2-03
何の資格も持たない素人が手っ取り早く使える飛び道具はクロスボウだろうと、去年の俺は軽い気持ちで考えた。金額的にも以前に購入した鉈の半分で済むから、ちょっとバイトを頑張れば簡単に手が届く。狩猟に使ってはいけませんと通販サイトに但し書きがあったが、なんとかなるだろうと甘くみた。
なんともならなかった。見咎められた場合百パーセント言い逃れができないと賢治さんにダメ出しされ、代わりに勧められたのがスリングショットだった。
紹介画像によればアルミ缶に孔あけてるし、凶悪さは変わらないのではと思ったが、見た目のインパクトが違うので目こぼししてもらえる可能性が高いらしい。ただし、弾となる鉄球は絶対に見つかるなと念押しされた。
それでいいのか警察官?
そんなわけで、去年のキャンプに初めて飛び道具を持ち込んだのだが、結果は惨憺たるものだった。百発用意した弾のほんの数発がなんとか掠った程度で、相手の怒りを買うだけだった。罵声とともに投げ捨て、その辺で拾った木切れで走り回る猪をマサルと二人で撲殺したのはいい思い出だ。
しかし、今年は違う。俺は特訓した。自室で何度もシャドーシューティングをしたし、夜の公園で実射の感触を確かめた。弾き飛ばす空き缶の甲高い金属音に隣接する住人に何度“うるせぇ!”と怒鳴られたことか。
その苦労の成果が今目の前にある。
三匹のケルティル。二十数発の消費でこれだけ仕留めたのだから、随分と進歩したものである。
ケルティルは狐に似た小型動物で、大変にすばしこい。村に近い場所なのに意外と大量に生息していた。人間の攻撃可能範囲を理解しているのか、ある一定の距離まではのんびりとこちらを観察しているが、危険域に入るやいなや、尻尾を振ってさっさと去って行く。
物は試しと、丸太を削って作った棍棒でマサルが特攻したが、まるで一万年前の人類を見ているようで思い切り笑わせてもらった。
攻撃がまるで当たらない。それどころか、馬鹿にされて周りをグルグルと回られる始末だ。腹を立てて棍棒を投げつけていたが、見事に躱されていた。
「笑うんじゃねぇよ、トシもやってみろ!」
190cmの大男が頬を膨らませながら拗ねても可愛くない。
「接近戦は無理だろ?」
人の運動能力で捉えるのは至難の業だろう。レクサーに後で聞いたところ、ケルティルは利口で罠にも掛からないため、弓で仕留めるのが主流らしい。ただ、弓を持った人間を見つけると即座に逃げ出すので、いかに射程距離まで近づくかが問題とか。
簡単に引き受けてしまったが、思いのほか難易度の高いクエストだった。
スリングショットで使用する弾は直径9.5mmのスティール球だ。けちって小石を流用しても、命中率は落ちるしゴムを痛めるでいいことはない。
弓じゃないので安心しているのか、ケルティルは十メートルぐらいまでは簡単に接近させてくれる。警戒はしているらしく、頭上の耳がヒクヒクとしているのが見て取れた。
葉に触れただけで軌道が逸れるため、クリアな射線を見つけて立ち位置を決定する。
目標を定めたら、左肩を向けるようにして立つ。スリングショットを握った左手を持ち上げるが、この時、肘は真っ直ぐに、そして身体の軸と腕が垂直になるよう留意する。左肩に顎がつくまで首を捻り、獲物を利き目である右目でしっかりと捕捉する。この視線とショットの射線軸を平行にすることが大事だ。慣れてくれば姿勢に関係なく当てることもできるのだろうが、俺はまだそこまでの域に到達していなかった。
撃ち上げ、撃ち下ろしの角度調整は腰で行い、微調整は右の弾き手だ。
おかしな動作をする人間に、ケルティルは不思議そうにつぶらな瞳を向けてくる。
悪いな、俺達も生きていかなきゃならないのさ。
鼻で大きく息を吸いながら、弾を挟んだ革帯を右手で引く。
顎の下まで引ききり、口からゆっくりと空気を吐く。
左腕の震えが止まる一瞬を狙って、リリース。
ゴムが鳴り、銀色の球を弾き出す。
距離が近いからか、ほぼ一直線で飛んでいくのが見えた。
「キャン!」
耳の下あたりから短い毛が飛び散った。
真上に跳ねたケルティルは着地と同時に駆け出そうとしたが、カクンとその場に崩れ落ちた。
なんとか立ち上がろうともがくケルティルに、棍棒を振りかざしたマサルが急迫する。
撲殺!
成仏してくれよ。
マナを俺達に明け渡し今夜の糧となったケルティルのために、信者じゃないが軽く胸の前で十字を切って冥福を祈るのだ。
獲物を持ったマサルを連れて、エスカの待つ場所へと引き返す。
荷物はレクサーの店の部屋に置いてきているので、今の彼女は身軽な格好だ。太陽を背中にして立ち、相変わらず携帯ゲーム機の虜になっている。太陽を背にしているのは、ソーラー充電器を背負っているからである。
一応見張り番の役目にはなっていたようだ。エスカの足下の三匹の上に今獲ってきたやつを重ねて、これで四匹目だ。
「遅いです、待ちました、待たされました、それはもう随分と」
ふと、エスカは顔を上げて睨みつけてきた。
「トッシーに訊きたいことがあります」
どうせゲームのことだろ、と考えた俺は正しかった。
「砂浜にいる大きな蛇女が倒せません、悔しいです、私のイケメンさんをこれ以上無駄死にさせないでください」
「いや、それレイドボスだから」
通常はパーティーを組んで討伐する敵だからと、画面を覗き込みながら教えてやる。
ソロで挑むのであれば、マイナス補正覚悟でオーバーグレードの装備で固め持久戦で削りきる。もしドロップを諦めていいのであれば、ペナルティーの発生する上限ぎりぎりまでレベルアップしてから挑戦するのも手だ。
「判りました。つまり今の装備ではダメだということですね。そうなると倉庫にある……」
ブツブツ呟きながら自分の世界に引きこもる幽霊少女。
齢五百年強のくせしてゲームにはまるなと俺は声を大にして訴えたい。
待て、今不穏な言葉を口にしなかったか?
そして、俺は気がついてしまった。
「おい、なんでコイツはこんなにいい防具を装備してるんだ?」
チュートリアルを終えただけの初期装備だったはずだ。なのに、現在身に着けているものは、狩りのドロップだけでは絶対に手に入れることのできないものだった。
「インベントリにあった邪魔なものを売って金策しただけです」
「……倉庫キャラだって言ったよな?」
「足りなかったので、耳長牛乳女の装備を剥いで足しにしました」
「なんてことしてくれるんだ! ザコ狩りにも行けないじゃないか!」
絶望に嘆く俺を優しく慰めてくれるのは、相棒のマサルだけだった。
「アカハックに遭ったと思えば諦めもつくだろ」
つくわけがない。目の前に実行犯がいるのである。
「くそ、こうなったらマサル、お前のPSβをよこせ、お前の装備も全部売ってやる」
「バカ野郎、ンなことしてみろ、お前のハードディスクの中身を清助にバラすぞ」
「もうとっくにバレてるから痛くも痒くもない!」
「トッシー、うるさいです」
「お前が言うな!」
最初にきちんと説明しなかった自分のミスだ。自業自得、と責められても仕方がない。そう無理矢理自身を納得させ、肩で息をしながら、なんとか胸の内側で煮えたぎる怒りを静めようと試みる。
「そういえば、お二人に伝えておきたいことがありました」
エスカが真顔で言う。
オーケー、大丈夫だ。今の俺なら何を言われても笑って聞き流そう。
「私、殴り巫女を目指します」
彼女のイケメンは殴り神官だった。
「わかった、ステータス見せてみろ」
「はい」
俺達の言葉をすぐに理解してくれるようになったのは、エスカがゲームをやることで得られた唯一の利点かもしれない。
エスカナーラAge:536
●○○○○ - 018
Str:01
Dex:12
Con:03
Int:99
Men:99
俺とマサルは視線を合わせて深い溜め息を吐いた。
年齢は見なかったことにしてやるのが情けだろう。
なにげにレベルが高いのに腹が立つ。
しかし……。
「いくらネタでもこれはダメだろ」
「前で殴り合うなんて無謀だぜ」
俺達の容赦なさに、エスカはガーンと擬音が響きそうな表情を浮かべるのだ。
「だめですか」
「ダメだな」
「駄目だ」
ゲーム風に言うなら、攻撃力に筋力の補正が乗らないのが致命的だ。武器の質量に遠心力の乗算だけということになる。漫画じゃあるまいし、一トンハンマーなんて代物を作る鍛冶屋はいやしない。
それに、ザコMOBに一撫でされただけて掻き消えてしまう体力値も問題だ。死んでも復活できるとは限らない。試してみて成仏されたら後味が悪すぎる。
「自分にあった役割を堅実にこなすのが一番だな」
「背伸びはよくねぇぜ」
動機が不純なのだから、すっぱりと希望を断ち切ってやるのが真の優しさだろう。
ついでに、現状で何ができるのか、習得している技能も教えてもらう。
○技能付与
○加護付与
○初級治癒
この世界では、スキルは封技石に保存されたものを対象人物の魂に刻みつけることによって習得する。封技石はCDやDVDで、スキルはプログラムといったところか。そしてPC本体のメモリーに該当するのがその者の魂だ。レベルを上げて位階を進めることで魂の容量を増やし、読み込めるスキルの数やサイズを大きくさせる。スキルの付与はできても削除は不可能なので、覚えるスキルの選択は慎重を期する必要がある。グレードの高いスキルばかり選んでいれば数は少なくなるし、数を優先して覚えていくと将来的に威力の高いスキルを容量不足で諦めることになりかねない。
俺とマサルの場合はレベルが低いのでスキル習得は当分先だ。焦らず、将来を見据えてどんな種類があるかを調べてから検討すればいい。
エスカの治癒スキルは俺達にとっては朗報だった。
腐っても巫女なのだと感心した。
「後衛で決定だな」
「ああ、決まりだ」
「そ、そんな……」
しょんぼり肩を落としたエスカは放置して、俺はマサルと手分けして獲ったケルティルを持ち、レクサーの店へ戻ることにした。
ゲーム機をカチャカチャさせる音もちゃんと後ろからついてくる。
レクサーは相変わらず暇そうに一人で店番をしていた。
「一匹がせいぜい、下手すりゃ手ぶらで泣きついてくるかと思ったが、結構やるじゃねぇか」
「試すような真似するなよ、意地が悪いな」
「はっはは、詫びに今夜は肉を出してやるよ」
豪快に笑い飛ばすレクサーに反省の色はなかった。もっとも、親切にしてもらっているのは俺達だから文句などありはしない。四匹のケルティルをそのまま引き渡した。
「マサル、これからどうする?」
外はまだ明るい。
「俺はちょっと神官のとこいって話を聞いてこようと思ってるけど」
「オレか? そっちにいっても面白くなさそうだしな、オレは店にいる」
レクサーと筋肉談義だろうか。
「わかった、じゃ、行ってくる」
「ああ」
マサルを置いて店を出る。
と、残ると思っていたエスカが俺の後ろに立っていた。
彼女に向かって、掌を上にして右手を差し出した。
「それはあまり人に見られたくないんだ。ついてくるなら仕舞うぞ」
「仕方ありませんね。私はトッシーと違って常識を知っている少女ですから、愚痴を言ったりはしませんよ」
エスカは答えながら、俺の出した手は無視して自分のインベントリにゲーム機と充電器を収納した。
借りパクする気まんまんかよ……。
のんびりと村の中を歩きながら神殿を探す。
簡単に見つかった。他の建物が二階建てだったのに、そこだけが階一つ分高く、白い石で作られていて、すべての窓には色付きのガラスが填まっていた。尖った屋根に十字架が乗っていたら教会と勘違いしそうな趣きだ。
正面の玄関から中へとお邪魔する。
回れ右したくなった。
「男かよ」
それも白髪の爺だ。
「アーカムナールさまの神殿ですよ。男性の神官に決まっています」
「いや、ここはホワホワのおっとり系天然シスター、オプションで爆乳と眼鏡付き……」
「なにを考えて生きているんですか?」
「帰りたくなった」
「そのほうがいいかもしれません」
しかし、引き返すよりも早く、奥にいた神官が声を掛けてきた。
「ネクロマンサーの旅人よ、この神の館にいったいどんなご用かな?」
ちっ
「今、舌打ちしましたね」
「心情の素直な発露だよ」
仕方なく、神官の方へと足を進めた。
「こんなのが憑いてるけど、別にネクロマンサーの技能持ちってわけじゃないんだ」
「技能など重要ではない、ネクロマンサーとはその者の生来の素質を示しているのだよ」
霊感が強くて心霊現象や幽霊にあいやすい、という素質なのだろうか。そんな素質は全力で辞退したかった。
「ほぉ、その衣装はイツァムナーラ神殿の巫女のものとお見受けしたが」
「本人はそう主張してるけどね」
「トッシー、聞こえてますよ」
「素晴らしいことだ、その若さで女神の祝福を傍におけるとは」
「そんな大層なもんじゃないな」
「聞きましたか、判る人が見れば私の徳の高さが理解できるのです」
「謙遜する必要はない、それこそが君の資質なのだよ、羨ましいかぎりだ」
「よかったら、やるよ?」
「おお、そうかね、それでは遠慮なく」
「えっ!?」
「はい!?」
俺は思わず一歩退いた。
エスカは三歩分宙を滑って、俺の背中に身を隠した。
「ご、誤解しないでくれたまえ、い、今のはその場を和ます、そう冗談というやつだ」
「いや、じいさん、本気だったろ」
「私の勘が告げています、ここは危険です、トッシー、早く出ましょう」
神官のこめかみに冷や汗が一筋流れるのを見た。
重苦しい沈黙がしばし神殿内を支配した。
「ほ、本題にはいろうではないか、若者よ」
「そ、そだな、気にしたら負けだよな」
俺はなんとか気を取り直すと、ナラブの森の中にある神殿跡の由来を尋ねることにした。
「なるほど、巫女殿を連れている以上、気に掛けるのも当然といえよう」
コホンと咳払いをひとつして、神官はもったいぶった口調で話し出した。
「村に文献が残っていないのでな、伝聞と憶測混じりなのは許してほしい。五百年ほど前までは内地に建立された他の神殿と同様、美しい巫女達が女神イツァムナーラを奉る清廉と純白の場だったと聞いておる。それがいつの頃か、邪神シャラヌーン復活を目論む異教徒どもが紛れるようになったらしい。異端の者どもが望んだのはシャラヌーンを魔物どもの主として受肉させ、神話時代の過ちを再度繰り返すこと、現界を恐怖と混乱に陥れることであった。そして女神イツァムナーラが夜天からお隠れになる晩、当時の筆頭巫女であった……」
「リシュナーラさま?」
「そう、確かそんな名であった、彼女と幾人の巫女を贄として復活の儀を執り行った」
「そ、そんな……」
「儀は半ば成功したらしい。幸い、事前に情報が祭祀殿に洩れていたようで、派遣された兵どもが討伐したとされておる。一説にはエルフの祭司が復活を預言したとも、ダークエルフが異端者を手引きしたとも言われておるがな」
「えっと、無事解決したんだよな?」
「祭祀殿の見解ではそうなっとる。しかし、考えてみるとよい、たかだか数十人の兵だけで、いかに受肉に失敗したとはいえ半神の存在を無に返すのは不可能。せいぜい封印した、であろう」
嫌な話を聞いてしまった。
チラリとエスカの様子を窺う。
目を伏せ、小さく身体を震わせていた。
彼女も理解したのだろう。
エスカもまた、儀式の生け贄にされた巫女の一人だったのだ。
俺が初めてあの石室を見た時、邪教集団の黒ミサ会場だと冗談半分で口にしたが、それは事実だったらしい。
厄介事に巻き込まれなければいいのだが。
さしあたって、今夜寝る前に女神様にお祈りしようと心に決めた。
06.14 誤記修正