プロローグ
持久戦だった。
相手の攻撃は当たらない。
俺の唯一の攻撃魔法爆炎は有効なものの致命打とはならず、数を重ねて蓄積ダメージで対するしかない。
足の遅いアンデッド系ミイラが持つ大剣の届く範囲は、すでに見切っていた。頭ひとつ高いそいつを仮想の中心点に定め、大きく円を描くようにして周囲を走りながら、攻撃という名の嫌がらせに徹する。
ステップのタイミングが一拍狂うだけで簡単に瓦解する、タイトロープのデスゲーム。
俺の精神力とミイラの体力の、どちらが先に尽きるかの根比べだった。
脆弱な後衛職の戦い方じゃない。
こんな回避盾みたいな役割を本来こなす人間は別にいる。
と、空振りの連発に業を煮やしたのか、錆の浮いた大剣を地面に刺し、ミイラが両手を結んで詠唱を開始した。
「マサル、くるぞ!」
注意を促し、牽制にでもなればとブレイズを撃つ。
「おお、こっちも今終わった」
即座に相棒小前田傑の応えが返ってきた。
胸の前で弾ける炎をものともせずに詠唱を終えたミイラの周りに、光を放ちながら回転する魔法陣が三つ。
現れるのは白骨の兵士達。
俺はサイドからバックへとステップを踏んで距離を空ける。
その横を、190cmを越える巨漢が吠えながら通過した。
三体のスケルトンに長柄斧を叩き込むマサルを視界の隅に入れつつ、大地を蹴って斜め前へ。
召喚されたザコMOBを引き連れて離れていくマサルとは反対側から、再度ミイラへの嫌がらせを敢行する。
取り巻きを片付けてから二人でミイラをタコ殴りにする、という当初の予定は戦闘開始後五分と経たずに放棄した。こちらが邪魔モノを排除したと思えば、すぐに呼び出して補充してしまうのだ。
複数の近接職をさばく技量は俺にはない。ゆえに、逃げ足を活かしての囮役を仕方なくこなしている。
ミイラが大剣を握り直し、大上段に振りかざす。
相変わらず力任せの単調な動きだった。
乾燥し過ぎて脳味噌が子犬のサイズ並に縮小してしまったらしい。
身体を開いて剣先を躱すと、距離をとってブレイズ。
俺の攻撃もミイラに負けず劣らず単調だったが、それでも塵も積もれば山となるで、それなりに効いているようだ。
元々血色の悪かった肌はさらに鈍い色となり、乾いた皮膚の表面には細かな皹が生じていた。
「!!」
黄色く変色した歯を剥き出して、ミイラが意味不明の叫びを上げる。
俺はとっさに身構える。
直後、両足に黒い霧が絡みついてきたが、大丈夫だ、たやすく蹴散らした。
これが囮役をしているもうひとつの理由だった。メンタリティーの高い俺は高確率で状態異常付与の魔法を無効化できるのだ。
「トシ、終わったぜ!」
スケルトンを殲滅したマサルの声が聞こえてきた。
ミイラは、詠唱する気配を見せない。
召喚を多用したツケか、生命力が枯渇しかけている?
「仕掛けるぞ」
右手の魔術師の杖を前に出して警戒しつつ、左腰にさげた朱漆塗りの鞘から狩猟用鉈を左手で抜く。
逆手から順手へと、鮫皮の柄を握り直す。
「エスカ、準備しろ!」
正面を向いたまま合図を送る。
やれやれと、少々皮肉気な口調が背後から響いてきた。
「ようやくですか、待たせすぎです。計画は完璧だと大言壮語を吐いたのはどの口ですか」
聞こえない、集中している俺の耳に周囲の雑音は入らないのだ、たぶん。
マサルの立ち位置を意識の隅に置き、ミイラとの間合いを詰める。
右足に体重を載せ、半歩前に置いた左のつま先をゆっくりと地面の上で滑らせる。
ミイラの剣先が動いた。
俺はスタッフの先端を突きつける。
大気を斬り裂いて、唸り真上から落ちてくる錆びた剣。
「ってぇー!」
右足で地面を蹴り、その脇をすり抜ける。
つい習慣で叫んでしまったが、俺の肉体は今までに何度となく繰り返してきた型を一分の狂いもなく再現してのけた。
手首を中心にして、小さく鉈を振る。
刃にかかる抵抗はなかった。
大剣を握ったままの乾いたミイラの右手が、ポトリと落下した。
マサルもまた同時に動いていた。
アックスの刃がミイラの首筋を横殴りにする。衝撃で割れた皮膚の欠片が細かく宙に舞う。
そのまま長柄を首に巻き付けるようにして、自身はその背後へと回り込む。膝裏を蹴り抜き、跪かせる。いや、喉仏に押し当てられた柄のせいで、ミイラは半ば宙吊り状態だ。
毛髪のない、かさついた頭部に絡んだマサルの上腕の筋肉が大きくうねった。棒と自分の腕を組み合わせた裸絞めだ。
パキッ
まるで枯れ木を折ったかのような乾いた音の後、ミイラの首が斜めに傾いだ。
俺は開いた口にスタッフの先端をねじ込み、相棒が飛び下がるのを確認してから。
「ブレイズ」
鈍い爆発音とともに、肩から上は消失した。
焦げたイヤな臭いが鼻をつく。
薄煙が風に流れるのを待った。
「やったか?」
「かな?」
しばらく、俺達は警戒を崩さずに首なしミイラを監視する。
大地に崩れ落ちた皮つき骨が動き出す気配はない。
かわりに、淡い光の塊がその背中からフワリと浮き上がった。
光は滑るようにして空中を漂い、俺達を通り越してゆく。
その行く先には、一人の小柄な少女がいた。
……正確には宙に浮いていた。身体の向こう側の景色が透けていて、ごく普通の娘ではないことがよく判る。
「やっと終わりましたか」
飛んでいた光は、彼女の持つ透明な石に音もなく吸い込まれていった。
「あの程度の位階の魔物相手にこれほど時間をかけるなんて、本当に先が思いやられます。まあ、所詮はその程度なのだと理解はしていましたが。それに比べて、多数のスケルトンを圧倒するマサルさまのあの勇姿。少しは見習ったらどうですか?」
性格も普通じゃないけどな。
疲労困憊の俺に言い返す気力は湧いてこない。走り過ぎで膝は先ほどから震えっぱなしだ。座り込まなかっただけでも褒めてほしい。
鉈を鞘に収め、苦笑いするマサルと軽くハイタッチしてからエスカに接近する。
「少しは貯まったのか?」
彼女の持つ宝石、封魂石を覗き込みながら問いかける。
フッと溜め息を吐かれてしまった。
「この程度の位階、と言いました。毛筋ほども変わりませよ?」
よく観察してみれば、ほんの少し、よく見なければ判らないほど微かに、赤い色がついている、かな? 朝見た時と比較しても変化なし、と言われて頷けてしまうのが悲しい。
これを真っ赤に染めなければいけないのだ。
あとどれぐらいの魔物を相手にしなければならないのか。前途多難である。
夏休みが終わるまでに日本へ還れるのだろうか。
俺、那津俊明は、ここ異界の地バラムカーンで未来の自分を憂うのだった。
06.02 1-03に合わせてエスカの台詞を変更
06.04 全文差し替え