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2、屋上への招待状

 翌日、この前の経験もあって、俺は昼休みのチャイムが鳴るなりに弁当を持って外に出た。小此木のせいで飯がまずくなるのはもうごめんだ。

 かと言って、別に行く当てもなく、俺はしばらく廊下にさまよった。芝生でのんびり弁当なんてマネ俺にはできない、眩しすぎるのだ、そもそもうちの学校に芝生あったっけ。学食は人が多すぎる、席確保も難しい、それに学食で持参の弁当って営業妨害になり兼ねるので、却下。屋上もだめだ、俺みたいな人が行ったせいで、素敵な邂逅が邪魔されたらその人たちが可哀想だ。

 静かで、誰にも邪魔されず、誰の邪魔にもならず、こんな場所を考えれば考えるほど絞れてきた。

 自分の食べる音さえ押さえればこの場所は本当にもう最高。

 ちなみに世間的には自分が今ここで食事をしていることをぼっちと紐付けることが多い、ぼっちのステータスと言ってもいい。

 それが便所メシだ。

 ほかのぼっちたちがどのような心境で便所メシを享受しているのかは知らないが、少なくとも俺はすごく安らいだ気持ちだ。

 昼休み中、トイレを利用する人も少なく、洋式だから清潔感もあって、小此木の前よりずっとおいしく食べれた。

 唯一の欠点と言えばやはり咀嚼の音が気になる、とくにとなりに誰かがいる時だ。しかしよく考えてみれば自分がどんな音を出そうとも、となりは俺の顔を見れないし、名前を知ることもが出来ない、だから別に恥ずかしがる必要なんてなかった。

 それでも一旦人が入ると食事を止め、息を潜む。

「そういえばさ、篠崎しのざきって一年の時サッカー部の小此木くんと同じクラスだったよね? 中学も一緒だったし、仲良かった?」

「普通」

「でさでさ、最近噂になってるけど、小此木くんって今彼女いるの?」

「こんなこと聞いてどうするつもり?」

「だって興味あるじゃん! 学園随一のイケメンだよ? やっぱりいる? あの鈴村さん? あの二人前から仲良かったんだよなぁ」

「さあね」

「でもあの怪我した子も怪しい。なんか中学から塾で小此木くんと知り合ったんだって。名前なんだっけ」

「佐伯さん?」

「そうそう! やはり篠崎もそう思う?」

「はぁー、岡山が小此木だったらどっちを選ぶ?」

「あっ、あぁ、そうだよね。でもなんか佐伯さんのこと可哀想だから応援したくなる……」

「先に出るわ」

「あっ、待ってー。うっわ、篠崎って鈴村さんと友達だったっけ? ああ、ごめんごめん、まずいこと聞いちゃった!」

 この二人が出ていくまで俺は始終黙っていた。小此木のせいで便所メシ食ってるのに、またその食事中に小此木の話を聞かされるなんて、最悪、とか途中で無性に腹が立って声を出して怒鳴りたかったけど、何とかその衝動を抑え切れた。

 全く近頃の高校生は、便所にいる時くらいは便所の話でもしろ! こっちのメシが不味くなるじゃないか!

 それにしても話の内容は地味に痛かった。佐伯とはあの子の苗字だ、まさかこんなひどい目に遭っても尚更人の話草にされるとは。

 そもそも相手が悪すぎるよ、あの鈴村美咲と同じ人を好きになるだなんて、負けるに決まってるじゃないか。いや、そうでなくても小此木を好きになったこと自体がすでに敗北宣言みたいなものだ。聞いてよ、便所の中でも噂されるくらいの学園随一のイケメンだよ?

 あの子にはせいぜい俺みたいな地味で平凡な人間がお似合いだ。

 あ、でも俺が平凡な人間に分類されたら、ほら、この世界がぼっちだらけになるんだぜ? いや、そうなったらそうなったで面白そうだ。人類のテーマは孤独――永遠に分かり合えないことこそが処世術の真理だ、なんて格好良すぎない?


 放課後、グラウンドを抜ける時、サッカー部は練習試合をやっていた。フィールドの外側に人垣もできていて、かなり白熱化しているらしい。

 時々伝わってくる応援の声がいかにも青春しているなぁと感慨させてくれた。

 しかしなんだ、その平和な掛け声の中に混ざってる「きゃあきゃあ」という耳障りな騒音は。協和を乱す声の発生源を探すと、三人の女子グループがいた。彼女たちの視線の向けている先を辿ると、やつだった。

 小此木辰彦。

 こうして放課後になって昼休みの鬱憤をようやく払ったところで、またこの男が俺の心境を最悪にした。

 カキィーン!

 と言う音が鳴って、反対側の野球グラウンドに目を向けようとした時、お尻が思いっきりボールに掘られた。

 投手、打者、俺がほぼ一直線な状態なのに、どう打てばボールは真っ直ぐ俺のところに突っ込んでくる? どうやら運もこの一瞬で最悪になったらしい。

 屈んでボールを拾い上げ、そのまま野球部に殴り込もうとしたが、やめた。

 根本的見れば、小此木が悪いのだ。だから仕返しとすればもちろん小此木にだ。

 俺はボールを握り締め、小此木を探した。

 照準を当て、ポーズを決めて、全力投球。

 いっそ小此木にもあの子みたいな大怪我を負わせてやりたかった。たかが野球のボールはできないだろうけど。

 そもそも怪我をさせることもできなかった。

 インドア派の俺の全力投球は思ったよりも下手で、小此木まで半分のところでふにゃっとなって引力に引きずり落とされた。

 少しがっかりしたが、まあ、本当に怪我人が出たらまた色々と問題が起こるそうだからこれでよし、と考えた次の瞬間、ディフェンスに回ってきた後ろの一人がボールを踏んで盛大に転んだ。

 あちゃちゃ……さすがにこれはまずいと思って、俺は即座この場から離れた。

 ちょうど校門を出たところ、いきなり誰かに呼び止められた。

「おい、待って」

 振り向くとやはりサッカー部の人だ。気づかれてたらしい。

「さっきの、狙ってやったんだろう」

 事実だから反論もできない。

「俺見てたんだ、お前が小此木を狙ってボールを投げたところ」

 よく見たらこの人はクラスメイトだった。小此木の取り巻きその壱、熱血でうるさい奴らしい。名前は確かに曽我大我そがたいがだっけ。

「どうしてあいつにこんな真似をする? こう見えてもあいつ結構傷つきやすいタイプなんだぞ?」

 こうして小此木の周りの人間は彼を称え、擁護して、俺みたいなのは外道にされる。

 まあ、外道なのは認めるけど。

「一年の時お前らに何があったかは知らねえけど、小此木はずっと佐伯のこと心配していたぞ? だからあいつを恨むなど、お門違いだ」

 心配? あの小此木が? だったら彼女が入院中に一度も見舞いに来てくれなかったのはなぜだ!? もっとましな嘘を吐け!

 これ以上話しても無駄だ。この曽我大我ってやつは小此木の味方で、俺が小此木と対立している限り、俺が何をやっても彼はきっと全力で否定する、そして小此木が何をやっても彼は庇う。

 だから無視して帰ることにした。

 数歩離れたところで曽我がまた俺を呼んだ。

「おい、お前のせいで怪我人出てるんだ、せめて謝りに行ったらどうだ?」

 ちょっとだけ躊躇ちゅうちょする。小此木がどうこうとかはとにかく、俺の原因で他人を怪我させたのは事実だ。俺はぼっちだけど、義理の通った真っ直ぐなぼっちでありたい。

 百八十度回転して、現場のグラウンドに向かう。

「お前、変な奴だな」

 曽我が俺の後ろでぽつりと言った。

 

 人は成長すると仮面が生えてくる。

 それは多分人間社会に生きていく必要なものだ。

 現にクラスメイトの殆どがすでに仮面を備えている。

 当面では笑いあい、称えあいしているが、背を向けられたら何考えてるのか知ったことではない。

 俺には仮面は要らない。

 俺にはマスクがある。超立体、超快適。

 このマスクさえあれば俺の精神を傷つけられるものなど存在しない。

 この世には仮面をしてピエロを演じる人がいるが、俺は生まれたときからピエロだ。自分がピエロであることを隠すためにマスクをつける。

 我こそ真性ましょうのピエロ、魔性のピエロなのだ。

「優ちゃん、おはよう」

 上履きに履き替える時、後ろから声がした。

 小此木の女だった。

 鈴村美咲、絵に描いたような美人。いつ俳優になってテレビに出てもおかしくないレベル――の容姿と演技力。

 仮面を使いこなしたいならまずこの人を見習え! くらいの演技力を、彼女は持っている。そして彼女が使う仮面は一つだけじゃない。友達の前に使う仮面、彼氏の前に使う仮面、目上の人の前に使う仮面、それぞれの仮面が迫真の演技力によって、これらこそが彼女の素顔ではないかと思わせた。人はそれをカリスマ性と呼ぶらしい。

 現に、俺は彼女の掛けてきたその一言でどきっとした。

 ぼっちの俺だけは皆が仮面をせず真心で接してくれた。有り難いことだ。ぼっちだから、どす黒い本心が俺にばれたって他の誰かに嫌われたりはしない。

 この女は違う。天真爛漫で、怪我した小動物のために涙を流せそうな優しい顔して向けてくる。だからついぼっちの俺も自分はまだ真人間じゃないかな、と思ってしまう。

 だが、俺には分かる、これは全部彼女の演技だ。なぜなら彼女から俺と同じ匂いがしたからだ。

 いかれたピエロの匂い。

 うまく言えないが、俺は彼女になんか特殊な感情を抱いている。

 そして彼女と同様、小此木も俺の前でも絶対に仮面を外してくれない。周りの人の豹変ぶりを見て、この人の真顔が、実はどれほど恐ろしい物かを想像すると、悪寒が走ってぞっとする。

 だから俺はあいつが嫌いなのだ。

 横にずらして、美咲の下駄箱の位置を空けてやった。

「ありがとう。新しいクラスには少し慣れた? 勉強に何かわからないことがあればいつでも聞いてね」

 女は靴を脱ぎながら言った。俺に言ってるのだろうか。

「あの、怪我のこと、本当にごめんなさい。優ちゃんもきっとつらいと思うけど、応援するね」

 友達の不幸を憂っているような顔を見せた後、彼女は先に教室に入った。

 意味が分からん。第一、俺はつらいだなんてちっとも思っていない。

 元の位置に戻って、下駄箱を閉めようとした。

 中に入っていた紙切れに気づいた。

 取り出して見ると、誰かからのメッセージだった。

『放課後、二人きりで話したいことがある。屋上で来るまでずっと待ってる。小此木』

 またまた手の込んだまねを。

 小此木が俺に話したいことって皆目見当がつかない。

 俺と彼の関係はそう、例えるのなら笑いを取れなくなった道化と誰もが憧れる王子だ。こんな落ちこぼれの俺に、接点でもあったのでしょうか。

 強いていえば一つあった。

 あの子だ。

 しかしこれも遠い昔の話。大体、彼女を捨てたのは王子のほうではないか。俺の口から彼女の情報が欲しいのか? それとも俺を使ってもっとひどいことを彼女に伝えようとしているの? まだ彼女をいじめ足りないっていうの?

 こう思うと腹が立ってきた。

 だから意地でも彼女を小此木には会わせない。俺だけが彼女の傍にいてあげれば十分だ。

 無視しよう。

 俺は紙切れを丸まってごみ箱に捨てた。

 教室に入った。

 クラスの連中は俺の通る道を自ら譲ってくれる。騒ぐ教室も俺のいる周囲だけが沈黙する。気の利くやつらだ。

 席に着くと後ろから声をかけられた。

「読んだ?」

 聞こえないふりをした。

「待ってるから、必ず来て」

 俺だけが聞こえる小さな声で言った。

 多分下駄箱に入った紙切れだけで俺が応じるはずがないと知って、念を押しに来たのだろう。しかしいくら念を押されようと、俺は行く気なんかこれぽっちもないからね。

「何話してるの?」

 小此木が俺の周りにうろうろしているのを見て、美咲は少し訝しげに彼に聞いた。

「ああ、何でもないよ」

「へー、なんか胡散臭い。タっくんって嘘つくときいつも目を逸らしちゃうんだよねぇ」

「そう、かな、はは」

「ほらまた目を逸らした」

 美咲が食いついてきたところに急に一人の男が小此木の肩を組んだ。

「小此木ぃぃ! 頼んだこと聞いてくれた? マジでうちの店潰れそうなんだよ! 親父が学校の友達でも連れて来いってさ。お、流石小此木、鈴村にも声かけたのか!? で、どうだ、鈴村、来てくれるの? 親父きっと喜ぶぜ! いいや、鈴村だったら全メニュただでサービスしてやってもいいぜ! うちのラーメン屋、むっさいおっさんしか来ないからさ……」

「えーと、全力でお断りします」

「えっ、潰されそうだからって、味は保証するよ! 本当なんだってば! 鈴村が来てくれたら一度だけでも来客は増えるような予感がする!」

 曽我がしつこく美咲を誘うと、彼女は仕方なく自分の席に戻った。

 そんなに深刻だったんだ、曽我家のラーメン屋。行ったことないけど、時間が出来たら行ってみようと思う。曽我はあまり好きじゃないが、彼の家族にはいい人がいるかもしれない。少しでも売り上げの手伝いになれたらそれだけで十分だ。

 美咲が行った後、曽我はへらへら笑いながら小此木を押して、談笑するそっちの輪に入った。

「小此木! 後でジュース奢ってくれるよな! たははは」

「なんでだよ??」

「とぼけるな、この恩知らずめ!」

 と曽我は小此木を押さえて両手で頭をぐりぐりさせた。

 ああ、小此木辰彦、なんて人に愛されてる奴なんだ! 愛情も、友情も全部手に入れて、本当にすごい奴だなぁ!

 なーんてね。 

 残念だ、俺には分かる、こいつのこの爽やかな顔の下にはみすぼらしい何かが潜んでいる。

 いや待て。そういうことか。

 俺は急に彼が俺を屋上に呼び出した理由が分かった。

 自分の素性が俺とあの子に知られたことで、彼は怯えているのだ。あの醜い本性が俺たちの口によって他人にばらされるのを、彼は怖がっているのだ。だから彼は屋上の人のいない場所で俺を呼んで口封じしようと考えた。昔のように。彼があの子を傷つけ、俺に事故を遭わせたように。

 行くもんか。

 せいぜいリア充生活を満喫していればいいのに、なぜそこまで人畜無害なぼっちな俺とあの子に気を遣う? こっちとしてはお前の歪んだ本性をばらすなんてちっとも考えていないのに、ばらしても信じてもらえる人いないのに!?

 つくづくこの男の器量の狭さに呆れてくる。

 そして放課後。

 小此木は意味ありげに俺に視線を送った後「用事あるから先に帰る」といつも一緒にいるやつらに言って、教室を出た。

 こいつはIQ180のバカか? それともただ俺にはこんな見えやすい罠も見破れないと彼になめられているのか?

 まあ、待つがよい、どうせ半時間もしないうちに悟ってしまうだろう。

 俺はいつものように帰りの支度をする。

「ね、優ちゃん、タっくんと何かあったでしょう」

 今度はお前かよ。

 しらを切って無視する。

 ぐいっと腕が掴まれた。

「ね、まだタっくんのこと恨んでるの? まだ諦めないの?」

 女は手に力を入れた。

 お前らこそ、いい加減俺のこと諦めてくれ。

 彼女の手を振りほどこうとしたが、うまくいかなかった。なんてパワーだ。この女は俺よりも力が勝っているというのか?

「やっぱやめようよ。優ちゃんもうこんなにぼろぼろになってるじゃない、まだ足りたいっていうの?」

 美咲は俺の腕を掴んで掲げた。

「どうして優ちゃんがマスクをつけたのも、もう忘れたの?」

 反射的に俺はマスクを守った。

 美咲は今にも泣き出しそうに俺をみていた。そして俺から返事が来ないと知って、ようやく諦めて俺を解放してくれた。

 なんでお前が被害者のようになってんだ? 一番傷ついたのは俺って知ってるのに!?

 半年前、小此木のせいで俺とあの子が車にはねられた。

 傷? あんなの俺の鋼鉄な精神の前で痛くも痒くもない。でもあの子は違う。愛する人に裏切られ、傷を負い、顔もめちゃくちゃにされた。

 気に入らない。もともと小此木が勝手にくだらないメッセージを出したじゃない、俺は行く気なんてないし、なぜお前が先に切れてんだ? やはり全部あの男のせいだ。あの男にかかわると碌なことにならない。

 解放された俺は一直線帰宅して、自分の部屋に籠った。

 あの男のことを思い出しただけで反吐が出そう。けど、それでもあの子に彼のことを報告しなければならない。

 いつになれば彼女は彼の陰から逃れられるのだろう。あんな男のどこがいいやら。

 翌日、小此木は学校に現れなかった。

 そのまたの翌日も彼は現れなかった。

 せいぜいする。

 そして次の日、屋上で脱水症状を起こして倒れている小此木が業者に発見され、病院に運ばれた。

 やはりあいつはIQ180のバカだ。生まれて初めて自分の頭に優越を感じた。

 一日目と二日目は携帯電話で家族と学校をうまく騙したみたいだが、三日目からは消息を絶ったらしい。まさか飯も食わず、水も喉に通らずに屋上で待っていたなんて、本当におめでたい奴だ。その根性だけは分けてもらいたい。

 しかしそれほど俺のことを消し去りたいと思っているのもまた心外だ。

 やはり油断のできない奴だ。

 クラスの連中がそわそわしている中、俺だけが平静を保てた。これもぼっちのメリットだ。世界が滅びようと、人類が滅亡しようと、ぼっちはさほど苦しくにはならない。まあ、心残りが全くないと言えば嘘になるが、彼女のことだ、世界が滅んで、人類が滅亡したほうが返って楽になれたかもしれない。

 担任も小此木のことを心配しているようだ。どうやら小此木はお金を払った親たちと同じように担任に貴重視されているらしい。

 小此木が自分を屋上に閉じ込めた原因を突き止めるためクラスで臨時HRが行われた。勿論、小此木はごく秘密裏で俺を始末しようと考えていたわけで、クラスの連中にこのことをばらすはずもなかった。俺だって余計な面倒は御免だ、だから始終黙っていた。

 HRは結果の出ないまま終わり、担任はやつれた顔で教室を後にした。俺という問題児を抱えながら模範的な優秀生徒小此木も事件を起こした――まあ、もとはと言えば事件の原因は俺だが――担任の評価が落ちるのは火を見るよりも明らかだ。

 担任が行った後、教室内は急に爆発したように騒ぎ始めた。彼の前では言えない情報交換が始まり、ある意味これからの時間が本当の事件解決の会議となったのだ。

 ずっと後ろから視線を感じた。小此木の彼女だ。どうやら彼女は俺が小此木の事件に関与しているとそう決めつけたらしい。あながち間違っていないが、とにかく俺は嫌な予感しかしない。

 昼休み、予感が的中した。

 彼女は引っ張りながら強引に俺を校舎裏まで連れ出した。

 二人きりになったところで、美咲はぱっと一枚のしわじわな紙切れを俺の目の前に叩きつけた。

 びっくりした、こんな彼女見たことないのだ。

「優ちゃんのせいだね、タっくんがこうなったのは」

 紙切れに書かれた文字を流し目で読む。

 下駄箱に入ってたメッセージだ。

「優ちゃんがこの紙を捨てたとこ早百合さゆりが見たの。ね、どうして私に黙っていたの? どうしてもっと早く私に言ってくれなかったの? 優ちゃんならどんなことも相談してあげたのに、やっぱり私じゃ信用できないの?」

 ぽろぽろと涙が美咲の頬から落ちる。

 見られてしまったら仕方がない。とか言っても、もともと俺は言い訳しない主義だ。いや、多分俺は言わない主義だ。例え廃人でも、黙秘権はあるだから。

 俺が黙秘権を行使するたびに美咲は苛ついたらしく、とうとう切れた。

「ね、こんなメッセージもらって次の日タっくんが欠席しても何とも思わなかったの? おかしいでしょう? 優ちゃんはそんなにタっくんに復讐したいの!? 何とか言いなさいよ!」

 女は俺の肩を掴んで、揺さぶった。

 俺の頭がドンドンと後ろの壁にぶつかった。

 精神が鋼でも、肉体は鋼でできていないのだ。痛いのだ。だから両手を使って彼女の手を引き離そうとした。

 それもまたこの女の執念深さに驚いた――ちっとも手を離してくれない。

 しかし女には手を出さないと俺はそう決めている。

 耐えた。

 すると、彼女もようやくあきてくれたようだ。

「もういい。これ以上もうタっくんに付きまとわないで。でないと、でないと、私また優ちゃんを傷つけてしまうわ」

 と離れて、吐き捨てるように言って、校舎に入った。

 気に入らない。

 実に気に入らない。

 この女も気に入らないけど、最も気に入らないのはあの男だ。

 あの男が戻ってきたらきっと俺のことを追っかけてくる。だとするとこの女にも狙われる。

 俺は頭は悪いが、バカじゃない。

 やられる前にやるのだ。

 あの子には申し訳ないが、やはり小此木は許せない。

 けじめを付けなければ。

「やっぱりこうなったのか」

 校舎に戻ろうとした時に、一人の影が現れた。

 曽我大我だった。

「三日前から予想はしてたんだけど、まさかね。女って怖いよな」

 どうやらこいつは先から見ていたらしい。全くこいつの言葉だけは共感したぜ。女って怖えんだよ! 美咲もそうだが、あの子も頑固で言うこと聞かないし、いつかまた自分を傷つけるようなことをやらかすか分からないし、怖いんだよ。

 俺が頷くと曽我は腹を抱えて盛大に笑った。

「かははは、はは、本当にお前は面白いな!」

 多分俺が易々美咲にやられているところがこいつのツボだったらしい。ああ、そうだよ、半年も入院生活してたんだからしょうがないだろうが! 笑いたけりゃ笑え! どうせ俺は女とやりあう度胸もないチキン野郎だ!

「は、はっ、ああぁ。失礼」

 曽我は息を整えると話を続けた。

「それにしても小此木には呆れたなぁ。あのバーカ、ああいう作戦だったらせめて最初から水くらい用意しろよ!」

 仮にも友達だ、死にそうになってる小此木に向かって、このような言いようはないと思う。やはり類は類を呼ぶってわけか。いつかはきっと小此木もこいつに裏切られ、彼があの子に味あわせたように苦しい思いをするのだろう。

「で、今度は確実に小此木を苦しませたし、そろそろ彼を許したら?」

 曽我が距離を詰めて聞いてくると思わず後退した。

「見ての通り、やつは優しすぎるからさ、佐伯がずっと昔のこと気にするから、小此木がそれを負い目に感じてうじうじと前に進めなくなっている。そりゃ、鈴村も傷つくわけさ。ほら、お前ら四人、昔から仲良かったんだろ? 噂は聞いてるぜ、一緒に海へ行ったりとかさ、全く羨ましいよ。こんなにずっと一緒にいて、あの二人こそが運命だってこと、お前も分かるだろ。だから許してやってよ、これ以上小此木に拘っても誰一人幸せにはなれない」

 何なんだよこいつ!? 俺があの男に拘ってるように見える? 退院してそうそう俺は誰とも関わらないよう、ぼっちの道を決めたのに、蠅のごとく俺の周りをちょこちょこちょこちょこ飛び回っているのは誰だ? 今回だってもともとやつ自分が勝手に約束したんじゃないか! 一方的な約束のために脱水症状になるなんてどんだけだよ!? なんだ、自分が被害者になって俺を自責の淵に陥れようってか? こんなやつのどこを許すっていうの? 許す価値あるの?

 いいや、許さない。

 誰一人幸せにはなれない。勝手に幸せになろうなんてさせない。こうなったらとことん付き合ってやろうじゃないか、地獄の底まで。

 あの子のためなら俺はこの手を血に染めても構いはしない。

 曽我があまりにもうるさいので、これからはこいつも無視することに決めた。そもそも俺らのこと何も分かってないくせに、あの子の苦しむ様子を見たこともないくせに、何格好つけていい人になろうとしてるんだ?

 振り向きもせずに教室に入った。





 カラオケの一件以来、辰彦と会話するチャンスは多少増えた。

 自分の気持ちをコントロールできるほど、私は器用じゃない。これ以上辰彦と一緒にいたらきっと私はだめになる。だからそういうチャンスは殆ど見送った。

 中学を卒業して、無事に桜南高校に合格した。

 可笑しいと思いながらも、自分はかすかに辰彦も桜南に入ったとそんな気がして、ドキドキした。

 クラス分けの日、掲示板で自分の所属を確認して教室に向かう途中、横から声を掛けられた。

「お、佐伯! 同じクラスでよかったね!」

 振り向くと、そこには数か月ぶりの辰彦の眩しい笑顔だった。出会ったころのまだ幼さが残ってる顔とは違い、二年の歳月を重ねて辰彦はすっかり美少年に成長した。

 同じクラスになれて、嬉しくてたまらないはずなのに、胸の奥がちくりと痛んだ。

 やだ。私、やはりこの人を好きになったみたい。

「ん? どうかしたの?」

 辰彦が更に近づいてくると、私はようやく自分が泣きそうになっていることに気づいた。

 慌てて距離を取った。

「お、お久しぶりです」

「おう、お久しぶり! これから一年間よろしくな!」

 辰彦はそういうと、手を差し伸べた。

 迷いながら、私は彼の手を取って握手した。

「宜しく、お願いします」

 そのあと、私は逃げるように辰彦の前から走り去った。

 どうして自分はあんな卑屈な思考になってしまうんだろう。

 誰かを好きになる気持ちに罪はないのに、私はどうしても辰彦を好きになったことに罪悪感を覚えた。見返りを求めず、遠巻きで好きな人の幸せを祈れるほど、私はできていない。きっと私は辰彦を好きになればなるほど彼からの応えを求めてしまう、彼の周りの人間に嫉妬してしまう。こんな醜い人間になるのが怖くて、そして許せない。

 だからこの気持ちが増長する前に、私は逃げることを選んだ。

 ――神は私を逃がしてくれなかった。

 席分けが終わって辰彦は私の隣に座った。

「佐伯はやっぱあまり笑わないんだね」

「わ、私の勝手でしょう」

「ほらまたすぐ怒る。笑ってる佐伯可愛いのに」

「小此木さんこそいつも笑いすぎじゃないの」

「あ、またさん付けで呼んだな! そんなに俺のことが嫌いか? 俺は佐伯のこと結構好きなのになぁ」

 暇があれば辰彦は私の理性を崩さんばかりと話し掛けてくる。

 私だけが特別じゃないかと、答えを知ってても舞い上がってしまう。

 そんな日々が一ヶ月も続いて、ある日、辰彦は隣クラスの女子に屋上に呼び出された。

 彼らが屋上で何を話したか、私には分からなかった。

 けど分からなくても大体の予想はついた。

 彼女は一年生の中で飛びっきりの美人で、そして私が持ち合わせていない、一番羨ましいと思っているその勇気を、彼女は持っている。

 あの日から、辰彦があの子と一緒にいる風景はよく見られるようになった。

 諦めがついたのだろう、私はあれから吹っ切れたような気がして、少しだけ辰彦に素直になった。

 やはりこの思いはもう永遠に眠ろう。

 しかし彼は彼女がいるにもかかわらず、また無神経に話しかけてくる。

 天然、ていうのでしょうか。

 だんだん彼のこの話し方にも免疫がついてきた。

 辰彦は入学してからすでにクラスの中心だった。彼の爽やかな性格で、多分隣席の私と仲良くなる義務があると思って、ずっと一人ぼっちだった私を構ってくれた。

 何処かへ遊びに行く時も辰彦はいつも誘ってくれた。私は距離を保ちながらついていくが、結局それが変な形になり、はたからみれば私は辰彦の付属品みたいになっていた――辰彦がどこに行っても必ず私は少し離れた場所にいるからだ。

 なぜ彼女もいるのに、私をそばに置いていくのか、私は辰彦の思っていることを一度も真剣に考えたことがなかった。

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