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8、病気と電波の違い

「すみません、警察の者です。佐伯優さん、ご在宅でしょうか?」

 家族旅行前日の夜、警察と自称した男二人がいきなり玄関に現れた。

「何のことでしょう?」

 旅行の荷物整理最中の母も流石にこのただならぬ雰囲気で緊張した。

「お娘さんの知り合いが只今が行方不明になっています。出来るだけ情報が欲しいので、ご協力お願いできますか?」

 不本意ながら、ぼっちは人のためになるような仕事なら、断ったりはしない。行方不明だと? それは大変。どんなに薄汚れた人間でも消えていなくなるのはやはり寂しい。例えそいつのせいで散々酷い目に遭わされたとしても。何せ、ぼっちはみんなに寛大で優しいから、いじめられたり、孤立されたりしても尚且つ誰も恨まずにいられるんだ。ったく、一般人がこそらへんのぼっちの優しさの半分でも持っていれば、この世界はどんな素敵な楽園になったんだろうな。

「は、はい、誰でしょう?」

 柄もなく前へ出て警察たちの話を聞く。

「えーと、小此木辰彦と言う男子です、昨日の夜からずっと帰宅していません……」

 前言撤回だ。やはりぼっちでも絶対に救いたくないような奴はいる。

 失踪だとお!? 面白いのかそれ!?

「ちょうど一週間前もこの人が行方不明になり、結局病院に運ばれたので、今回の事件は重要視されています」

 俺の表情の変化は警察の目から逃れることができなかった。

「前回小此木辰彦が失踪した事件に、佐伯優さんが関与しているとの通報が入りました。それは確かのことでしょうか?」

「ちょっとあなたたち、なんてこと聞くの?」

「すみません、奥さん、こちらとて根拠なしのことは聞きません。それはお娘さんが一番わかってると思います」

 母は多分嘘でもいいから俺に否定してほしかったんだろう、必死に俺の目を見た。しかし事実は事実で、それはどうしようもできない。

 玄関の騒動を聞いて、父も、大学から帰ってきた兄も、弟も出てきた。

「何の騒ぎだい」

 制服を着ている警察が目に入った瞬間で、それが日常からそれた出来事だとすぐに父は分かった。

「何があったのか?」

「失礼しました。刑事課の陶山と申します」

 これまでずっと黙っていたもう一人の警察が前に出て、父に証明書を見せた。

「ある事件についてお宅のお嬢さんに事情聴取をお願いしたいんですか、よろしいですか?」

「何の、ことだ?」

「昨夜、お嬢さんのクラスメイトである小此木辰彦が失踪しました。そして学校の生徒と先生の証言によるとお嬢さんがこの事件に関与している可能性が高いと判断しました。昨夜からお嬢さんは何をしていたか、教えていただけませんか?」

「でたらめ言うなよ、うちの娘が人を誘拐した犯人とでも言いたいのか?」

「いいえ、あくまで事情聴取です。でもご理解していただきたいことが一つございます、証言如何によっては容疑を掛けられることも無実を証明することもできます。ですからよーく考えて、真実を答えてほしい」

「娘はずっと自宅にいたわ」

 母が俺の手を握って答えた。

 陶山という警察はメモを取りながらまた聞いてきた。

「昨夜から一度も外出してませんでしたか?」

「ええ」

「ずっと大人の監視のもとにいたってことでよろしいでしょうか?」

「どういうことですか?」

「お嬢さんが大人の目を盗んで外出した可能性はない、ということですよ」

「その言い方はないでしょ! いくらなんでも自分の子をずっと監視する親などいないだろうが! 第一、娘が人に危害を加えたことなんて一度もしたことがない、きっとなんかの間違いだ!」

 父はやや興奮して前を出た。

「そうでもないみたいですよ」

 後ろの警察が資料を持ち出して、言葉を続けた。

「二週間前、小此木辰彦はお娘さんを学校の屋上に呼び出して、そして三日後屋上に倒れているところが発見された。次の日、お娘さんは学校を休み、小此木の病室に行った。看護士の証言によると明らかに挙動不審だったそうだ。一週間前、お娘さんはモデルガンとスタンガンを購入し、学校に持ち込み、そして同じ小此木に怪我を負わせた。保護者として、お娘さんのこの異常な行動について一体どれくらい把握していますか? そしてお娘さんの精神状態についてです。交通事故のショックで自分の顔に自害を働いた人が他の人間に危害を加えることが絶対にないと、あなたは言うのですか?」

「っ!」

 父は閉口した。

 先まで段々温かい家庭の雰囲気を取り戻し始めたというのに、また小此木のせいで台無しだ。

「優ちゃん」

 陶山が俺の肩に手を置いた。

「正直に答えなさい、小此木君とは昨日の夜から会ったのかい?」

 激しく頭を横に振ったら陶山があっさりと納得してくれたようだ。

「お騒がせしてどうもすみませんでした。今日のところはこれで引き揚げます。新しい情報が入ったらまたお邪魔するかもしれませんので、ご了承ください。では」

 陶山が会釈して踵を返すともう一人も彼の後についていった。

「ですから日本の教育自体が問題なんですよ! こんな明らかに精神が病んでる子供でも、親が見栄張って普通の学校に行かせるのが間違ってるのです! 問題児は問題児らしく施設に預かったほうが世のためです」

 聞こえがましく愚痴る同僚に陶山は思いっきり頭たたきを食らわせた。

 普段なら軽く笑い飛ばせた情景なのに、家族のみんなはあの警察の言葉で動揺した。

 精神が病んでる。問題児。

 それが先日病院で聞いたことと繋ぐと、俺は改めて自分の正常さを疑い始めた。しかし誰かどう言おうと、俺は自分の考えていることは筋が通ってると思うし、そして何よりも人の害をなすようなことはしてないつもりだ――ごく一部対象を除いては。小此木の失踪だって、こっちが聞きたいくらいだ。

 ちょっと憂鬱な気分で部屋に戻ったらあの子の携帯が鳴いていた。

 まさか失踪しても律儀に彼女に電話掛けてるなって思ったが、それも違った。

 登録されていない番号だ。

 とにかく出てみる。

『もしもし? 曽我だけど』

 何だ、お前かよ。

『もしもし? 聞いてるのか? 聞いてるのなら返事してくれ。電話だと黙ったままじゃ分からないぜ』

「あ」

『そっけないな』

 注文多いなおい!

『でもまあ、小此木にお前の番号聞いてよかったよ、でなきゃまたお前んちに行かなくてはなくなる。んじゃなくて、小此木が大変なことになったよ』

「し、失踪した?」

『なんだ、もう知ってるじゃないか。昨日の授業、鈴村のやつが急に切れたさ、小此木と喧嘩しちゃったんだよ。俺がお前のことを小此木に話したら、こいつ真っ直ぐお前のところに行ったろ? あれからずっと鈴村とぎくしゃくして。気になって聞いてみたら、小此木、鈴村との関係を全部否定しちゃって、それで鈴村が大暴れ。あの女マジでやばい、自害しそうなレベルじゃない、いや、あれだな、ヤンデレってやつ』

「はぁ」

『反応薄いな』

 じゃあどうすりゃいいんだよ?

『どうせまた夫婦喧嘩とか思ってるだろう?』

 知ってんなら聞くな!

『小此木は本気だぜ』

 これまでのふざけた口調と変わって、曽我は真剣で、ちょっと沈んだ声で言った。

『小此木は本気で佐伯のことが好きだ。俺もずっとあいつを誤解していたが、全く負けたよ。少なくとも、優のこと信じてるからってだけで三日も屋上で阿保みたいに待ってたなんて、俺にはできん。お前が怖がるのを恐れて、近づけず遠くも離れずに、ただバカみたいに悩むことも、多分俺にはできない。なのにあいつ、妙なところに鈍感で、お前の本当に気持ちも気づかないし、鈴村とは妙な噂立てるし、ああ、思い出しただけでイライラするわ。だけど、これだけは言える、佐伯の気持ちは決して間違ってなどいない。な、もし佐伯が自分が小此木に惚れた時点で負けたっていうのなら、俺はお前に気に掛けた時点でアウトだ。結局佐伯の考えは間違ったけど、俺はどうなってもせいぜいホモ止まりだ。あいや、ごめん、話が逸れた』

 結局こいつは自分がホモってこと以外、何が話したいのだ?

『きっとお前は、俺が何を話したのかも分かっていないだろうな』

 ごもっともだ。

『まあそれはいい。昨日の夜だ。小此木は電話をもらって外に出たきり、今になってもまだ姿を現していない。つまりあの電話が小此木をおびき出し、そして行方不明にさせたのだ。念のために聞くが、お前じゃないよな』

 当たり前じゃないか!

 と、電波の上で会話していることを忘れるところだった。

「う、うん」

『で、俺の勘だけど、いや多分間違いない、あの鈴村が小此木を呼び出したんだ。そもそも夜で小此木を外に呼び出せる人間なんて限られている。今日学校に警察来てたんだけど、みんながみんなで、お前に不利な情報しか知らないから、多分もうすぐお前のところにも警察が行くと思うよ』

 来るところか、すでに帰ったんだが。

『それと、学校やめるんだってな?』

「うん」

『だから鈴村のやつ焦ってたか。彼女、きっとお前が学校に来なくなったら勝ったって思ってんだぜ。知り合ったばかりのころはちょっと可愛いなぁって思った自分が悔しい。やっぱ女は外見で判断しちゃいけない。あ、でもお前なら大丈夫、やあ、佐伯っていうべきか。ていうか、今、お前のことどう呼んだらいい? まあいいっか、お前のままでいいや。っと、すまん、また逸れた』

 俺は話を聞くだけでも頭の回路ががちがちと悲鳴を上げている。やはりこいつの脈絡のない話自体が悪いのだ。

『本当に、お前学校やめたほうがいいなんて思ってる? 少なくとも今のお前と佐伯の二人三脚の状態が幸せだなんて、俺には思えない。お前がこうなったのは小此木から逃げたいからだ。そうじゃないか? 顔の傷が小此木に見られるのを恐れて、それでマスクを付けたんだろう? だけどあれは全部嘘だ。お前のやってきたことを見てみろ、自分を男だと思い込んで小此木にしてきたことを。あれこそお前の本心なんだ。お前を救えるのは、悔しいが、小此木だ。彼から逃げるだなんて愚かなこと考えてんじゃない。いいか、佐伯は小此木のことが好きだ、そして小此木も佐伯のことが好きだ、これでお前は何をすべきか、分かってるよな。お前はあの二人の邪魔なんだ』

 ほざいてろ! 俺はあの子のために生まれてきたんだ、彼女の邪魔になるものか!

 俺が息を荒くすると、向こうは小さく笑った。

『なんだよ、冗談だ冗談。でも想像してみて、佐伯にとって一番大切な小此木がぽつりと彼女の世界から消えて、つまりそれはお前にとって、佐伯が急に消えたと同じような出来事なんだよ』

 考えたくもなかった。これ以上、絶望的なことはまだあるのだろうか。俺からあの子を取り上げるのは俺の世界の終焉を意味する。それが、彼女にとっての小此木の存在か?

 そういえば彼女は言ってた、小此木のおかげで自分を好きになれた。もしいつか小此木が彼女の命から消えたら、彼女はまだ自分を好きでいられるのかな、自分を嫌いになったりはしないかな。

 そう考えれば考えるほど、小此木の必要性が大きくなってきた。俺がどんなにあいつを嫌っても、やはり彼女は小此木が必要だ。たとえ相手にされなくても、彼女は小此木に会いたいと願っている。

「ど、どうすればいい?」

『鈴村の後をつけろ! 彼女は何かを隠している。実は今日結構興奮して彼女を問い詰めた。いや、強硬手段を使って何とか吐かせてやろうと思ったんだが、返り討ちに遭ってさ。おかげで処分食らって、身動きが取れなくなった』

「じ、じゃあ、俺がやる」

『付いていくだけでいいから、なんか動きがあったら逃げろ! なんて大げさかもしれないけど、とにかくついたら場所を俺に知らせろ。明日多分放課後説教食らうから、終わったらすぐそっちに行く。何なら証拠写真だけ撮ってもいいから、鈴村とたいまんだけはやめとけ』

「うん、わ、わかった」

『ああ、大丈夫かな。やっぱお前に話すべきじゃなかったのかなぁ』

「な何故だ?」

『こう自覚がないところがなお怪しい』

「俺が、び、病気だからか?」

 この言葉を口にしたことに、俺自分も驚いた。自分は病気じゃないと、病気の人なら誰もそう思ってるに違いない。酔っ払いが決して自分が酔っていることを認めないと同じように。けれど、果たして事実はどうだろう。俺はこれまで誰にも相談したことのないこのことを曽我に聞いてしまった。一方は曽我への八つ当たりかもしれないが、もう一方は確かに彼の答えに縋りつきたい気持ちもあった。多分、俺は何度も自分を助けてくれたこの人に甘えているのだ。

『んなわけあるかボケ。お前は病気なんかじゃねえよ。病気なのは噂を信じてぎゃあぎゃあするやつらだ』

「そっか」

 なんとなく曽我ならそう答えてくれると思った。あの子とは違い、曽我はもう一人俺の理解者かもしれない。

『あ、でもお前が電波なのは認めざるを得ないな。特に性別についてだ』

 ホモに言われたくねえよ!

 むかついてこいつを怒らせる方法を考えたところに、曽我が急にトーンを変えて言った。

『な』

 一言いうと急に黙り込んだ。電波が切れたかと思ったらまたしゃべりだした。

『な、もし、もし佐伯が戻ってきたら、お前はどうなる? お前ら記憶共有してないよな? だったらやっぱ俺のことも忘れちゃう? いや別に覚えてほしいわけじゃないけどよ。

 ――お前は、俺のことを覚えてくれるのかな?』

 曽我の最後の言葉は消え行って、まるで独り言のように聞こえた。自分がこれからどうなるかは知らないけど、それでも俺はその問いに答えようと思う。

「お、覚えとくよ」

『ああ、頼りにならない返事だな。でも、ありがとうよ、やっぱ嘘でも嬉しい。それと、あした気を付けろよ』

「うん」

『じゃ、ね』

 




 永遠に醒めない夢を見ていた気がする。

 起きても現実と夢の分別がつかない。

 血の匂い、消毒液の匂い、麻酔薬の匂い。

 頭が破裂しそうだけど、意外と痛くない。もしかしたらすでに破裂したかもしれない。

 精神が肉体から切り離れたように、今自分の身に起きたことが他人のように思えてきた。

 しかし何も見えない、何も聞こえない、何も感じない、あるのは黒い淵のみ。ありじごくのようにずいずいと淵の底に吸い込まれていく。

 再び意識を取り戻したのは三日後の夜だったらしい。

 何とか目を開けて、辰彦の姿を探した。

 当然のように、親族でもない辰彦がこの時間にここにいるはずがない。それでも私はそんな非現実な願望の破滅に落ち込んだ。多分目が覚めた一瞬で辰彦が傍にいたら私はまだ自分を信じれたんだろう。

 あんな風に逃げたのに。

 せめて辰彦に本当のことを聞いとけばよかった。

 付きっきりで看病してくれてる母さんが私が起きたのに気づいて、すぐナースコールを押した。

 一通り簡易な問診を終え、私はどうにか現状確認ができた。

 腹に力が入れずまだしゃべることはできないが、聴覚、味覚、視覚は大丈夫だった。軽傷した左腕も動くことが出来た。右手の感覚はまだ戻ってない、幸いなことに痛みも随分鈍くなったいる。

 私ほど体力のない人があそこまで早く回復できたのは奇跡に近いと母さんが言ってた。

 それでも私にとってはこの奇跡どうでもいいことだった。

 出かけたときにあんなに嬉しそうだったのに、どうしてこんなことになったの、と母さんは頬を撫でながら聞いた。

 あの小此木って子、優の恋人だったの、と更に聞いた。

 私は頭を縦に振れず、ただ涙を流した。

 バカな子、優がその気になれば男の子なんて皆いちころじゃないの、と母さんは慰めてくれるが自分も泣き出した。

 翌日、美咲が見に来てくれた。

 辰彦は部活で忙しそうだから来れないと彼女は言う。

 相変わらず美咲は私のことをちっとも疑ったいない。あの夏から私が辰彦に断念したと彼女は今も信じている。私が病院送りになった本当の原因も知らずに。

 でもタっくんがこなくてよかったと、美咲はすぐ補足した。

 私が目線で問いかけると、美咲は化粧鏡を取り出した。そして私の前にかざり、顔の怪我が酷いよ、と言った。

 入院してからずっとベッドに寝たまま、鏡を見る機会など当然なかった。

 ――あんなに綺麗だった顔がこうなったらきっとタっくんも悲しむよ、もう笑顔も出来なくなっちゃうよ。

 美咲の無心な言葉が胸に突き刺さった。

 鏡の向こうは顔の半分が腫れてかさぶたができている。

 辰彦の好きだった笑顔の面影もなくなっている。

 この事実がどの怪我よりも残酷だった。腕はなくしてもいい、声も出なくてもいい、でも笑顔だけは、辰彦に褒められたこの笑顔だけはどうしても守りたかった。

 なのに。

 自分も分かるほど情緒が不安定になって行く。先までずっと無事だった右手もいきなり疼き出した。 ナースコールを押して、落ち着きまで何時間もかかった。

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