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魔王はだれだ!?  作者: かぶきや
第二章 承
10/19

2-05

 

 

 翌朝、レクサーとマーサ夫妻の好意で保存食をたっぷりと仕入れた俺達は、意気揚々と村を出発した。

 長柄斧(ポールアックス)を肩に担いだマサルと手ぶらの俺が前を行き、大きなバッグを二つ背負ったエスカが数歩後ろをついてくる。

 エスカには、突発的な戦闘があるかもしれないので、ゲーム禁止をきつく言い渡している。伝えた当初は鋭い目つきで睨んできたが、今は五百年ぶりの外の風景を楽しんでいるようだ。


 右手に青い海原、左手に昨日狐狩りした草原を見ながら、急ぐでもなく、ゆっくりと土の道を歩いていく。

 海岸から駆け上がってくる涼風が頬に心地よい。

 緑の絨毯が乾いた葉擦れを鳴らして緩やかに波を打つ。

 真っ青な空のキャンバスに、白い絵の具を落としたかのような雲が流れている。

 海鳥の鳴き声。名も判らぬ昆虫達の求愛の調べ。

 そして、太陽を横切る巨大な翼竜の落とすくっきりとした黒い影が俺達の上を通過する。

 うん、見なかったことにしよう。ロスイゴス島は今日も平和だ。


「マサル」

「んっ?」

「知ってたか? クモの雄って、生涯で一度しかエッチできないんだ」

「なんだそりゃ」

いれた(・・・)直後に雌にチョッキン、されるってさ」

「うっ」


 マサルの歩調が一瞬間乱れて内股になる。

 これは男にしか理解できない恐怖である。


「すごいよな、たった一回のためだけに自分の人生の全てを賭けてるんだぜ」

「そりゃあれだろ、種の存続のための本能ってやつ?」


 と、

「コホン」

 冷気を帯びた咳払いがした。


 もう一人いることを俺達はすっかり失念していた。


「で、でだ、その後の雄は凶暴になるから注意しようなと、そういう話だ」

「本当か?」


 疑わしそうなマサルの視線は、甚だ不本意なものだった。


やる(・・)ことやってスッキリしたら、もう思い残すことはないって開き直るらしいぞ。童貞のヤツに比べて三倍は強いらしい」

「なんだその三倍ってのはよ、一気に信憑性が落ちたぜ」


 再び咳払いがしたので、急いでこの会話は打ち切ることにした。


「絵的に美しくないので却下です。私の感性が汚れます。もっと爽やかな内容を選んでください」

「善処するよ」


 爽やかね、と内心でネタを探しつつ相棒の顔を見上げる。俺達二人にはあまり縁のない単語だった。

 そういえば、と思い出して口にする。


「柔道部の相良から聞いたんだけど、お前に色目使う先輩がいるって」


 実に若者らしい話題だ。これならエスカも食いつくだろう。


「マサルさまに懸想するかたがいるのですか?」


 案の定、瞳をキラキラ輝かせてマサルの顔の位置にまで浮き上がる。


「あの野郎、余計なことを……」

「マサルさまの魅力(きんにく)を理解できるなんて、きっと素敵なかたなんでしょうね」

「素敵、か……ふっ」


 マサルは目を細めて青い空の彼方を見る。


「女子部の副部長なんだが、な」


 微妙に目の焦点が合っていない。もしかしたら踏んではいけない地雷だったのか。


「旧石器時代ならきっとすげぇモテたんだろうぜ」


 ああ、そういう人なのか。伝わってくるおどろおどろしい雰囲気に、エスカも若干引き気味だ。


「ただ残念だが、オレは現代に生きる日本人なんだ」

「すまん、悪かった、もういい、忘れてくれ」


 マサルの好みはアスリート系でさっぱりした性格の女性である。二つの脂肪の膨らみよりも、その下の割れた腹筋にときめくという少しばかりマニアックな性癖だ。


 愚にもつかぬ会話を楽しみながらも、足は動かし続けて距離を稼ぐ。

 なだらかな丘の裾を抜け、昨日出てきたナラブの森を迂回する。森の木々の密度が疎らになる頃には、道の上り傾斜はきつくなり、地面には石や岩が目立ってくる。


「そろそろ注意したほうがいいかもな」

「だな」


 レクサーのおっさんには、決して道から外れて歩くなと言われていた。

 蜘蛛には巣を作らないタイプもいる。徘徊型と呼ばれるもので、獲物が通りそうな場所に感知用の糸を張り、その振動を察知して襲いかかるのだ。

 路上が比較的安全なのは、同じ山に生息する天敵の赤目熊が移動する際に道を利用するからである。もともと獣道だったのを拡張して人も使っているらしい。


 途中で休憩をいれて歩き続けること数時間、昼を過ぎた頃に、俺達は目的地であるオエド爺さんの住む家に辿り着いた。

 見た目普通の平屋造りで、背後には山の急斜面が迫り、前方は道を挟んで崖になっていて海が一望できる絶好のロケーションだ。

 周囲に人間大の蜘蛛が巣を張っていなければ。


 老人の一人暮らしで、日当たりや水はけの関係で山のこちら側の斜面でしか栽培できない果実で収入を得ているという。蜘蛛のおかげで害虫や害獣に実を荒らされずにすんでいると、玄関先で対応するオエド爺さんは笑っていた。


 とりあえず中庭に場所を移し、俺達はどこの蜘蛛を退治すればいいのか、どの部位を回収するのかを話し合った。当然日帰りできるような内容ではなく、夜をどうするかと心配する俺達に、爺さんは馬小屋を利用すればいいと簡単に言う。なんでも、ここに越してきてすぐに馬は蜘蛛に喰われてしまい、以来ずっと空いているらしい。

 最初は同居していた奥さんが幾日と経たずに村に戻ってきたとレクサーから聞いていたが、その理由がよく判った。馬の二の舞になるとは思わないのだろうか。想像力の欠如というか、感性のズレ具合に俺達が殺意を抱いたのはごく自然な流れである。


 夕暮れを迎える前に、まずは一匹を狩ってみることにした。

 村の若者達はこの山の蜘蛛や熊を狩って位階(グレード)を一から二に上げることで一人前と見なされ、それから内地のウカルナに渡って本格的な冒険者家業に身を投じるという。

 レクサーの娘シルビアが島を離れたのは去年だが、その時一五歳だった。


 同じ人間で同じ世代の娘が為し得ている。

 俺達にできないはずがない。

 ま、そう思わないと気が萎えてやってられない、が本音である。


 ちなみにシルビアとその幼馴染みミリアが討伐対象に選んだのは赤目熊らしい。つまり、彼女達が去年熊を狩り過ぎたせいで、今年になって俺達が蜘蛛を狩る羽目になったということだ。もしウカルナで会ったなら文句の一つでも言ってやろうと思うのは逆恨みか。


 エスカに荷物を担がせたまま、オエド爺さんに言われた場所へ向かう。

 山肌や木の上にいる蜘蛛はここに来るまでの間に何度も目撃したが、そこでは何匹もが道の上にたむろしていた。

 黒と黄色の模様が身体全体に描かれたもの、全体が薄茶色に包まれたものの二種類が混在している。

 大きいやつは頭の先から尻までの全長が二メートルを超えている。足の長さを入れたら横幅は四、五メートルになるだろう。小さいやつでもエスカぐらいはある。

 毛の生えた歩脚が蠢く様は、生理的嫌悪感を強烈に刺激した。


 蜘蛛は集団行動をとらないのが救いだ。一匹ずつ引き出して対処すればいい。

 始める前に、マサルと討伐手段を確認する。


 採取部位は毒袋と糸袋なので、顎に該当する鋏角(きょうかく)とその根元、出糸器官のある尻の先端部はできるだけ無傷で倒すことが望ましい。

 心臓と肺は腹部にあるので、胸部から切り離すことができればいずれ死ぬ。頭部と胸部は硬い外骨格に覆われているが、内側は脳神経系が大半なので破ることができれば仕留められる。移動する時には常に尻から糸を出しているので、それに絡め取られないように注意する。そして、倒したと思っても死んだ振りをするので確実にとどめをさす。

 すべてレクサーからの情報だ。


「ちょっと不安になってきた」

「なんとかなるだろ」


 日本から持ちこんでいた滑り止め付きの革製手袋を填め、手首をマジックテープできつく固定すると、マサルはポールアックスを軽く二、三度振る。


「トッシー、少し情けないです」

「仕方ないだろ、誰だって苦手なものはあるんだよ」


 自覚しているため、あまり強く言い返せない。

 俺もウエストバッグからグローブを出して両手に填める。スリングショットを使うため、右手だけは指先を切ってハーフフィンガーにしていた。


「エスカは少し離れてろ。あ、何かあったら治癒のほうよろしく」

「判りました。せっかく知り合えたのですから、あっさりと死なないでくださいね」


 苦笑を浮かべてから、俺は一番近い蜘蛛へと足を進めた。

 距離は十メートルほど。

 ウエストバッグのサイドポケットから鉄球を取って、スリングショットの革帯に挟む。

 深呼吸を一回、二回、三回。


「引くぞ」


 構えて、放つ。

 陽光を反射して、撃ち出されたスティール球が銀色の軌跡を描く。

 頭部に並んでいる複眼の一つに着弾した。ガラスにも似た破片と、濁った体液が僅かに飛び散った。

 瞬間、歩脚を縮めて地面すれすれまで身体を低くした蜘蛛は、身震いすると、ゆっくりと脚を伸ばしてゆく。


 ゾクリと背筋に悪寒が走った。

 蜘蛛の複数の目がこちらを捉えたのを、俺は本能で理解した。


 蜘蛛が動き出す。

 歩脚先端の爪の土を削る音が、まるで押し寄せる波音のようだ。

 速い。

 当然だ。脚の長さを考慮していなかった俺のミスだ。二発目は諦め、スリングショットをその場に捨てると、ベルトからスパイダルコのフォールディングナイフを右手で抜く。

 ロックバックの刃を左手で起こす余裕はなかった。

 地面を這う蜘蛛の腹の下から、黒い影が飛び出してきたのだ。

 雌の三分の一ほどの雄だと理解したのは、八本の歩脚を蠢かせて突進してくる姿を目視してからだ。


「大きいのは任せろ!」


 横に並んだマサルがポールアックスを鋭く前方へ突き入れる。

 頭部を強打されて強襲を止められた雌が、激しく前脚と触肢を振り回す。

 その脇を雄が駆け抜け、跳んだ。

 蹴ってやろうと身構えていた俺は虚をつかれ、身体を斜めに倒すのが精一杯だった。

 視界の隅を、白く輝く糸を曳きながら、大型犬並のサイズの蜘蛛が横切っていった。

 地面の上を転がり、素早く起き上がる。

 前には、いない。

 慌てて身を捻る。

 目前に前脚を拡げた蜘蛛が迫っていた。

 左腕で払い落とせたのは反射神経によるものだ。顔面を狙ってくる蜘蛛に対して、軽い恐慌状態に陥っていた。

 着地した雄蜘蛛は第一脚を上に持ち上げ、己を大きく見せる威嚇のポーズを取る。


「トッシー、マサルさまが危ないです!」


 エスカの叫びが耳朶を打つ。

 ああ、まったく、俺はいったい何をやっているんだ。こんなにも遅い(・・)やつを相手に、無様にもほどがある。

 二刀にこだわりすぎた。刃を起こしていないナイフはそのままで、左手で鉈を逆手に抜く。


 横に移動する蜘蛛を見据えながら、順手に握り直し、右足を後ろに引く。

 左手一本の、下方の視界を広くとるための上段。

 蜘蛛が跳躍する。

 警察署の道場で貰った突きは切っ先が見えなかった。それに比べて、なんて単調で遅いんだ。

 上段からの正面打ち落とし。

 竹刀打ちをしてしまったと、反省できる程度には余裕があった。


 縦に真っ直ぐ斬り裂いた。

 頭から胸が左右に開いた蜘蛛がベシャリと落ちる。原色の絵の具をゴチャ混ぜにしてブチまけたかのような体液で土を黒々と濡らしながら、八本の脚をでたらめに動かしもがいていた。


 最後まで見届けている暇はない。

 マサルの方に向けて駆ける。

 左右から振り下ろされる前脚の攻撃をポールアックスで巧みに捌きながら、雌蜘蛛の突進を凌いでいた。

 右腕のシャツが破け、赤い色が滲んでいるのを見て、俺の頭にカッと血がのぼった。


 側面から近づき、今まさに振り下ろされようとしている前脚目掛けて鉈を水平に払う。

 キチン質の外骨格は竹を切るかのような手応えだった。支えをなくした脚は地面に落ち、体腔内を流れる暗緑色の血液がドロリと切断面からあふれ出る。

 俺は横へステップを踏むと、第三脚、第四脚も同様に切断した。


 正面のマサルから真横の俺へと標的を変えようとした蜘蛛は、身体を回そうとして大きくバランスを崩した。

 そこへ、渾身の力を込めたポールアックスが叩き込まれる。

 外骨格の砕ける鈍い音と、地面に衝突する重い音。

 マサルは無理矢理割れ目に斧の先端をねじ込むと、勢いをつけて蜘蛛の背中に飛び乗った。

 柄を右手で掴んでバランスを取り、左手で和式ククリを抜くと、胸部と腹部の境目に刃を走らせた。

 はね除けようとした蜘蛛だったが、百キロを越える重量に負け、無駄に爪で地面を引っ掻くだけにとどまった。その拍子に、ズルリと腹部が落下した。


 (せわ)しなく地面を掻く脚の動きは次第に緩慢になり、やがて痙攣にも似た震えの後に停止した。

 マナの光が浮かび、俺とマサルに分散される。


「終わった……」


 肩から力が一気に抜けていった。


「顔色が悪りぃぞ、大丈夫か?」


 問題ないよと首を振る。ウェアウルフの時よりも胸のむかつきが酷かったが、我慢できないほどじゃない。


「って、俺よりもお前だよ」

「心配ねぇ、掠り傷だ」


 荷物の中に消毒薬があったはずだと目を向けた時には、すでにエスカがマサルの横へと移動していた。


「この傷でしたら私でも癒やせます。痕も残りません、安心して任せてください」


 傷の上にかざされたエスカの手がぼんやりと光り出した。


「魔法、マジですげぇ」

「驚いたぜ、全然痛くねぇ」


 とりあえず心配はなさそうなのでホッと胸をなで下ろす。

 鉈についた蜘蛛の体液を、その蜘蛛の脚の毛で拭い落とし、うっすらと刃に残った油分をカーゴパンツで綺麗にしてから鞘に仕舞う。


 落ち着いてみてようやく気づいたが、あたりには酷い悪臭が漂っていた。発生源は蜘蛛の体液である。これから部位の採取かと想像しただけで気が滅入ってきた。

 エスカの担いでいるバックパックのサイドポケットからビニールの手袋を二組取り出すと、一組をマサルに渡し、もう一つを革手袋の上から填めた。


「マサルは顎のほうを頼むよ。俺は糸のほうに挑戦してみる」


 糸の原料は体内では液体で、空気に触れると硬化する。上手く取り出さないと売り物にならなくなってしまうのだ。

 体液が流れて高さを減じた蜘蛛の腹部と向かい合う。


 と、背後から(しわが)れた声がした。


「随分と苦労したようじゃの」


 オエド爺さんだった。


「なんだよ、見てたのかよ」

「驚いたわ、ネクロマンサーが短剣でやり合うなぞ、前代未聞じゃ。杖の一本も持っとらんのか?」

「まだ駆け出しだからな、だいたい魔法なんて一つも覚えちゃいない」

「呆れたわ、そこの幽霊っ()に岩を浮かばせて、上からポイと落とさせれば済むことだろうに」

「えっ!?」

「そんな手もあったか……」


 盲点だった。

 俺達の苦労は一体なんだったんだ……。


「せいぜい頑張るんじゃな。ほどほど働いてくれたらワシが杖を作ってやるぞ」


 得意げに胸を張るエスカの笑顔が、なぜかとっても眩しくて畜生だった。




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