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黄昏の彼方~碧き蠱惑のミューゼ~  作者: 河野 る宇
◆第7章~暖かな記憶
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*その抱きしめた腕

 その夜──ベリルが寝ていると、静かに入ってくる気配に上半身を起こす。

 外からの侵入者ではない、殺気も敵意も感じない。

「どうした」

 うつろな瞳でジッと立っているノインに問いかける。

 しかし、のぞき込んだ瞳に何かを感じ取ったベリルは、ノインの手を取りベッドに座らせた。

 優しく抱きしめると、ノインも強く抱きしめ返した。無言のままのノインに何も言わず、頭をさすってやる。

「……」

 その様子に、ベリルは目を細めた。

 幼児後退だ──本人にその意識が無くとも、ふと幼児期に戻る事がある。戦争を体験した者に時折、見られる症状だ。

 彼女も例外ではなかったらしい。

 子供のように、ただじっと不安から逃げるようにすがりついている。ノインの心は未だ眠りに就き、その傷を癒しているのかもしれない。


 朝──

「おはよ~」

「おはよう」

 ノインは、昨日の事を覚えてはいない。それをあえて口にする事は無いが、いつか自覚する時が来るだろう。

 その時に、どう支えてやれるのかをベリルは思案していた。

「いただきます」

 ノインはフォークを手にして、ベリルが作った料理を口に運ぶ。ベリルが隣に腰掛けて食べ始めると、ノインはそれをジッと見つめた。

「何かね」

「いや、上品だなって」

 言われて自分の手を見る。

「そうかね?」

「うん」

 過去に教わったマナーは、もはや癖となり染みついてその見た目を引き立たせる。

 筋肉質だが細身であるベリルは、着やせする事もあってさらに細く見えてしまう。見た目通りの上品さには、彼の持つ強さは隠されてしまっていた。


「処で」

 食べ終わって、リビングでくつろぐノインにベリルが発する。

「その上官がいる組織の事を教えてくれないかね」

 片付けも終わり、食後の飲み物と菓子を持ってソファに腰掛けた。

「え、知ってるんじゃないの?」

「大まかな事はね。知らない部分もあるかもしれん」

「ん~あたしも詳しくは知らないよ。あの人は、あんまり他人に話をする人じゃないから」

 ノインは天井を見つめて応えた。

「そうか」

 小さく溜息を漏らす。

「何か問題でもあったの?」

「“ヒュドラ”は以前から調べていた組織なのだが、上手く隠れているらしくてね。なかなか情報が掴めん」

「そうなんだ」

「お前のいた組織が壊滅し“ヒュドラ”に変わった事は解ったのだが」

 ノインは、ベリルが持ってきたお菓子に手を伸ばす。ポテトチップスをガブリと頬ばる彼女を見ながら続ける。

「お前を育てたのは、育成を専門にする組織だ」

「! そうなの?」

「うむ」

 ベリルは立ち上がって冷蔵庫に向かい、中から2リットルのペットボトルを取りだした。

「あの組織には、本格的な兵士を育てる施設はなかった。素質のある子供は、そういう専門の組織に送られて育てられる」

 ノインのグラスにコーラを注ぐ。

「その組織から潰していきたいのだが、ヒュドラよりも巧妙に隠れている」

 小さく溜息を吐きつつ、ソファに腰を落とす。

「だったら、こんなトコでお菓子食べてていいの?」

 食べているのはお前だけなのだが……という言葉を飲み込む。

「私は戦闘専門だ、捜し物は探し屋に任せる」

 肩をすくめてコーラの入ったグラスを傾けた。

 ちゃんと聞いているのか、いないのか……食べ続けるノインに眉をひそめる。

「太るぞ」

「ほっとけ!」


 その夜も、ノインはベリルの寝室に訪れた。抱きしめて頭をなでるが、自覚が無い限り幼児後退を治す事は出来ない。

 そのとき──

「ハッ!?」

 ノインが我に返り、驚いてベリルから飛び退いた。

「あたし、何してた?」

「何も」

 本当の事を言えばいい。だが、何故かベリルは躊躇した。

 思えば、彼女はほとんど誰にも頼らずに生きてきた──彼女には彼女なりのプライドもあるだろう。

 そのプライドを傷つけたりはしないだろうかと戸惑う。しかし、ここで話さなければ次のきっかけはいつ来るのか解らない。

「数日前から来ている」

「!」

「なんの事は無い。幼い頃に抱きしめられた記憶に、体が無意識にそれを求めただけだ」

「うそ……」

 それって幼児後退じゃない……ノインは愕然とした。自分の中に、そんなモノがあった事に身を震わせる。

 そして、静かに見下ろしてくるベリルの瞳を見つめた。暗闇の中でもその輝きを失わないエメラルドは、ノインの心にゆっくりと舞い降りるように広がる。

ベリルになら、甘えられるかもしれない──両親のコトを、まったく覚えてない訳じゃない。暖かな腕を、少しだけ覚えてる。

 それは、ベリルの腕と同じだった。体はそれを感じ取り、ノインを無意識にベリルの元に向かわせていたのだろう。

 そう納得するより先に、ベリルに抱きついていた──暖かな感触と、落ち着いた心臓の音が耳に響く。

「不老不死なのに、心臓は同じなんだ」

「失礼な」

 呆れて発したベリルにクスッと笑い、ノインは目を閉じて胸の鼓動に集中する。

 命がすぐ側にある。不死の体なのに、ノインはそう感じた。

 やっぱりベリルは、カレンを殺した奴じゃない──そう思ってはいても、どこかでベリルを疑っていた。

 今それが、確信へと変わる。

 それと同時に、自分を陥れた相手への憎しみも脹らんで行く。

「!」

 ベリルの腕に力がこもり、彼の顔を見上げた。彼はゆっくりと首を横に振る。

「──っ」

 何かを言いかけたノインの額に、小さなキスを降ろす。

「もう寝なさい」

 ベリルの腕の中で、深い眠りについた──

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