中央駅への凱旋と、魔将軍の祝杯
鉱山都市ツェルベルスを出発したサンズグリーズ鉄道・特急リリス号は、かつてないほどの力強さで大地を疾走していた。
ズドオォォォォォン……!!
重低音が荒野に轟く。
現在のリリス号は、十数両の貨車に満載された数百トンの石材と、八百トンもの巨大魔法石を牽引する超重量編成である。
本来ならば、その動きは鈍重になるはずだ。
だが、現実は違った。
シュッ! シュッ! シュッ! シュッ!
ドラフト音は軽快かつ鋭く、速度計の針は危険領域手前で安定している。
港町ベルンリングで手に入れた高出力燃料『海底炭』。
鉱山都市ツェルベルスの職人たちが魂を込めて鋳造した『魔導合金製・超重重量対応車輪』。
そして、風の精霊王シルフによる『追い風』の加護。
これら三つの要素が奇跡的に噛み合い、リリス号は過去最高のパフォーマンスを発揮していた。
「機関圧安定! 魔力変換炉、出力一二〇パーセント! ……速い、速いです親方!」
若葉一利が興奮気味に計器を読み上げる。
隣で操縦桿を握るウサギの親方は、ゴーグル越しに自信満々の瞳を光らせ、ニヤリと笑った。
『キュッ!(あたりめーよ! 今のリリスは無敵だぜ!)』
その言葉を証明するかのように、行く手に障害物が現れた。
線路の上に築かれた、丸太と岩のバリケード。
またしても野盗だ。復興資材を狙って待ち伏せしていたのだろう。数十人の男たちが武器を構え、列車を止めようとしている。
「前方に障害物! 野盗です!」
若葉が報告するが、親方はブレーキに手を伸ばさなかった。
代わりに、蒸気の噴射レバーを引いた。
バシュゥゥゥッ!!
先頭の排障器に赤い魔法陣が展開される。衝撃吸収と粉砕の複合魔術だ。
「フゴッ!(蹴散らすぞ!)」
リリス号は減速するどころか、さらに加速した。
野盗たちが「おい、止まらねぇぞ!?」「逃げろォォォ!」と悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
ドガァァァァァァァン!!!
バリケードが木っ端微塵に弾け飛んだ。
岩が砕け、丸太がマッチ棒のように宙を舞う。
リリス号は何事もなかったかのように、黒い煙を残してその場を通り過ぎていった。
車体の揺れすらほとんどない。
若葉は手帳を開き、冷静に書き込んだ。
『障害物突破。遅延なし。……まるで小石を踏んだ程度ですね』
さらに数時間後。
今度は空から、巨大な影が迫ってきた。
『野良ドラゴン』だ。
翼長十メートルはある緑色の竜が、リリス号を獲物だと思ったのか、並走しながら炎を吐こうと口を開けた。
「ギャオオオオオオッ!!」
「リュシアさん、右舷後方! ドラゴン接近!」
「ふむ。個体識別、ワイバーン亜種。飛行速度は時速八十キロ。……遅いな」
リュシアは車掌室の窓から冷静に観察し、つまらなそうに鼻を鳴らした。
親方が「フゴッ(舐めんな!)」とスロットルを全開にする。
ズガガガガッ!
リリス号の煙突から、爆発的な黒煙と蒸気が噴き出した。
一瞬で加速。
ドラゴンの横を風のように抜き去り、あっという間に豆粒のような小ささにしてしまった。
ドラゴンは呆然と空中でホバリングし、諦めて飛び去っていった。
「本当に無敵だ……」
若葉はリリス号の頼もしさに震えた。
西の大陸から中央大陸へ。
海を越え、山を越え、リリス号は一週間の旅路を駆け抜けていく。
道中、いくつかの街にも停車した。
燃料補給や点検のためのわずかな時間だったが、若葉たちにとっては楽しい息抜きとなった。
古代の遺跡の上に作られた街、『遺跡都市ケンガレッジ』。
ここでは、リュシアが目を輝かせて露店を漁っていた。
彼女が買ってきたのは、赤錆びた鉄の歯車や、何に使うのか分からない石板の欠片だった。
「見てくれ若葉。この歯車の錆び具合、絶妙だと思わないか? 古代文明の空気を感じる……」
「えっと、それはゴミでは……いや、貴重な資料ですね」
若葉は苦笑いするしかなかったが、リュシアが嬉しそうなので良しとした。
次に停車したのは、一面の麦畑が広がる『田園地帯マルガボニー』。
ここでは、親方が目の色を変えて酒屋へ走った。
この地方特産の『爆裂麦酒』。魔法で発酵を促進させた、アルコール度数五十パーセントを超える強烈な発泡酒だ。
親方はそれをケースごと買い込み、満足げにヒゲを震わせていた。
「フゴッ!(燃料補給完了だ)」
「親方、それリリス号の燃料じゃなくて、親方の燃料ですよね?」
そんな賑やかな旅を続けながら、リリス号は着実に目的地へと近づいていった。
そして、出発から一週間後の朝。
窓の外の景色が、見慣れたものへと変わってきた。
背の高い針葉樹の森。遠くに見える雪を頂いた山脈。
そして、懐かしい風の匂い。
「……帰ってきた」
若葉は車掌室の窓を開け、風を浴びた。
リリス号を包むシルフの加護の風が、どこか嬉しそうに、そして甘えるように若葉の頬を撫でていく。
近くに、風の精霊王シルフの本体がいる『人攫いの森』があるからだろう。分身である風が、本体の波動を感じて共鳴しているのだ。
「あれが、世界の中心……『中央都市グロリアス』か」
隣でリュシアが身を乗り出した。
地平線の彼方に、巨大な城壁に囲まれた白亜の都市が見えてきた。
かつて魔王城があった場所を中心に、人間と魔族が協力して作り上げた、サンズグリーズ最大の都市。
まだあちこちに足場が組まれ、修復魔法の光が見えるが、その活気は遠目からでも伝わってくる。
「すごいな……。資料映像で見るよりも、ずっと生命力に溢れている。あれが、復興の光か」
「はい。あそこから、僕の旅が始まったんです」
若葉は感慨深げに言った。
ルシフェル駅長に拾われ、制服を渡され、リリス号に乗った。
あれから随分と遠くまで行き、多くの出会いを経て、今こうして戻ってきた。
少しだけ、胸を張れる自分がいる。
「ご乗車ありがとうございます。まもなく、終点、サンズグリーズ中央駅。サンズグリーズ中央駅に到着いたします」
若葉のアナウンスが響く。
リリス号は速度を落とし、巨大な石造りの高架橋を渡り、都市の中心部へと入っていった。
プシュウウウウウ……。
長い長い旅の終わりを告げる、安堵の排気音。
リリス号は定刻通り、一分の狂いもなく、第一プラットホームへと滑り込んだ。
ホームには、独特の緊張感と熱気が漂っていた。
復興資材の到着を待ちわびる作業員たち。そして、その中心に、一際異彩を放つ人物が立っていた。
黒い軍服のような豪奢な制服に身を包み、背中には漆黒の翼を畳んでいる。
燃えるような赤い瞳と、冷徹だが整った美貌。
元魔王軍将軍にして、現サンズグリーズ中央駅長、ルシフェルだ。
彼は腕を組み、仁王立ちでリリス号を見据えていた。
ドアが開く。
若葉は緊張しながらも、背筋を伸ばしてホームに降り立った。
続いて、リュシア、親方たちが降りてくる。
「ただいま戻りました! 特急リリス号、および臨時貨物編成、定刻通り到着いたしました!」
若葉が敬礼すると、ルシフェルはゆっくりと歩み寄ってきた。
その威圧感に、リュシアが一瞬息を呑むのが分かった。
ルシフェルは若葉の前で立ち止まり、赤い瞳でじっと若葉を見下ろした。
そして――
「……ご苦労だった。若葉一利」
フッ、と口元を緩め、柔らかな笑みを浮かべた。
その声は、低く、深く、そして温かかった。
「あの超重量編成を率いて、野盗やドラゴンの襲撃を退け、一分の遅れもなく資材を届けるとは。……見事だ。私が期待した以上の働きぶりだな」
「あ、ありがとうございます!」
若葉は胸が熱くなった。
この人に認められることが、何よりの報酬だ。
ルシフェルは若葉から業務日誌を受け取ると、パラパラとページをめくった。
「ほう……。『霧の渓谷』にて、ノインシュタイン家との交渉成立。……あの偏屈な吸血鬼、ファーレンハイトを手懐けたか。奴は私も手を焼くほどの癇癪持ちだが……よくやった」
さらにページをめくる。
「海上都市リングベルにて、精霊王セイレーンの鎮魂に成功。……力ではなく、感謝の心で精霊を救うとはな。フン、私には思いつかん発想だ。……私よりも有能かもしれんな、貴様は」
ルシフェルは満足げに頷くと、視線をリュシアに向けた。
「して、そちらの嬢ちゃんが……報告にあった、ダークエルフの密航者か?」
「み、密航者ではない! ボクは……」
リュシアが抗議しようとすると、ルシフェルは片手を上げて制した。
「分かっている。『知識を探究する者』だろう? リュシア君と言ったか」
ルシフェルは懐から、金色のバッジを取り出した。
サンズグリーズ鉄道の紋章、翼と車輪を模したエンブレムだ。
「貴様の知識と魔導演算能力、我が鉄道にとって有益であると判断した。……これを授ける。本日より貴様を、特急リリス号の正式な乗務員として採用する」
ルシフェルはリュシアの胸元に、バッジをつけた。
リュシアは目を丸くし、バッジに触れた。
「ボクを……受け入れるのか? ボクは、ただの家出娘だぞ?」
「家出だろうが何だろうが関係ない。鉄道に必要なのは、出自ではなく『前に進む意志』だ。……貴様にはそれがある。違うか?」
ルシフェルの言葉に、リュシアはハッとして、そして力強く頷いた。
「……感謝する、駅長。この鉄の箱は、ボクの知識欲を満たす最高の揺り籠だ。世界の果てまで、付き合わせてもらう」
「うむ。励むがいい」
ルシフェルは鷹揚に頷き、そしてホームに控えていた作業員たちに向かって声を張り上げた。
「野郎ども! 待ちに待った資材の到着だ! さっさと降ろして、街を直すぞ!」
オオオオオオッ!!
地響きのような歓声が上がった。
そこからは、まさに「祭り」のような騒ぎだった。
リリス号の貨車から、次々と資材が降ろされていく。
若葉やリュシアのような非力な者は、邪魔にならないように端で見学だ。主役は、力自慢の駅員たちだ。
「どけーっ! 丸太が通るぞーっ!」
身長三メートルを超えるミノタウロスの駅員が、巨大な原木を軽々と肩に担いで運んでいく。
「鉄骨はこちらだ! 慎重にな!」
一つ目の巨人、サイクロプスが鉄骨の束を抱え、ドワーフたちが操る魔導クレーンと連携してトラックに積み込んでいく。
ウサギたちも、巨大魔法石の固定具を外し、運搬ルートを指示している。
かつては殺し合っていたかもしれない魔族や人間、亜人たちが、汗を流し、声を掛け合い、一つの街を作っている。
その光景は、どんな魔法よりも力強く、美しかった。
若葉は、自分が運んできたものがこの笑顔と熱気を生み出しているのだと実感し、目頭が熱くなった。
荷下ろし作業が一段落すると、若葉とリュシアは駅長室へと移動した。
ここからは、事務屋の出番だ。
ルシフェルの執務室は、黒檀の家具で統一されたシックな部屋だった。
「さて、事務処理を片付けるぞ。……溜まりに溜まっていてな」
ルシフェルが苦笑しながら指差した机の上には、書類の山が築かれていた。
運行記録、資材の在庫管理、新しい路線の計画書、予算申請書……。
駅長業務は激務なのだ。
「任せてください! こういうのは得意なんです!」
若葉は腕まくりをした。日本でのコンビニ店長代行(アルバイトだが実質店長)で培った、事務処理能力が火を吹く時だ。
若葉は書類の山を素早く分類し、計算魔法……ではなく電卓(自前)を叩き始めた。
「ここの計算、合ってませんね。修正します。……在庫リストと照合完了。発注書作成します」
その手際の良さに、ルシフェルが目を丸くする。
一方、リュシアも負けていなかった。
彼女は壁に貼られたサンズグリーズ全土の地図と睨み合っていた。
「ふむ……。次なる東方ルートだが、この渓谷沿いは魔力濃度が不安定だ。地脈の流れを考慮すると、迂回ルートの方が燃料効率が十五パーセント向上する。……修正案を提示する」
リュシアが書き込んだルート図は、魔導学的にも地形学的にも完璧なものだった。
「……ほう」
ルシフェルは二人を交互に見て、感嘆の息を漏らした。
「貴様ら……本当に優秀だな。私の仕事が半分以下になったぞ。……素晴らしい」
ルシフェルは嬉しそうに目を細めた。
そして、窓の外を見た。
夕日が街を赤く染め始めている。
「よし、今日の業務はここまでだ! 貴様らの働きに報いねばならんな」
ルシフェルは立ち上がり、マントを翻した。
「若葉、リュシア、そしてウサギども! ついて来い! 今夜は私が奢る! グロリアスで一番美味い酒を飲むぞ!」
一行が連れられてきたのは、中央広場に面した大衆酒場『魔王の髭亭』。
復興作業を終えた労働者たちでごった返す、活気あふれる店だ。
ルシフェルが入店すると、店内の空気が一瞬止まり、次の瞬間、大歓声が上がった。
「おっ! 駅長のお出ましだ!」
「将軍! こっちの席が空いてますぜ!」
どうやらルシフェルは、この街の有名人であり、慕われるリーダーのようだ。
一番奥の特等席に陣取ると、ルシフェルは店員に指を立てた。
「酒だ! 樽で持ってこい! 今日は無礼講だ!」
ドン、ドン、ドン!
テーブルに酒樽が置かれる。ジョッキではない。樽だ。
「さあ、飲め! 若葉、リュシア! 貴様らの凱旋祝いだ!」
「い、いただきます!」
乾杯の音頭と共に、宴が始まった。
料理も豪快だった。骨付き肉の山、チーズの塊、そして山盛りのパン。
親方たちウサギ軍団は、すでに出来上がっており、テーブルの上で踊り始めている。
若葉は恐る恐る酒を口にした。
美味い。
強い酒だが、喉越しが良い。
ルシフェルは、まるで水を飲むかのように酒樽を煽っていた。
「プハァッ! ……美味いな。平和な街で飲む酒は」
ルシフェルは口元の酒を拭い、目を細めた。
「私はかつて、魔王軍の将軍として、破壊の限りを尽くした。この街も、私が一度焼き払った場所だ」
その言葉に、若葉とリュシアは箸を止めた。
「だが、戦争が終わり……私は生き残った。最初は死に場所を探していたが……気付けば駅長などという職に就き、今はこうして物を運び、街を直している」
ルシフェルは自嘲気味に笑ったが、その瞳に暗い色はなかった。
「破壊するのは一瞬だが、創るのは時間がかかる。……だが、悪くない気分だ。貴様らのような若者が、未来へ向かって走っているのを見るのはな」
ルシフェルは若葉の肩をバンと叩いた。
痛いほど強かったが、そこには確かな信頼と愛情があった。
「若葉一利。貴様を拾って正解だったよ。……これからも頼むぞ」
「は、はいっ! ……うぅ……」
若葉は感極まり、そして酔いが回って涙目になった。
「飲みましょう駅長! 僕も、ここで働けて幸せです!」
「そうだ! 飲むぞ! リュシア君も遠慮するな!」
「うむ……。ボクもデータ収集の一環として……ヒック、飲ませてもらう……」
夜は更けていく。
魔将軍と、異世界人の車掌と、ダークエルフの学者は、肩を組んで歌い、笑い、そして泥のように酔っ払った。
それは、長く厳しい旅の疲れを癒やす、最高の祝杯だった。
ガンガンガンガン……。
若葉一利の頭の中で、小人が工事をしていた。ハンマーで頭蓋骨の内側を叩いているような、鈍く重い痛み。
「うぅ……頭が……割れる……」
若葉は呻き声を上げ、重い瞼をこじ開けた。
視界がぼやける。
そこは、見覚えのない天井……いや、昨日事務作業をしていた駅長室のソファの上だった。どうやら、飲み潰れてそのままここに運び込まれたらしい。
「……アセトアルデヒドの分解酵素が……追いつかない……。これは、中毒症状だ……」
隣のソファからは、リュシアの怨嗟のような声が聞こえる。
彼女もまた、顔面を蒼白にし、ボサボサの銀髪を抱えて丸まっていた。あの聡明な瞳は完全に死んでおり、口から魂のような白いモヤが出かかっている。
「おはよう、諸君!!」
ドォォォォン!!
鼓膜を破壊するような大声が響き渡った。
若葉とリュシアは「ヒィッ!」と飛び起きた(そして頭痛で悶絶した)。
朝日の差し込む窓辺に、一人の男が立っていた。
ルシフェルだ。
彼は昨日と同じ軍服をパリッと着こなし、漆黒の翼を優雅に整え、片手には湯気の立つコーヒーカップを持っていた。
肌はツヤツヤ、目はランランと輝いている。二日酔いの気配など微塵もない。
「よく眠れたようだな。昨夜は楽しかったぞ」
「え、駅長……声が……声が大きいです……」
若葉が涙目で訴えると、ルシフェルは「フン、軟弱者め」と笑い、二人に向かってコーヒーが入ったマグカップを放り投げた。
若葉とリュシアは慌ててキャッチする。
「飲め。中央駅特製、酔い覚ましの『激苦ブラック・ポーション』だ」
「ポーションって……ただの濃いコーヒーじゃ……」
恐る恐る口をつけると、舌が麻痺するほどの苦味と酸味が口内を駆け巡った。
ブフォッ!!
だが、その強烈な刺激のおかげで、霧がかかっていた脳が強制的に覚醒した。
「目が覚めたか? ならば急げ」
ルシフェルは懐中時計を取り出し、ニヤリと笑った。
「リリス号の発車まで、あと三十分だ」
「へ?」
若葉とリュシアの動きが止まった。
三十分。
それは、身支度をして、ホームへ移動し、点呼を取り、出発準備をするにはあまりにも短い時間だ。
「さ、三十分ーーーーっ!?」
若葉の絶叫が駅長室に響いた。
二人は弾かれたように飛び出した。
「リュシアさん! 急いで! 制服! 帽子!」
「わ、分かっている! データによると全力疾走すれば間に合う確率六十パーセント!」
「低いよ!!」
二人はパンをかじりながら、着替えながら、廊下をダッシュした。
ルシフェルはその後ろ姿を優雅に見送りながら、コーヒーを啜った。
「フフ、元気でよろしい」
ゼェゼェ、ハァハァ……。
息を切らして第一プラットホームに滑り込んだ若葉とリュシア。
そこには、昨日の無骨な貨物列車とは全く違う姿があった。
「おおっ……!」
若葉は思わず足を止めた。
リリス号は、変身していた。
昨日まで連結されていた泥だらけの貨車は全て切り離され、代わりにピカピカに磨き上げられた漆黒の客車が連結されている。
窓ガラスは一点の曇りもなく輝き、金色の装飾が朝日を浴びて煌めいている。
いつもの、優美で気品あふれる『特急リリス号』の姿だ。
「キュッ! フゴッ!(遅えぞ若葉! 準備は万端だ!)」
運転席から親方が顔を出した。
ウサギたちも制服に着替え、キリッとした表情で整列している。彼らも昨日は泥酔して踊っていたはずだが、さすがプロフェッショナル。酒の抜けも早いらしい。
「す、すみません親方! 今すぐ搭乗手続きを始めます!」
若葉は制帽を被り直し、ネクタイを締めた。
リュシアも眼鏡の位置を直し、車掌用のベストを整える。
「業務モード、起動。……これより改札を開始する」
ホームには、すでに出発を待つ多くの乗客たちが列を作っていた。
今回の乗客もまた、多種多様だ。
東の国へ香辛料を仕入れに行く人間の商人。
修行の旅に出るという武闘家のオーク。
そして、東方の魔法技術を学びに行くというエルフの留学生たち。
「ご乗車ありがとうございます! 切符を拝見いたします!」
若葉は改札鋏を軽快に鳴らし、次々と乗客を案内していく。
リュシアも、慣れない手つきながらも一生懸命に荷物を運ぶ手伝いをしている。
「この荷物は重量バランス的に三号車の棚が最適だ」
「ありがとうございます、お姉ちゃん」
そんなやり取りも板についてきた。
全ての手続きが終わり、発車時刻が迫る。
若葉はホームに立ち、最終確認を行った。
「全車両、ドア閉! 機関圧よし! 信号よし!」
そして、視線を上げた先にルシフェルの姿があった。
彼はホームの端に立ち、腕を組んでこちらを見ている。
若葉は駆け寄った。
「駅長! ……お世話になりました!」
若葉は直立不動で敬礼した。
ルシフェルはゆっくりと頷き、若葉の肩に手を置いた。
「若葉一利。そしてリリス号のクルーたちよ」
その声は、朝の駅舎によく通った。
「今回の任務、実に見事だった。貴様らが運んだ資材は、このグロリアスの礎となり、未来を作るだろう。……誇りに思え」
「はい!」
「だが、旅はこれで終わりではない。むしろ、ここからが本番だ」
ルシフェルは東の方角、朝日が昇る空を指差した。
「東の果て。そこには、未だ地図に記されていない荒野や、旧時代の遺跡、そして未知の種族たちが待っている。復興の光を、世界の隅々まで届けてこい」
魔王軍の将軍としてではなく、復興のリーダーとしての言葉。
それは重く、そして熱く、若葉の胸に響いた。
「行ってきます、ルシフェルさん。……必ず、また戻ってきます!」
若葉が力強く宣言すると、ルシフェルはニッと笑い、右手の拳を突き出した。
若葉もまた、拳を突き出し、コツンと合わせた。
男同士の、言葉はいらない約束。
「行け! 特急リリス号、出発ッ!!」
ルシフェルの号令が轟く。
ポォォォォォォォォォォッ!!!
リリス号が、かつてないほど高らかに汽笛を上げた。
蒸気が噴き出し、車輪が回り始める。
ガタン、ゴトン。
ゆっくりと、しかし確実に動き出す巨大な鉄の塊。
「いってらっしゃーい!」
「頑張れよー!」
ホームの作業員たちや、駅員たちが手を振る。
ルシフェルは動かず、ただ静かに、遠ざかっていくリリス号の背中を見つめ続けていた。
その背中には、黒い翼が誇らしげに広げられていた。
リリス号はサンズグリーズ中央駅を後にし、長い高架橋を渡って東へと進路を取った。
窓の外には、朝日を浴びて輝くグロリアスの街並みが広がっている。
建設中のビル、修復された時計塔、そして活気あふれる市場。
すべてがキラキラと光り、生きている。
「綺麗な街だな……」
最後尾のデッキで、若葉は流れていく景色を眺めていた。
リュシアが隣に並ぶ。
「ああ。ボクの知っている知識の中では、もっと荒廃した場所だった。だが、実際は違う。破壊された場所から、新しい何かが生まれようとしている」
リュシアは眼鏡を指で押し上げた。
「復興、か。……興味深い現象だ。この目で、もっと多くの場所を見てみたくなった」
「うん。僕もだよ」
若葉は頷いた。この世界の行く末を、リリス号と共に見てみたいと思う。
この線路の先に何があるのか。どんな出会いが待っているのか。
「さあ、仕事に戻ろうか、リュシア先生」
「うむ。次の停車駅までのルート計算と、車内販売の在庫チェックが残っている。……忙しくなるぞ、車掌」
二人は顔を見合わせ、笑い合った。
デッキの扉を開け、車内へと戻っていく。
そこには、乗客たちの笑顔と、温かいコーヒーの香り、そしていつもの日常が待っている。
リリス号は速度を上げ、朝日の昇る東の空へ向かって突き進んでいく。
シルフの風が、追い風となって背中を押す。
まるで、夜空を駆ける彗星のように。
旅はまだ、終わらない。
線路はどこまでも、どこまでも続いているのだから。




