表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

7、届かない声

 びしょ濡れで帰ったことが父にばれ、その次の日に彼は会社を休み、俺を東京につれて行った。

 ツテで有名な医者の予約を取れたらしいから、東京に着いて病院直行だった。

 俺が一体どういう病気なのか、家族はずっと教えてくれなかった。不治な病ではなさそうなので、俺は特に気にしてなかった。人は誰しも病気の一つや二つ抱えてるわけだし、それを知ったところで何か変わるわけでもない。要は積極的に生きて行けばいいってことさ。それについては誰にも負けない気がする。何せ、どん底にいる俺が積極的でなければもうとっくに自殺だの何だのいろいろと終わってるに違いない。

 面倒な検査とテストを終え、医者と簡単な面談を行ったあと、俺を外の待合室に行かせ、父と医者二人が残り、ドアを閉めて密談した。

「ふむ、やはり誤診ではありません」

 密談しているつもりだろうが、外もまる聞こえだった。

「そんな、納得できません! 私もいろいろ調べてみました、自閉症って先天の病気でしょう? 娘は半年前までずっと普通の子だったんですよ!」

「まあ、落ち着いてください」

 医者は興奮して立ち上がった父を椅子に戻して、言葉を続けた。

「自閉症と言っても、症状によっていろんな種類がありますよ。語感からしてはあまりよろしくないかもしれませんが、実は五割の患者も普通の人間と全く変わらないし、ちょっとだけコミュニケーション力が欠けているとか、思い込みが激しいとか、そういうのも一般人から散見されるケースです。お娘さんの症状も軽いほうですから、今までのように気にしなくても大丈夫と思いますよ」

「ですがあの子昔は自閉じゃなかった! 口数もずっと多くて、友達も何人もいた!」

「ですから、自閉症はあくまで日本語での命名であって、症状そのものを指してるのではありません。そうですね、例えばこういうの心当たりありますか、佐伯さん――はっきり言わない限り、他人の気持ちをよく誤解する、不測なことが起きるとパニックしやすい、あとは自信がないとか」

 父は黙った。黙認したらしい。

「佐伯さんもおっしゃいましたが、現在の医学では自閉症を先天の病気と認識しています。お娘さんが過去でどういった振る舞いをしていたかは知りませんが、少なくとも自閉症の一端は見られていたはずです。これからは私の憶測ですが、半年前、確かにお娘さんは事故にあいましたよね?」

「え、ええ」

「この事故が原因で、精神的にダメージを受け、その不安定な精神状態が自閉症の症状を明らかにさせ、或いは拡大したと思います」

「……治れないんですか?」

「残念ながら、自閉症については治る手段がありません」

 父はぐったりと項垂れ、拳を握りしめた。

「しかし、先からお娘さんとの会話で新しく発見したことがあります」

「なん、ですか?」

「お娘さんは過去の記憶にあやふやとしたところが多いです。記憶喪失とも考えられますが、私にはそう思えません。小さい頃のことは人並みに覚えていますし、それが最近の二、三年になると、急に他人事のように思い出すのに苦労する。最初はPTSDの可能性も考えましたが、どうやらそれも違います」

「どういう意味ですか?」

「多重人格ですよ。よく考えてください、お娘さんが変な行動を取り始めた時期と、そして明らかいつもと違う行動パタン、ありますか?」

「確かに入院した後でいきなり自分の顔に傷をつけて、それからずっとマスクを付けてた。口数も滅多に減って、男言葉ばっかり使ってくる」

「ならその多重人格の可能性が随分考えられます。自閉症のことはあまり気にせず、多重人格の治療に専念したほうがお娘さんのためになるとお考えください」

「治せるんですか!?」

「多重人格の場合はね。多重人格自体を消すのは実は、かなり簡単だと私は思っています。多重人格というのも、結局、現実逃避なんですよ。ただ、現実と向き合う力が足りないから不安や恐怖が生じて、そしてそう言った都合の悪い現実から目を逸らし、新しい人格を作り上げる。この場合は自分のやったことを他人のように思ってしまい、以前できなかったこともこの新しい人格のもとなら出来たりします。現実逃避のために多重人格の患者は、目に見たもの、耳に聞いたもの、その情報を自分の都合で改ざん、加工することもありうる。それ故記憶が切り離れた部分もあります、そしておかしな言動が出現してしまう」

「くっ、私がもっと傍にいてあげられたら」

「そう自分を責めないでください。年頃の女の子は多感ですからね。お娘さんのようなかわいい子なら嫉妬とかいじめの的にされやすいんですよ。しかしこれはあくまでも気持ち上の問題で、お娘さんが自分から立ち向かわなければこの人格は消えないでしょう。親にできることはこれ以上刺激しないこととしっかり応援することくらいだ」

「そうですか。家ではあまり学校のことしゃべらないから」

「とにかくトラウマとなる原因を探し出して、それから対策を考えましょう……」

 医者と父の対話は延々と続いた。長話を聞いているとつまらなくなってきたので、待合室にある漫画を片端から読み始めた。

 小一時間が過ぎ、父は来る時と全く別人になったかのように満面の笑顔で出てきた。

 医者にお礼を言いながら俺の頭をなでる。

 病院から出てくると、俺の手を握って聞いてきた。

「暫く学校休みましょう! 久しぶりに家族で旅行とか行って、たっぷり楽しもう! 優は希望の行きたいところとかある? どこでもいいよ」

 別に子供でもないし、こんな風に扱われると調子が狂う。

「アメリカ」

 どこでもよかったんだが、行くのなら小此木から離れた場所がいい。地球の反対側だ。

「お、あ、アメリカね! 行こうではないか、アメリカに!」

 明らか動揺する父はそれでも頷いてくれた。

 冗談のつもりで言ったんだけど。

 結局金銭的都合と時間的都合で家族旅行の場所は富士山に決めた。旅行のために、父は会社から有休を取り、兄も弟も学校を休んだ。


 俺が学校を休んだ二日目、旅行の四日前、ベッドにごろごろのんびりした午後、玄関でチャイムが鳴った。

 少しひそひそした話し声があった後いきなり父の怒鳴り声が響いた。

「出ていけ! もう言ったはずだ、二度と優の前に現れるな!」

「お願いします! 一目だけでいいですから、佐伯さんに会わせてください!」

「大体優がこうなったのは全部お前のせいではないか! どの面下げてここに来たんだ!」

「お父さん! 子供相手になにムキになってるの? 小此木君だよね? さ、気にしないで上がって」

 聞きたくない名前が聞こえたので、階段から一階の様子を覗いてみた。そしたらやはりあの男がいた。

 しつこいな!

 学校なら仕方ないが、家まで入り込んできた!

 家族がいるから、安全性については特に心配はないが、でももし彼女の存在が小此木にばれたら、彼女の顔が小此木に見られたらと思うと焦らずにいられない。

「優、友達が来てるよ」

 母の声がしたが、返事するつもりはなかった。そもそも友達じゃないし。

 それよりもまず彼女を隠さなければ!

 状況は一刻も争う。俺の部屋に入る通行許可を、父はともかく、母はいつそれを小此木に出すかが分からない。最終防衛線が突破される前に準備するのだ! 最新型のマスクをつけた。

 彼女の存在を証明する私物を全部仕舞う。制服も下着もぬいぐるみも。

 誰か階段を登る音がした。

 はやい! なぜ母はこんなにも無警戒なのだ!

 そんな肝心な時に俺は自分が彼女の普段着を着ていることに気付いた。

 やばい、学ランに着替えないと。

 そしてあり得ないことに、俺はいつの間にか女性の下着を着用していた。

 とうとう俺は小此木との戦いで頭をやられたのか!? それとも曽我の変態さが移ってきたのか!?

 俺がこんなことしているところを小此木に見つかったらきっと、俺はもう人間として生きていけなくなる。

 とにかく脱いで、下着を隠してから体制を取り直そう。

 クローゼットが再び閉まった瞬間、ドアが開けられた。

 危機一髪だった。

 もう部屋にはやましいものなどどこにもない。綺麗さっぱり俺の体のようだ。

 自分の潔白を証明するために胸をそらして部屋の外の小此木を睨む。

 おかしなことに、彼は少しだけぼーっとした後すぐにまたドアを閉めた。

「なにするつもりだ!!」

 ドアの向こうに父が彼に向かって怒鳴っているようだが、もう俺には関係ない。

 ゆっくりと兄の学ランを着る。ノーパンで触り心地は良くないが、まあこの際は気にしないでおこう。

 着替え終わったら父が小此木を押しのけてドアを開けた。

「何なんだお前は! さっさと入れ」

 小此木を部屋に押し入れて、また腕をつかんで引っ張り出そうとする。

「ほら一目、一目見たんだぞ。もう帰れ!」

「お父さん、子供みたいなこと言わないの!」

 そこで母が飲み物持って現れて、父を部屋の外に閉じ込めた。

「バカな親でごめんね。わざわざウチまで来てくれたっていうのに」

 母は飲み物を卓袱台に移すと俺の方を見た。

「またこんな格好しちゃって。折角小此木君が見にきてくれたのに、もっと女の子らしくしなさい」

 母はそういってドアを開け、外で小此木を睨み殺そうとしてる父を押しながら階段からおりていった。

 流石に小此木を怖がる理由もなくなったので、俺は遠慮なく彼の全身を舐め回すような挑発的な目線で見た。

 しかし向こうは今までと全く違った軟弱な態度を見せた。目も合わせないし口も黙ったままだ。

 何しにきたんだ? って聞いてしまいたくなる前にようやく彼は口を開いた。

「曽我から全部聞いた」

 ほー、それで?

「今までずっと気づかなくてごめん!」

 土下座の勢いで頭を下げた。俺に謝っても何の効果もないぜ、あの子に謝れ!

「俺のせいであんなひどい怪我をさせて、なのにその原因も知らないで優をこんな風にしてしまって。でも信じてくれ! イブの日、本当に何もなかったんだ。ただ優に会いに行く途中、不良に絡まれた美咲を助けただけで、そのあとすぐ優を探しに行ったんだ」

 人を助けるのに、キスはいるのか!? そうだとしたらこの世界もさぞ平和になるだろうな。なぜなら人助けと称して路上にキスしまくる輩がぐっと増えるからな。

「美咲とはただの友達だ、前も、今も、これからも。なのにどうして俺と彼女が付き合ってるって誤解されてるんだよ! 俺が一番好きなのはずっと一人だけ。聞こえてるのか、佐伯!」

 小此木は顔を上げて俺を見た、何かを期待しているように。

 残念。

 実に残念だ。

 多分曽我はお前にあの子の在処を教えたんだろう。だがお前がどんなに叫んでもあの子のところには届かない。このマスクがある限りはね。だからお前が自分の言葉を蜜に変えたとしても無駄だ。あの子なら簡単に騙されたかもしれないが、俺はそうはいかない。第一、そんな言葉を聞かされたら美咲はどう思う? お前は彼女の気持ちを考えたことある?

 俺がいかにも動じてない風にしていると、小此木はぐったりと肩を落とした。

「なんだよ、曽我には話せたのに、俺には無理かよ。嫉妬しちゃうぞ畜生!」

 こいつもこんな風に落ち込むんだなあって改めて思う。

「学校、やめるって聞いた」

 小此木は何とか立て直して、軽くため息を吐いた後、冷静な声で聞いてきた。

 なるほど。敵が撤退することを知って、確認しにきたって訳か。

 まあ、お前の耳にまで届いたってことは嘘じゃなさそうだな。俺は知らなかったけど。もともと引きこもりを決めた身だしな、今更驚いたりはしない。多分父がこの数日間学校と交渉してたんだろう、通りで会社行かないと思ったぜ。

「どうしてもやめたい? もしこの前のことで怒ってるのなら謝るよ。もう優のこと追いかけたりしない、迷惑かけたりしない! だから、せめて学校だけはやめないで」

 こいつ何かを勘違いしているようだ。俺が不登校になったのは確かにこいつに原因の一端はある。しかしこれはあくまでも原因の一端であって、彼がそれほど気にするのは余程自意識過剰のようだな。

 いいか、学校なんて動物園みたいなところ行きたくて行ってるじゃあないんだよ? ぼっちだからさ。仕方なく行ってるだけだ。病気なんかの口実が出来たら迷わずやめてやるよ。

「お、お前には関係ない」

「関係あるよ」

 これまでの雰囲気と一変して、小此木は明確な意志を目に宿して俺の顔を見る。

 なんだよ!?

 彼は制服のポケットに手を突っ込み、携帯を取り出した。ストラップを外して、俺との間の床に置いた。

「返す」

 返す? 別に俺このようなものを持った覚えはないけど。彼女なら似たようなものを持っているが。しかしどういう風の吹き回しだ? この前はこのストラップのために勝負乗ってきたのに、なぜいきなりこれを俺に渡そうとしているのだ?

「今の俺じゃこれを持つ資格はない。優の考えていることも分からないし、優がどうしてこうなったのも分からない。だからしばらくの間返す。でも必ずいつかは取り戻しにくる。なに、ほんのちょっと二年前に戻っただけさ」

 小此木は彼の得意の作り笑顔で笑った。

 苦い。それは苦笑という物なのか。

「だからお願い。一からやり直してもいいから、このまま学校にいて」

 真っ直ぐ見つめてくる小此木の目には脅迫でも妥協でもない、正しく懇願その物だった。

 どうしてここまでして俺を学校に行かせたい? 俺が学校をやめればもうお前と美咲の幸せなリア充生活を邪魔するやつもいなくなるはずなのに、お前がずっと気遣っていたあの子のことももう気にしなくて済むなのに、引き留めてどうする?

 俺は困惑する。

 ああ、いつもそうだ。またあいつのペースになっていく。結局俺は彼の思っていることちっとも分かっていない、踊らされているばかりだ。

 息がつまり、胸が苦しくなった。シャツのボタンを一枚外そうとして手を上げたが途中に小此木に捕らわれた。

 そのまま彼の元へ引き寄せられ、あろうことかなし崩しで背中に手を回され、俺は小此木に抱擁されるような形になった。

 反吐が出るくらい気持ち悪いはずなのに、体はまるでこの状況に馴染んでいるようにリラックスし切って力も出ない。

「チャージ完了!」

 鼻をすすって、小此木は俺を解放する。何事もなかったようににーっと笑う。

「これでしばらくは持つかな。よーし、優が惚れ直すように頑張るぞおー」

 小此木は意味不明の言葉を残したあと、父に「熱く」送別された。

 惚れる? ほざけ、男の俺に向かってなんてこと言いやがる。まずは性別の基礎知識からしっかり勉強せえ!

 学ランはやはり窮屈だったので彼女の普段着に着替えた。

 途中に小此木が置いていったストラップに目が行った。拾い上げるとスチールの部分がまだ温かい。

 どういった心境の変化でここまで大切にしていたこのストラップを手放しにしたんだろう。

 俺はなぜか腹が立ってきた。


 小此木が訪ねた次の日の夜、篠崎早百合と言う人から電話が入った。

 訳も分からないまま謝られて、そして美咲を助けてくださいと頼まれた。

 自分がいつの間に人を助けられるような程偉くなったのかもさっぱりわからんが、そのまたの次の日に警察までうちにやって来た。





 辰彦と一緒にいる時間が多ければ多いほど、自分が変わっていくのを実感した。まるで辰彦の明るい性格が自分にも移ったように、私も段々自分に自信が付いてきた。

 生まれて初めておしゃれして見た。メガネをはずして、髪をも伸ばそうと思った。最初は恥ずかしかったけど、辰彦が褒めてくれるとやはり嬉しい。

 幸せな日々が冬に入ってからずっと続いた。

 そしてクリスマスイブ。

 恋人たちにとってロマンと夢が詰まったこの夜に辰彦とデートする約束をした。

 浅ましい考えかもしれないが、私は辰彦が美咲ではなく、自分とデートの約束をしたことで数日間一睡もできなかった。疑ってやまなかった、そして臆病で確認することもできなかった辰彦と美咲の関係を、今このデートの約束が全部説明してくれた。

 自分が悩んできたことがばかばかしくなってきて、同時に美咲に申し訳ないと思った。多分、美咲は辰彦のことを勘違いしていて、そして今も辰彦に片思いを寄せている。その辛さは私が一番分かっている。

 でも今日はそんなこと気にしてる場合ではない、目いっぱい楽しまなくては。

 すっかりクリスマスのムードに飲み込まれ、空にも飛べそうな気持ちで三十分前に待ち合わせの場所に着いた。

 辰彦が前のようになんかサプライズでも用意してきそうと思ったら、会うのが楽しみでたまらなかった。

 粉雪が降ってきた。前日の雪もまだ融けてないのに、また積もりそうだ。

 賑やかな街がゆっくりと静まり、周りの通行人も足を止め、しばし空を仰いだ。

「ホワイトクリスマスだ」

 感動のあまりに言葉を出してしまい、そして背後から声を掛けられた。

「ああ、そこにいるの優じゃない」

「あ、早百合」

 声をかけて来た人はクラスメイトの一人で、美咲と同じ中学出身、辰彦の絡まりでよく一緒に遊んだりした。一時的は私たち四人が仲良し四人組とも噂された。

「ねね、優がここにいるのって、もしかしてデートの待ち合わせ?」

「ま、まあね」

「いいな。優も美咲もイブでデートなんて。私も彼氏欲しいな」

「……美咲も?」

 ちくっと胸が疼いた。

 嫌な感じだ。

 もし美咲もデートしているのなら、相手は一人しかいない。

「うん、さっき会ったよ、小此木くんと一緒、もうラブラブでさ。あ、そういえば優の彼氏って誰なの? もしかして私の知ってる人?」

 体が固まった。それでも何とか笑おうとした。

「ま、まさか、私に彼氏がいるわけないじゃない」

 先までの夢見心地が一瞬で真冬の氷点下まで冷めた。辰彦の名前も言えずに、口で彼氏がいないと認めるしかできないことがとても悔しかった。

「そっ、そうか……み、美咲たちならまだ交差点の右に曲がったところにいると思わ。ごめん! じ、じゃあっ!」 

 早百合は逃げるように私の目の前から走り去った。

 約束の時間よりまだ十五分も早い。辰彦が来る途中でばったり美咲と会ったってことも十分にあり得る。私は辰彦を信じる。自分と辰彦が過ごしてきた時間に偽りはないし、辰彦がくれた幸せも確かにそこにある。そして何よりも、辰彦は嘘をつかないと私は断言できる。

 でも足が勝手に運んでしまう。早百合の言った美咲と辰彦のいる場所へ体が押されたかのように勝手に動いてしまう。

 そして、見せつけるかのように、街道向こうのイルミネーションの下にキスする二人の姿があった。

 粉雪で目が眩みそうだった。

 寒くて涙も出ない。

 その場に立ち尽くして、いつの間にか街が真っ白になっていた。

 携帯のストラップを握りつぶしてももう辰彦の心の鼓動は聞こえない。

 どうしてだろう、海で美咲に釘刺された時よりずっと悲しいはずなのに、涙がちっとも出ない。

 辰彦のことは今でも信じている、信じたい。でもこの私自分を信じることがどうしてもできなかった。今までの都合のいい思い出は、もしかしたら全部自分の独りよがりの妄想だとしたら、私はいったいどうすればいいのでしょうか。

「優、こんなところにいたのか、もう来ないかと思ってひやひやしたぜ」

 例えばこのような優しい言葉を掛けられて。

「ん? どうしたの? もしかして怒ってる?」

 妄想か現実か分からなくなって、私はこの声から遠ざけようと走り出した。

 怖い。

 辰彦と会って、もし過去が全部否定されたらきっと私は正気でいられなくなる。

 雪で前が見えない。後ろは辰彦が追いかけてきてる。

 もう会えなくてもいい、せめて妄想の中では辰彦と恋人でいたい。

 目を瞑ってひたすら走る、そして後ろから叫び声が聞こえた。

「危ないっ!」

 再び目を開けたときはすでに体が空に浮いていた。周りの景色が回って、どんどん白くなっていく。

 意識が遠ざけて、どうやって着地したのも分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ