2-02
地球から来た俺にしてみれば、世界が一つの宗教観でまとまっているという事実は、とても驚くぺきことであり、またとても怖いことなのだと感じてしまう。
言うなれば、異端の完全なる排除、だ。神に疑問を抱いた時点で、全世界が敵に回るのだ。ただ一つの見解のみ許される思想、価値観の統一は、社会の安定であると同時に停滞でもあった。
そもそも宗教という概念そのものが不要なのだろう。なぜなら、神の在り方、すなわちそれが世界の在り方でもあるのだから。
形あるもののない、混沌と無とが同居した世界バラムカーンに、最初に誕生したのは男神アーカムナールと女神イツァムナーラの二人だった。
二人は何もない場所に丸い星を浮かべ、海と大地を創造した。
二人の間に生まれた子ら、フェイカールには空を、カミルエーンには地を、シャラヌーンには冥を与えると、アーカムナールは太陽となって宇宙を照らし、イツァムナーラは海の底で身を休めることとなった。
フェイカールは翼ある眷属たちを空に放ち、カミルエーンは様々な動植物で地を満たし、シャラヌーンは恐ろしい魔物たちを従える。そして眠るイツァムナーラの身体から漏れ出るマナによって海は生命の源になった。
平和な時代は続かない。父アーカムナールの光を求めて、シャラヌーンは僕を引き連れて冥から侵攻する。
争いは長く続いた。無慈悲なシャラヌーンの僕たちはカミルエーンの豊穣の地を蹂躙し、フェイカールの眷属たちを空から引きずり下ろす。恐怖と混乱に世界は呑み込まれ、空には火花が走り、地は裂けた。
海の水が煮えたぎり、白い蒸気が世界を覆い尽くした時、イツァムナーラは目を覚ました。怒り悲しんだイツァムナーラは大雨と津波で世界を洗い流すと、シャラヌーンを永氷の檻にとらえて罰とした。そして二人の人を造って地に下ろし復興を託すが、この二人がヒューマンの始祖になるヤシュとキニチである。
最後に、己の左目を取り出して夜空に浮かべ世界の監視役とすると、再び海の底へと身を沈めるのだった。
これがこの世界の創世記。
身も蓋もない言い方をすれば、末っ子の妹が贔屓反対と癇癪を起こして兄姉に喧嘩をふっかけたら、昼寝から目覚めた母親に折檻された。
人の世界も神様の世界も、親子喧嘩兄弟喧嘩おまけに痴話喧嘩は日常茶飯事というわけだ。
「神様が痴話喧嘩……」
「俺達の世界の神話なんて、そんなのばっかりだったぞ」
あの神様は浮気ばかりしていたな、とマサルが相づちをうつ。
「そ、それです、私はそんな神様は知りません、俺達の世界っていったい何ですか?」
「あれ、言ってなかったか?」
形のない概念を理解させるには相手の知識量が重要になる。今回の場合は事前に創世記を聞いていたから、判りやすい例えをしてみることにした。
床石の上に溜まった砂に、指先で丸を一つ描く。
「神様が宇宙に星を造って、太陽になっただろ」
「アーカムナールさまです」
「そのアーさんの光が届かないずっと離れた場所に」
最初の丸から距離をあけてもう一つの丸。
「別の神様が地球という星を造った」
本来なら独立した二つの世界は相互不干渉で知り合えるはずもなかった。ところが、何者かがこの二つの世界を繋ぐ仕掛けを作って発動させたせいで、俺とマサルはこのバラムカーンに紛れ込んでしまった。
「で、さっき拾った封陣石が怪しいと俺達は睨んでいる。これをもう一度発動させることが出来れば、再び門が開かれるってな」
「それで大量のマナ、封魂石なんですね」
誰が、何のために、という疑問は残るが、俺達にしてみれば日本に還る手段を手に入れるのが最優先なのだ。他は割りとどうでもよかったりする。
「位階を二まで上げれば封魂石は使用可能になりますが」
空の状態から最高位階までマナを貯めるのは相当大変ですよ、とエスカには念を押されたが、やるしかないだろうと笑っておく。
「トッシーが裏山のオーガ並に無知だったのは、異世界から来たからなのですね」
「なんとも肯定しづらい台詞だな、おい」
「そうすると、この大きな鞄とかその服とかも?」
「ああ、俺達の世界のものだ」
「そうでしたか。私が幽霊している間に世間の流行から取り残されてしまったのかと心配してしまいました」
「いや完全に時代から取り残されているだろ」
エスカが着ているのはワンピース、というよりは貫頭衣と言ったほうが適切な、質素な袖無しの服だった。幅広のベルトでウエスト部を絞り込んでいるが、全体的に地味である。これのどこに流行があるのか、男の俺には甚だ疑問だ。
「情欲にまみれた眼差しを向けないでください」
「触われるようになってから出直してこい」
マサルに助けを求めても今はダメだろう。先ほどから少し離れた場所で腕立てやら腹筋を無言で繰り返しているのだ。これをしないと眠れないらしい。なんとも難儀な男だ。
荷物の整理をしようとバックパックを引き寄せる。
エスカからインベントリの使い方を教わったので、こちらの世界では不要なモノ、もしくは壊したくないモノを移動させておこうと思ったのだ。
加護の倉と呼ばれるインベントリはイツァムナーラの加護を受けることで誰もが使用できる仮想の倉庫だ。収納できる個数に制限はないが、当人の位階によって持てる総重量が変化する。もっとも結局は人一人が運べる重さを大きく超えることはないので、大抵は貴重品を仕舞うぐらいにしか使われていないらしい。
まずは財布、そして携帯電話で、それから……。
「これはなんですか?」
「ん、PSβだな」
「これはなんですか?」
「だからPSβだよ」
「これはなんですか?」
「わかったよ、教えればいいんだろ!」
キャンプ地の夜は死ぬほど暇なのだ。そのための携帯ゲーム機だったが、鮮やかな配色の外装のせいか目をつけられてしまった。
電源スイッチをオンにして、メモリー内のゲームを起動させる。
「はぁ」
3DのRPGだ。
「綺麗な絵ですね……動きました、トッシー、動いてます!」
MMOのクライアントになっているもので、ネットに繋げばフルのサービスが受けられ、オフラインだとソロでのレベリングが出来るというものだ。
「ここに出てくる人を操って……」
「こちらの方で」
「いや、このイケメンは倉庫用のネタキャラだから、こっちの……」
「耳長牛乳女はヒューマンの敵です。こちらの金髪のイケメンさんを」
五分ほど時間をかけて操作方法を教えてやる。
ドロップのしょぼい、単調な狩りを続けるだけだからすぐに飽きるだろう。
そう考えた俺は甘かった。
シクシクシク
…………
シクシクシク
…………
シクシクシク
…………
「うわぁっ!」
真夜中だ。
なんて悪い目覚めだ。最悪だ。心臓がバクバクで破裂しそうだ。
汗で気持ち悪くなった顔を、シャツの袖口で拭う。
なんなんだよいったい……。
「シクシクシク」
「お前か、お前だな! 人の枕元でなにやってんだよ!」
「私のイケメンさんが動かなくなってしまいました」
「……まだやってたのか」
「イケメンさんが動きません、真っ黒です」
「バッテリー切れだろ、まったく何時だと」
「動きません、真っ黒です」
「……判ったから、こっちに貸せ、交換してやるよ」
泣きたくなってきた。
「ふあぁ~」
どうせ目撃する人間なんていやしない。口元を手で隠す必要もなく、俺は喉の奥を青空に晒して欠伸する。
中途半端な時間に起きてしまったため、なかなか寝付けず、明け方までウトウトと微睡みを繰り返すだけだった。寝不足だ。
高カロリービスケットと水だけの味気ない朝食の後、この島で唯一の村に向けて出発したのだが、昨夜の食事も同じメニューなのだ、空腹感がひどく、身体がだるい。
徒歩でも午前中に着く距離だと聞いているが、果たして俺の気力と体力がもつかどうか。
たいして、隣を歩く幼馴染みは今日も元気いっぱいだ。長めの枝にウェアウルフの四肢を縛り付け、運びやすくして肩に担いでいる。
しかし、
「だから振り回すなよ、臭いんだよ」
バーベル代わりにして、歩きながらの筋トレはやめてほしい。
「仕方ねぇだろ、ジッとしてるとノミが跳んできそうなんだ」
俺がマサルから一歩距離をとったのは言うまでもない。
エスカは数歩分後方を静かに遅れずについてきている。
大きなバックパック二つを両肩から下げ、下を向いて黙々と携帯ゲーム機を操作するその姿からは、マサルの持つウェアウルフの死体とは別の意味での腐臭が漂ってくる。アキバに結構いそうだなというのは俺の偏見か。
折りたたみ式のソーラー充電器を拡げてバックパックの背面に固定し、そこから伸ばしたUSBケーブルで直接電源を確保しているから、バッテリー切れの心配はなかった。
ランタンなどで使用する充電池用だから、絶対に壊すなと念を押した。
ま、これが壊れたらお前のイケメンも死ぬぞ、と脅しておいたので、いざという時は身を挺して守ってくれるに違いない。
それにしても、パッドを叩くエスカの指先、俺よりも上手いんじゃないか?
森を抜け、小高い丘を登りきったあたりで周囲を見渡す。
背後のナラブの森の向こう側には、鋭角的なシルエットの山がそびえている。
左側は丘陵地帯で、右側のなだらかな坂の先には青い海が広がっていた。
丘の裾を回り込むようにして、未舗装の、踏み固めただけの道がある。片側は山の方へと通じ、反対側は海岸沿いの草原を突っ切るようにして伸びている。
小さな村が見えた。島に一つだけなのだから、あそこが目的地だろうと決めつける。
フンフンとウェアウルフを振り回すマサルと、カチャカチャとゲーム機を鳴らすエスカを後ろに従えて、俺は村を目指して歩き出す。
近づくにつれて畑が目立つようになってきた。緑やら赤色をした実がなっているが、断りもなく採って食べるのはまずいだろう。
のどかな風景だ。アコースティックギターの分散和音の楽曲が似合いそうだ。
村は高さ二メートルほどの石壁に全体を囲まれていた。道とぶつかる場所だけ塀は途切れている。門はない。脇に柵みたいなものが立て掛けられている。夜にはそれで開口部を塞ぐのだろう。
門の傍に武装した男が一人、暇そうに立ち尽くしていた。武装といっても、村人Aに木製の槍といった格好だ。村の男達が持ち回りで門番をしているようだ。
俺達が接近しても、男のやる気なさそうな態度に変化はない。警戒心の薄い平和な村だ。
「お、一頭丸々か。レクサーの店で売るんだろう? 明日あたりマーサの肉料理が食えるな」
判らない時はニコニコ笑っておく。これが日本人の処世術である。
やっぱり食べるんじゃないかと思いつつ、軽く手を振っておく。
「念のため、加護を見せてくれるかい? 一応、決まりでね」
多分あれのことだろう。イツァムナーラの加護を発動させて名前と年を表示させた。マサルもそれに習う。
「うん、大丈夫だ、そっちの君は……ゴースト!? なんだ、死霊使いだったのかい、おもしろいゴースト連れてるね」
こちらが説明しなくても勝手に納得してくれるので有りがたい。何のお咎めもなく、俺達は村の中へと足を進めた。
二階以上の高さの家はなかった。石の基礎の上に木の壁と屋根と、質素というか簡素な造りである。窓の数は少なく、その中でもガラスを使用しているのはほんの一部で、大半は木製の跳ね上げ式の板で開口部を塞いでいた。
歩く人々の服装もどことなく古臭さを感じた。男はシャツにズボン、女性は袖付きのワンピースで、素材は綿や麻っぽい。
チラチラ向けられる視線が少々痛かった。
レクサーの店を探す必要はなかった。村の中央を走る道沿いに店らしき看板は一つしかなく、そこにレクサーと書かれていたのだ。
扉を開けて薄暗い店内に入る。
雑貨屋と食堂が一緒くたになった造りをしていた。雑貨コーナーの壁際にカウンターがあり、壮年の筋肉質な男が立っていた。
「お、買い取りだな、こっち来い」
ガタイ通りのデカい声で迎えてくれた。チラリとマサルの持っている獲物を一瞥し、
「肉付きのウェアウルフか、そこの床に置いてくれ」
と言いながらカウンターを出る。
ただ、売り物を見たのはほんの一瞬で、それ以外はずっとマサルを見ているのは何故だろう。
「若いくせによく鍛えてるな」
「なに、おっさんこそいい身体してるじゃねぇか」
「世辞はよせ、現役退いてからはさっぱりだ」
「嘘つけ、今でも鍛えてるだろ、肉の付き方が実戦向きだ」
「ふっ、お前こそ、それだけ鍛えたヤツはウカルナにだっていやしねぇ」
なに、この暑苦しい男達? 結局は筋肉自慢かよ……。
「ああ、空気読めなくて悪いんだけど、俺、腹が減ってるんだ」
案の定、レクサーのおっさんに睨まれた。
「ネクロか、魔法に頼ってばかりだからそんなに貧弱なんだぞ、まずはそこのゴーストに持たせている荷物を自分で担ぐことから鍛錬を始めろ」
「いや、その話は別の機会に……」
勝手に話を進めていくのはこの村の人間の特徴なのだろうか。
ただ、人はいいらしい。
「飯ぐらい食わしてやるよ。おいマーサ、飯を二人前だ」
店の奥に向かって大声を上げると、向き直って言葉を続ける。
「パンと魚のスープだ。肉を食いたきゃ金を出せ」
「魚でいい」
頷き、レクサーは獲物の検分を始めた。かなり肉付きのいいウェアウルフで、毛皮に傷がないからそこそこの値がつくらしい。
提示された金額が妥当なのか、俺に判断はできない。交渉は放棄して言い値を受け取った。
銀貨と銅貨をそのままインベントリに放り込む。
と、レクサーの目が僅かに細められた。
「倉付きか、いい加護をもらってるな」
何と答えていいのか、思わず視線をエスカにやるが、こちらには全くの無関心でゲームに集中していた。
「まあな」
笑って誤魔化すのが一番だ。
「それより、どこか泊まれるとこはないかな?」
「無茶言うな、内地とは違うんだ、この島に宿屋なんて洒落たものはねぇぞ」
内地とは大陸のことだろう。道民と発想が同じだった。
村の神殿の裏側に共同井戸があり、外から来た者は大抵そこに天幕を張るらしい。
「ウチの二階の空き部屋でよければ一部屋貸してやるぜ。外行ってケルティルの二三匹でも狩ってくれりゃ、部屋代はタダにしてやる」
ケルティルとは、ここに来るまでにチラチラ見かけた狐みたいな獣のことだろう。あれぐらいなら、なんとかなりそうだ。
部屋を頼み、マサルを促して丸テーブルの席に着く。
レクサーはウェアウルフを縛った木を片手で持ち上げて店の奥へと入っていく。
戻ってくるのを待ってから、俺は声を掛けた。
「ナラブの森の中にある神殿跡で、何か知ってないかな?」
「なんだ、遺物狙いの冒険者だったのか? ありゃ、五百年前のものらしいからな。村の神殿にいる神官が知らなきゃ、他の誰も知らねぇぞ」
五百年!
思わずエスカを見た。
ゲームに熱中する、一見中学生にも見える幽霊少女。
ロリババァかよ!