*その抱きしめた腕
その夜──ベリルが寝ていると、静かに入ってくる気配に上半身を起こす。
外からの侵入者ではない、殺気も敵意も感じない。
「どうした」
うつろな瞳でジッと立っているノインに問いかける。
しかし、のぞき込んだ瞳に何かを感じ取ったベリルは、ノインの手を取りベッドに座らせた。
優しく抱きしめると、ノインも強く抱きしめ返した。無言のままのノインに何も言わず、頭をさすってやる。
「……」
その様子に、ベリルは目を細めた。
幼児後退だ──本人にその意識が無くとも、ふと幼児期に戻る事がある。戦争を体験した者に時折、見られる症状だ。
彼女も例外ではなかったらしい。
子供のように、ただじっと不安から逃げるようにすがりついている。ノインの心は未だ眠りに就き、その傷を癒しているのかもしれない。
朝──
「おはよ~」
「おはよう」
ノインは、昨日の事を覚えてはいない。それをあえて口にする事は無いが、いつか自覚する時が来るだろう。
その時に、どう支えてやれるのかをベリルは思案していた。
「いただきます」
ノインはフォークを手にして、ベリルが作った料理を口に運ぶ。ベリルが隣に腰掛けて食べ始めると、ノインはそれをジッと見つめた。
「何かね」
「いや、上品だなって」
言われて自分の手を見る。
「そうかね?」
「うん」
過去に教わったマナーは、もはや癖となり染みついてその見た目を引き立たせる。
筋肉質だが細身であるベリルは、着やせする事もあってさらに細く見えてしまう。見た目通りの上品さには、彼の持つ強さは隠されてしまっていた。
「処で」
食べ終わって、リビングでくつろぐノインにベリルが発する。
「その上官がいる組織の事を教えてくれないかね」
片付けも終わり、食後の飲み物と菓子を持ってソファに腰掛けた。
「え、知ってるんじゃないの?」
「大まかな事はね。知らない部分もあるかもしれん」
「ん~あたしも詳しくは知らないよ。あの人は、あんまり他人に話をする人じゃないから」
ノインは天井を見つめて応えた。
「そうか」
小さく溜息を漏らす。
「何か問題でもあったの?」
「“ヒュドラ”は以前から調べていた組織なのだが、上手く隠れているらしくてね。なかなか情報が掴めん」
「そうなんだ」
「お前のいた組織が壊滅し“ヒュドラ”に変わった事は解ったのだが」
ノインは、ベリルが持ってきたお菓子に手を伸ばす。ポテトチップスをガブリと頬ばる彼女を見ながら続ける。
「お前を育てたのは、育成を専門にする組織だ」
「! そうなの?」
「うむ」
ベリルは立ち上がって冷蔵庫に向かい、中から2リットルのペットボトルを取りだした。
「あの組織には、本格的な兵士を育てる施設はなかった。素質のある子供は、そういう専門の組織に送られて育てられる」
ノインのグラスにコーラを注ぐ。
「その組織から潰していきたいのだが、ヒュドラよりも巧妙に隠れている」
小さく溜息を吐きつつ、ソファに腰を落とす。
「だったら、こんなトコでお菓子食べてていいの?」
食べているのはお前だけなのだが……という言葉を飲み込む。
「私は戦闘専門だ、捜し物は探し屋に任せる」
肩をすくめてコーラの入ったグラスを傾けた。
ちゃんと聞いているのか、いないのか……食べ続けるノインに眉をひそめる。
「太るぞ」
「ほっとけ!」
その夜も、ノインはベリルの寝室に訪れた。抱きしめて頭をなでるが、自覚が無い限り幼児後退を治す事は出来ない。
そのとき──
「ハッ!?」
ノインが我に返り、驚いてベリルから飛び退いた。
「あたし、何してた?」
「何も」
本当の事を言えばいい。だが、何故かベリルは躊躇した。
思えば、彼女はほとんど誰にも頼らずに生きてきた──彼女には彼女なりのプライドもあるだろう。
そのプライドを傷つけたりはしないだろうかと戸惑う。しかし、ここで話さなければ次のきっかけはいつ来るのか解らない。
「数日前から来ている」
「!」
「なんの事は無い。幼い頃に抱きしめられた記憶に、体が無意識にそれを求めただけだ」
「うそ……」
それって幼児後退じゃない……ノインは愕然とした。自分の中に、そんなモノがあった事に身を震わせる。
そして、静かに見下ろしてくるベリルの瞳を見つめた。暗闇の中でもその輝きを失わないエメラルドは、ノインの心にゆっくりと舞い降りるように広がる。
ベリルになら、甘えられるかもしれない──両親のコトを、まったく覚えてない訳じゃない。暖かな腕を、少しだけ覚えてる。
それは、ベリルの腕と同じだった。体はそれを感じ取り、ノインを無意識にベリルの元に向かわせていたのだろう。
そう納得するより先に、ベリルに抱きついていた──暖かな感触と、落ち着いた心臓の音が耳に響く。
「不老不死なのに、心臓は同じなんだ」
「失礼な」
呆れて発したベリルにクスッと笑い、ノインは目を閉じて胸の鼓動に集中する。
命がすぐ側にある。不死の体なのに、ノインはそう感じた。
やっぱりベリルは、カレンを殺した奴じゃない──そう思ってはいても、どこかでベリルを疑っていた。
今それが、確信へと変わる。
それと同時に、自分を陥れた相手への憎しみも脹らんで行く。
「!」
ベリルの腕に力がこもり、彼の顔を見上げた。彼はゆっくりと首を横に振る。
「──っ」
何かを言いかけたノインの額に、小さなキスを降ろす。
「もう寝なさい」
ベリルの腕の中で、深い眠りについた──





