2-04
しつこく何度も引き留めてくる神官を振り切って、俺とエスカは神殿から退出した。
外は夕焼けで、村全体がオレンジ色の光を浴びて輝いている。
通りに人影はなかった。外灯などはなく、かがり火をたく様子もない。夜の帷が島を包み込むのと時同じくして、村は静かに眠りにつく。
静かといえば、エスカが不気味なほどにおとなしい。
ゲーム機を持っていないにも関わらず、顔を伏せたまま俺の隣を無言でついてくる。神官の話をきっかけにして、嫌な記憶でも蘇らせでもしたのだろうか。
「なぁ、落ち込んでいてもいいことないぞ?」
「はい? 突然なに訳のわからないことを言ってるんですか?」
気を遣って声を掛けてみれば、返ってきたのは普段とまったく変わらぬ冷淡な表情と言葉だった。
「私はひとりで落ち着いて考え事もできないのですか? 今、私のイケメンさんは資産か経験値かの重大な決断を迫られているのです」
うん、大暴投だった。他人の、ましてや女の子の考えていることなんて俺に判るはずがないのである。黙っていればよかったと、後悔後の祭りだ。
「悪かったよ、死んだ時のことを思い出して沈んでるのかな、なんてさ、勝手に考えちゃったんだよ」
「それはなんと言いますか、余計なお世話? そもそも愉快でもないこと確実な記憶をわざわざ掘り起こそうなんて奇特な人はいないと思いますが」
言っていることは理解できる。しかし、記憶の選別なんて器用な真似が自分の意思で可能なのか。もしそうなら是非とも伝授してほしいスキルだった。俺は闇に葬りたい黒歴史を指で数えてみたりもする。
「まあ、あさっての見当違いではありましたが、その、あれです、気を遣ってもらったことについては、素直にあ、あ……」
やべぇ、両手の指でも足りない。我が人生は黒歴史の連鎖なのか。
「あ、わりぃ、聞こえなかった」
エスカがフゥと溜め息を吐き、やれやれと肩を竦めながら首を横に振る。
見た目年下の少女にされて腹の立つ仕草トップ3に今ランクイン確定した。
「頭だけでなく耳まで悪くなりましたか。老化ですか? 可哀相に、私の治癒でも治せませんよ」
「倉庫の中身を売るの、禁止、これ絶対だ」
「なっ、横暴です、人非人です、少しぐらいなら感謝してもいいかななんて愚かなことを考えた十秒前の自分を猛烈に後悔しています!」
「お前の言葉のどこに感謝があったよ! だいたいあれは俺がエロフのために集めた素材と装備だ」
「ひどいです、あんまりです、今の私の心を表すとショートカットキーの4番です」
「なに登録してたっけ?」
「おー・あーる・ぜっと」
「…………」
なんてイヤな異文化コミュニケーションなんだ。
俺とエスカは二人揃って肩を落とし、トボトボとレクサーの店に向かうのだった。
村で唯一の店であるそこは相変わらず薄暗く、そして暇そうだった。
マサルは奥の丸テーブルの椅子に座り、その横に腕組みしたレクサーが立っていた。
「よっ、帰ってきたな。すぐに飯を用意するから座って待ってな」
豪快な筋肉親父は店中に響き渡る声でそう言うと、厨房のある奥へと姿を消した。
入れ替わるようにして、俺はマサルの正面の椅子に腰を下ろす。背もたれのある木組みのもので、体重を掛けるとキシリと乾いた音がした。
実体のない幽霊のくせに、エスカも椅子に座ると早速インベントリからゲーム機を引っ張り出してプレイを再開する。
「売るなよ?」
「……やったもの勝ちです」
「二度と貸さないぞ」
「貸すという行為はその人のもとにあってこそ成立します。私が返さなければトッシーのその脅しも無意味なのです」
小さな笑い声が聞こえた。俺達の会話を面白そうに眺めていたマサルの声だ。
「なんだよ」
「なに、随分と暗い顔して店に入ってきたからな、いつも通りで安心したぜ」
あの会話が日常だなんて、あまりにも不毛過ぎる。
「こいつの死んだ理由みたいのを聞いちゃってな、本人は全然憶えてないけど」
マサルが眉を顰める。
「五百年前にあの神殿で魔王っぽいのを召喚する事件があったらしい。その時の、な」
頷くのを見て、俺は最後までは口にしなかった。本人がすぐ横にいるのだ。直接的な単語での表現は避けたかった。
「そっか」
背もたれに寄りかかったのか、マサルの方から今にも壊れそうな椅子の悲鳴が上がる。
「忘れて正解だ、碌な記憶じゃねぇ」
うんうんと首を縦に振っておく。
「で、そのっぽいものはどうしたんだ?」
「退治はされたらしい。とりあえずは安心だろ」
それにしても、異世界勇者召喚もののストーリーそのままな気がしないでもない。
「魔王っぽいものが現れたから異世界の勇者を召喚しましょ、ってか」
「ちょいと誤差があったわけだ、呼んでから出てくるまで五百年ほど」
待っている間に呼び出した本人は骨となり、っぽいものは無事に退治されました、めでたしめでたし……笑い話だな。
邪険に扱っているが、俺は本心ではエスカに感謝しているのだ。本人には口が裂けても言わないが。彼女がいなければ、俺とマサルは未だにあの石室の中で途方に暮れていたに違いない。転送の陣を発見できたとしても、マナを注いで発動させるなんて真似は不可能だった。
白骨にならなかった代償としてゲーム機一つなら安いものだ。
「待たせたな。余分に獲ってもらったからな、お代わりはタダだ」
レクサーが料理を運んできた。
テーブルに置かれた木皿の中身は肉がゴロゴロと入ったスープである。
一旦奥に戻り、今度はパン入りの籠を持ってくる。
そして空いていた椅子にドカリと座り込み、持参したアルコール臭漂う器に唇をつける。どうやら暇つぶしの相手をさせられるようだ。
俺は皿に入っていた匙を取り上げながら、その期待に応えてやる。
「この島の美味しい狩り場を知ってたら教えてほしいんだけど」
う~む、とレクサーは胸の前で腕を組んで考え込む。
「トシよ、その言い方は判りづらいんじゃねぇのか?」
マサルの忠告に、先に応えたのはレクサーだ。
「いや、俺も冒険者だったからな、判るぜ、金とマナをガッポリ、だろ」
酒を一口啜ってから、言葉を続ける。
「この時期は本当なら赤目熊なんだろうがな、今年はやけに数が少なくてな……あ、そうか、オエド爺さんが言ってたな」
天敵の熊が少ないために、今年は大蜘蛛が大量発生しているらしい。毒消し薬の原料やスパイダーシルクになる糸袋が回収できるので、それなりの数を狩ればそこそこの実入りになる。
問題は……。
「大蜘蛛って、どれぐらいの大きさ?」
「たいしたことねぇぞ、だいたい俺と同じくらいだな」
「たいしたことあるだろ、それは」
「でけぇな……」
「はっはは、内地の蜘蛛の谷にいるやつと比べりゃ、この島の蜘蛛なんて赤子みたいなもんだ。見たら驚くぜ、なにしろこの店ぐらいのが群れになって歩いてる」
うわぁ、すげぇ見たくない。何を喰ったらそこまで大きくなれるのか、いや、その大きさで生きていける餌があること事態が驚きだ。まさしくワンダーランド異世界!
黙り込んだ俺とマサルをよそに、レクサーは仲間達とその大蜘蛛からいかに逃げ出したかの冒険譚を、酒を呷りながら得意げに披露する。
戦ってから自慢しろよ、と茶々をいれないのは、俺なら絶対に見える距離まで近づかない自信があったからである。
「そうだ、ちょっと待ってな」
言い残してレクサーが奥に引っ込む。
俺達が皿の中身を片付け終わった頃に、一本の長柄斧を携えて戻ってきた。
「使い古しで悪いんだがな、よかったらこれを持っていきな」
「いいのか?」
マサルが立ち上がって応える。言葉は疑問形でも、両手は既に柄を握っていた。
「本当は息子にやるつもりだったんだがよ、生まれたのが娘でな、おまけにあたしは魔術師になるなんて、シルビア、パパは悲しいぞぉ」
酔ってる、よな?
「それにだ、内地に行くのは許せる。何もない島だからな、でもなんでアトランとこのガキと一緒なんだよ、それだけは認められねぇ!」
「まあまあ、幼馴染みとなんてよくある話だろ」
と俺は慰める。
「だな、よくある話だな」
と相槌をうつマサルの方は見ないようにする。間違いなくニヤけているはずだ。
「長い月日を共に過ごしてきた幼馴染み、その二人の間に芽生える愛は、そうまるで兄と弟の禁断の……」
「なんで兄と弟なんだよ、ってか、今まで黙ってたんなら最後まで黙ってろよ」
「間違えました、幼馴染みが二人きりで苦楽をともにする冒険の旅路、結末は見えていると、そう言おうとしただけです」
エスカの淡々と言い切る姿に、レクサーは短く「なんだと」と呻いた。
「帰ってきたら赤ん坊を抱いてるな」
「オレは男だと思うぜ」
「じゃ俺は女の子」
「えっ? 寝取られて自棄になって強敵に単身挑み、骨になって島に帰ってくるという展開ではないのですか?」
「シルビアぁ~!」
酔っ払いの親父をからかうのは楽しい。
と、俺達のテーブルに果実を載せた籠がポンと置かれた。
「なに騒いでるのさ」
「お、マーサ」
金髪の中年女性が横に立っていた。なかなかのダイナマイト・ボディに、昔は相当の美人だったんだろうなという、レクサーにはもったいない奥方だ。
「アトランさんとこのミリアは可愛いドワーフの女の子だよ」
エスカがボソッと呟くのを俺は聞き逃さなかった。
「あり、です」
そしてもう一人、それを聞きつけて目を光らせる者がいた。
「本当にそう思うかい?」
「はい、この場合、種族の違いによるお二人の身長差が見る者の心を震わせる最大の要素だと思います」
「そうなんだよね、うちのシルビアなんて、上の方ばかり成長しちゃってね、そのくせ色気はどこに置き忘れたんだか」
「いえ、神殿でもそういう方のほうが下の者からお姉さまと……」
さて、女同士の会話に男が首を突っ込むのは野暮というものである。男は男同士で、蜘蛛の攻略方法なんかを話し合ってみるとしよう。レクサーに会話ができる程度の正気が残っていればいいのだが……。