3、Assassin
決心が付いたら後は簡単だ。
小此木は今病院で弱っている、またとない絶好のチャンスだ。
翌日俺は学校を休み、小此木のいる病院にきた。
消毒液の匂いが漂う嫌な空間だ。
あいつのせいで、俺とあの子は半年近くもここに入れられた。そしてその間、彼は一度もあの子を見舞いにきてくれなかった。
そこが一番気に食わない。
あのこはそれでも彼を味方にする。この半年間彼がとっくに別の彼女を作ったことも知らずに。
「お、小此木辰彦の病室はど、どこですか? か、彼のクラスメイトです」
完璧に緊張を隠し、ナースセンターの人をうまく騙して、俺はあいつの居場所を知る。
ははは、もう永遠に眠るが良い。
万悪の根源がすぐに自分のこの手によって絶たされると思うと激昂して、震え出した。
やつのいる部屋だ。
個室。
良いではないか、まわりを気にせずに手が出せる。
時間はまだ朝、病院は静まり返っている、小此木もまだ寝ているようだ。
音を立たないように近づいた。
とんだ間抜けな面だ。
俺は彼のその姿を眺め、心の中で唾を吐いた。
「あばよ」
暗殺者の如く、俺は格好よく、出来るだけクールな声でこのセリフを口にした。
くぅぅ、俺って、もしかしたら特殊部隊とかに向いてるかも。
軽い足取りで病床に上がり、俺は小此木の上にまたがった。
心が躍り出し、ああ、このシチュエーション、この夢心地! 俺は陶酔してしまい、長い間の不安や憂鬱が一気に払われたような気がした。
もうあの子がこいつに奪われる心配もなくなる、あの子が勝手にこいつと会う心配もなくなる。
これで終わりだ。
両手を出して、小此木の首を狙って腕を伸ばした。
「……優?」
手が首に触れそうなときに小此木が眠たそうに目を開いた。
反射的俺は伸ばした手を引っ込めた。
まずい。もともと計画があってここに来たわけではない。ただ行き当たりばったりでこいつが不注意に寝てる時でざくっとやってしまえばいいと考えてたが、起きられてしまったら形勢が逆転しかねない。
しかしなんと言ってもこいつ今は弱っている、ごり押しでまだ勝てるかもしれない。
そうと決めて顔を逸らし、再び手を伸ばそうとしたが、体が強張って言うことを聞かない。
「優、来てくれたんだ!」
何のことだ。
恐れながら視線を小此木に向けた。
あんなに熟睡していたはずなのに、こいつはいつの間にかすでに起き上がっている! まさか狸寝入りだったのか!?
思わず身を縮まり後ずさった。
かなりまずい。今俺は小此木の下半身の上に座っている、しかも先から興奮して殺気を抑えるのも忘れた。ここまで来れば俺のやろうとしたことがもはや阿呆にも分かるくらい明白になっている。弁解の余地などない、もし第三者が来たら間違いなく俺は刑務所いきだ。
なんてことだ、作戦は自分の一瞬の躊躇で失敗した。こうなったら仕方がない、こいつが人を呼ぶ前に撤退だ。
俯いたまま俺はベッドから降りようとする。
が、小此木が急に体を起こし、俺の右手を掴んできた。
痛い。
手袋の下の右手がとても痛い。
手袋を外したら、ビームが出せる、なんてすごい技俺にはできない。これはピエロなら誰でも持ってる普通な手袋だ。
俺が痛みで顔をしかめると、小此木は少しだけ力を弛めた。これを機に手を引こうとしたが、小此木がつかさず更に俺の左手を拘束した。
ああ、罠だ。
全身の力を使っても彼の束縛から逃れられなかった。
これは間違いなく罠だ。
こいつ病気なんかなっていない。病人がこんな力あるはずがない。俺をはめるためにわざと自分の弱ったところを見せつけてきたんだ。俺がここに来ることを知って、俺が彼を襲うことを知って、彼は自分の手を汚さずに済むような策略を考え、俺を陥れようと芝居をしていたのだ。
ああ、やはりこいつは頭がいい、俺はただ踊らされているだけだった。
「おーい、小此木いー、起きてるかあー? ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
急に背後から間の伸びた囁き声にびっくりした。第三者がこんなにも早く登場してしまったのだ。
振り向くと曽我が猫背で病室のドアから入ってきた。
「いやあ、朝練をさぼる口実が出来て良かったよ。毎日毎にっ……ち――ん?」
緊張で体が凍り付いたように動けずにいた。
おいおい曽我大我、もっとタイミング選んで現れよ!! お前はあくまでも俺を罪人にしたいな! くっそ、こいつのせいで、小此木を仕留めるところか、返り討ちに遭ってしまったじゃないか。
「お前ら、ここで何やってんだよ!?」
予期せぬ曽我の言葉に俺は眉を顰めた。
お前ら? こいつは俺と小此木を同時に責めているのか? 小此木の味方ではなかったのか?
そう考えてるところに、小此木が俺の左手を解放して、必死に空いた手を振る。
「いやいやいや、何もしてないから、今起きたばかりだから」
どうも話の雲行きがおかしいので、俺は再び自分の立場を顧みたが、そこではじめて二人の会話の意味が分かった。
――今この病室で、漫画で幼馴染が朝起こしの時よく見るワンシーンが発生している、しかも今度は俺が幼馴染で、相手があの小此木。
血液が逆流するほど醒めた。直ちに病床から降りて、曽我に向けて全力で頭を振る。
Assassinなんて格好いいもんじゃない、ass♂ass♂inなどといかがわしい人種だと疑われたら刑務所いきのほうがまだ何万倍もましだ!
「なんか胡散臭いな。必死に否定してる割には繋いだ手も放さないし」
そう言われると小此木がいやいやと俺の手を放してくれた。
おい待てよこの流れ、なに、結局小此木はそっち系って落ち? いやいやないない。あの子にも美咲にも可哀想だからこの妄想はここらへんで打ち切りだ。
「曽我こそ、朝っぱらから、何があったの?」
小此木は適当に話題を変えたが、どうやら俺がしようとしたことを曽我にばらすつもりはなかったらしい。それとも単にこの間抜けは俺がここに来る意図をまだ悟っていないだけか。とにかく助かった。
「にゃっ、ちょっとお前らの過去のことが気になってさ。なんかお前らの訳わかんない関係を見てるともやもやして気が済まないんだよ。こいつとかぜんっぜんしゃべんないし」
不満そうに曽我は顎で俺を指す。
「美咲も美咲だ、こいつが学校に戻ってきてからかなりぱっつんぱっつんになってんよ、神経がね。今日ももし先の場面が彼女に見られたら……」
「お早うございまーす」
全く曽我が現れたときと同じパターンで、今度は女の子一人がひょろりとドアから入ってきた。
「えっ」
曽我が固まって喉だけを鳴らした。
「あ、曽我君もいたんだ! さすが仲間想いの好青年!」
「よっ、おはよ、鈴村」
女の子は入口前に立っている曽我の横を通った。
「タっくんもお早う! 病人のくせに、寝坊くらいっ」
そこで俺の目と合う。
「お早う。別に来なくてもいいのに」「優ちゃん……も、いたんだ」
小此木に挨拶されてもかかわらず、美咲の声のトーンが不自然に沈んだ。同じく沈んだのは彼女の表情と、多分、気持ちも。
昨日美咲に釘刺されたことを思い出すと冷汗が滲んできた。
女って怖えー!!
「ああ、そいつはな、俺が連れてきたんだ」
美咲が俺を睨むと、曽我が間に回り込んで言いながら俺の肩を組んだ。
「無理矢理謝らせてもらったぜ。もう用は済んだから、俺らこれで学校行くからな! 後はお二人でごゆっくり」
と言って、曽我は俺を押しながら病室の外まだ連れ出した。
どうやらこれで助かったらしい。
無言のまま病院を出た。すると曽我は盛大にため息を吐いた。
「はああぁー、確実に寿命が縮んだな、こりゃ。狙ったように現れやがって」
お前もだがな。
でも。
「あ、ありがとう」
こいつに助けてもらったこともまた事実。
「お、おお! お前、ちゃんと喋れるんだな! 初めて声聞いたぜ!」
何この失礼な奴、人を珍獣扱いしやがって。誰でもお前みたいに好きでもない奴とぺらぺらぺらぺら喋ると思うなよ!
「やあ、でも驚いたぜ! 見かけによらず結構大胆なことするな」
「だ、大胆?」
「ほら、あれだよ、あれ」
曽我は一度咳を払い、裏声で続いた。
「小此木くん、早く起きて、学校遅刻しちゃうよ、的な」
「あ、あれは違う! じ、事故だ」
「事故? 事故であんな珍妙な形になれるんだ!」
くそぅ、小此木の首を絞めようとしていたなんて言えないし、そのまま誤解されるのも癪だ。
「と、とにかく、俺はほ、ホモじゃない」
「ホモ? いや、全然思ってないけど? っていうか何この発想? 小此木とお前がホモ?」
曽我は予兆もなくいきなり笑い出した。どんな理由であれ、俺はすごく侮辱されているような気がした。
あまりにも不機嫌な顔をしていると、曽我は笑いを止めた。
「えーと、冗談で言ったんだよね?」
冗談?
「へ? マジ? おまっ、本気で言ってんの?」
やっぱりこいつ、俺がホモだと思ってやがる。
腹が立って、思いっきり曽我の足を踏んづけてやった。
「いでででぇー」
片足で踊る曽我をほっといて、俺はさっさと歩きだした。
「おい、そっち方向逆だぞ!」
知るか! 今日は学校に行く気分じゃない。
学校を休んで損した。
なんて言っても別に学校へ行けば何かいいことがあるわけでもないが。
なぜ俺は不登校にならなかったのだろう。
俺みたいな立派なぼっちともなれば、登校しても、引きこもっても、何らの区別もないはずだが、俺は律儀に毎日学校を通っている(今日を除く)。
多分彼女のためだ。
家に帰って、母が不思議そうに聞いてきた。
「まだ午前なのに、学校どうした?」
「体の具合が悪い」
「また腕が?」
「うん」
母が辛そうに見つめてきて、俺は居てたまらず自分の部屋に籠った。
半年前の事故で、右腕がほぼ全廃した。奇跡とでも言えるくらい手術は成功して、何とか右腕を自分の体につなぎとめた。ただ事故前のようには回復できず、せいぜい義手よりましのレベルまでだ。なんとか日常生活は普通通りにできるが、傷痕はあの時のままだ。少しでも自分にこの嫌なことを忘れさせようと、俺は手袋を付けたのさ。
時々腕が痛くなるが、耐えられないほどではない。
暗殺がしくじって、病院から帰ってもまだ学校には十分間に合うのに、やはり気分が乗らない。勿論母に言ったことは嘘だ。
「今日、早いのね」
「あ、ちょっとね」
あの子の体は弱くて、殆どの時間は寝ている。だけど俺が帰るとすぐ起きるらしい。
「何か、あったの?」
少し遠慮がちに彼女が聞いた。多分俺に気を遣っているのだろう。
「不愉快な奴と会った」
「どんな奴?」
「勘違い野郎で、うるさくて、デリカシーの欠片もないけらけら笑う奴」
「へー、なんか面白い人だね」
「面白い? 全然違うよ。無礼極まりない不愉快な奴だ」
俺が否定しても彼女は笑みを崩さない。こんなにも優しくて、一筋な彼女に、どうして神は罰を与えてしまったのだろう。こうして俺が外の世界の些細なこと、つまらないこと、不愉快なことを話しても、彼女にとっては全部童話世界の物語のように聞こえる。俺が不謹慎で新しい人間関係を築いたせいで、また彼女に惨めな思いをさせた。
「俺、ホモに見えるのかな」
話題を逸らそうと聞いてみた。
「ん? どうして?」
「今日、うっかり紛らわしいことしたから、誤解されたかもしれない」
すると彼女はくすくすと笑いだした。
「そんなはずないでしょう? 誰から見たってあなたはホモなんかじゃない。私が保証する」
「そうかなぁ。この世の中は変な奴がわんさかといるぜ」
「あなたが言うと説得力あるね」
ちょっ! 他人にこんなこと言われたらきっとすでにキックを食らわせてやったところだ。彼女にいわれるとなんか微笑ましい。それだけ彼女はまだまだ元気、と言うことだ。
「で、誰と紛らわしいことしたのか、当ててみよう」
「は?」
「えーと、苗字は小此木、名前は辰彦っていう人かしら」
「ちょっ!」
「当たった?」
「なんであいつの名前が出てくるんだよ! 第一、誰かと一緒に紛らわしいことしたって一言も言ってないし」
「でも当たったよね?」
彼女が何を根拠にして小此木の名前を口にしたのかはさっぱりわからない。でも彼女にとって小此木の存在がそれだけ大きいということはよく分かった。
「もっとも、俺はあいつのこと嫌いだ。そりゃ、女の子から見れば格好いいしさ」
「妬いてるの?」
「んなわけあるか!」
俺は少しムキになった。
「大体顔以外あいつのどこがいいんだよ!」
「辰彦は家族以外、初めて私のこと可愛いってほめてくれた人だよ」
「だったら俺もほめてやるよ」
「あなたは違うの」
畜生、あんな言葉で君は自分の心をあいつに捧げたのかよ!
「小此木が嘘をついたらどうする」
「辰彦は嘘をつかないわ」
頭にきた。彼女は俺より、小此木の肩を持つ。
「きっとあなたは辰彦のことを誤解しているわ」
誤解しているのは君のほうだ!
やっぱり先病院であいつを捻り潰しとけばよかった。
彼女は甘い。人間の本性を知らない。人間は自分よりも劣っている生物を見て楽しむもんなんだ。小此木もきっとそうだ。彼女を好きなふりして、実際は内心で彼女を嘲笑っている――釣り合わないのだ。でも彼女はまんまと小此木の上面に騙された。
許せない。
彼女の純情を踏みにじるような真似を、俺は許せない。
やはりあいつは消すべき存在だ。だが無計画に彼に挑むのはもう今回きりにしよう。正面であいつと戦っても多分俺には勝ち目がない。何か彼の裏をかくような、彼の弱みを狙った攻撃方が必要だ。
そうだ、小此木には致命的な弱みがある、それは仮面だ。彼は自分の本心を絶対に他人に見せないし、多分見せちゃいけないのだ。彼の仮面をはがせば自然に彼は崩壊していく、間違いない。人の上に立つ人ほど自分の立場を守りたがるのだ。彼みたいな優秀な学生が、実はクズだってことを皆に知らされればそれだけ俺は彼に勝てた。
ああ、あいつの仮面をはがしてやる、そうすれば彼女もきっと俺のことを信じてくれる、あいつのことを諦めてくれる。
高一の夏休み、辰彦に誘われて近くの海に行った。一緒の人の中には勿論辰彦の彼女もいた。
私は泳げないから陸でくつろいでいたら辰彦が泳ぎを教えてくれると言った。
深く考えずに、私は素直に従った。
泳げなくてよかったと思った。
休憩を取って再び陸に帰って、辰彦の彼女に呼び出された。
「佐伯さん、タっくんのこと好きでしょう?」
やはり私は自分の気持ちをうまく隠せてなかった。
「佐伯さんも知ってるでしょう? タっくんは私と付き合ってるの。だからもうやめて、お願い」
片思いもしちゃだめって言われた。
貴女はすでに辰彦からすべてをもらっているのに、まだ物足りないと言うのか?
私はこんな真っ直ぐな彼女に立ち向かうことすらできなかった。これは多分彼女が辰彦を屋上に呼び出した時から、私の敗北が決まっていた。
いいえ、違う。私が辰彦を好きになった時点から、私は負けていた。
辰彦を好きなんかにならなければよかったんだ。
心を閉ざして、私ははいと答えた。
その日から辰彦からの誘いをことごとく断り、彼女との約束を徹底した。
勿論表面上のことだ。
辰彦のことを忘れるなんて私にはできないことだった。
自ら辰彦を突き放して間も無く、私は再びクラスから孤立した。これが私の最も自分らしい居場所なのでしょうか、すぐに慣れた。
だけど孤独が増すばかりに、辰彦への思いも膨らみ一方だった。
目も合わせられない自分が、狂いそうになった。
そんなある日の放課後、辰彦が急に私の手を掴んで屋上まで引き連れた。
少し上気して息する辰彦を見て、私はなんとなく何か尋常でないことが起きようとしているのが分かった。
「どうして、佐伯は俺を避けるの?」
直視できず、私は辰彦から目をそらした。
「この間までずっと仲良かったのに、また俺のこと嫌いになった? ね、俺の目を見て答えて、佐伯は俺のこと、嫌いなの?」
居づらくて、逃げ出そうとしたが、辰彦が私の腕を放してくれない。
「放して」
「やだ。佐伯が答えてくれるまで放さない」
「嫌い、じゃない」
「じゃあどうして俺を避けるの」
「すき、だから」
小声で言ったあと私はようやく自分の気持ちが抑えられなくなった。
「小此木さんのことが好きだから! 好きで好きでたまらないの! でも好きだから怖いの! どんどんどんどん自分が自分じゃなくなるみたいで、私は小さな人間だから傷つけられるのが嫌なの! でも小此木さんは違う! いつも輝いてて、いつも笑顔で、いつも周りの人に元気をくれて、こんな私にも構ってくれて、もし私のこの気持ちがばれたらきっと小此木さんに嫌われてしまう、もう二度と話すことさえできなくなってしまう、それが怖くてたまらないの!!」
辰彦は約束通り手を放してくれた。この動きはまるで何かを意味しているようで、私の中で辰彦との最後の繋がりがぽつりと切れた気がした。
これで終わりなんだ。多分、これで彼女との約束も果たせられる。
少し後悔もした。こんな形でなければせめて友達でいられたのに。でも私は友達で居続ける自信あるのでしょうか。
いつの間にか涙が出てきた。
拭いもせず帰ろうとした時、体が急に後ろに引き寄せられた。
「もう放さない」