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魔王はだれだ!?  作者: かぶきや
第三章 転
18/19

3-05

 

 

「というわけで、やっと来ましたカミルエーンの虐殺地!」

 パタパタピコピコ


 目の前にそびえ立つ石柱をビシッと右手で指差し、左手を腰に当てて声高らかに宣言した。

 すぐ隣に浮かんでいるピィも俺と同じポーズをとり、右手を前に突きだしている。


「なにをやっているんですか、意味不明です、正気を疑います」


 エスカの辛辣な口調に、俺は否々と言い返す。


「こうでもしなきゃ落ちたテンションが戻らないんだよ。なんだよ片道二時間半って、それも山道をだぞ。昼飯を食ったらもう帰る時間じゃないか」


 本当にやっと(・・・)到着したという感じなのだ。通商会館の職員は軽い調子で「山を越えたらすぐですよ」と言ってくれた。確かに山を越えたらすぐだったが、その前段階の山を越えるまでが大変だった。帰りのことを考えただけでうんざりである。


「まさか日帰りするつもりだったのですか? あり得ません、グレードを上げるまでは帰りませんよ?」

「アンデッドの巣窟で野宿させる気かよ!? それこそあり得ないだろ!」


 レオルゴから東に向かった、山と山の合間の小さな盆地がカミルエーンの虐殺地と呼ばれている。大陸内にいくつかある負のマナの吹き溜まりの一つで、呪われた廃墟がヒューマンの墓場だとすると、ここはモンスター達の墓場になるだろう。神話時代、カミルエーンの手勢とシャラヌーンの軍勢が衝突した場所とされている。殺されたモンスターの怨念が霊体となってこの地を彷徨い、生あるものが迷い込むと無差別で襲ってくるという。


 本体が霊体のため物理攻撃が一切効かず、魔法によってしかダメージは与えられない。また倒しても霊体なだけに何も残さずに消滅してしまい、実入りは全くない。魔物を討伐して生計を立てている冒険者には見向きもされない狩り場だった。幸い盆地から外に出てくることはないので、とりあえず放置されている、が現状のようである。


 別行動中のマサル達前衛組が選んだ狩り場はレオルゴの北西に広がる乾燥地帯だ。サソリやハ虫類といった遠距離攻撃の手段を持たないモンスターが主で、そこそこの値段で売れる部位が採れるので結構人気の狩り場らしい。


「だいたい今はお試し期間だろ。どうしてグレードを上げるなんて話になるんだ」

「向こうの組が成果を上げるのは目に見えています。なら、こちらはそれ以上の結果を出して見せなければ、またミリアさんに鼻で笑われます。それだけは絶対に許してはいけません」

「なんでお前らそんなに対抗意識燃やしてるんだよ?」


 訊かなければよかったと後悔する質問だった。


「トッシー、聞いてください。私のイケメンさんがミリアさんの猫使いにレベルで追いつかれてしまったんです」


 ゲームが理由かよ。うんざりとなるのは必然だ。


「その時にミリアさんがなんて言ったと思います? 弱い、ですよ? 序盤、パワーレベリングしてあげた恩を仇で返すなんて、あんまりだと思いませんか? これはもう女の誇りをかけた戦いなのです。次に勝つのは私です」


 次に勝つといっても、実際に戦うのはこの俺なのだ。ゲームの問題はゲーム内で決着つけてほしいという思いは決して間違っていないだろう。

 熱く息巻くエスカを無視し、ピィとともに石柱を背もたれにして座り込む。食堂で用意してもらった弁当をひろげて、少し早いが昼食にする。

 石柱は近年立てられたもので、危険地帯の入り口を示すためのものだ。盆地内に遺跡のようなものはなく、大魔術の跡と言われる大陥没があるだけらしい。

 安全が第一なので、その中心部まで近づくつもりはない。盆地の周辺でチマチマと狩り、適当なところで切り上げて帰ればいい。その時の俺はお気楽にもそんなことを考えていた。



 戦闘準備を整えて、石柱の内側つまり危険地帯へと足を踏み入れた途端、俺は猛烈な悪寒に襲われた。嫌な予感が隊列を組んで背筋を這い上がってくる。

 こんな感じは前にも味わった。


「やべぇ」


 動きを止めて呟いた俺に、エスカが肩越しに声を掛けてきた。


「どうしたのですか?」

「精霊種がいる。蜂の谷の時と同じだ」


 そんなことですか、と拍子抜けした様子で答えるのに、俺はムッとしてやり返した。


「知ってたんなら先に言えよ!」

「名称から察せられると思いますが」


 シャラヌーンの配下が地上に溢れ出た当初、地上の生き物達は為す術もなく蹂躙されていったという。エルフやドワーフなどの抵抗はごく限定された地域のもので、大陸全土でみれば、冥界の勢力に席捲されるのはもはや時間の問題とされていた。劣勢のなか、カミルエーンの手勢が組織的な反抗をしたのはこの地が最初で最後であり、以降、カミルエーンは神話から姿を消している。


「つまりカミルエーンは虐殺したほうじゃなくて、されたほうってわけかよ」


 ここまで来て今更愚痴を垂れ流しても仕方がない。カミルエーンさんもっと頑張れよ、という思いは飲み込んで、もう一度気持ちを入れ直す。

 ピィに前へ出ないよう注意してから、歩みを再開する。


 警告の石柱の外と内とで景観が一変した。緑の繁る草木はただの一本もなく、赤茶けた地面が見渡す限り広がっている。盆地側に面した山の斜面も同様で、稜線を境に外側が自然の大地とするなら、内側は完全な死の大地だった。神話時代からこの状態なのだから、負のマナというやつがどれほど生態に悪影響を及ぼすのかが判るというものだ。放射能汚染よりも危険ではないだろうか。あまり長居していい場所ではなさそうだ。

 盆地の広さはそれほどでもなく、一日もあれば外周部を一周できるだろう。高低差もないので、見通しはかなりいい。急な横湧きでもされない限り、ピィの索敵レーダーに頼る必要もなさそうだ。


 歩き出して一分も経たないうちに、最初のモンスターを視界に捉えた。

 幽体だ。人とムササビが融合したような奇妙な身体は透けていて、向こう側の景色が滲んでいる。透過率五十パーセントといったところか。腕の先に指はなく、代わりに大きな鎌状の刃物が生えていた。

 心を逆撫でされる不快感に変わりはないが、女王蜂の時みたいな指向性を持った明確な声は聞こえない。盆地全体が無秩序な怨嗟の波に包まれていて、まるで雑踏の中に紛れ込んだような感覚だ。

 大丈夫だ、これなら打たれ弱い俺のガラスなハートもなんとか持ち堪えられる。

 精霊と感応する能力がどうして俺に備わっていたのか、元からなのか、それともこの世界に来てからなのか、色々と考えるべき点はある。が、この力によってピィを助けることができた。精霊使いが俺の資質であるなら、それを受け入れ、使いこなせるようになるのは必須だろう。


「ちょいと実験をしてみる。逃げ出す準備だけはしておけ」


 標的から視線を外さず、低い声で後ろに告げた。

 ピィは変わらず頭のすぐ後ろでホバリングしていたが、エスカはちゃんと下がって距離を取ったようだ。


 胸の中で、サモン・スピリッツを選択する。

 精密な魔法陣にマナが流れ込み、回転しながら煌めくイメージを構築する。

 と、漂っていたモンスターの挙動に変化が生じた。

 気づかれた。直後、言葉にならない悪意の塊が真っ直ぐ俺へと放たれた。

 心臓が跳ね上がり、一瞬イメージが掻き消えそうになる。奥歯を噛み締めて懸命に堪え、胸郭の内側で陣を完成させた。

 胸から腕へ、そして握る杖へと練り上げた魔術の波動を伝達する。

 その間にもモンスターは迫り、視界の中でシルエットが猛烈な勢いで大きくなる。

 逸る気持ちを抑え、杖の中で巡らせるマナの量をしっかりとコントロールする。


 そして、

「サモン!」

 放った。


 蜘蛛の杖先端の複眼が内部から光を発する。

 射出されたのは白く輝くマナの帯だ。

 光の帯はモンスターの身体を絡め取り、一瞬間だけ動きを停止させる。

 しかし、駄目だ、足りない。判ってしまった。即座にサモンを断念し、殲滅へと意識を切り替える。胸の中の魔法陣をブレイズに変更してスイッチを入れた。

 案の定、モンスターは両腕の刃物を振り回し、拘束する帯を斬り裂いた。

 距離を詰め、生あるものへの憎悪を込めた刃を頭上高くかざした。陽光を浴びてギラリと反射する。

 が、俺の手の方が早かった。


「ブレイズ!」


 直撃を受けたモンスターは爆発の閃光とともに後方へ吹き飛んだ。

 何十、何百と撃ってきた魔砲だ。一度スイッチが入れば、機械のように目標を正確に撃ち抜く自信はあった。

 五メートルほど先だろうか、地に倒れたモンスターがゆっくりと上体を起こす。左胸を中心にして上半身の半分は消し飛んでいたが、それでも攻撃の意思を緩めようとはしない。霊体だからか、本体を完全に消失させなければとどめはさせないようだ。


 構えを解かないでいた俺は、すぐに二発目の準備に入る。

 と、見ている俺の目の前で、モンスターの右腕が振りかぶられた。

 投擲か!?

 このまま撃つか、それとも回避するべきか。悩んだ時間はほんの僅かでも、それは致命的なミスだった。


「ちっ」


 舌打ちとともにブレイズを撃った。そして、相手の手から刃物が離れたのはほとんど同時だった。

 頭部を吹き飛ばされて仰け反るモンスター。

 回転しながら飛来する刃。

 間に合わない。胸元を狙う刃の軌道に杖を持っていこうとするが、まるでスローモーションのようなもどかしさに愕然とした。

 瞬きする間もない刹那。


 パタパタパタ


 俺の頭の横から小さな白い影が飛び出した。

 ペチッ


「えっ!?」


 ピィのグーパンチが飛んでくる刃をあっさりと捉え、そのコースを変えていた。

 逸れた刃は地面に落ちる前に宙に溶け込むようにして消え去った。

 母音を発したまま、ポカンと口を開けて硬直していた俺は、心配そうに覗き込んでくるピィの複眼を見て我に返った。


「す、すごいぞピィ! ありがと、助かったよ」

 パタパタピコピコ


 感謝の言葉に、ピィは宙に浮いたまま、腰に両手をあてがい、エッヘンと胸を張る。その得意そうな姿に、俺は昔のあいつ(・・・)のことを思い出して苦笑してしまう。いや、あいつのあのポーズも結局は当時の俺の物真似だったから、ピィは結果的に俺の真似をしているのか。


「ピィは強いなぁ、うん、えらいえらい」


 よく考えてみれば当たり前のことなのだろう。

 卵を腹部に抱えていた状態では身動き取れず、ダークエルフ達に無抵抗でいたぶられていた女王蜂だったが、魂だけの存在になった途端、本来の戦闘力を取り戻して圧倒的な強さを見せつけた。その女王の後継がピィである。こんななりはしていても、俺達よりも遙かに位階の高い生き物なのだ。


「それで実験はどうなったのですか?」


 安全な距離を取っていたエスカが傍に寄ってくる。


「見てたんなら判るだろ、失敗だよ。今度は溜めるマナの量を増やしてやってみる」


 次の標的は、と周りを見回した時、ピィの様子がおかしいことに気がついた。得意絶頂のポーズはやめ、しきりに触覚を動かして何かを探っているようだ。

 邪魔をしては悪いと思い、口を閉ざして見守ってやる。

 やがてピィは顔を上げると、とある方向を指差した。


「あっちに何かあるのか?」


 俺を見てコクンとピィが頷く。


「行こう、ってか?」


 再び頷かれた。

 俺はエスカへと視線を移動する。


「精霊種にしか判らないことがあるのかもしれませんね。行ってみるべきだと思います」


 簡単に言ってくれた。眉を顰め、俺は懸案を言葉にする。


「盆地の中心部だぞ?」


 が、意に介する素振りは微塵も見せなかった。


「すると、トッシーにとってピィは自分の都合のいい時だけ可愛がり、お願いはきいてあげない愛玩動物以下の存在、ということですか?」

「なんでそう極論に走るんだよ!」


 ピィが俺に何かを頼むなんてそうそうある事じゃない。普段なら喜んできいてあげるだろう。ただ、リスクが俺一人ではなく、全員に等しく降りかかるのだとしたら……。


「エスカ、当然、お前も一緒に来るんだよな?」

「はい?」


 この人は何を言っているんだろうという不思議そうな表情を幽霊娘はしてみせた。


「私は向こうで野営の準備をしていようかと」

「バカ言ってるんじゃない、来なかったらお前とのサモンは切るからな」

「なっ、横暴です、非道です、地位をかさに着た苛めです、断固抗議します」


 聞く耳は持たない。喚くエスカは華麗にスルーして、俺は盆地の中心部、クレーターのある方角へと目を向けた。いつも通り、ピィを頭の後ろに回らせる。


「道案内を頼むな。危険がいっぱいだから、用心するんだぞ」


 頷くピィとともに、俺も自身に気合いを入れる。

 ここからは、ソロ専魔砲使いの腕の見せ所だ。



 盆地を徘徊するモンスターは三種いた。さきほどのムササビ人間みたいなやつ。ヤドカリと人を合体させたような、巨大な鋏をチャキチャキさせて接近してくる鬱陶しいやつ。棘を身体中に生やした人魚みたいなやつ、それも男性体だ。誰得だってぇの。

 これらがすべて精霊種なのだから、地神カミルエーンの趣味の悪さは半端ない。女神だというが、本人はどれだけおぞましい姿をしているのか。


 いずれの種も、ブレイズ二発で片がついた。杖に溜める時間を増やせば一発即殺も可能だったが、マナの消費量が倍以上になるので、効率を優先し、手数で勝負していった。

 固まっている場所は迂回し、できるだけ単独でいるコースを選んで、確実に撃破しながら先に進んでいく。


 一度だけ、危ない場面があった。

 アンデッドの特性か、何もない地面からいきなり一体のムササビ人間が湧き出したのだ。

 場所はエスカの真後ろだった。

 気配に振り向いたエスカが硬直した。

 かざされた刃が陽光を反射する。

 射線軸にエスカがちょうど重なるため、俺は即座の攻撃に移れない。


 思わず“さらばエスカ、虐殺地に死す!”なんてテロップを脳裏に浮かべたが、またしてもピィが活躍した。

 グーに握った右手を前に出してパタパタと飛んでいく。

 ああ、格闘番組の解説者がスーパーマンパンチと言ってたなぁ、とバカなことを考える俺をよそに、ピィはそのままの姿勢でモンスターの身体を貫通した。

 それだけである。

 霊体は見事に弾け飛び、後に残ったのは淡く輝くマナの光球だけだった。


 なに、このピィ無双? 俺、いらなくね?

 以降、エスカがはっちゃけてしまった。


「そこ、右斜め前、ピィ、パンチです!」

 パタパタパタ


「左後方に湧きあり、ピィ、今度はキックです!」

 パタパタパタ


 誉められるのが嬉しいのか、一体倒すたびにピィは得意のポーズを取り、クルクルと俺達の周りを飛んで回る。


「どうでもいいが、これだと俺達に経験値入らないぞ?」

「くっ、それは盲点でした。仕方ありません、トッシー、あそこの集団に突撃しなさい」

「無茶ぶりするな!」


 とりあえず、俺とピィの二枚看板で殲滅速度は上がり、より安全に目的地へと近づいていく。

 そして、ようやく、クレーターの縁に俺達は到着した。どれだけのモンスターを倒してきたのだろうか。レベルも一つぐらい上がっていそうだ。


 精根尽き果て、肩で息する俺にピィが巾着から出したゼリーを差し出してくる。礼を言って一口囓る。一瞬で虫歯になりそうな甘さを我慢して、ろくに噛まずに飲み込んだ。

 ピィもカプリと一口食べてから巾着に仕舞い込む。

 マナが回復するのを待ってから、クレーター内部へと進入する。


 すり鉢状の斜面は固く締まった土で、崩れる心配はなさそうだ。

 一歩一歩慎重に降りながら、周囲の雰囲気が急変していくのを感じた。

 肉眼ではっきりと視認できる薄い霧状の負のマナが、中心に向かって緩やかに流れていた。

 あれほど眩しかった陽光は遮られ、薄暮に包まれているようだ。


「ピィ、本当にこっちなのか?」


 訊かなくても答えは判っていたが、それでも確かめずにはいられない。行きたくねぇ、と心の底から思う。イヤなものが待ちかまえている確率百パーセントだ。斜面上にモンスターが徘徊していないのが唯一の救いか。


 クレーターの半径はおよそ三百メートルくらい、高低差は二、三十メートルぐらいだった。

 負のマナが濃密に漂うすり鉢の底。

 直径十メートルほどの同心円上に等間隔で六本の細い方尖柱が立ち、中心には円盤状の石壇があり。

 その上に、それは存在していた。

 立ち上がれば四メートルに届くだろう、大きくエルフ女が一糸纏わぬ姿でうずくまっていた。

 霊体だ。にも関わらず、その威圧感、存在感は圧倒的だった。

 意識をそいつに差し向ける。直後、後頭部を鉄槌で殴られたかのような衝撃を受けた。


『殺してやる』『殺して』

『殺してやる』『永遠の安寧を』

『殺してやる』『魂の呪縛を』


 かろうじて意識を遮断することに成功した。全身の鳥肌が収まらない。冷や汗が顎を伝って地面に落ち、黒い染みを幾つもつくる。

 下位精霊なんてレベルではない。次元が違った。

 ピィが俺とそいつを交互に指差して、必死で何かを伝えようしている。


「まさか、あれにサモンをかけろってか?」

 コクコク


 何度も頷くピィに、俺も必死で首を横に振って答えた。


「いやいや、無理だってぇの。俺なんかがどうこうできるレベルじゃないぞ、あれは」


 女王蜂の場合、相手が俺に協力的だったからこそ術は完成したのだ。それよりも位階の高いエルフ女の霊体にとって、俺の術なんて炎天下の砂漠に水鉄砲を撃つようなものだろう。

 と、今度はピィはボクシングのファイティングポーズにも似た姿勢を取り、ヘナヘナジャブを数度繰り返して、再び俺とそいつとを交互に指差した。


「なになに、攻撃して意識を乱したところでサモンをかける、のか?」

 コクコク


 ピィの真剣な複眼の眼差しが俺の顔を捉えて離さない。

 数秒間の無言の睨めっこの後。


「やるしかないか」


 俺は覚悟を決めた。

 ピィの顔がニパッと綻んだ。そして、羽を動かして霊体のいる中心部へ飛んでいく。


「ちょ、気が早いってぇの!」


 杖を握りなおし、エルフ女に身体を向けた。


「トッシー」


 背後からエスカの声がした。


「私もレベルが上がって治癒の効果が上がっています。即死しなければ死なせません。存分にやってください」


 何も持っていない左手を挙げてそれに応える。


「ただし、肉体の欠損には対応できませんので、吹き飛ばされないように注意してください」


 注意してなんとかなるのならいいけどな。心の中で言い返し、ブレイズの発射準備に入る。

 ピィがスーパーマンパンチの格好で、エルフ女の頭部を素通りしていくのが見えた。

 そんな攻撃でも、一応ダメージは入ったらしい。エルフ女が煩わしそうに顔を振る。霊体の髪をまるで絹糸のように煌めかせて、ゆっくりと立ち上がる。


「で、でけぇ……」

「どこを見ているんですか?」

「ば、ばか、胸じゃない、身長だ」


 足の長さを見誤っていたらしい。地上から頭のてっぺんまで、優に五メートルは超えていた。そもそも、半分透けているうえに鬼のような形相をした霊体だ。いくら全裸でも色気を感じている余裕などはない。


「ブレイズ!」


 胸の中心部に爆炎魔術を炸裂させる。派手に閃光を撒き散らしたが、相手は僅かに上体を揺らしただけだった。それでも、ピィに敵意を向けさせないよう、攻撃の手は緩めない。

 が、最初から自分の周囲を飛ぶ蜂の子にそいつは無関心だった。殺意に満ちた憎悪は、迷うことなく俺にだけ向けられていた。

 少しでも気を抜けば、ころしてやるという怨嗟の声に心臓を押し潰されるだろう。


「ブレイズ!」


 今度は顔面を狙って撃つ。

 避ける様子もなく、平然と受け止められた。そして、煩い虫を追い払うかのように右手を振る。

 何が起きたのか、俺には判らなかった。

 気がついた時、俺は仰向けになって大地に転がっていた。

 全身の骨を砕かれたような激痛に、呻き声さえ上げられない。


「治癒します!」


 エスカの声がどこか遠くから聞こえた。

 暖かく柔らかな光に包まれた直後、停まっていた横隔膜が活動を再開した。


「ゴホッ」


 横向きになり、口中に溢れた血を吐き捨てる。衝撃で筋肉の震えは依然として続いていたが、なんとか杖に縋って身を起こす。

 ただの軽い一撃で瀕死とは、どんな無理ゲーだ?


「トッシー、ピィひとりにさせるつもりですか!」

「判ってるよ!」


 円状に並んだ方尖柱の外側を走りながら、俺は再度攻撃を試みる。火力よりも、速度と正確性に重点を置き、エルフを攻撃に集中させないようにする。

 明らかに、複数のパーティーが組んで討伐するレイド級だ。俺達だけで倒せるはずがない。もし仮に相手にHPバーがあれば、一ミリたりとも減っていないだろう。


 しかし、今回は倒す必要はないのだ。

 ピィがここに俺達を連れてきたのは、あのエルフと意思の疎通をはかって欲しかったからに違いない。

 負のマナの中心にいる、狂気に支配されたあのエルフを、どうやって正気に戻すのか。

 考える。


 走る速度に緩急をつけ、時には逆走しながら、ブレイズを何度も当てていく。

 エルフの攻撃は風系の魔術なのだろうか。一番近いのは衝撃波だ。目で捉えられなくても、射出の瞬間を見切れたなら、なんとか直撃は免れる。それでも、余波を受けて俺は幾度となく地面に転がった。すぐにエスカの治癒が飛んでくるので、おちおち休んでいる暇はない。

 方尖柱がエジプトにあるような太いやつであれば、身を隠すこともできただろうに。

 そう考え、ハッとなった。


「エスカ、魔法陣だ! 石柱と石壇!」


 六本の方尖柱に円形の石壇。その中央から動かないエルフ。

 もしこれらの舞台がエルフを縛り付ける術式本体だとしたら?


「判りました、トッシーはしばらくの間死に物狂いで逃げてください!」


 エスカも理解したのだろう。一番近い方尖柱に向かって力を行使し始めた。

 そこを避け、俺は走りながら牽制のブレイズを撃ち放つ。


「ピィはエスカの手助けを!」


 エルフの頭部にパンチを繰り出していたピィは、俺の言葉を聞くとすぐに身を翻した。

 離れた直後に、顔目掛けて爆炎を。

 エルフも同時に右手を振るっていた。

 背後で爆発音がし、爆風でフワリと俺の身体が宙に浮く。

 小学の高学年まで柔道をやっていたのだ。受け身は得意だ。といっても畳の上と固い地面の上とでは受ける衝撃は段違いだ。着地と同時にわざと身体を回転させて勢いを殺すと、泣きたくなるほどの痛みを堪えて立ち上がる。


 エルフを見る。右手を挙げている。

 まずい、大きいのが来る。

 身体を横に投げ出した。手が地面に触れた瞬間、全身を丸めてさらに横へと転がる。

 衝撃音の後から、砕けた地面が石礫となって襲ってくる。致命傷にはほど遠いが、地味に痛かった。


「くそっ!」


 ブレイズを再び顔面へ。目眩まし程度だったが、それでも体勢を整える時間は稼げた。

 走り、遠慮なく顔へブレイズを集中させる。効いてる感じはまったくしないが、時間を稼ぐのが俺の役目だ。


 そして、

「トッシー!」

 待望の声がエスカから発せられた。


 足を止めず、視線を彼女達の方へ滑らせる。

 ピィとエスカは、一本の方尖柱をしっかりと地面から引き抜いていた。地上部より地下に埋まっているほうが長い。よくやり遂げたものだ。

 マナの流れがはっきりと変わっていた。薄霧が流れを止めていた。

 エルフが天を仰ぎ、鼓膜を突き破らんばかりの叫びを張り上げる。


「そいつで石壇を叩け!」

「はい!」

 パタパタパタ


 上に引き上げるより、下に向かって打ち下ろすほうが楽なのだろう。方尖柱を杭に見立て、二人は掘削機を彷彿させる勢いで石壇に突き立てた。

 轟音が辺りに響き渡り、石と石が衝突したとは思えぬ火花を散らした。


 エルフがさらに叫ぶ。己の両肩を両腕で抱きしめ、空を見上げながら、喉から血を迸らせるほどの絶叫を上げ続けていた。まるで、自身の内側で何かと戦っているかのように。

 エスカ達の近くまで駆け戻る。

 胸の中の陣をサモン・スピリッツに切り替えた。


「ピィ、ゼリーの用意を頼む」


 杖を構え、意識を集中する。

 巾着に片手を入れたピィが、泣きそうな表情で顔を横にプルプルと振っていた。触角がションボリと項垂れていた。


「あ、いや、その」

「大丈夫です、私が持っています」


 エスカが自分のインベントリからゼリーを数本取り出すと、そのままピィに渡していた。

 両腕一杯にゼリーを抱えたピィが嬉しそうに傍に寄ってくる。

 気を取り直し、杖に流し込むマナをコントロールする。


「いくぞ、サモンッ!」


 杖が白く輝き、エルフとの間に一本の光の帯を形成する。

 一気に放出するのではなく、放水のごとく、繋げた帯を切らさずにマナを注ぎ続ける。

 使役ではなく、負のマナとの接続を絶つためだ。そう高をくくっていた俺は甘かった。もの凄い速さでマナが吸い上げられていく。


 口を大きく開けてピィに無言の催促をする。

 すかさずゼリーを咥えさせてくれるのはいいが、奥に突っ込み過ぎだ。思わず嘔吐きそうになるのを抑え、そのまま囓って飲み込んだ。

 次々とゼリーを食べさせてくれるが、補充するよりもエルフに流れていく量が多すぎた。


 このままでは持たない。膝が震えだした頃、叫ぶエルフに変化が表れた。

 いつしか叫ぶのをやめ、鬼のようだった険悪な形相が、エルフ種特有の繊細な顔立ちになっていた。

 背も低くなっていく。五メートルを超えていたのが四メートルを切り、止まらずにどんどん縮んでいった。


 一瞬でも挫けそうになった弱気な心を、俺は思いきり罵倒し、さらに闘争心を滾らせた。美形なエルフの全裸姿なのだ、ここで燃えなければ男じゃない。

 そして、遂に霊体の身長が俺とほぼ同じになった。


「なんでさ! なんで服を着てるんだよ!」


 つい、魂が哀しみの咆哮を放っていた。

 エルフの瞳に呆れの色が浮かんだように見えたのは気のせいか。


「トッシー」


 エスカがしみじみと言う。


「あなたの同行者だということを、これほど恥ずかしいと思ったことはありません」


 いたたまれずに、ピィの方へと向く。が、視線を逸らされてしまった。

 悲しくなり、改めてエルフに向き直る。

 優雅に佇むそのエルフ種の霊体は、薄く整った唇を小さく動かした。


「東方の人の子よ、サモンを切りなさい。そのままでは貴方の身体が持ちませんよ」


 言われるまま、杖から出していた光の帯を切る。サモン・スピリッツは成立していないので、エスカの時と違って魂の繋がりは感じられなかった。


「我が眷属アピスの血を継ぐ子よ、貴方の声は聞こえていましたよ。ありがとう」


 ピィに向けられたエルフの目は優しく、慈愛に満ち、声もひどく穏やかなものだった。


「懐かしい匂いを持つ人の巫女よ、貴方にも心からの感謝を」


 エスカに掛けられた声も理知的で、先刻までの狂気は欠片も残ってはいない。


「我が名はカミラ。東方の人の子よ、貴方にも感謝の言葉を言わなければいけないのかしら?」


 続いて俺に向けられた目は、なぜか冷ややかだった。


「淑女の顔ばかりを狙って爆炎を、あまつさえあのような言葉、素直にありがとうと言いたくない我の気持ちは理解できるでしょう?」

「ごもっとも、です」


 と、唇の両端がほんの微かに持ち上がる。

 微笑みだった。


「永きの呪縛から解き放たれ、ようやく我も還ることができます。東方の人の子よ、我を救ってくれた恩人の名を教えてはもらえませんか?」

「あ、ああ、じゃなくて、はい」


 心臓を射貫かれていた。あれ以上綺麗な微笑はこれから先もお目に掛かることはできないだろう。


「蜂の子はピィ。こちらの巫女はエスカナーラ。あと、俺はトシアキ、です」


 緊張していた。声が上擦らなかったのが不思議なくらいだった。


「あ、あの、ひとつ、訊いてもいいですか?」


 それでも、是非とも確認したいことがあった。


「なんでしょうか?」

「あなたの本当の名前は、カミルエーン、地の神じゃないんですか?」

「おかしなことを。我は生まれ落ちてから一度も名を変えたことはありませんよ。ましてや神を自称するなど」

「へ、へんなこと訊いてすみませんでした」


 カミラは薄く笑い、傍で浮かんでいるピィに手を伸ばす。

 黒い頭に載せられた掌は実体のないものだ。カミラは残念そうに目を伏せる。

 ピィはそれでも嬉しそうに目を細める。精霊種だからこそ、心の触れあいを大切にするのだろう。遠い遠い祖先の女主人の心遣いに、本当に無邪気な笑顔で応えるのだ。


「東方の人の子がエルフのみに伝わる交心術をなぜ使えるのか、知りたい気もしますが。残念ですがもう時間がありません」


 ピィへと伸ばしていた手の先から、次第に霊体が薄くなっていく。


「お、俺とサモンで繋げれば……」


 最後まで言えなかった。カミラがはっきりと首を横に振ったからだ。


「貴方のマナは我のような過去の者に使うものではありません」


 毅然とした表情は安っぽい同情を許さないものだった。


「何か礼をとも思いましたが、我にできる術は心と心を繋ぐものだけ。あまり役に立ちそうにもありませんね」


 既に肘から先は消えていた。

 ピィが激しく羽を震わせる。


「悲しまないで」


 ピィを見つめる瞳はどこまでも優しい。


「ピィとトシアキのような関係を見られたことが、我にはなによりの手向け」


 どんどんと霊体が透けていく。


「心はいつでも貴方の傍にいます。ありがとう」


 そして、カミラの姿は溶けて消えた。

 代わりに、白く輝くマナの光球がその場所に浮かんでいた。二つに分かれ、それぞれが俺とエスカの胸へと吸い込まれてゆく。

 今までの狩りでは感じたことのない、圧倒的なマナの量だった。

 位階が上がったのが、加護で確認しなくても明確に感じ取れた。だが、嬉しさはない。達成感などほど遠い。やり切れない悔しさだけが胸中に苦く残っていた。

 エスカに目をやると、彼女もまた複雑な表情を見せていた。


 ピィがゆっくりと羽を動かして地面に降りる。

 カミラがいた所に、青い石が一つ落ちていた。

 ピィをそれを拾い上げると、俺へと差し出してくる。

 その手を右手で受け止め、丁寧に指を折らせて青い宝石を握らせてやる。


「これはピィへの贈り物だよ、大事に仕舞っときな」


 少し悩んだ後、ピィは巾着の中に石を入れた。その表情は晴れない。


「カミラさん、笑ってたろ。ピィはあの笑顔を忘れちゃだめだぞ」


 両腕をひろげてみせると、ピィは躊躇わずに胸の中へと飛び込んでくる。

 カミラが出来なかった分、俺がピィを抱きしめてやるのだった。




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