1-03
暗闇だった。
自分の手元さえ見ることのできない、混じり気なしの本物の闇だ。
俺は死んだのだろうか。
わからない。
突き飛ばされた際に打ち付けた膝の痛みと、両肩に重くのし掛かるバックパックのショルダーベルトの圧迫感が、生と死の認識を曖昧にしていた。
三半規管が正常に働かない。掌と膝に触れる堅い平面が床なのか壁なのか、上下の感覚が喪失していた。
胸の内側で心臓がファンキーに踊り狂い、耳の奥では熱い血潮が轟々と血管をブチ破る勢いで逆巻いていた。
ダメだ。
あと五秒もすれば、俺は無様に悲鳴を迸らせているだろう。
そんな醜態を晒さなくてすんだのは……。
ドガッ
「ギャッ!」
いや、やっぱり尾を踏まれた猫みたいにみっともなく叫んでしまった。
視界がまったくないところに、尾てい骨が粉砕されるほどの衝撃を突然くらえば、誰だってそうなる。
「お、トシか、悪ぃな、前が見えなくてよ」
わざとじゃないのは認めよう。でも、このやるせない思いはなんだろう。
「ちょっと待って、動くなよ、そこから一歩も動くんじゃないぞ」
床面とおぼしき場所で胡座をかき、足の間にバックパックを下ろして抱え込む。
表面に手を這わせてファスナーを開く。中に手を入れると、準備時の記憶を頼りにタオルに包んでおいたLEDランタンを探し当てた。
「点けるぞ」
光量調整ノブをゆっくりと回し、徐々に暗闇を白い光で塗り潰していく。
Max にしてから頭上に掲げた。
と、マサルが横からそれを取り上げ、さらに高く差し上げた。
「ほぉ」
感心したような低い呟きが聞こえた。
一辺十メートルほどの、正方形に近い室内の中央部に、俺達は居た。
細部まで確認はできないが、ほぼ全体が石を積み上げて造られた、どこかの古代遺跡を思わせる空間だ。
左右の壁面の前には等間隔で列柱が立ち並び、正面には意味不明の彫像と祭壇ぽいもの、そして背後の壁には疑似アーチ状の門が形作られていた。
窓や扉といった開口部は見当たらない。
調度品の類いもなく、松明掛けや燭台といった照明になるようなものもない。
「驚いたなぁ、地下にこんな場所があるなんてよ」
マサルの言葉を、俺は首を横に振って訂正する。
「たぶん、そうじゃないぜ」
近辺に人工物がないからこそ、俺達はあの場所をキャンプ地に選んだのだ。
遺跡だとしても、昔の日本にこれだけの石室を作る力があったとは思えないし、湿気の多い立地を考慮すればとうに崩落しているはずである。
現代の建築技術なら余裕だろうが、不思議とこの空間からは近代建築の匂いがしない。むしろ、時の流れを感じる、みたいな?
「とりあえず、詳しく調べてみないとな」
「お、意外とノリ気じゃねぇか」
「ここまで連れてこられたんだ、開き直りもするさ」
もしかしたら明治維新後の邪教集団が密かに建設した祭祀場……いやいやなんだよ邪教集団って、と自分の妄想に突っ込みつつバックパックを背負い直す。
立ち上がり掛けた時、ふと丸い小石が目についた。直径5cm程度の、平っべったい円盤状の石だ。密度が高いのか、持ってみると意外に重量感がある。明るいところでよく観察しようと、とりあえずカーゴパンツのサイドポケットに入れておく。
そして、俺は見つけてしまった。
「マサル、これ見てみろよ」
「んっ?」
ランタンの明かりが近づき、床面を照らす。
ちょうど俺が座り込んでいた場所を中心にして、半径は1メートル前後の複数の同心円。その隙間を埋めるようにして奇妙な文様と幾何学模様。塗料で描いたのではなく、わざわざ床の石材に直接浮き彫りにされていた。
「これって……魔法陣、か?」
「やっぱ、そう見えるよな」
得意げなマサルの顔が急接近してきた。
「どうだ、やっぱ異界への扉ってやつだったろ?」
「待て、まだ邪教集団の黒ミサ会場って可能性もある」
「なんだよ、その邪教うんたらは」
この魔法陣が生きているようには思えなかった。発動中は眩しく輝く、というのがお約束だろう。しかし、俺達がここに来た直後、室内は真っ暗だった。
結論を出すのはまだ早い。
マサルを伴い、先ほどから気になっていた祭壇ぽいものへと足を運ぶ。
すぐに後悔した。
巨大な一枚岩から削りだしたと思える、ダブルサイズのベッドみたいな祭壇。
その上に鎮座する崩れ落ちた人骨が一体。
気が滅入って仕方ない。
「なんだかな、もう……」
ほとんどが粉状に朽ち果てているくせに、大腿骨と上顎付きの頭蓋だけがかろうじて原型を留めている。妙にリアルで、これが模造品だと疑う気も起こらない。
「墓、か?」
「どうだろうな、こんなオープンな墓、俺だったら落ち着いて寝てらんないな」
仮に今の状況が異世界召喚だとしても、この骨に実行は困難だろう。
もっと他に要因があるはずだ。
「しかし、よりによって骨かよ」
「骨ですね」
「こういう場合は美少女が三つ指ついていらっしゃいませが定番だろうに」
「そうなんですか?」
「様式美だな、異世界に美少女ははずせない」
「異世界がなにかは知りませんけど、リシュナーラ様は女神殿の宝石と言われたくらい綺麗でしたよ」
「でもこれ骨じゃん」
「やはり生きてないとダメなんですね」
「年喰った美少女も需要ないけどな」
ちょっとまて!?
マサルの持つランタンの光は右側で、ややトーン高めの声は左側から?
まず、右を向く。
うん、相変わらずの筋肉だ。
マサルのTSものじゃないことを確認したら、今度は左だ。
「はい?」
小作りな顔を少しだけ斜めに傾けて、ニッコリと微笑まれた。
肩にかかるぐらいの髪がサラサラ揺れている。
うん、可愛い。キラキラ光ってるよ。
「じゃなくて!」
「きゃっ、急に大きな声を出さないでください」
「どっから湧いてでた!?」
「えぇと、あっち?」
部屋の隅の方を指さしていたが、問題はそこじゃない。
小さい顔のくせして視線の高さが同じだし、キューティクルが自発光しているから変だとは思ったのだ。
この娘、浮いてるよ?
透けてるよ?
「お化けかよぉ、期待して損したぜぇ!」
魂の叫びが喉の奥から衝いて出た。
「お化け!? お化けってなんですか!」
「お前だろ! 骨の次は幽霊なんてどこの化け物屋敷だよ!」
「怒りました、ええ怒りましたよ。初対面の少女に対して化け物呼ばわりとは人としてあるまじき行為です、神経を疑います、謝罪と賠償を請求します、私だって好きでこんな姿になったんじゃありません、見かけで人を判断しないでください、差別よくないです、虐めだめです、リシュナーラさまに連れてこられて、気がついたらこんなだし、リシュナーラさまは骨だし、もうどうしていいのかわからないし、寝るしかなくて、やっとお客さんきて嬉しくて話しかけたら鬼畜外道の冷血漢で白い甲冑の勇者を夢見てた乙女の繊細な心を無残にも粉微塵にしてくれて…………」
なにこの娘、うぜぇ。
マサルを見る。
やれやれと肩を竦める仕草が、俺のささくれ立った心をさらに苛つかせた。
「知ってて会話してるんだと思ってたぜ」
「いや、その前に驚けよ。なんでそう平静なんだ」
「異世界なら幽霊もありなんじゃねぇか、ってな」
面倒だから考えることを放棄していたらしい。
「鬼畜さん、私の話を聞いてますか?」
「なんだその悪意ありまくりな呼び方は! 俺の名前は那津俊明だ、トシアキでもナツでも好きに呼んでくれ」
「これはご丁寧に、私はエスカナーラといいます、見ての通り、イツァムナーラ神殿の巫女見習いをしています……していました? 以後お見知りおきを、トッシー?」
「頭悪くて首が長そうな呼び方だな、おい」
「もしよければ、そちらのお方のお名前もぜひ」
「無視かよ、そうかよ」
「オレか、オレは小前田マサルだ。マサルでいいぜ」
「マサルさまですね、よろしくお願いします」
普通に喋っている分には結構可愛い子なのに。
「あ、あの、素敵な筋肉ですね、わかります、マサルさまが攻めですね」
薄い胸の前で両手を組み合わせ、うっとりとした眼差しを向けるエスカナーラは、いろいろと残念な娘だった。
「幽霊に絞め技は効くのか?」
「まあまあ」
こめかみをひくつかせるマサルの肩を叩いてなだめる。
こんなのでも彼女は貴重な存在だ。何も知らない俺達にとっては重要な情報源なのである。この際、相手の生死は問わないものとする。
「なあ、エスカ」
「気安く呼ばれることにいささか思うところもありますが、はい、なんでしょうか、トッシー」
「……ここはどこなんだ?」
「無知は罪ですよ?」
俺、キレてもいいよな?
「そうですね、神殿の秘事を一介の冒険者風情が知る由もないでしょうから、特別に今回だけ教えましょう」
「だったら最初から素直に答えろよ!」
「仮宮の間です」
「えっ?」
「仮宮の間です。夜天の守護者であるイツァムナーラさまが月に一度夜空からお隠れになる日、身を清めた巫女さまがここでお迎えするんです」
「ええと、そうじゃなくて、もっと広義的に、広く地域的な意味で、どこかなぁと」
「広くと言いますと、ロスイゴス島のナラブの森のイツァムナーラ神殿、ということでしょうか。そもそも、それすら知らずにここまで来れたのが不思議なんですが?」
「いや、俺達はちょっとした不幸な事故で……」
と、後ろから肩を叩かれた。
振り返れば、マサルが呆れ顔をしていた。
「ラチあかねぇからズバッと聞いちまえよ」
「はい、マサルさま、私が知っていることでしたらなんでもお答えします」
初めからそうすれば良かったのかもしれない。
「あそこにある魔法陣を起動させて扉を開く方法を教えてくれ」
随分と直球な質問だった。
「あの、よく意味が判らないのですが、あれは瞑想の陣と呼んでいるもので、おそらくマサルさまの考えているような機能はないと思います」
エスカによると、わがままで自分勝手な信者相手に磨り減らした生命力を補充するためのものらしい。掃除機のごとく周囲に存在するマナを強引に掻き集め、陣の中心に据えたものに注ぎ込むという。より効率的に集めるため、仮宮の間はマナの流れる道である竜脈の交差する場所が選ばれる。
話の途中で、先ほど拾った石を思い出したのは幸いだ。マサルを通して説明を求める。
「これは……かなり位階の高い封陣石ですね、初めて見ます」
封陣石とは特定の機能を有する魔法陣を焼き付けた鉱石のことで、マナを注入することで誰でも簡単に魔法が起動させられるという。複雑な陣になればなるほど鉱石はより高価な物が必要になり、注ぐマナの量は桁違いに増大する。もしその拾った封陣石を瞑想の陣だけと発動させようとしたら、何十年、下手すると何百年単位の時間が掛かるらしい。
「決まりだな」
「ああ、決まりだな」
俺とマサルは頷き合う。
「瞑想の陣を使わずに起動させるにはどうしたらいい?」
「人ひとりの力では無理ですよ。最高位階の封魂石があればなんとか……でも入手は難しいかと」
「なに、還る方法があると判っただけで十分さ」
見知らぬ土地を当てもなく彷徨い続けるなんて真似は願い下げだ。
「で、さっきから何度もでてきてるんだけど、位階ってなに?」
エスカの蔑みの視線が容赦なく突き刺さってきた。
06.05 一部の表現を修正