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9、マスクの下のピエロ

 曽我に言われた通り、とりあえず誰にも気づかれないように、俺は校門から離れた場所で美咲の下校を待った。

 段々日が暮れていき、ターゲットが現れたのは五時半過ぎのころだった。

 美咲の尾行――小此木の時の経験もあって、俺は随分と尾行達人になった気がした――勿論ちっとも気づかれていない。

 それにしても小此木の場合とは違い、今回は大分ドキドキした。やはり相手が女子の場合は華があるな。

 駅から出てすでに二十分以上歩いた、美咲はまだ止まる様子がない。

 段々日も暮れてきて、いつの間にか俺は市街地を抜け、閑散とした古民家の集落まで来ていた。

 ぴたりと美咲は一軒の家屋の前に止まって、庭に入る。

 玄関まで行って、

「ただいま」

 と誰かが待っているように美咲は挨拶して屋内に入った。

 その隙に俺も庭に入り、屋敷の外を眺めた。

 明かりもついてないし、物音もしない。人が住んでいるようには見えない。「もうタっくんったら、そんなに動いちゃダメじゃない」

 美咲のちょっと怒ったような甘い声がした。やっぱり小此木も失踪なんかしていない、恋人同士でいちゃラブしているだけだった。

 ついて来て損した。

 しかしこいつら、随分と舐めた真似しやがる。これで俺が負けを認め、おとなしく警察に捕まるとでも思っているのか? 曽我はああいってるが、やはり小此木は陰険な奴だ。きっと曽我も小此木の上面に騙されているに違いない。

 暴いてやる、貴様らが今ここにいて、何を企み、何を策略したのかを全部録音して暴いてやる!

 音を立てないように俺は建物に近づく。美咲と小此木がいると思われる部屋の窓口までやってきた。 携帯を取り出し、録音ボタンを押す。

 そういえば、曽我は場所を教えろとか何とか言ってたけど、まあ、今の様子だとその必要も全然なくなったな。小此木の居場所さえわかれば後はどうでもよいのだ。

「うぅうぶぅう」

 何かごろごろとした猿が檻の中で暴れてるような音がする。

「タッくん今日は何食べる? 弁当沢山買ってきたよ? それとも手料理?」

「ぅぶうう」

「やだもう、私料理下手って知ってるのに。ああ、でも仕方がない、タッくんが手料理食べたいっていうから、私も頑張るしかない! よーし、期待ししてね!」

 ぶうう、ごろごろ。

 小此木は本当にこの中にいるのか、俺は少し疑問を抱き始めた。先から彼は一言も喋ってない、全部美咲の独り言のように聞こえた。もしかして携帯で話してる? それも考えにくい。内容からして彼らは晩ご飯を一緒に食べるに違いない。だとしたらやはりあのぶううっていう音が小此木の正体?

 好奇心で俺は屈んだ身体を少し伸ばして、窓の中を覗き込んだ。

 薄暗い。集中すると部屋の真ん中にベッドが見える。中には人が寝転がっている。よく見たら小此木だった。

 しかし両手も両足もぶっとい縄で縛られて、口もゴムテープで塞がれている。

 何という光景だ!

 ビデオで見たことある。この二人はこういうプレイが好きなのか! しかも小此木は苦しそうにもがいて、相当に役にはまっているように見える。

「ううう!」

「どうしたの? どこか具合悪いの?」

 暴いておいる小此木に近づき、美咲はずるっとゴムテープを外した。

「はっはっ、み、美咲! 美咲、正直に答えて、本当に優と会ったの?」

 会った? 俺と?

「まだ信じてもらえないの? タっくんだって殺されそうになったじゃない! あの人はもう私たちの知ってる優ちゃんじゃないよ。こんなにタっくんを憎んだ人見たこともない」

「そんなことはいいから! 答えて、本当に優に会ったのか?」

「……会ったわ。今度こそ小此木を許さないって言ってた」

 全く身に覚えのない話だ。美咲とは学校休んでから一度も会ってないし、小此木を許すも許さないも俺はぺらぺら他人に喋ってたりはしないと思う。それに前回の経験で俺はとっくに小此木のことを諦めている。勝てない相手に挑んでも自分がひどい目にあうだけだ。

「そか。じゃあ縄をほどいてくれ」

 小此木はベッドで力なく言った。

「それは……出来ない」

「どうして」

「解いちゃったらタっくんきっと優ちゃんに会いに行くんでしょ?」

「そんなことはしない。約束する」

「……いやだ」

「トイレ行きたいのだ」

 美咲はしばらく小此木を見つめて、そしたら渋々と縄をほどいていく。

 解放された途端、小此木はベッドから起き上がり、ドアに向かってダッシュした。

 まるで小此木の行動を先読みしたように、美咲は小此木の先に回り込んだ。

「こんなに我慢してたの?」

 上目使いで小此木に聞く。

 しかし小此木は眉を顰めながら美咲の横を通った。

「今あの女に会ったら本当に殺されちゃうよ!?」

「優はこんなことしない」

 と、すがりついてくる美咲を強く突き放して一遍の迷いもなく小此木が言った。


「嘘つき」


 突き放されて、床にべったりと座り込んでいる美咲は頭もあげずにぽつりと呟く。

 俺のほうから顔は見えないが、確かに獣の威嚇のような気配を感じ取った。思わずぞっくりとした。

 おそらく小此木もこれを感じて、必死にドアノブを捻じった。が、一切にドアが開ける気配がしない。

「嘘つき。タっくんの嘘つき! 私は可愛いって言ったのはタっくんでしょう! どうして他の女の子を好きになっちゃうのよ!」

 小此木め、美咲よりもまた他に好きな女が出来たのかよ! でも今はそんなこと気にしてる場合じゃない。見ろよ、この昼ドラに出てきそうな痴話げんか、こんな美味しいところ見逃す訳にはいかない!

 携帯のスパイ機能をフル活用すべく、俺は内蔵カメラを小此木たちに向け、録画ボタンを押す。

「嘘じゃない。美咲は可愛い人だよ。どんな辛いことがあっても決して諦めたりしない、誰よりも一生懸命頑張って努力している姿がとっても可愛いんだ。だから俺は美咲と友達になって、力にもなってあげたいと思ってる。でも今の美咲はただ可哀想だ」

「全部優ちゃんのせいでしょう? 優ちゃんが現れなければあの日もきっとタっくんは私を振らなかった! きっと私の告白に応えてくれた!」

 美咲は蹲ってプルプルと肩を震わせた。

「そうかも、ね。だからドアを開けて、鍵持ってるでしょう? 本当にトイレに行きたいんだ」

 美咲は考え込んで、そしてロープを持ってきて小此木の足を縛った。

「明日になったら解放してあげる。今日はこれで我慢しなさい」

「どうして明日なんだい?」

「明日から優ちゃん家族旅行に行くんでしょう? 戻ってきたらもう学校もやめてるからタっくんと会うことはもうないよ。だからこれからずっと私と一緒」

 小此木は不満そうに手を握り締めたが、美咲はその彼を一向気にせずに鍵を取り出し、ドアを開けた。

 痴話げんかが呆気なく終わって、俺としては少し物足りない気分だが、まあ仕方がない。

 携帯を仕舞い、不意にストラップをちりんっと鳴らした。 俺としたことか、こんな低レベルなミスを! すぐ目を凝らして室内に覗き込む。

 美咲が小此木を支えながらドアを潜っているところだった。

 幸い誰も気づかなかったようだ。

 俺はため息をついた。これで小此木が無事でここに生息していることの証拠も取れたし、これをあの間抜けな警察たちに見せれば俺への容疑もなくなるはずだ。もっとも美咲の話によると明日になれば小此木は戻っていくのだが。

 息を潜めて窓際から離脱しようとした時、屋内から小此木の声が聞こえてきた。

「美咲? 美咲どこに行くの?」

 その次の瞬間目の前に黒い影が横切り、俺は刃物の鋭い光に目を奪われた。

「優ちゃん」


「優ちゃん、やっぱり来たんだ」

 美咲の声は相変わらず優しく、耳たぶをくすぐるような音色をした。多分美咲も確かに微笑んでいる、ただ薄暗い夕日の逆光の中で、その笑顔がどうしても不気味に見えてしまう。

 本能で身を縮まり、美咲から距離を取る。

 曽我が言ってた美咲と怠慢しちゃいけないって意味も、骨の髄まで理解した。

「どうしたの? 怖い顔しちゃって」

「美咲、そこに誰かいるのか?」

 パタパタと足音がして小此木がすでに自力で縄を解けて現れた。

「優……」

 思考が現状の変化に追い付かず、気づいたら小此木はすでに俺と美咲の間に立っていた。

「美咲、落ち着いて、ナイフを捨てて」

 と美咲に向かって言った。

「まだ分からないの? この女は今もこうやって私についてきてタっくんを苦しめようとしているのよ?」

「いいからナイフ捨てて!」

「どうして私に向かって怒鳴るの? 私はずっとタっくんを守ってきたのに! なのに私を捨てて、この女を選ぶっていうの?」

 この二人は勝手に口論を始めたみたいなので、隙を見て逃げようとした。しかし美咲がいきなり小此木を横に押し退けて俺の前まで来た。

「優ちゃん。ね、優ちゃん。優ちゃんはタっくんが憎いでしょう? この前もタっくんに復讐しようとしたでしょう? ならチャンスあげるよ、ほらナイフ取って」

 美咲は自分が持っている刃物を俺に渡した、これで小此木を刺せと。

 パチン!

 という音と同時に美咲はよろめき、頬を抑えながら横へ倒れ込んだ。

「いい加減にしろ、美咲!」

 小此木は美咲に向かって怒鳴るが、彼女は急に大声で笑いだした。

「何なのよ、散々ひどい目にあわされて、まだこの狂った女を信じるっていうの? 彼女はあの日私がタっくんとキスするところを見てからずっとタっくんのこと憎くて憎くて、殺したくなるほど憎くて狂ってるよ!?」

「キスって、何のことだ!?」

「去年のイブでタっくんが私を不良から助けたときあの目くらましのキスに決まってるじゃない! あんなことのためにこの女は気がおかしくなったんだ!」

「美咲いいぃ!!!」

 鼓膜が破れるほど小此木は叫ぶ、こんな恐ろしい人見たこともない。俺は思わずナイフを握った手を震わせた。

「ほら優ちゃん、早くやってよ、タっくんに優ちゃんの愛を見せてやってよ」

 小此木は俺のほうに振り向くが、まだ息遣いも荒く、相当怒っているように見える。

 俺は手に力を入れて少し迷った。

 確かに俺は今武器を持っている、おもちゃでもない、偽物でもない。こんな俺でもこれがあれば小此木に一刺しさで傷を負わせることは確実だ、心臓を狙って刺せば簡単に命を取れる。しかし、それでいいのか? 小此木がいなくなれば本当に彼女は喜ぶのか? 初めて自分の価値を認めてくれたこの小此木がいなくなってしまうのに? 曽我の言ってたことが正しければ、小此木がなくなったら彼女はきっと今よりも悲しくなる。

 何か違う。彼女や俺が小此木のことを怖がって、関わりたくない気持ちは本当にある、けれどそれは自分が遠くいけばすぐすむの話で、別に殺す必要などなかった。そりゃそいつの息の根を止めてやりたい時期もあったが、今は後悔している。やはりこの世界に消えていなくなったほうがいいような人間はいない。ぼっちの俺が消えても家族が悲しんでくれるのに、人気者の小此木が消えたらきっと悲しむ人もぐっと増えるだろう。

 それに考えれば考えるほど今の状況出来すぎやしないか。最初から順調に尾行して、ここに着いたら仲良しのカップルが変なプレイして痴話げんか、仕舞に彼女が俺にナイフを握らせて彼氏を刺せと?

 トラップだ。

 間違いなくこれは孔明の罠だ。俺が小此木を刺そうとした途端に捕らわれ、現行犯逮捕って寸法だな!

 その策略を見破ればもう後は簡単だ。

 俺はナイフを捨て両手を上げる。これでどう見ても俺はマスクを付けたたたの病弱の善良市民にしか見えない。

「優……」

 小此木は汗を掻いて息を吐いた。どうやらいくら苦肉の策と言えども、刃物を向けられたら緊張するものは緊張するらしい。

 しかし美咲は偉く不機嫌そうだ。ナイフを拾って、また俺に渡そうとする。

「どうしたの、優ちゃん? 優ちゃんならきっと出来るよ」

「やめろ」

「優ちゃん」

「やめろつってんだろ!!」

 もういやだ、なんなのこの二人は! 近くにいるだけで寿命が縮んでいく気がする。もうやってられん、俺は目標も達成したし、早く家に戻って明日の旅行の準備をしなければ!

 俺が立ち上がり、踵を返してここから立ち去ろうとしたが、美咲がすぐに俺の退路を塞がった。

 右腕が掴まれる。

「優ちゃん、どこへ行くの?」

 蛇に睨まれた蛙のように俺は動けなくなった。右腕から伝わる痛みで顔をしかめた。

「ほらタっくん見て、話聞かされても、罵られても、痛くされても優ちゃんぜんっぜん口開かないよ? 病気なのかしら?」

 小此木は近づいて、美咲の言葉を気にせずに彼女の手を俺の腕からはがそうとする。

「こんな病気な彼女も好きなの?」

「ああ好きだ、大好きだ」

 小此木の返事を聞くと美咲は黙りこくった。しばらくすると先の激昂した声と全く違って冷え切った声で言った。

「やはりタっくんは優ちゃんの顔に惹かれたんだね」

「そんなことはない」

「いいえ。あの日、私屋上で聞いたんだもん、タっくん、優ちゃんの笑顔が好きだって。ね、もし優ちゃんの笑顔が消えてなくなったらどうする? 優ちゃんがブサイクになったらどうする?」

「どういう意味だ、美咲!」

 右腕にかけられていた圧力が消え、次の瞬間ずっと俺の顔を守ってくれているマスクの感触も消えた。

「これが今の優ちゃんの素顔だよ」





 美咲は毎日のように見舞いに来てくれた。何故か彼女はやたらとピエロの話をしてくる。

 ――哀れなピエロ、いかれたピエロ、人に愛されないピエロ。

 優しい笑顔で囁かされたピエロの悲惨な物語が頭を侵食して、自分も悲惨な考えになっていく気がした。

 どうしていつまで経っても辰彦は来てくれないの? 私だけを見てなんてわがままなこと言わないから、私が彼女でなくてもいいから、傍にいるだけでもいいから、せめて姿だけ見せてよ……

 それとも私はもう唯一の取り柄の笑顔もなくしたから?

 だんだん美咲と会うのが怖くなってきた。彼女がくる度に私の中に絶望の気持ちがエスカレートして、感情が抑えられなくなって行った。

 それでも傷は勝手に治っていく。体力も回復してきて、言葉の一言や二言も声を出して言えるようになった。

 しかし私の傷が癒えていくにつれて美咲は逆に不安になってきた。

 ある日、病室が美咲との二人きりになって、彼女はいつものように林檎の皮を削り、私は浅い眠りについていた。

 いきなり誰かの泣き声が聞こえてきて、目を開けるとすぐ前に美咲がいた。

「全部優ちゃんが悪いのよ全部優ちゃんが悪いのよ全部優ちゃんが悪いのよ……」

 消えそうな呟きがよく聞き取れなかったが何回も復唱したからさすがにその意味も分かった。でも言葉の意味はどうでもよかった。美咲の汗と涙でびしょびしょになった顔が至近距離で映して、歪んだ表情も、恐怖でむき出しになった円らな目も。

 そして、冷たく光ったナイフも。

 次のことはよく覚えてなかった。ただ無事だった半分の顔に口が裂けたような痛みがした。

 美咲は喚きながら私が彼女からナイフを奪い、自害しようとしたと走ってきたナースに言ったらしい。

 そうなのでしょうか? 先の醜い生き物の存在を信じるよりも美咲の嘘を信じるほうが何倍も気が楽だった。

 あれから美咲は二度と病院に来なくなった。でも彼女が最後に残した言葉がずっと病室に居座り、まるで呪縛のように私の頭から離れなくなった。

 ――これで本当にピエロになったよ、口が裂けてずっと笑ってるみたい。

 もうこんな顔で二度と辰彦には会えない。

 次の日、頭の奥から男の子の呼ぶ声が聞こえた。

「おい、大丈夫か? 死にそうな顔して。ちょっと振られたくらいでくよくよすんなよ」

「誰、ですか?」

「知らなかったのか? うーん、まぁいいや、ピエロって呼んでくれ。いいか? 今のお前は弱すぎる、こんなメンタルじゃ自害だのなんだの言われたい放題だ。だから、俺はお前を助けてやる」

「助ける? 私を?」

「ああ。お前、この体だともう人の前も歩けないと思ってんだろ? 俺に任せろ! お前の痛みや苦しみ、辛さや寂しさ、全部俺が引き取ってやる。お前はその間で休めばいい。どうだ、いい話だろう?」

「でも……」

「はやく小此木と会いたいだろう? なら俺に任せとけって」

「でも傷がっ!」

「安心しろ」

 彼はそういうとマスクと取り出して私の顔につけた。

「小此木にだけはお前の傷跡を絶対に見せないさ」

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