2-08
翌日。
長身を折り曲げ平身低頭して謝るシルビアは軽く流し、早速俺達は出かけることにする。ウカルナに戻ってきたらまた世話になるつもりなので、受付のお嬢さんに愛想良く挨拶してから宿をあとにした。
雑貨屋や食料品店などを巡り、狩り場に籠もる準備を整える。掛かった費用は折半だ。俺達の買い物はエスカの背負っている鞄の中へ。娘二人は取り分けてそれぞれを自分の鞄に詰めていた。
シルビアの装備は、細身の片手剣にハードレザーの胸当て、麻のような厚手の長袖シャツにゆったりとしたパンツ。
ミリアはリーチをカバーするための長柄のハンマーと、プレートの胴鎧と臑当てを着けている。背中のバッグには無骨な小手と鍔なし帽子のような兜が縛り付けられていた。戦闘時に使用するのだろう。
エスカが物欲しそうにミリアのハンマーを見ていたので、買わないぞと機先を制しておく。
長台詞という得意技で不満を連ねるエスカを無視して歩いていると、横から上着の裾をチョンチョンと引かれた。ミリアだった。
「……あの召喚霊、普通と違う」
疑問はもっともだ。他の召喚術師を見たことはないが、それでもエスカの存在が召喚の常識から外れていることは理解できた。なにしろ、呼び出す前に憑かれた。
「でもまぁ、神殿の人間に言わせると、アレはあれでいいみたいだぜ」
「……神殿?」
女神の祝福という表現は神殿関係者の間でのみ有効らしい。あまり吹聴しないほうがいいのかもしれない。ミリアには五百年の熟成モノと言って誤魔化しておく。
「それより、シルビアは落ち着いたみたいで良かったな」
「……ん、昨日はいつもより酷かった」
酷かったのはお前の制裁だろ、とは突っ込まないでおく。
ミリアのたどたどしい口調の説明によれば、程度の差こそあれ似たようなことは以前にも何度かあったようだ。
ここしばらく生活のための狩りばかりで、まったくレベルを上げていなかったという。女二人だとパーティーへの勧誘も多いが、大抵は下心が明け透け過ぎて話にならない。例えまともに見える人達でも、以前に欺された経験があるのでどうしても慎重になる。強くなりたいという想いと、そのための行動に出られない自分達への苛立ちが上限に達しかけた時に、俺達と遭ってしまった。レクサーの知り合いであり、加護の値がとんでもない好みの男の出現に、シルビアはタンポポの種のごとく軽く舞い上がった。
「まぁ、マサルは見た目通りのやつだからな」
弱肉強食っぽいこの世界で、いい男とはマサルのようなのを言うのだろう。
マサルを仲間に誘えば、もれなく俺とエスカがおまけでついてくる。それは判っていたはずだ。正直、シルビアやミリアには良い印象を持たれていないと思っている。気にならないのかと単刀直入に訊いてみた。
「……あなたはいい人」
ミリアはあっさりと否定した。
「……蹴っても怒らなかった」
とんでもない人物鑑定方法だった。これまでパーティーが破綻してきたのはシルビアのせいばかりではない。確実に、ミリアのこの性格もまたその原因の一端を担っていたはずだ。
ウカルナの石畳の上を五人で連んで歩き、広場を抜け、北門から街の外に出る。
門の両脇に立っていた完全武装の兵士が怪訝そうな眼差しを送ってくる。男二人が手ぶらで、女三人が大荷物という構成が珍しかったのだろうか。
街のこちらは山岳地帯になり、荒れた山肌に挟まれた頻繁に折れ曲がる道になっている。
門兵の視界から外れた途端、エスカがインベントリからソーラーパネルを出して背負っていた鞄にセットした。ケーブルを取り回し、「いきます」と気合いを入れてPSβを構える。
「……なに?」
ミリアが早速目をつけた。エスカの横に並んで手元を覗き込む。
シルビアも一緒になって携帯ゲーム機の画面に喚声を上げて驚くが、すぐに興味をなくして傍から離れる。
ミリアはかぶりつきだ。エスカの半透明の身体に自分の肩をめり込ませ、精緻な画面の動きを食い入るように見つめていた。
「桃色の頭が邪魔です。私のイケメンさんが見えません」
「……やりたい」
「人の話を聞かない子だと注意されませんでしたか? どきやがれ、です」
「……金髪が目にいたい」
「私のイケメンさんをイタいと言いますか? 言いましたね、判りました、たった今からあなたは私の敵です、近寄らないでください、だから邪魔と……もう、トッシー!」
そこで俺を呼ぶかよ……。苦笑してエスカの背後に回り込む。
「はっ、私の後ろに立たないでください」
「どこの殺し屋だよ」
「意味不明です、パネルに影を落とさないでください、効率が落ちます」
「いいから、黙って前を向いてろ」
エスカが背負っている二つの鞄のうち、マサルの荷物が入っているほうを開けて中身をかき回す。
何本ナイフを入れてるんだよ……お、シュアファイアのフラッシュ、持ってきてたのか……ワイヤーは使わないだろ……。
大雑把なマサルだから、わざわざインベントリに分けて仕舞っていないだろうという俺の予測は当たっていた。
微笑ましそうに眺めていたマサルだったが、俺が手にしたブツを目にした直後、血相を変えた。
「トシ、それはオレのPSβじゃねぇか!」
「ハッハハ、アカハックの悔しさをマサルも思い知るがいい」
「トッシー、まるで悪役です」
「今装備してんのはイベント限定品なんだぞ!」
「どうせ日本に還る頃には過疎ってるさ、問題ない」
取り上げようと肉薄するマサルの前に立ち塞がったのは、ミリアだ。
握りしめた両の拳を胸の前で揃え、のけぞるほどに首を急角度に曲げ、蒼い瞳をウルウルさせてマサルに無言の懇願をする。
まるで玩具をねだる小学校の女の子、である。
いたたまれずに、マサルはそっと視線を外した。
「せ、せめて、枠は空いてるから新キャラで頼む」
ニンマリと笑ってミリアが俺に掌を上にして差し出してきた。
載せてやる。
「エスカ、指導はお前に任せた」
「任されました。安心してください。立派な戦士に育ててみせます」
力強い受け答えをするエスカにあとを託し、俺はマサルの背中を叩いて先へと促す。
恨みの眼差しは綺麗に黙殺した。先日の俺を笑った報いだ。
「こっちに来てから使ってなかっただろ」
「貸すのは構わねぇんだよ、貸すのはな」
「あっ、マサルのキャラはダークエロフのお姉さんだったか」
男には触れてほしくないモノがある。そういうことだなと一人で納得する。確か、割れた腹筋も露わな、被覆面積が極端に少ない装備が売りのキャラだった。
「これはまた、なんといいますか……防具?」
「……下着」
後ろから聞こえてくる会話に、マサルはガックリと項垂れる。
「装備を剥いだほうが布地面積が増えるというのは不思議です」
「……お腹割れている」
剥いだ装備は間違いなく売り捌くだろう。無言でマサルの背中を叩いて慰める。俺も通った道だ、諦めるほかはない。
「これがマサルさまの好みなのですね。ちなみにトッシーは耳長牛乳女でした」
「……大丈夫、シルビアのお腹も割れている」
「似ているのがそこだけというのは哀しいですね」
二人の声を小耳に挟んだシルビアが振り向いた。
「あたしを呼んだ?」
エスカとミリアは揃って首を横に振る。
「……呼んでない」
「後ろのことは気にせず、前を向いて道案内に勤しんでください。今のあなたに出来る唯一の仕事です、一本道でよかったですね」
シルビアのこめかみがヒクリと引き攣った。
「悪意があるように聞こえるのは、あたしの気のせい?」
「事実をありのままに伝えたつもりですが、もしかして被害妄想の気がありますか? でしたら早めに治すことをお勧めします。世界は悪意に満ちていますので、この先苦労しますよ」
なんとかしろ、とマサルが視線だけで訴えてくる。
内心で舌打ちしつつ、ミリアが待ってるぞと強引にエスカに話を変えさせる。
「あ、すみません、キャラは決まりましたか?」
「……ん」
ミリアが目で礼を送ってきた。
マサルはマサルで、ふて腐れたシルビアに前を向かせていた。
俺やマサルのように武道や格闘系を嗜んでいると、昨日のシルビアが可愛いと思えるくらいに、お馬鹿な勘違い野郎と遭遇する機会が多いのだ。更生可能か試してみて、無理そうだったら見捨てようと簡単に割り切れるのだが、エスカだとまだそこまで達観できないようだ。
昨日の今日だから感情の凝りが消えないのだろう。いずれ、時間が解決してくれたらいいなと思う。女同士の諍いに首を突っ込みたくない、他力本願な俺だった。
俺達が選んだのは乱獲できる狩り場だった。
素材が美味しい狩り場、経験値が旨い狩り場などは、俺達だけでなく他の者にとっても狙い目の場なのだ。
島で蜘蛛を狩っていて俺とマサルは実感した。機械になったつもりで作業的に数をこなしていかなければレベルは上がらないのだ、と。まして、これからは封魂石にマナを取り込む工程が加わる。単純計算で常人の倍の数を狩る必要があった。人気のある狩り場でポッと出の新人がそれをやれば顰蹙をかうのは目に見えていた。
そこで選んだのが人が来なくて数がそれなりに稼げる場所だった。道の前方は荒涼とした山岳地帯、右側は青々とした草原に広大な湖、左は鬱蒼と生い茂る森だ。
人気がないのにはそれなりの理由がある。今回の場合、適正レベル帯が広く獲得マナのバラツキが大きいこと、討伐対象の種類が多く装備を絞れないこと、そして道の先にあるのが蜘蛛の谷と呼ばれる常識人なら絶対に近づかない地であること、などが上げられる。
特に種類の多さが冒険者を悩ませる。ウェアウルフ系、リザードマン系、スパイダー系、ベア系、ジャイアントビー系、ちょっと離れて森の先にはスピリット系と、それらが雑多に生息し、互いを餌にして繁殖していた。
もし効率が悪いようであれば、湖の対岸側の先にある呪われた廃墟と呼ばれるアンデッドが大量発生する場所を第二候補地としている。ただアンデッド系は剥ぎ取れるものがなく赤字狩り確定なので、できれば避けたいところだ。
着いたのは夕暮れ時だ。
山岳地の入り口にある見張り番小屋を拠点にする。
狭く、五人が床で雑魚寝になるが、定期的に補修されているようで雨風は十分にしのげるしっかりとした造りだ。人の気配を隠す陣が設置されていたので、定期的にマナをエスカに注いでもらえば、それなりの安全は確保できる。
その日は持ち込んだ食材で夕食を摂り、のんびりと過ごすことにした。
エスカとミリアは相変わらずゲームにはまっている。驚いたことに通信設定を使いこなしていて、今ではパーティーを組んでのペア狩りだ。
「一足早くパワーレベリングです」
「ローブ職のドワーフに殴り神官か、なんともネタなコンビだな」
「ゆくゆくは猫が壁になるので心配いりません」
「ミリアは獣召喚師にしたのか、召喚獣に経験値半分もっていかれるから効率悪いぞ」
「……ん、可愛いは正義」
あれ、何か引っかかったが、気のせいか?
マサルは日課の筋トレを小屋の隅でやっている。
無謀にもシルビアがそれを真剣な表情で真似ていた。頑張れよと胸の中で声援を送っておく。
一人ぽっちで暇な俺は、適当な場所に座り込み、壁に背中を預けて目を閉じるのだった。
翌朝、日が昇ると同時に準備をして外に出る。
パーティー勧誘に該当するスキル連携をシルビアが習得していたので、彼女達のパーティーに俺達二人を組み入れてもらう。
草を踏みしめて湖に向かって歩いていると、すぐに最初の獲物が視界に入ってきた。緑色の体表面をしたリザードマンだ。お誂えむきに単独行動だ。
「まずは封魂石を試してみます」
エスカが場を仕切り、一歩分前に出る。左の掌に丸い石を載せ、右手の人差し指をリザードマンに突きつける。
「魔法に敏感な相手だと、紐組みに反応して襲ってくると思うので準備をお願いします」
「よし、俺が最初にいく」
蜘蛛の脚+スパイダーシルク製の魔術師の杖を右手に構え、エスカの横に並ぶ。
胸の内側に刻まれた爆炎の陣に意識を集中する。カチリとスイッチが入ったのが判る。瞬間、熱い何かが身内に膨れ上がり、それが右腕を通して一気に杖へと流れ込む。
「エスカ!」
「いきます!」
エスカの人差し指が閃光を発した。
リザードマンがピクリと身体を震わせる。太い首をもたげ、縦に割れた目で周囲を睥睨する。
見られた、と感じた直後、リザードマンは尾を高く持ち上げ、前屈みで駆けてきた。
逸る気持ちを抑え、杖にこもった力を無言で解き放つ。
光と熱の放射だった。
五十センチを越える白い光の柱が水平に地面を薙ぎ、湖に突き刺さり盛大に爆発した。
一瞬の間だった。
プスプスと白煙を上げる燃えた草の道が湖まで一直線に伸び、途中にはリザードマンの下半身が一体分転がっていた。
浮き上がったマナの光球は真っ直ぐにエスカの持つ封魂石へと吸い込まれた。
「すげぇ、一殺! 俺つえぇ!」
天高く杖を突き上げて歓喜した。これこそが、俺が思い描いていた魔法だ。
しかし、相棒達の反応は冷たかった。
「ダメだな」
「駄目ですね」
「なんでさ!」
「見てみろ、剥ぎ取る部位が残ってねぇ」
「蒸発してます」
「……オーマイガッ」
攻撃魔法はこれしかない俺は、なんて使えないヤツなんだ……と両膝を地面について慟哭した。
そんな俺に詰め寄ってきたのはシルビアとミリアだった。
「ちょ、ちょっと、なんでブレイズ!? なんなのあの威力は!?」
「……規格外」
「級二十越えたぐらいで、どうしてあんなのが撃てるの!? どういう加護持ってるの!」
「い、いや、道具のおかげじゃないかと、ははは」
興奮する二人を抑えてくれたのはエスカだった。
「無駄口はそこまでです。次はお二人の力を見せてもらいます。あとマナがきちんと分配されるかの確認もしますので」
完全にリーダー気取りである。巫女時代に戦闘訓練を受けたとも思えないし、これもゲームの影響なのだろう。ミリアとのペア狩りで味を占めたらしい。
「トッシーはシルビアさんの魔法の使い方をよく観察するように。あとで杖に込めるマナの量の制御をしてもらいますので」
「また俺だけいらない子かよ」
「大丈夫だ、トシにはオレたちが倒したやつの剥ぎ取りって立派な仕事があるぜ」
ニヤリと笑うマサルの腹を拳で殴りつける。堅い腹筋に跳ね返された。
「いい具合に湖からもう一体出てきました。あれでいきましょう」
「見せてあげる、あたしたちの力を」
「……んっ」
鎚を担いだミリアが走り出した。後衛の射線に重ならないよう、斜め前とコース取りしているのは流石だ。
シルビアが鞘から抜いた片手剣を頭上に掲げた。
柄の内側に陣が刻まれているのか、そこから刀身へと薄くマナが流れ込んでいくのが見えた。
「アイスボルト!」
ああ、名称を口にするのは味方に何を使用するかを教える意味もあるのか。
真っ直ぐに剣が振り下ろされた。
放出されたマナは冷気の塊となり、狙い違わずリザードマンに着弾した。
白い霧が弾け、緑色の鱗にうっすらと霜が纏わりつく。急激な低温下によって運動能力を阻害する魔法だ。
その時にはミリアが距離を詰めていた。クルリと小柄な身体を回転させ、遠心力を載せたハンマーで蜥蜴の膝を外側から破壊する。回る慣性力を利用して、崩れ落ちた相手の頭頂部にさらに一撃を加えた。
衝撃で前にのめり、頸椎部が晒される。
いつの間にか横に立っていたシルビアが、風の魔法をのせた刀身をそこに叩きつけた。
肉を断ち切る鈍い音。
間欠泉のように赤い血飛沫が切断面から噴き上げた。
尾が何度か大地を叩いたのは、肉体が持つ生への執着か。やがて、力なく地面に落ちた。
「どう、こんなものよ?」
「……ん」
伏したリザードマンからマナの光が浮かび、二つに分かれた。
適正外なシルビアとミリアの間を素通りして、一つはマサルの胸へ。
そしてもう一つは……。
「えっ!?」
「はい!?」
さらに二つに分かれて、俺とエスカの胸へと吸い込まれた。
「四分の一、かよ」
「はんぶんのはんぶん、です」
俺の取り分から分け与えるのだから、こういう結果になって当然ともいえる。
つまり、マサル達が順調にレベルアップすればするほど、俺とエスカは取り残されていくことになるのだ。
「トッシー、今、召霊を解除しようとか考えませんでしたか?」
「そ、そんなことはないぞ」
「召喚師と召喚霊は運命共同体なのです、死なばもろともです、見捨てたら祟ります」
「召喚した覚えはないけど、な」
マサルが俺の肩に手を乗せて言う。
「任せろ、トシは剥ぎ取りだけしてろ」
「二倍倒すのも三倍倒すのも、そんなに変わんない、かな」
「……ん、寄生」
みんな苛めっ子である。
俺とエスカはションボリ肩を落として地面にのの字を描くのだった。