3-02
「トシ、おまえ何も考えてねぇだろ?」
宿の食堂で事の顛末を語り終えた俺に向けられた相棒の台詞がそれだった。エスカに散々言われていたので否定はしない。しかし、である。
「ここで真っ先に喧嘩を売ったマサルには言われたくないぞ」
「なに言ってんだよ、オレは飯の邪魔をした間抜けをちょいとシメただけだぜ」
ニヤニヤしながら相棒は言葉を続ける。
「トシは友好的な話し合いの場を思いっきりブチ壊してきたんだろうが」
まさかマサルに言い負かされる日が来ようとは……。が、そこで終わらないのが俺の相棒なのである。
「それにしても、あのエルフの優男とやり合ったんだよな。くそ、オレもついていきゃ良かったぜ」
「そっちが本音かよ」
最初から暴れる気満々のお前と一緒にしないでほしい。
「あの、それで神殿のほうは大丈夫なの?」
男二人が真顔で睨めっこをしていると、躊躇いがちにシルビアが口を挟んできた。
「とりあえず、すぐにどうこうって感じじゃなかったな。割とあっさり帰っちゃったし」
話し合い、よりも人物を見極めるためのような雰囲気が漂っていた。正面に立って話していたのはエルフの巫女だったが、あの場を仕切っていたのは間違いなく老人のほうだった。
「あの耳長乳無巫女はトッシーの欲望に満ちた眼差しに耐えきれなくなって帰ったのです」
テーブルの下に両手を入れ、カチャカチャとゲーム機を操作するエスカがボソッと呟くのが聞こえた。
「お前は黙ってろ」
俺の清廉な人格を全否定する発言は控えてくれ。
やはり周りからの視線をテーブルで遮って、下を向いてゲームをしていたミリアが、ふと顔を上げて言う。
「……女神の祝福、結局なに?」
エスカは首を横に振った。
「さあ、私はしりません。神殿の人が勝手にそう呼んでいるだけですので」
答えながら俺の方へと視線を投げかけてくる。つられて、テーブルに着く三人も俺を見る。
「いや、俺に答えを求められても困るんだけどな」
一応予防線を張ってから、これまでの推測を口にした。
「死んでからも自我を保ったままの巫女さんの幽霊、かな。神殿ではそれを高位精霊と同格とみなして女神の祝福って呼んでる、っぽい」
生きているヒューマンは見下すが、死んだ巫女は奉る。どうもエルフの死生観は判らない。
「精霊ってそんなにエルフにとって大事なのか?」
言葉にした途端、シルビアが怪訝そうな表情を浮かべた。まずい、この世界では常識的なことを訊いてしまったようだ。
エスカは俺とマサルの事情を知っているので、顔色を変えることなく淡々とした口調で説明してくれる。
「カミルエーン地神に産み落とされた種の中で、魂だけの姿で存在しているものを一般に精霊と呼んでいます」
そして、エルフやドワーフで死後に魂だけの霊体になったものを、特別に高位精霊と呼んで区別しているらしい。ヒューマンとは違うのだという選民意識からか、神殿ではこの二種をわざわざ精霊種と記しているそうだ。
「でも、ミリアはあのエルフみたいに偉ぶったところはないよな」
「……ん」
ミリアだけではない。ちょっと周りを見渡せば、ヒューマンに混じってドワーフがごく当たり前に歓談している姿が確認できる。
「……ドワーフは、現実に生きてる」
すでに大陸の多数派はヒューマンに取って代わられていた。積極的に混ざり合い、共存していこうとするドワーフ種は逞しく現実的で、反対に種族ごと里に引きこもって自らを特別視するエルフ種は過去からの系譜に拘り続ける存在、ということだろうか。
「実をいうと、ね」
悪戯っぽい笑みを見せながら、シルビアがエスカをチラチラ窺いながら言う。
「神殿は認めてないけど、精霊種はもう一種いるのよね」
すかさずエスカが反論した。
「神殿ではなく、エルフが認めていないだけです」
その神殿を牛耳っているのがエルフなら意味は同じだろ、と思いつつ、俺は島を離れてからずっと気に掛かっていたことを言葉にした。
「まだダークエルフを見たことがないんだよな」
隣でマサルがウンウンと頷いている。
「なんだ、つまんない、知ってるの」
神話時代、冥神シャラヌーンの闇の力を求めてエルフから離反した者達がいた。それがダークエルフの起源だという。現在は蜘蛛の谷の奥に里を構え、大陸の他の種族とは交わらずに過ごしているらしい。
同族嫌悪か、近親憎悪といったところか。
「高位精霊はなんとなく判ったよ。んで、下位ってのは?」
これについては、神殿に籠もることの多い巫女のエスカよりも、冒険者として活動しているシルビアのほうが詳しかった。
下位精霊と言われているが、これは便宜上であり、実際に魂だけの姿をしているものは少ないという。シャラヌーンによって冥界から連れてこられた魔物ではなく、カミルエーンが地に産み落とした生物の中にもモンスターと呼ぶに相応しい存在が多数いる。そのうち、位階が高くそれでいて自我のない――と思われるものを下位と呼び、逆に自我がはっきりしていて自立行動とるものをただの精霊と呼ぶ。精霊の代表格が火や水などの四元素の精霊達であり、下位精霊の代表ともいえるのが、エルフの老人の言っていたエドラ荒地蜂の谷の女王蜂だ。
「毎年この時期、巣分け後の間引きが目的で大規模討伐隊が組まれるの。去年は級が足りなくて参加できなかったけど……」
今年は是非、という心の声がシルビアの顔にはしっかりと表れていた。
「何を企んでいるにせよ、わざわざエルフの爺さんが言ってたんだ、貰えるマナはそれなりにあるんだ?」
「え、えぇと……」
俺の問いに、シルビアは気まずそうに視線を逸らした。
代わりに、ミリアがボソリと呟いた。
「……LA合戦」
ラストアタックを決めたパーティーの独り占めというわけだ。壮絶な争いになりそうだ。
「……ドロップは早い者勝ち」
「全然ダメじゃん」
ミリアの言葉の意味が判らないらしく、キョトンとした表情のシルビアに確認を取る。
「毎年、大騒ぎになってないか?」
「あ、うん、毎年、討伐後はお祭りだって聞いてるわ。ノリ遅れると報酬は貰えないって」
いや、それ祭りじゃなくて乱闘だから。
よく毎年開催されるものだ。もしかしたら、みんな事情を知っていて本当にお祭り気分で参加しているのかもしれない。
恐る恐る、本当はイヤなのだが仕方なく、隣に座るマサルに目をやった。
案の定、笑っていた。これ以上ないってくらいにイイ笑顔だった。
申し込み自体はどの街でも受け付けているようで、早速シルビアを通商会館に走らせて手続きを済ませてもらった。
今年は二体を討伐予定で、各五、計十のパーティーを募集しているらしい。すでに申し込み件数が予定数を越えているので、三日後ウカルナの会館で抽選会が開かれるそうだ。
出発は翌朝にして、その日はミラルダで必要な物資の補給をすることにした。
次いで、俺は魔法協会で新しくパッシブスキル魔法制御を購入し、エスカに付与してもらった。シルビアが見せた剣に魔法の刃を載せる、というやつも考えたが、俺達のパーティーは前衛が充実しているので、個人技よりもチームとしての火力を優先したわけだ。もしまたレイジアンとやり合うようなことがあれば、その時はマサルに頑張ってもらえばいい。
そのマサルと、そしてミリアの二人は、武器に気を込めて攻撃力を増すというアクティブスキル魂刃を新たに習得していた。魔法の刃とどう違うのかとも思う。戦技協会も魔法協会も顧客の獲得合戦で大変なんだろうとは理解できる。
シルビアはグレードを上げて許容量を増やしてからドカン魔法を覚えたいということで、今回の習得は見合わせていた。
ウカルナに移動してからは、まずレクサーの知り合いがやってる服飾品店に行き、頼んでいたズボンを受け取った。今度はリザードマンの皮を渡してジャケットの製作を依頼する。
通商会館で行われる抽選に誰が参加するかで揉めた――誰もやりたがらなかった――が、最終兵器としてエスカを送り出したところ、見事に一番を引き当ててきた。ムダなところでやたらに高性能な幽霊娘だった。
当確十組、補欠二組みのパーティーには参加にあたっての注意事項をまとめた書面が配られた。
一.討伐対象に倒されても文句はいわない
一.女王蜂討伐確認までは他パーティーへの攻撃は厳禁
一.女王蜂討伐確認後はただちに武装を解除する
一.各パーティーの所持できる保管袋は2つまでとする
一.他パーティーの保管袋の強奪、収納品の奪取は厳禁
一.他パーティーへの殺傷力のある魔法の使用は禁止
一.他パーティーへの武器による攻撃は禁止
一.何があっても通商会館は責任は負わない
これは酷い。もっと真面目な文体で細々と書いてあったが、意訳すればこんな感じである。まるで討伐後の大乱闘を奨励しているかの内容だ。その場の空気の流れによっては、特定パーティーへの集団暴行に発展することもあり得るだろう。
「これは、ミリア達は参加しないほうがいいんじゃないか?」
腰より少し高い位置にある桃色の頭を見下ろしながら俺は言う。
その頭が後ろに倒れ、ミリアがわざとらしく目をウルウルさせながら見上げてきた。
「……守って?」
「わっはは、俺のほうが守ってほしいぜ」
やれやれと呆れられてしまったが、無理なものは無理なのである。筋力値も体力値も、俺よりミリアのほうが上なのだ。
「トッシー、そこは嘘でも、任せろと言うところです」
「よし、判った。任せろ、ミリアの貞操は俺が守る!」
エスカとミリアが無言で俺の傍を離れていく。
いや、それをされるとマジでヘコむから。
抽選会から七日後。
集合場所であるエドラ荒地蜂の谷入り口で、俺達は討伐隊と合流した。
本当にお祭り状態だ。露営地には馬車で乗り込んだ商人達が出店を並べ、食べ物や雑貨品で集まった冒険者達を呼び込んでいた。討伐隊本体よりも人が多い。剥ぎ取る暇なく先に進んでいく討伐隊に代わって、抽選に外れてあぶれた者やそれ以外の冒険者達が後ろからついていき、倒された獲物から金になる部位を採るのだという。
大きな幌付き馬車で荷物番をする商人がいたので、シルビアとミリアが金を払って背負っていた鞄を預けていた。万が一にも他人に見られるのを避けるため、俺とマサルはエスカに持たせたままだ。
抽選で引いた番号の奇数組と偶数組に別れる。直前の調査で片方の巣の働き蜂の数が多いことが判明しているので、補欠二組はそのまま偶数組に振り分けられた。
露営地に残る人々に見送られて、俺達は出発した。
初めに巣の外側で働き蜂の数を減らし、それから内部に突入して女王蜂を倒す予定だ。
毎年繰り返されるために踏み固められた道が峡谷へと伸びている。が、途中から断ち切ったかのように視界から消えていた。そこからは谷間への下り坂だ。偶数組はそこを真っ直ぐ谷底に向かって進み、俺達奇数組は崖の縁を回り込み、さらに奥の谷を目指す。
壮大な光景だった。日本では絶対見ることのできない大自然の力が目の前に拡がっていた。
草木一本すらない荒涼とした岩山が複雑な稜線を描き、それが見渡す限り、圧倒的なスケール感で延々と続いている。上から覗き込めばほとんど垂直に見える急勾配な斜面が、眩暈を起こすほどの高低差を生み出して底に続いている。初めて東京の高層ビル街の真ん中に立った時の感動は一体なんだったんだろう、そう思わずにはいられないほどの、高所恐怖症持ち泣かせの断崖っぷりだった。
この討伐が終わったら、エスカからソーラーパネルを取り戻そうとふいに思う。スマホを充電して、心に残る風景を形に残して日本に持ち帰ろう。
奇数組の五つのパーティーの中で平均年齢が一番若いのが俺達だった。だからか、隊列の最後尾を押しつけられ、ずっとそのポジションで歩き続けている。
俺達の中で先頭を行くのはマサルだ。カーゴパンツの代わりが手に入ったので、服はこちらの世界のものに新調していた。肘から手首まで、そして膝から下をカバーする防具を新しく装備し、右手にポールアックス、左手にバックラーは以前のままだ。動きづらいと言って、結局胴部には何もつけていない。ああ、あと頭突き用にと鉢金を巻いていた。一体何と戦うつもりなのか。
マサルのすぐ後ろを歩くのはシルビアだ。呪われた廃墟の時と格好はあまり変わっていないが、小型の木製円盾が装備に追加されていた。魔術師だという意識が根本的に欠けている娘だった。
そんな筋肉コンビの数歩分後ろを、ニヤニヤしながら俺とミリアは並んで歩いている。
ミリアはすぐに戦闘に入れるよう、ゲーム機はエスカに預け、両手には頑丈な小手を填めている。鍔なしの革兜を被っているため、可愛い桃色の頭が隠れているのが少々残念ではある。
俺はマサルと同様、服を一新していた。中でも気に入っているのがリザードマンの革で作ってもらったジャケットだ。灰色を基調として淡い緑のグラデーションが入っているのがいい。余った革でベルト用の腰帯と長紐付き巾着をサービスしてくれたが、今は使わないのでインベントリに放り込んである。
一番後ろをついてくるのが荷物持ちのエスカだ。流石に今は遠慮してゲームはしていない。
隊列の先頭が崖下へと降りていくのが見えた。進むペースは速い。余裕があれば夜は露営地に戻ると言っていたので、移動時間は極力減らしたいのだろう。
谷の方を見ると膝が笑いそうになるので、できるだけ足下だけに注意を向けて急勾配の地面をしっかりと靴底で踏みしめる。
「きゃっ」
と、シルビアが石に躓いたのか、体勢を崩すのが視界をよぎる。
それを、マサルが伸ばした左腕一本で支えた。
「気ぃつけろよ」
「あ、ありがと」
シルビアは首筋まで真っ赤に染めていた。なかなかに初々しくて微笑ましい。マサルも面倒臭げに目を細めたりしなくなったので、彼女の努力もほんの僅かだが着実に実っているようだ。
と、ジャケットの裾を横からツイツイと引っ張られた。
「……きゃ」
「きゃ」
ミリアとエスカが目で何かを訴えてきた。
「なに、それ?」
二人が再び口を揃えて言う。
「……きゃ」
「きゃ、です」
「構ってほしいのは判ったから、あとにしような、あとに」
二人は揃ってプイと横を向き、筋肉コンビのあとを追っていく。
悪いとは思うが、今は我慢してもらう。
正直、俺には二人を思いやる余裕がなかったのだ。
谷の底が近づくにつれて、胸のムカムカが酷くなって仕方ない。気持ち悪さが軽い嘔吐感を伴っていた。
最近は肉食が多かったからなとも考えたが、冷静に自分を見つめてみて、原因が胃袋にないことは明らかだった。
そう、心が気持ち悪いのだ。剥き出しの精神をザワザワと直接撫で回されるような、得体の知れない不快感に苛まれていた。
これからの戦闘に対する不安、ではない。先ほどからチラチラ見える原付サイズのサソリとか、乗用車並のバジリスクなんて、人間大の蜘蛛に比べたら可愛いものだ。
原因不明の失調感を抱え込みながら、俺はパーティーの殿を奥歯を噛み締めながらこなすのだ。
討伐隊の先頭集団が谷底に降り立つと同時に、雄叫びを上げて駆け出した。
一匹の働き蜂に、数人がかりで襲いかかる。
地に墜ちた蜂の泣き声が聞こえた。それは錯覚なのだろうか。
ああ、今、一つの命が失われた。それが判る。胸郭の内側を絞り込まれるような、この世界に来て初めて味わう奇妙な喪失感。
斜面を降りきっていない他のパーティーの面々も、威勢のいい声を掛け合いながら、羽音のするほうへと走り出す。
マサルも気が逸るのか、俺の確認を取るために振り返ってきた。
と、その眉が顰められる。
「トシ」
「あ、ああ」
「なに、泣いてるんだよ」
「えっ!?」
杖を持っていない左の掌で、慌てて顔を拭う。べったりと濡れていた。
「な、なんでもない」
心配そうに見つめてくるエスカ達に、取り繕った笑みを無理矢理返した。
「ほら、出遅れてるぞ」
ともすれば持ち主の意思を裏切りそうになる筋肉に命令を下し、仲間達の間をすり抜けて前に出る。
蜂の死肉に誘われたのか、巨大サソリが地を這う姿を捉えた。
「右斜め前、サソリ、引くぞ!」
ブレイズのスイッチを入れ、杖を差し向ける。
十分に威力を練り込んだ白色の細い光が、杖の先端から迸る。
灼熱の光線が外骨格の背中を舐め、高く掲げられた毒針を持つ尾を根元から吹き飛ばした。
「よしっ!」
ポールアックスを構えたマサルが飛び出した。
「いくわよ!」
「……んっ」
シルビアとミリアがその背に続く。
三人の頼もしい前衛がサソリを肉片に変えていく様を、俺はその場で立ち尽くしたまま、ぼんやりと眺めていた。
大丈夫だ。気持ち悪くない。俺は正常だ。
が、次の瞬間、俺は全身に鳥肌を立てていた。
背後が忍び寄ってくる羽音。堪らずに「来るな」と叫んでいた。
偶然、なのだろうか。背後に首を回した俺が見たのは、向きを変えて飛び去る一匹の蜂だった。
そして、
「そっちに行くな!」
なぜ、俺はそんな言葉を無意識のうちに放っていたのだろう。
待ち構えていた別パーティーの冒険者の持つ両手剣が、俺の見ているその前で、蜂の身体を二つに斬り裂いた。
また、だ。また泣き声が聞こえる。『殺さないで』と誰かが哀しげに泣いていた。
胸が締め付けられる。苦いものが喉元をせり上がってくるのを懸命に飲み込んだ。
森の中でジャイアント・ビーを殺していた時に、こんな感情は抱かなかった。元人間だったスケルトンやミイラを倒しても、俺はただの一度だって悲しんだことはなかった。
「トッシー、まさか……でも、そんな……」
「大丈夫だ、心配ない」
きっと俺は酷い顔をしている。
「マサルさま!」
エスカが大きな声を張り上げた。
「蜂は他のパーティーに任せます。私たちは周りでサソリとバジリスクを!」
三人が口々に了解と応える。
「悪い、俺、またみんなの足引っ張ってるよなぁ」
情けない。
「泣き言はあとです、左から二匹来ます! 二手に分かれて対応を」
その言葉に身体が反応する。マサルとともに、右側のサソリを迎え撃つ。
さっきと同じように、ブレイズで尾を狙う。勢いよく振り上げるのに着弾点がずれてしまったが、なんとか先端の毒針は消し飛ばせた。
マサルのアックスが頭部を殴りつける。
「なあ、トシよ」
「んだよ?」
相棒を襲う左の鋏を杖で払う。
「オレはな、今、すげぇ嬉しいんだよ」
「見てりゃ判るよ」
アックスに横殴りされた右の鋏が関節部から千切れ飛んだ。
「こんな世界に連れてきたってのに、一度だって、オレを責めねぇ」
「ばぁか、責めて還れるんだったら、とっくに責めてるって」
鋏を失った右側へ回り込み、尾を杖で殴って牽制する。
「だからなっ」
今度は左の鋏を斧が叩き潰す。
「おまえも好きにやれ、誰にも反対はさせねぇよ」
マサルが一歩後退するタイミングに合わせて、サソリの頭部にブレイズを入れる。
「そりゃ、どうも」
焼けて脆くなった場所へ、アックスの重撃が真上から振り下ろされた。
命を奪ったことを表すマナの光がサソリから浮かび上がった。
もう一匹の方を見る。
ちょうどシルビアとミリアが片付け終えたところだった。
「次、バジリスクが一体!」
まだ休ませてはもらえないようだ。
「どこを狙う?」
問いに答えてくれたのはシルビアだった。
「顔! 目と舌を焼いてくれたら、あとはなんとかなるわ!」
「了解、引くぞ!」
仲間達の位置を確認してから、俺はオープニングショットを撃ち放つ。
狩りに熱中している間は、あの泣き声を意識せずにすんだが、ホッと一息入れた途端、再び俺の心に響いてきた。
より強く、より哀しく。
いつの間にか、討伐隊の他のパーティーの姿はなかった。飛び回る羽の音もしない。
そして、俺はあの声がどこから聞こえてくるのかを、正確に把握していた。
「マサル、俺達も巣穴に向かうぞ」
走る。
正直、行きたくはなかった。何があるのか、それを知るのが怖かった。にもかかわらず強張る両足に無理を強いて動かし続けたのは、一種の強迫観念によるものだ。
どうしても、俺はそこに行かなければならない。
後ろからついてくる重い相棒の足音が、ともすれば折れそうな俺の心を支えてくれる。
働き蜂の無残な死骸を避けつつ、岩肌にポッカリと開いた蜂の巣穴に飛び込んだ。
そして、俺は打ちのめされた。
『殺さないで』
『助けて』
『この子だけは』
グラリと身体が揺れた。心に直接突き刺さってきた悲痛な想いに、一瞬意識を持っていかれそうになる。
「トシ、大丈夫か?」
「ああ、なんとか」
再び、足を前に運ぶ。一歩進むたびに、声は音量と哀しみを増していく。
『殺さないで』『助けて』『この子だけは』
『殺さないで』『助けて』『この子に蒼い空を』
『殺さないで』『助けて』『助けて』『助けて』……
仄かに光るツルリとした岩肌の洞窟には、途中幾つもの分岐路が存在したが、迷わずに俺は声の元へと走り続けた。
『殺さないで』
『助けて』
『この子だけは』
永遠と思える距離にも終わりはある。
女王蜂の広間にようやく辿り着く。
そこは、地獄だった。
「うぇっ」
シルビアが呻き、膝をつく。吐瀉物が地面を叩く濡れた音がした。
「……」
やや遅れてきたミリアが硬直し、フラフラと尻餅をついた。
「なんだよ、こりゃ」
マサルの言葉が、その場にいる全員の気持ちを代弁していた。
女王蜂の広間には、二十人分の冒険者の死体が散らばっていた。
一体何があったのか?
いや、見れば判る。
広間の奥に、全高五メートルはある大きな女王蜂が、何かを庇うようにして蹲っていた。
それを囲むようにして、三人のダークエルフが攻撃を続けていた。
ダークエルフ達が冒険者を皆殺しにし、今まさに女王蜂の命をも奪い去ろうとしているのだ。
そのうちの一人が、広間の入り口で立ち竦む俺達に気がついた。
魔術師なのだろうか、ゆっくりと身体の向きを変え、杖を持ち上げた。
呪文は聞き取れなかった。
1拍遅れて、冒険者の死体の中から、五つがぎこちなく地面からその肉体を引き剥がす。
どれ一人として生命を宿してはいない。あらぬ方向に首が曲がっていたり、手足の関節が余分に増えているような冒険者の死体が、武器を携え、ズルズルと足を引き摺るようにしながら俺達に向かってくる。
「ネクロマンサー、かよ……」
皮肉なものだ。他人から散々ネクロと呼ばれていた俺が、そのネクロマンサー本人によって死の淵に立たされているのだ。
「トシ」
マサルが低く言った。
「みんなを連れて逃げろ」
「ば、ばか、なにを……」
真剣な表情に気圧され、俺は最後まで反論することができなかった。
「オレたちじゃ敵わねぇ。できるだけ多くが生き延びることを考えりゃ……」
そして、マサルの言葉を遮ったのは、エスカだった。
「いえ、マサルさま、大丈夫です」
エスカのいつになく厳しい眼差しが俺の顔を捉えた。
「トッシーはネクロマンサーではありません」
「ったりまえだろ、あんな気持ち悪い真似なんか出来るか」
軽口を無視し、幽霊娘は言葉を続けた。
「トッシーは先ほどから声を聞いていませんか?」
頷く。今でも聞こえてる、俺の心を哀しく揺さぶる悲痛な声が。
「それが誰の声なのか、もう判っているはずです」
判らないはずがない。その存在は、もう目の前にいる。
「精霊使いとして、その声に応えてあげてください。トッシーならそれができるはずです」
ズルズルと接近するゾンビの姿を意識から閉め出す。
右手の中の杖を強く握る。
『殺さないで』
『助けて』
『この子だけは』
哀しいよな、辛いよな。
『殺さないで』
人間の勝手な欲望のために子供達を殺されて。
『助けて』
自分も殺されそうになって。
『この子だけは』
それでも守りたい命があって。
『この子だけは』
「その想い、受け取った」
胸の中でカチリとスイッチが入る。
一気にマナが杖へと流れ込む。膝から崩れ落ちそうになったが、どうにか踏みとどまる。
『この子だけは』
杖が際限なく俺のマナを吸い上げる。それでもまだ足りない。
『この子だけは』
女王が子に命を賭けるのなら、仲間のために俺も同じものを対価として差し出そう。
「サモン・スピリッツ!」
蜘蛛の杖が白く目映く輝いた。
全てを持っていかれた感覚がした。今度こそ本当に全身から力が抜け、身体がそのまま下へと沈み込む。慌てて受け止めてくれたマサルの腕の中で、俺は筋肉という筋肉を痙攣させ、ともすれば消えようとする自我をかろうじて繋ぎ止めていた。
ぼんやりとした視界の中で、女王蜂の巨躯が二重にブれた。いや、肉体から魂が分離したのだ。
仲間の上げる驚愕の声に、ネクロマンサーが慌てて振り返る。しかし、あまりにも遅い行動だった。羽音も立てず肉薄した女王蜂の強靱な顎が、ダークエルフの細い首を刈り取っていた。
長剣を振るった一人は鋭い毒針で胸に穴をあけられ、短杖から魔法を放とうとした残る一人は悲鳴を上げる間もなく頭部を噛み砕かれていた。
瞬きする間の出来事だった。肉体という呪縛から解き放たれた女王蜂は、襲撃者に対して一片の呵責もなく、圧倒的な力でねじ伏せたのだ。
エスカの治癒でなんとか自力で立ち上がることができた俺は、ふらつきながらも女王の下へと踏み出した。
「ト、トシ」
肩越しに手を振って応え、俺は歩き続ける。
女王蜂は元の肉体の前で、羽を動かすことなく宙に浮いていた。
不思議と、恐怖は感じなかった。
『ありがとう』
「こっちこそ、ありがとうだよ」
『助けてくれて』
「俺達も助けてもらったよ」
『この子を』
「できるだけのことはするよ」
『ありがとう』
「ああ、そうだな」
『ありがとう』
「ゆっくりお休み」
手を伸ばす。
指先が触れる寸前、女王蜂の姿は空気に溶け込むようにして消えた。
胸の内側でもう一度「おやすみ」と告げ、俺は彼女が庇っていたものへと身体を進めた。
それはパックリと背中の割れたサナギだった。小柄な人間ほどの大きさがある。
近づき、中を覗き見る。
白い肌の、五歳前後に見える女の子が身を縮めて横たわっていた。
人でないことは、背中の四枚の羽と、額から伸びる二本の触覚が証明していた。
しばらく見つめていると、手足をプルプル震わせて蜂の子が眠りから覚めてくる。ゆっくりと開いた瞼の下には、虹彩の代わりに昆虫の複眼のような模様をした目があった。
物怖じせずに見つめ返してくる子に両腕を伸ばす。両脇の下に手を入れ、抱き上げた。身体の柔らかさが、羽化したてだからなのか、それとも身体本来のものなのか、俺には判断できかねた。壊れ物を扱うように、ソッと優しく胸に抱いた。
しっとりとしていた体表面が段々と乾いていく。それに合わせて、背中の羽もピンと張り、白かった髪の毛も徐々に色づいてくる。
「トシ」
近寄ってきた幼馴染みの相棒が驚いたような声を出す。
「そ、その娘の顔……」
俺は黙って頷いた。
蜂の子の顔は、俺達のもう一人の幼馴染みの小さい頃の顔と瓜二つだったのだ。
07.02 誤記修正