ワタルー!」

名前を呼ばれて振り向くと、メグが差し出した木の枝が視界に入った。そして、その先には、茶色っぽい、モフモフとしたものが、何匹も―

うわあっ、とぼくは後ろに大きくジャンプした。体育の立ち幅跳びだったら新記録だったかもしれない。

モンクロシャチホコ。桜の葉が大好物の毛虫だ。

ぼくは虫は好きだけど、カマドウマと毛虫とカメムシだけはだいっきらいなのだ。

あいつらだけは、本当に絶滅したほうがいい。

2年生の頃、みんなで遊んでいて、庭の木についていたアメリカシロヒトリの毛虫が服の中に入って大パニックになったことがある。アメリカシロヒトリは刺されてもなんともない毛虫だけど、とにかく背中のあの感触が、忘れられない。結局メグに取ってもらったんだっけ。

「ふざけんなよ、まじめに警備隊やれよな!」

とぼくが怒った顔をして見せても、メグは、あっははっ、と笑うだけだった。ビビってるのがバレてる。サイアクだ。

風が吹いて、桜の木がささーっ、と歌う。なんだかぼくもおかしくなって、メグと顔を見合せたまま笑いだしてしまった。

「あーあ、今日も烏谷神社は平和、平和。ちょっと疲れたから、休んでこーぜ。」

笑いつかれたぼくたちは、メグの言葉で賽銭箱の前に座った。

空を見て、それから目を閉じて、メグはサクラの歌を聴いている。その時のメグは、とても気持ちよさそうで、楽しそうで、ちょっと、かわいかった。

「なんだよワタル、今日大人しくない?」

自分でも気付かないうちにメグの顔をじっと見ていたらしい。そんなことねーよ、と言ったぼくの声はもう少しで裏返ってしまう所だった。

結局、ネコ殺しの犯人は現れなかった。もちろん会わない方がいいに決まっているけれど、それに、そんなに簡単に見つからないと分かってはいるけれど、ぼくもメグもちょっとビミョーな気持ちになった。

家の近くでメグと別れた時、じゃーな、と言って走っていくメグを見て、ぼくはやっぱりメグが好きなのかな、と思った。思って、慌ててそうじゃないだろ、と自分に言い聞かせる。

ぼくは貝塚町警備隊の隊長で、メグはぼくの相棒なんだ。


晩御飯を食べ終わってぼくがテレビを見ていた時、タイチが電話をかけてきた。

「見回りの成果は?」

「ぜーんぜん。そっちは?」

「まあ、そんなに簡単には見つからないよな。」

やっぱり駄目だったみたいだ。結局、公園には入らなかったという。

「公園の周りをまわってみても、それっぽいのはいなかったな。」

「明日は、見つけられるかな。」

「そうだな、早く見つけたいよな。」

こんなに楽しそうなタイチの声を聞くのは久しぶりだった。

夏休みって、やっぱりすごい。


それから毎日、どっちかが予定のある日以外、ぼくたちは見回りを続けた。

それでも、犯人は見つからない。

「ネコ殺し」も、夏休みに入ってぱったりと起こらなくなった。それでも、ぼくとメグは見回りを続けた。

「犯人もさ、あたしたちが見回ってるの知ってビビってんじゃねーの?」

もう何度も見回って来たクヌギ山公園の近くの道で、メグが言った。そうかもしれない。もしかしたら犯人は、もうネコ殺しをやめたのかもしれない。でも、それって、警備隊大活躍ってことじゃん?ぼくが誇らしい気分になっていると、メグが公園の金網を指さした。

「せっかくだからさ、中も見回ってみない?」

「え…」

ビビった顔になった、かもしれない。クヌギ山には去年までたまにザリガニ釣りに来ていた。だけど、ザリガニのいる池は公園の入口のすぐ近くで、それより奥に行ってはいけないと先生にも母さんにも言われていた。

「なんだよワタル、ビビってんの?隊長だろ?」

メグはほんとうに怖いもの知らずだ。不満そうにぼくの顔を覗き込んでくる。

「いいよ、行こうぜ。」

言ってしまった。ほんとうは少し、いや、結構怖い。だけど、オンナのメグが行くって言っているのに、オトコのぼくが怖がってるなんて、ダメだ。隊長として、オトコとして、ぜったいに、ダメだ。

金網をよじ登って草むらを越えると、木の葉で太陽の光があまり入ってこない、薄暗い森が広がっていた。

「うわ…」

ぼくたちは思わず声を上げた。怖い。遊園地のお化け屋敷の百万倍怖い。メグと顔を見合わせる。

「やっぱり、やめにしよっか。」

「なんだよ、メグ、ビビってんじゃん。」

口ではそう言ったけれど、ぼくも正直、ちょービビっていた。

「ビビってんのはおまえだろ。」

メグの顔は笑っていない。一瞬、僕から目をそらして、左手を差し出した。

「ワタル、ヤバそうだから、手、つないでやるよ。」

震えているのが分かる。ぼくの両足もさっきからガクガクいっていて、止まらない。

だけど、ここで逃げ出したらオトコじゃない。お互いの手をぎゅっと握り、ぼくたちは一歩、また一歩と森の中へ入っていった。

ひとが歩くために作られた道はすっかり草が伸びきっていて、木の階段は腐りかけてキノコが生えている。ばさっ、と大きな音が聞こえた。

「ひっ。」

ぼくとメグの肩が、同時に跳ねた。見上げると、真っ黒な大きいカラスが木の枝に止まっていた。

もう、やめよう。

言葉が喉まで出かかったとき、メグがぼくの手を急に引っ張った。ぼくはよろけながら、メグに引っ張られて大きな木の後ろに回り込んだ。

「なんだよ、メグ…」

「しっ。何か聞こえる。」

メグは人差し指を口元に当て、息をひそめた。ぼくはえっ、と言って耳を澄ました。

確かに、聞こえた。がさがさっという草の音と、にゃあと鳴くネコの声と、それから、人の声。

ぼくはそっと、木の陰から顔を出した。

男の子がネコの尻尾をつかまえて、持ちあげている。左手には、よくボーソーゾクのお兄さんが持っているような、金属バット。乱暴にネコを持ちあげる姿。

間違いない、ネコ殺しの犯人だ。

だけど、ぼくたちが何より驚いたのは―

「あれ、シュウジ…だよな。」

背の低い木々の枝の向こう側、野球帽をかぶって目元ははっきりとは見えなかったけれど、ぼくもメグもすぐに気がついた。

犯人は、不良中学生なんかじゃなかった。

犯人は―

貝塚小5年3組。

ぼくたちのクラスメイト。

シュウジ、だった。


シュウジはクラスの目立たないグループにいるやつで、ひょろりと背が高い。休み時間はハジメやサトルたちの話に入ってゲームやアニメや漫画の話ばかりしている。一度、ぼくも大好きなアニメの話をしていたので混ぜてもらおうと思ったら少し迷惑そうな顔をされたので、それ以来あいつらとは少し距離を置いている。

まさか、シュウジが…。

国語の時間に教科書を読まされても、緊張して何度もつっかえてしまうようなやつなのに。

カブトムシだって、怖くて触れないようなやつなのに。

そんなシュウジが、ネコ殺しの犯人?

木陰から顔をのぞかせたまま、ぼくの体は動けなくなってしまった。数えきれないほどの「なんで?」が、メリーゴーラウンドみたいに頭の中をぐるぐると駆けまわって、いつまでも止まらない。メグも反対側からのぞきこむ格好で固まっていた。シュウジはぼくたちに気付かないまま、ネコを空中に放り投げて、バットを振りかぶった―

「やめろ!」

自分でもびっくりするくらい大きな声を出して、ぼくは走り出していた。シュウジはびくっ、と体を跳ねあげて、こちらを見ずにネコを放り出したまま走って林の奥へ逃げて行った。メグが走ってきて、ネコを抱きかかえる。すぐに逃げ出さなかった所を見ると、ネコはかなり弱っているみたいだ。

足もとを見ると、コンビニで売っている、プラスチックのライターが落ちていた。シュウジが慌てて逃げる時に落としていったのだろうか。ライターを拾い上げてみたとき、ぼくの背中の毛がいっせいに逆立った。

ライターのボディに、赤のサインペンで「殺」の漢字が大きく書かれていた。

ライターをポケットに素早く突っ込んで、メグを見た。

泣いていた。

「怖かったなあ…。おまえ、よかったな…」

そう言ってネコを抱きしめ、しゃがんだまま肩を震わせて涙をぽろぽろとこぼしていた。そんなメグを見ていると、なんだかぼくまで泣きたい気持ちになって、それをごまかすためにわざと強い言い方をした。

「メグ、すぐにゲンちゃんたちに知らせるぞ。」

右腕でぐっと涙を拭って、メグが立ちあがった。


ぼくたちは全速力でぼくの家まで走った。母さんは二階のベランダで洗濯物を干している所だった。ぼくたちを見てびっくりして、メグが抱いているネコを見てもっとびっくりして、洗濯物を放り出して玄関まで下りてきた。

「おばちゃん、このネコ弱ってるんだ。病院に連れてって!」

メグの剣幕に母さんは理由も聞かず、わかった、と言って大急ぎで電話帳のページをめくり始めた。それから電話をかけ、事情を説明して、すぐに車のエンジンをかけた。いつものんびり屋の母さんがこんなにテキパキと動くところを、ぼくは初めて見たかもしれない。母さんはぼくが生まれるまで、車会社のソーム課というところで働いていた。仕事の時も、あんなにきびきびと動いていたんだろうか。

母さんがぼくたちを呼ぶ声が聞こえた。

「あたしが連れて行くから、ワタルはゲンちゃんたちに連絡して!すぐ戻ってくるから。いいな?」

「うん。」

ぼくの返事を聞いて、メグはネコを抱えたまま玄関から飛び出していった。ぼくはゲンちゃんたちに連絡する事で頭がいっぱいで、ネコを病院に連れて行くことなんて全然考えられなかったのに、ぼくと同じくらい「なんで?」が頭にいっぱいあったはずのメグはちゃんと両方を考えていて、母さんの段取りも素早くて、オンナってしっかりしてるなあと感心してしまった。受話器を手にとって、まずは今塾で講習を受けているはずのタイチに連絡をした。ケータイの番号は何も見なくても覚えている。タイチはなかなか電話に出なかった。授業中なのかも知れないと思い、ゲンちゃんの家に電話をかけてみた。何もなければ、もう今日の見回りを終えて家にいるはずだ。

「はーい、高尾でーす。」

ゲンちゃんが電話に出た。ぼくは早口になりそうなのを必死にこらえながら、なるべくゆっくり、順番に話をした。最初は黙って聞いていたゲンちゃんだったが、話が犯人の事になった時、

「ちょっと待った!…それって、じゃあ、ハンニンって…」

「シュウジ…だった。」

黙ってしまったゲンちゃんに、とにかくマリエも呼んですぐにぼくの家に来るように伝えると電話を終えた。受話器を置いてすぐ、電話が鳴った。急いで受話器を取る。

「はい、柏木です。」

「電話、した?」

タイチからだった。わざわざ教室から出てかけ直してくれたのだという。ぼくが見回りをしていて犯人と出くわしたこと、そしてそれがシュウジだったことを話すと、そうか、と低い声で言った。

「今から行く。」

「え、でもタイチ、塾は…」

「抜け出してくる。」

そのまま電話は切られてしまった。びっくりしたけれど、ちょっと嬉しかった。

ゲンちゃんが、インターホンも鳴らさずに玄関のドアを開けて入って来た。マリエもいた。全力ダッシュしたのが、ゲンちゃんの肩の揺れと荒い息づかいで分かる。呼吸も整わないうちに、

「ネコは?ネコは大丈夫なのかよ!」

とぼくの家の中をきょろきょろと見渡す。

「母さんとメグが病院に連れてってるよ。」

ぼくの言葉に安心したように、ゲンちゃんはへなへなと座り込んでしまった。ゲンちゃんは優しいやつなのだ、やっぱり。マリエも、聞こえるか聞こえないかの息をすうっ、と吐き出した。安心した、のサインだ。

「とりあえず上がりなよ。メグももうすぐ帰ってくるはずだし、タイチも来るって。」

「タイチ。塾は?」

マリエが首を傾げる。ぼくは笑って、何も言わずに右手の親指を立てた。

外で車の音がした。帰って来た、と思う間もなく、玄関の扉が開いてメグが駆け込んできた。ゲンちゃんとマリエを見て、よしっ、と呟いて、それからとびきりの笑顔をぼくに向けた。

「ネコ、大丈夫だってさ!」

みんなでほっとして、メグに負けない笑顔になった。少しあとから、車を車庫に停めた母さんが入って来た。久しぶりにテキパキ動いて疲れたのか、すこしだるそうだったけど、ぼくと目が合うと誇ったように右手でVサインを作った。

メグと母さんて、ちょっと似てる。

そう思ったのは初めてだった。母さんに続いて、もう一人、家に入って来た。

「お邪魔します。」

「タイチ!」

ぼくとゲンちゃんが同時に声を上げる。

「駅前を通った時に、ちょうど会ったのよ。ワタルと遊ぶっていうから一緒に乗って来てもらったの。」

母さんはそう言って、着替えのために寝室に入っていった。

「俺の部屋行こう。」

ぼくたちは急ぎ足で階段を上った。


「本当に、沖くんだったのか?」

沖くん、というのはシュウジの名字だ。タイチはぼくたち以外のクラスメイト達は基本的に名字で呼ぶ。一度「柏木くんて呼んでみてよ」と言ったら、「やだよ、気持ち悪い」と切り捨てられてしまった。タイチに名前やあだ名で呼んでもらえるのは、友達の特権なのだ。

「お前らの見間違いじゃねー?」

ゲンちゃんは不機嫌そうに頬杖をついている。ぼくだって、見間違いならほんとうはそっちのほうがずっといい。ヌレギヌだったほうが、いいに決まってる。

「そう言えば、こんなの落ちてた。」

ぼくはクヌギ山公園で拾ったライターをポケットから出してみんなに見せた。タイチが手に取って眺める。ふと、手の動きが止まった。「殺」の字に気付いたのだろう。それがシュウジの字なのかどうかはわからなかった。

「どうする?」

マリエがライターから目をそらさずに聞いた。そんなこと、ぼくが聞きたいのに。ゲンちゃんが勢いよく立ちあがった。

「決まってんだろ!シュウジを見つけ出してボコボコにして、それから、それから…」

威勢が良かったのはそこまでだった。きっとぼくも、「どうして」「なぜ」の言葉を並べたてたあと、どうしていいか分からなくなってしまうだろう。

「警察に連れて行く…?」

メグがおそるおそるの口調で呟いた。ぼくもゲンちゃんもびくっとして、メグの顔をじっと見つめる。

「そうだな。」

タイチが腕を組んで、考え込むような仕草を見せた。

ぼくたちは、シュウジがネコ殺しの犯人だったことがショックで、すっかり忘れていたのだ。ぼくたちがこの事を話したら、きっとシュウジは警察に捕まってしまう。刑務所に入れられるんだろうか。「ハンザイシャ」と呼ばれながら、一生ひとりで生きて行くのだろうか。ぼくがそう言うと、タイチは冷静な顔になって、そんなことはない、ときっぱりと言った。

ぼくたちは今11歳だ。タイチによると少年法という法律があって、警察に捕まるようなことをしても、14歳になっていない場合犯罪にならないんだそうだ。だいたいは児童相談所という所に送られて指導を受けるだけですむのだという。

「ただ、今回みたいに酷いやり方で何匹も殺してると、わからないな。ニュースで特集が組まれるくらい話題にもなったし、市川さんみたいに飼ってた猫が殺された人たちに訴えられれば…家庭裁判所に送られるかもしれない。」

その後は、自立支援施設、という所に入れられるのだという。

市川さん…ハルナちゃんは、きっとシュウジを許さないんじゃないかという気がする。シュウジは一体どうなってしまうんだろう。

「やっぱり、警察に行こう。そうしないとあいつ、これからもずっと殺し続けると思う。」

タイチの言う事は正しい、と思う。「モクゲキシャ」として、そうしなければいけないんだとも思う。

だけど、正しいんだけどちょっと違うような気がして、でもどこがどう違うのかって聞かれたら、ぼくは説明する自信がない。

また増えた、わからないこと。

こうやって少しずつ「わからないもの」を増やしながら、ぼくたちは同じように少しずつおとなになっていくのかもしれない。

「オレ、シュウジんちに行ってくる。」

ゲンちゃんがいきなり立ち上がった。怒っている。タイチが焦るなよ、と手でそれを制する。

「行ってどうするんだ。」

「聞いてやるんだ。どうしてこんなことしたのか。それから反省させて、謝らせて、そうしたら、捕まらなくて済むかも知れねーじゃん。一生懸命謝れば、警察だって許してくれるかも知れねーじゃん。」

「謝って済めば警察はいらないんだ。」

「じゃあどうすんだよ!シュウジが警察に捕まって、ジリツシエンなんとかに入れられて、学校に戻ってこられなくなってもいいのかよ!どうせてめーは、自分には関係ないって思ってんだろ。」

「関係ないね。だけど犯罪は犯罪だ。殺した人間は、罰を受けるんだ。」

タイチに飛びかかろうとしたゲンちゃんの両脇を、ギリギリのところでメグが抑えた。

「やめろよ、二人とも。俺たちがケンカしたってしょうがないだろ。」

そうは言ったけど、ほんとうはぼくにもどうしたらいいのかなんてわからない。

「離せ、離せよ!」と叫んでメグを振り払おうとしていたゲンちゃんも、だんだん大人しくなり、ついには力なくうなだれてしまった。

「どうしたの、大丈夫?」

一回から母さんの声が聞こえた。ぼくは部屋のドアを開け、階段の下に向かって

「何でもないから!」

と叫んだ。みんな、唇を噛んで下を向いていた。

「悪かったよ。確かにオレ、あいつに会ってもなんて言っていいか分からねえし。それに、本当にあいつだなんて、まだ100パー信じてるわけじゃないから。」

「俺もゴメン。感情的になり過ぎた。できることなら何とかしたいんだ。だけど、どうしていいのか分からないよ。」

仲間割れにはならなくてよかったけど、ぼくたちは完全に道を見失ってしまった。今が夏休みでよかったと思う。もし明日学校があったら、ぼくはどんな顔でシュウジに会えばいいのかわからない。もう3時になっていたのに、おやつのことなんて浮かんでこなかった。

「止めてあげなきゃ。」

マリエが今日初めて顔を上げて、ぼくたちの目を見ながら話し始めた。

「このままじゃ、また殺す。悲しむ人、また増える。沖くんのこころだって、殺すたびに壊れる。そんなの、ダメ。」

「そうだよな…」

メグも顔を上げた。

「あたしらが知りたい事、全部ぶつけてやろうぜ。もし、殺す事が楽しくて楽しくて仕方ないクソヤローなら、ぶちのめしてやる。だけどもし、あいつが苦しんでるなら…あたしらにも出来る事、あるんじゃないかな。」

それまで座ってうなだれていたぼくたちが、気が付けば立ち上がっていた。

「じゃあまず、作戦会議からだな。」

ぼくたちが出したアイディアを、タイチが前に作った地図の裏に書き出していく。どんどんアイディアが書き足されていく。ぼくたちは同じ目標に向かって、いま、ひとつになっていた。


シュウジの家は烏谷神社の前の坂を上って、神社の横の道をまっすぐ行った所にある。この辺りには新しい家がたくさん建っていて、今もどんどん増えている。一度父さんと散歩していた時、父さんがちょっと見てみるか、と言って出来たばかりの新しい家に入っていった。勝手に人の家に入るなんて、と心配していたら、じつはまだ誰も住んでいなくて、気に入った人がいれば買えるというモテルハウスだったのだ。今ではその家に、倉石という表札がかかっていた。3年生までよくみんなでバッタやカマキリを追いかけて遊んだ草むらも、去年コンビニになってしまった。バッタたちは一体、どこへ行ったのだろう。4年生になると同時に転校してきたシュウジの家もそんな新しい家の一つで、まるで外国の家みたいだった。柵の上がトゲトゲになった門に、ちょっと高い所にある玄関。金髪に青い目のお母さんがひょいと顔を出しても不思議じゃない。インターホンを押すのは、ぼくの役目だった。

「じゃあ、作戦通りに。」

そう言って、ボタンを押した。家の中でピンポーンという音が聞こえる。みんなの視線がドアに集まった。

「はーい。」

女の人の声がした。お母さんだ。

「5年3組の柏木航っていいます。シュウジくん、いますか。」

落ち着いた声が出せた、と思う。インターホン越しに、シュウジのお母さんはごめんね、と謝った。

「あの子遊びに行ってるんじゃないかしら。お約束してたの?」

「いえ、大丈夫です。さようなら。」

シュウジは家にいなかった。悪い予感がする。今頃、またどこかで、別のネコを…

「あの、何か用?」

ぼくたちが一斉に振り向くと、シュウジがちょうど帰って来た所だった。帽子に緑のTシャツ、黒の短パン。

間違いない。クヌギ山公園でぼくたちが見たのは間違いなくシュウジだ。

「ちょっと聞きたい事、あるんだ。」

シュウジの様子が変わった。ぼくたちと目を合わせないように足もとを見ている。バットは持っていなかったけど、靴が泥で汚れているのがわかった。ぼくは、ぐ、と拳に力を込めた。

「神社行こうぜ。」

「何の用なの?ここで聞けばいいじゃん。」

慌てている。だけど、嫌だ、とは言わない。クヌギ山公園で声をかけたのがぼくとメグだという事には気付いていないみたいだ。メグがズボンのポッケからライターを取り出した。

「これ、だーれの。」

「あ、それ…」

言いかけて、やめた。小学生がライターを持っているなんて怪しい。それに気付いたのだろう。シュウジはわかった、と言った。作戦通りだった。

「神社、行こう。」

やっぱり、ぼくたちの誰とも目を合わせないまま。神社の敷地に入ってすぐ、タイチが切り出した。

「これ、沖くんのだろ。」

ライターを差し出す。

「ぼく、ライターなんて使わないよ…。」

「でも、お前のだろ。」

ゲンちゃんが鋭い声で言う。ダメだよ、追い詰めちゃ。とぼくが目で制すると、ゲンちゃんは不満そうに、だってよお、と口の形だけで言い返した。

「ワタルが拾ったんだ。今朝、クヌギ山公園で。」

クヌギ山公園という言葉に、シュウジの眉がピクリと動いた。両手でTシャツの裾をぎゅっと握ったまま、気を付けの姿勢で立っている。

「あのさ、俺とメグ、今朝あそこで遊んでたんだよ。そしたら人が居るのが見えて…と、遠くから見ただけだからはっきりとはわからないんだけど、そいつ、手にバット持ってたんだ。反対側の手には…ネコ、捕まえてた。」

ぼくの言葉を聞いた途端、シュウジは弾かれたように神社の外に向かって走り出した。

言葉にならない悲鳴を上げながら、まるで何か怖いものに追いかけられているみたいに、逃げた。すかさずメグが追いかけ、神社の鳥居の前で後ろから足を引っ掛けた。前につんのめったシュウジはあっけなく転んで、それから、泣きだした。

うつ伏せに倒れたシュウジの体を引き起こし、胸倉を掴んで、メグが問いただした。

「テメー、何でだ!シュウジ!何でこんな事した!答えろ!」

追いついた僕たちの前で、メグはひたすら「どうして」を繰り返した。その「どうして」にはきっとぼくの分も、タイチの分も、ゲンちゃんとマリエのぶんも入っていたんだと思う。最初は泣いているだけだったシュウジが、突然メグの両腕を掴み、引き剥がした。

「うるさい!」

シュウジは参道に座り込んだまま、真っ赤な目でぼくたちを睨んだ。いつものシュウジからは考えられないほど、怖くて、かなしい目だった。

「おまえらでも、よかったんだ…お前らはみんな敵だ!敵だ!どうしてぼくなんだ!もう嫌だ!」

ぼくたちは、何を言えばいいのか分からなかった。シュウジに意地悪をしたわけでも、ましてやいじめていたなんてことは絶対にない。クラスでもいじめられてなんかいなかったはずだ。それなのに、ぼくたちは敵になってしまった。

マリエが少し前に出て、シュウジの目を正面から見つめた。

「やっぱり、そうだったんだ。」

みんな、マリエの言葉の意味がわからなかった。

「マリエ…そうって…?」

マリエはシュウジが中学生の不良グループにカツアゲをされていた事を話した。初めて聞く話だった。

「帰り道、最近よく知らない六年生たちと一緒にいたから。絶対、付き合わなそうな感じの。」

「おいシュウジ、自分の口で話してみろよ。おまえ、何されたんだ。」

ぼくの言葉に、シュウジは観念したようにうなだれて、話してくれた。中学生のグループに目を付けられた事。見逃して欲しければ金を持ってこいと脅されて、ほんとうに持って行ってしまった事。それ以来、ずっと付きまとわれているという事。どれもぼくたちが聞いたことのない話だった。

「何で誰にも言わなかったんだよ。あたしらじゃなくても、先生とか。」

「気付かなかったじゃないか。」

顔を上げて睨みつけられ、メグは気圧されて口をつぐんだ。メグだけじゃない、ぼくたちは、こんな目をしたシュウジを見たことがなかったのだ。シュウジはゆっくりと立ち上がって、ぼくたちを睨み続けた。

「ぼくが休み時間に6年に呼び出されても、放課後に連れ出されても、おまえらみんな気付かなかったじゃないか!」

クラスメイトなのに、気付かなかった。シュウジは恨んで、仕返しをする代わりにネコを傷付け始めた。最初は石を投げつけたりするだけだったのに、いつからか血を見ないと満足できなくなった。

「名前つけてたんだ、殺す前に。殺したいやつの、名前。」

ぼくの名前もあったのだろうか。ぼくはただただショックで、何も言えないで、シュウジと向かい合って立っていた。ゲンちゃんがぼくの後ろから歩き出てシュウジの前に立った。

あっ、という間もなくシュウジはゲンちゃんに殴り飛ばされた。

ゲンちゃんは馬乗りになって、さらに二度三度、シュウジの頬を殴りつける。

呆気にとられて、止めに入ることすらできないぼくたちの前で、ゲンちゃんは馬乗りになったまま、声を荒げた。

「痛えか、おい。痛えだろ。やっぱりさ、痛えんだよ!殴られるのって。おまえ、バットだろ。もっと痛えんだよ。背中の骨折れてんだぞ?すっげー痛えんだよ。目玉あぶられて、痛えんだよ!俺に殴られるより100万倍…100億倍、痛えんだよ!」

シュウジがまた、泣きだした。でも、さっきの追い詰められた怖い涙じゃなかった。やっと自分のしたことが分かって、うまく説明できないけれど、何であんなことしたんだろうっていう、そういう涙だった。ごめんなさいの涙にも、見えた。

「お前だって、痛かったんだろ。自分がされて嫌な事は人にもするなって、いつもアリモっちゃんが言ってるじゃん。ほら、立てよ。それでかーちゃんととーちゃんに、自分がしたこと全部話してこい。」

ゲンちゃん。

やっぱ、ソンケーだ。


「待ってるから。」

夏休みが終わったら、お前が学校来るの、俺たち待ってるから。

カッコつけようと思ったわけじゃない。だけど、泣きながら家に向かって歩いて行くシュウジの背中を見ていたら、自然にそう声をかけていた。ゲンちゃんも、メグも、マリエも、それからタイチまで、ぼくの後に続いて同じ言葉をかけていた。シュウジは振り向かなかったけれど、ぼくたちの声はきっと届いたはずだ。


それからしばらくして、「ネコ殺し」の犯人が捕まったというニュースが一斉に流れた。犯人は市内に住む小学5年生の少年、とだけ出ていた。家族に付き添われて警察署に自首したらしい。夏休みが明けたら、学校はシュウジの話で持ちきりになるだろう。有森先生は今頃、すごく悲しい思いをしているんだろうな。

だけど、ぼくたちはシュウジをいつもと同じに迎えてあげたい。どれだけ時間がかかっても。迎えてあげなくちゃな、と思う。

お母さん同士のおしゃべりでシュウジが犯人だと知った母さんは家でシュウジについてあれこれ聞いてきたけれど、ぼくはテキトーに答えてごまかした。なんで、どうして、と繰り返す母さんを見て、「ネコ殺し」のニュースが流れるたびに「いつ人間も襲われるかわからない」と心配していたことを思い出した。

ぼくたちはみんな、いつ「ヒガイシャ」になってしまうか分からない。

でも、それと同じくらい、いつ「カガイシャ」になってしまうかも、分からないんだ。

ニュースを見ながら家族みんなで夕ご飯を食べていた時にぼくがふとそのことを言うと、

「おまえ、おとなになったな。」

と、父さんが目を丸くしていた。ほめられたのは嬉しいけど、なんか、ちょっとウザい。

最近、母さんと父さんに対してウザい、と思う事が増えてきた。大事にしてくれているのは分かっているし、ぼくだって2人が「好き」か「嫌い」かで言えばもちろん「好き」のほうなのに、ときどき、ちょっと、ウザい。

今日も母さんに夏休みの宿題の事でくどくど言われて、ぼくは外に出てきた。夏休みも残りあと一週間。ゲンちゃんたちとは相変わらず遊んでいるけど、タイチはここのところ塾にこもりっぱなしだ。さすが、シューサイ。

町を流れる一番大きな川の土手を、ゆっくりと歩いてみた。太陽はジリジリと音がしそうに強く、ぼくの肌をあっと言う間に焼いてしまう。川は音もなくゆっくりと流れていて、聞こえてくるのは車とバイクとセミの音。土手の先の方に、誰かが座っているのが見えた。向こうもぼくに気がついて、よお、と右手を上げた。

「ワタルー!」

「メグじゃん、何してんの?」

メグは視線を川に移して、あぐらの姿勢のまま土手に生えている草を何本か抜き取った。

「シュウジ、どうなっちゃうのかなーって。」

「大丈夫だって。タイチも言ってたじゃん、ジョージョーシャクリョーとかって。」

「うん。」

「それにさ、ちゃんと勇気出したじゃん、あいつ。きっと、変われるよ。」

ぼくはそう言って空を見上げた。真っ青な空に、もくもくとした白い雲がいくつも浮かんで、流れて行く。なんだか競争しているみたいだ。

「ワタルって、けっこうオトコらしいとこあるんだな。」

いい気持ちで空を見上げていたぼくは、慌てて隣のメグを見た。

「なんだよいきなり!」

声が裏返って、変なふうに揺れた。顔も赤くなっているに違いない。かっこ悪。

「クヌギ山でシュウジ見つけた時、あたしびっくりして、声かけられなかったんだ。止めなきゃネコ、殺されちゃうのに。そしたらワタルが「やめろー」って叫んで走ってったじゃん。」

メグの声マネはちっとも似ていなかったけど、ぼくはなんだか恥ずかしくなって、両手で髪の毛をぐしゃぐしゃにしたくなった。そんなぼくを、メグは変な奴、というように首を傾げて見ている。

「そういえばさ、ハルナちゃん、だいぶ元気になったんだって?」

ぼくは無理に話題を変えた。かなりわざとらしかったけど、メグはおう、と笑ってくれた。

「もう大丈夫なんじゃないかな。シュウジが犯人だって知ってまたショックだったみたいだけど、あいつ、スゲー反省してるから、って言ったら、そっか、って。それからだんだん家の外にも出るようになったみたいだしな。」

同じクラスの男子が犯人だったなんて、きっと本当はすごくショックで、許せなくて。

だから、きっとメグが一生懸命シュウジをかばってやったんだろうとすぐに分かって、きっとハルナちゃんには、「心配すんなよ。」といつもの笑顔で肩を抱いてやったんだろう、ということも、なんとなく、わかる。メグの「心配すんなよ」はいつだって全部吹き飛ばしてくれる、気持ちのいい風のような言葉なんだ。


「そうだ、この間他のクラスの奴らが矢賀淵の雑木林でこーんなでっけークワガタ捕まえたって言ってたぜ。ちょっと見に行ってみようか。」

メグが立ちあがって、寝かせていた自転車を立てた。

「ワタル漕ぐ係な!」

「えー。」

ぼくが文句を言うと、メグは黙らっしゃい、とおどけた顔で嫌がるぼくを無理矢理座らせて、自分はぼくの肩を掴んで後ろに立った。こうなったらもう、諦めるしかない。

「途中でゲンちゃんとマリエも誘ってこーぜ。」

ぼくは顔を真っ赤にして、力いっぱいペダルを漕ぎだした。汗が噴き出る。でもオトコなんだし、頑張らなきゃ。

スピードに乗ってくるとだいぶ楽になって来た。顔に当たる風が気持ちいい。見上げると、メグがぼくの顔を上から覗き込んでいた。

「何見てんだよ!」

「楽しいなー、と思ってさ。」

せっかく風が冷やしてくれたほっぺたが、また熱くなってきた。


シュウジは夏休み明け、学校に戻ってこられるんだろうか。わからない。

ハルナちゃんはシュウジを許せるんだろうか。これもわからない。

わからないことは毎日増えて、わかるようになった事も毎日増えて、でもわからないままの事はほんとうに、たくさん、ある。

土手の坂道を下っていくとき、一匹のネコがひなたぼっこをしているのが見えた。あんなにかわいいのに、シュウジはどうしてネコを殺してしまおうと思ったのだろう。

それも、わからない。

ぼくはメグが好きなんだろうか。

これは、もうちょっとでわかるような気もするけど、なんとなくわかりたくないから、

わからない。

「ひゃっほーい」

ぼくとメグは、坂道のスピードそのままに川の横の道を左に入った。

ゲンちゃんちは、もうすぐだ。


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