3-03
ゆっくりとしゃがみ込み、静かに蜂の子を地面に下ろしてやる。が、離れようとはしない。細く華奢な腕をさ迷わせ、ジャケットの下のシャツを指先で捉えると、キュッと握ってきた。
艶やかな黒い髪を左手で優しく撫でながら、俺は顔を上げて回りを見る。
マサルのすぐ横にシルビアとミリアが立っていた。声を掛けようとしたが、彼女達が荷物を持っていないことを思い出す。
視線を泳がせると、少し離れた場所に漂うエスカを発見した。名前を呼び、手招きした。
両腕にダークエルフの物と覚しき装備品を抱えて傍に寄ってきた。なんとも逞しい性格だ。
足下にばら蒔かれた装備品はとりあえず無視し、エスカが背負っている自分の鞄を受け取って地面に置く。と、ミリアがトコトコと近づいてきて、一緒に中を漁り始めた。本当に遠慮のない娘である。
俺が探し出したのは地球から持ち込んだ真っ白なポロシャツだ。メイド・イン・ジャパンで縫製がしっかりしていて、某国製と違って変な染料を使用していないから肌にも優しい。
ナイフで背中側に切れ目を入れてから、じっとして待っている蜂の子の頭から被せてやる。襟元から頭が出ると、プルプルと顔を左右に振るのが可愛らしい。切れ目から羽を外に出す。
「こっから手を出すんだ、うん、いいぞ」
ちょっと、というか、かなり大きいな。悩んでいると、マサルが解決案を提示してくれた。
「トシ、オレの荷物の中にホッチキスが入ってるぜ」
「お、頼むよ」
マサルが鞄の中を引っ掻き回していると、シルビアがその手元にチラチラと視線をやるのが見えた。ミリアほど大胆にはなれないらしい。
タックを作る要領で肩の上の余った布地を寄せ、受け取ったホッチキスで留めていく。もちろん、金属片が直接肌に触れないように注意した。両肩と両脇を処理すると幾分マシになったが、丈の長さは変わらず、裾は足をすっぽりと隠してもまだ余り、地面に引き摺られていた。
ふと思い出し、服飾品店のおっさんからおまけで貰った革の腰帯をインベントリから取り出した。
しかし、着せ方がまるで判らない。
「もう、男ってほんとダメね」
蜂の子の後ろに回り、膝をついたシルビアが俺の手から帯を取り上げた。
「それで、名前はどうするの?」
俺が蜂の子の世話をするのは当然、といった口振りだ。この世界の住人の順応力の高さに感謝しつつ、考えを素直に言葉にした。
「蜂の子だから、ビィーで」
女性陣三人から即座に反対された。
「本気?」
「馬鹿ですね」
「……却下」
味方はマサルだけだった。どうして駄目なんだと二人で視線を交わしたが、俺達の意見が通ることは間違ってもないだろう。仕方なく、第二案を口にした。
「じゃ、ピィ、で」
今度は皆黙って何も言わない。マサルがウンウンと頷いていたので、賛成多数で決定とする。
「決まった、これからお前は、ピィ、だ。よろしくな」
首が僅かに動いた。肯定の意味だろうか。
フゥとシルビアが溜め息を吐いて、ポンとピィの腰を軽く叩いた。
「ほら、可愛くできたわ」
裾は膝の真ん中ぐらいの高さにまで持ち上げられ、帯の後ろは綺麗にリボン結びになっていた。
が、ピィは反応を示さず、じっと俺の顔を見つめてくる。何かを伝えたいようだ。
「どした、腹でも減ったか?」
コクン、とはっきりと首が縦に振られた。
「よし、待ってな」
立ち上がり、サナギがあった場所へと足を運ぶ。ジャケットの裾を掴んだピィがトテトテとついてきた。
蜂蝋の絨毯に載る。サナギの反対側には、バナナ・サイズの白色のゼリービーンズが密にぎっちりと並んでいた。
「蜂乳だね」
シルビアが言う。
俺の知っているロイヤルゼリーは白色の乳液状だったが、この世界では固形になっているらしい。まぁ、こちらの方が食べやすそうだ。
「……ドロップ品」
「なるほど、高く売れるのか」
ミリアの単語の補足説明に言葉を返してから、一つを取り、表面を軽く払ってからピィに渡してやった。
両手で大事そうに持ち、端っこに小さい口で噛みついた。モクモクと丁寧に咀嚼している。
「うまいか?」
問うと、スッとゼリーを顔の前に差し出してきた。
「食え、ってか」
ピィーの囓り痕の上から、少しだけ前歯で食いちぎる。
なんともいえない甘さが口いっぱいに拡がった。うん、蜂蜜入りの練乳だ。だが、飲み込んだ胃袋を中心にして、杖に吸い取られたマナが徐々に回復していくのが感じられた。なるほど、これは高く売れるだろう。しかし、甘い。
「う、美味いな、でも、食べ過ぎて太るなよ?」
口元にゼリーを運ぼうとしていたピィの動きがピタリと止まった。
ギンと、女性陣の鋭い視線が俺に顔に突き刺さる。
ピィはジィッとゼリーを見つめている。動かない。
女性三人の視線に殺気がこもってきた。
ピィはゼリーを見つめたままだ。全身が硬直していた。
ゼリーを持つ手がプルプル震えだした。
はっはは、愛いやつめ。
ピィの目がウルウルし始めた。
いや、さすがにこれはまずいだろ。
「す、すまん、大丈夫だ。いっぱい食べて大きくなろうな、な」
コクンと頷き、パクリとし、モクモクし始めた
窮地を脱した俺はかいてもいない額の汗を拭う振りをする。
「トッシーは女の敵です」
エスカの非難が耳に痛い。しかし、言い訳をさせてもらえるなら、羽化したてであんなに理解力があるとは思っていなかったのだ。
笑っているマサルを近くに呼び、自分のインベントリの中にあるスパイダーシルクの糸袋を引き取ってもらう。そうして容量を増やしてから、ゼリービーンズを片っ端から収納していった。
横を見れば、シルビアとミリアも保管袋にどんどん詰めていた。ミリアの色とシルエットが普段と違う、と思ったら俺のゴアテックスのジャケットを纏っている。小柄な彼女なので、ショート丈なのにロングコートみたいになっていた。さきほど鞄をゴソゴソしていたのはそれを狙ってのことだろう。革のジャケットに着替える前にチラチラと視線を受けていたから、以前から目をつけられていたらしい。
「トッシー」
背後からエスカに話しかけられた。
首を捻ると、赤い宝石を載せた掌を差し出してきた。
「ダークエルフが持っていたものです」
「これは、封魂石、か」
「はい、まだ完成はしていませんが、かなり溜まっていますね」
「……これはエルフの爺に嵌められたかな」
ダークエルフもまた何らかの理由でマナを集めていると知っていて、わざと俺達をぶつけたのか? 生き残れる可能性があるとあの時点で考えられたのだろうか。そして、仲間を倒されたダークエルフが俺達の存在を掴んだ時にどう動くのか?
厄介事しか思い浮かばなかった。
「とりあえず、それはエスカが持っててくれ」
「はい。それから、死んだ冒険者たちの装備はどうしますか?」
「いや、それに手を出すのはまずいだろ」
敵対していたのならともかく、一応同じ討伐隊のメンバーだったのだ。後々揉め事になるような真似は控えるように言っておく。
持てるだけのゼリービーンズを確保したが、まだ四分の一近くは残っていた。「……もったいない」とミリアが呟いていたが、持てない以上放置するしかない。
「さて、と」
目的を果たした以上、長居はせず退散するに限る。できるだけ見ないようにはしているが、ここは大量無差別殺人事件の現場なのだ。
ピィを見る。三分の一ほど体積を減じたバナナようなゼリービーンズを両手で握り締め、身動き一つせずこちらを凝視していた。
「もういいのか?」
頷くのに、俺はインベントリから長紐の革巾着を出す。口を大きく開けてピィの前へ。
「ここに入れな」
言われた通りに食べかけをそっと中に落とし込むのを見届け、紐を緩く絞りピィの首に掛けてやる。腹の前に巾着はぶら下がった。
「腹が減ったらここから出して食べるんだぞ」
コクン
「いい子だ」
お尻の下に腕を回して抱き上げる。
「行こうか」
女王蜂の亡骸に黙礼してから、出口へと足を進めた。余計なものはなるべく目に触れないようにして広間を横切り、地上に向かう狭い通路に入る。シルビア達がホッと肩から力を抜くのが伝わってきた。
上り坂の通路を半分ほど進んだ頃だろうか、上から慌ただしい足音が近づいてくるのが聞こえた。剥ぎ専の冒険者達だった。
「おい、大丈夫だったのか? さっき、偶数班が全滅したって連絡が来たんだよ。今年のハチはそんなにヤバい奴なのか!?」
年配の冒険者は昆虫の羽を持つ女の子を見て一瞬目を大きく見開いたが、それだけだった。おぞましい外観の魔物と年中接しているこの世界に人間にとって、触覚や羽ぐらい大したことではないのだろう。
面倒だったので、ちょうど隣にいたシルビアに「任せた」と丸投げして外を目指す。
「そ、そんなのないわよ、あたしが説明してほしいくらいなのに! ね、ねっ、ちょっと!?」
なにやらパニくってるようだが、エスカやマサルがいれば心配いらないだろう。
出口が視界に入ってくる。
と、眩しかったのか、ピィはギュッと瞼を瞑り、俺の首筋に顔を埋めてきた。安心させるように背中を撫で、歩き続ける。
そして、表に出た。
アーカムナール太陽神の姿は山の稜線に隠れていたが、その権勢はいまだ健在で、谷底から見上げる岩肌に囲まれた空は青い色一色で染まっていた。
「ほら、目を開けて、上をみてみな」
腕の中で、ピィがぎこちなく上体を仰け反らせる。
複眼の目に青い色が映り込んでいるのを確認してから、俺もまた仰ぎ見る。
判るか? これが、女王さんがお前に託した、青い空だ。
蜂や蟻は卵が産めるようになると、その場から動かず死ぬまで種族維持のためだけの存在になるという。あの女王蜂は暗い洞窟の奥に何十年、何百年いたのだろう。その間、二度と飛べない空への憧憬をずっと抱き続けていたのだろうか。
「この色を絶対に忘れるなよ」
ピィが女王になった時、巣の中でどんな夢を見るのだろう。
願わくは、一つでも多く幸せな思い出を。
露営地は混乱していた。
全十二パーティーのうち十一が全滅したのだ。お祭り気分は一気に抜け、合同葬儀場のごとく沈痛な雰囲気に包まれた。有志を募り、巣穴前で寝ずの番をして残されている遺体をサソリやバジリスクに荒らされないようにするという。また、選抜隊で偶数班を襲撃したダークエルフを追跡しようと鼻息荒く息巻く冒険者もいた。
俺達はできるだけ関わらないようにした。経験不足で未熟を理由に、通商会館の職員を盾にして面倒な話は極力遮った。それでも、唯一の生き残りでダークエルフを返り討ちにしたパーティーという噂はすぐに広まるのだろう。
暗くなってから、露営地端の篝火の近くを陣取って今夜の寝床にした。
出稼ぎの商人の出店でパンと串焼きを購入して夕食にする。
ピィはシルビアから借りた毛布にくるまり、蓑虫状態で一足早くお睡である。
俺はピィから貰った一口がまだ胃袋の底に残っているようで、串刺しの肉を一本食べただけで止めにした。ちなみにサソリの鋏の肉で、味と食感はカニに似ていた。自分達が倒した獲物の肉に金を出すなんて、なんとも不条理な気分を味わった。
他の三人が食事を続ける中、俺は自分の杖のメンテを行った。
複眼の飾りと杖本体の接合部にナイフの刃を当て、慎重に接着剤を剥がす。外れると、中からパラパラと石の破片がこぼれ落ちてきた。思った通り、マナのオーバーフローで封陣石が砕けていた。
今度はダークエルフのネクロマンサーが所持していた杖を分解する。本体は堅い木製で、飾りの何かの頭骨をバラすと赤い球状の封陣石が現れた。杖本体中心を貫く銀の芯棒に接合されている。石を指先で摘まんで芯棒ごと引き抜いた。棒といっても直径五ミリぐらいで、素材は柔らかく針金のようにクルクルと巻き取れた。封陣石から二センチぐらいのところからナイフで切断した。そして二センチの半分の深さまで、タコさんウィンナーを作る要領で十字の切れ目を入れる。最初は刃先で、次いで指先で丁寧にタコの足を開いていき、最後はナイフの刀身を使って平らにした。
荷物の中から瞬間接着剤を取り出す。道具が壊れた時だけでなく、刃物の切り傷を塞ぐ時などにも重宝するのでサバイバルには欠かせない一品だ。自分の杖のスパイダーシルクが剥き出しになっている部分を綺麗に拭き、封陣石の銀の台座に接着剤を塗布して接合すればほぼ完成だ。あとはちゃんと固定されたかを確認してから複眼の飾りを嵌めればいい。
バラしたダークエルフの杖は篝火の中に放り込み、使わない銀の芯棒は、少し考えてからシルビアに進呈した。
「えっ!?」
「足りないけど、ゼリーの代金だと思って受け取ってくれよ」
シルビアとミリアが保管袋一杯にゼリーを詰めていたが、あれは売るためではなくてピィのためだった。通商会館の職員が買い取りの交渉にきてもキッパリ拒絶していた。
地球のミツバチなどは、女王蜂は生まれてから死ぬまでの間、ロイヤルゼリーしか口にしないという。こちらの蜂の習性は判らないが、もしピィに変なものを食べさせて女王になれなくしたら、俺は一体誰に謝ればいいのか。
二人の気遣いには心から感謝する。
だから……。
「マサル、ピィが毛布を借りてるからさ、着てないジャケットをシルビアに貸してやってくれよ」
「お、そうだな」
「えっ!? いいの?」
シルビアさん、とっても判りやすい笑顔をありがとう。
実を言えば、俺は気づいていたのだ。ミリアが着ているジャケットを羨ましそうに見ていたことを。マサルから受け取るとさっそく袖に腕を通し、「わぁ、大きい」なんてはしゃぐ姿は女の子らしくて、つい笑ってしまった。
その様子を眺めていたミリアが俺に顔を向けてきた。
「……わたしには?」
「先払いでもう着てるじゃないかよ」
これ以上俺から何を奪おうというのだ、お前は。
頬を膨らませたミリアは、エスカとのゲームに戻っていく。
しばらくしたら、マサルとシルビアは恒例の筋トレを始めるだろう。
一人暇な俺は、ピィの寝顔を眺めて時間を潰すことにしよう。